5 セット教習・彼女の怒り
今日は土曜日。今日と明日の日曜は平日だと受けれない2時限連続の教習を受ける予定だ。
現状の教習内容は路上教習へと進み、歩行者への対応とか状況に合わせたスピードとか諸々コース内の運転にはなかったことに四苦八苦しながらも、なんとか第二段階の中盤になっていた。
ふとした瞬間に野々原さんの笑顔が頭に浮かび、モヤモヤした気分になって自分の気持ちを持て余すのだが、あの時以来野々原さんには一度も会えてはいない。やはり彼女は大学生か下手すりゃ社会人?俺とは教習を受けてる時間帯が違うのかも知れない。
今日予定されているのはセット教習とかいうのだが、それって何するの?
事前説明だとどうやらグループ学習らしい。三人一組のグループで代わり番こに運転して、その結果を次の時間に討議しようぜってことが目的で、運転(技能)と討議(学科)をセットでやるからセット教習って言うんだとか。これ、一人だけすんげえ下手だったらディスカッションの時集中砲火浴びない? 公開処刑になっちゃわない? ちょっと怖いんだけど。
配車カウンターの係の人から指示されたクルマに行くと担当の教官がクルマの横に立って待っていた。
「えっと、ダイブt……じゃなくてオサラギさんですね。あと二人が来るまでちょっと待って下さいね」
はい。と、返事しながら今ダイブツって言いかけたよなと思いはするが、珍しいことでもないのでノーリアクション。病院なんかでも、間違えられて呼ばれるがいちいち訂正するのも面倒くさいし訂正すると微妙な空気になるので、そのまま返事する時もあるくらいだしな。
程なくして一人の女性が来た。ゆるふわパーマの大学生かOLのお姉さん。更にもう一人が到着し、これまた女性で……な、なんと野々原さんだった。神様を信じてる訳でもない俺だが、この時ばかりは神に感謝したくらいだ。
野々原さんは、俺と目が合うと初めちょっとびっくりした顔をしたがすぐにニコリと微笑んだ。期せずしての野々原さんとの出会いにドキドキしちゃったけど表情にでてないよな?
運転のトップバッターは俺。40代後半くらいの恰幅の良い教官から、
「最初に男の子が上手な運転を見せてくれよ」
と指名された訳だけど、プレッシャーしか感じないのでそういうこと言うの止めて貰ってもいいですかね。
後部座席には野々原さんとお姉さんがクリップボードを持って座ってる。危ない場面があったとか、逆にここは良かったとか記録するためだ。
この時間の教官は殆ど運転中のアドバイスをしない。アドバイスなしの運転をお互いに見合うためだそうだ。まあホントに危ない時は助けてくれるんだろうけど。
やべえ、助手席からの指示がないとか不安しかない。それでもなんとか危ない状態は作らずに走り終えたと思う。
次はゆるふわお姉さんが運転。野々原さんと並んで後部座席に座ることになり緊張する。
が、ゆるふわお姉さんってば運転もゆるふわで…歩行者は見落とすわクルマが来てても突っ切るわで助手席からブレーキ踏まれまくりでそれどころではなくなったよ。ある意味ありがとう。
ラストは野々原さん。一つ一つ確認しながら進んでいく確実な運転だが、彼女の人柄なのだろうか。
などと感心しながら野々原さんの運転を観察していたら、
「さっきはごめんね~。怖かった~?」
と、これまたゆるふわな口調で隣から話しかけられた。
本来私語は慎んで運転の観察をすべきなんだろうけど、この程度ならと教官もミラーでチラッと後ろを窺うが何も言ってこない。
許容されたと思ったのか
「ねえキミ高校生?か~わい~んだ~」
とか言い始めるし、それに近い近い! そんなにこっちに体を傾けたらシートベルトが肩から外れちゃうでしょうに。
これは流石にアウトだろうと助手席の方を見た瞬間、ドンっと急ブレーキでクルマが止まった!?
ベルトで胸が抑えられて、野々原さん以外の三人から同時に「うえっ」って変な声が出たし、クリップボードの紙がボールペンでビリって破けちゃったよ。
え? どうしたの? さっきまであんなに丁寧にブレーキしてたのに。
「あ、すみません。信号が突然変わったので」
と、教官に謝る野々原さんの表情が……なんか怒ってるよね。謝る時の表情じゃないよね。それ。
ほら、教官も戸惑った顔になってるでしょ?
続いてのディスカッション。4人掛けのテーブルに俺とゆるふわお姉さんが並んで座る。その向かい側に野々原さん。
別に俺からゆるふわお姉さんの隣に座った訳じゃないよ。俺が一番先に部屋に入った関係で一番奥の席に座ったら、その後に続いて部屋に入ったゆるふわお姉さんが隣に座ったんだよ。ただね、お姉さんもう少し椅子を離してもいいんじゃないかな。
それと野々原さん、なんで正面から俺を睨んでるのかな?女性に近づかれてデレデレしてるキモイ奴とか思って嫌悪感で怒ってます?
俺が野々原さんの運転にアドバイス的な意見を言えば、
「あら?今日仲良くなった女性と楽しくお話してたのに、私の運転なんかちゃんと見てたんですか?」
と、反撃してくるし。そんなに今日の俺、怒るほどキモかった? 俺からはなんもしてないよ?
は~。教習を終えて夕方近い午後、教習所から最寄り駅まで歩きながら溜息しか出ない。
せっかく会えた野々原さんはあんなに怒ってるし、あわよくば談話室で楽しく話をなんて望みはなくなっちまった。
あとは一つ角を曲がってすぐ駅だけど、俺はここで脇道に入る。角まで行くよりも斜めに近道だからだ。両側に塀が続く、冬だと午後には薄暗くなるちょっと寂しい狭い道。
肩を落としながらとぼとぼ歩いていると、後方からたったったっと小さな足音をたてながらこれまた小さな女の子が追い抜いて行った。
俺は男だからいいけど、小さな女の子が夕方近くにこの道を通るのはお勧めしないぞ。とか思いながら後ろから眺めていると、
「「あっ!」」
転んだ。俺も一緒に声が出た。なんで子供って何もないところで転ぶの?ヤバイ、ヤバイ、こりゃ泣くぞ。最近女の子が泣くところ見るの多くないですかね、俺。
と、思って見ていたらコロコロコロとコインのようなものが転がって行くのが見えた。
500円玉かなと思われるそれは、塀にぶつかり進路を変え小石でバウンドし側溝の蓋のところの溝をレールのようにして転がり、最後にもう一回小さくバウンドして側溝の蓋にある小さな穴にキレイに消えていった。
瞬間『ピタゴラなんちゃら』とのテーマ音楽と旗が立つのが見えた(ような気がした)
幼稚園の年長さんくらいだろうか。左右に小さくちょんちょんとツインテールにした女の子もあっけにとられて泣くのを忘れているようだが、事態はより深刻になったのは間違いない。
実は小さな子供は正直苦手なのだが、この状況ではそうも言ってはいられないだろう。
「お兄さんが取ってあげるね」
と、できるだけ優しく声をかけ(泣かれたくないからな)側溝の蓋の穴に手を掛ける。
蓋を持ち上げてスマホで側溝の中を照らしてみると、手が届く範囲にキラリと光るものがみつかりホッとする。
多少手や膝が汚れるかも知れないが、汚れても構わないようなデニムだったので膝をついて屈んでコインを拾うとやっぱり500円玉だった。
不安げに横に立っていた女の子に
「はい。これ」
と渡したところで……
「あーーーいたぁーーゆいっ」
子供の声で振り向くとそこには、二人の子供の手を両手に繋いで、息をきらせながら……
野々原さんが立っていた。
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