3 涙再び・彼女の笑顔

 ロビーの一番奥、窓際に自習用のカウンターが設置してあるスペースに人混みを避けるようにして座る。結果の発表待ちだ。

 

「あの、先ほどはありがとうございました」

 

 スマホをいじっていた俺はその声で顔を上げる。目の前に野々原さんが立って

いた。

 

「いえ、良かったですね」

 

 意識して野々原さんにアドバイスしたわけでもないので、礼を言われるほどのこともしてないのだが一応無難に言葉を返す。

 

「これ、よかったらですけど……」

「え?」


 野々原さんの手には缶コーヒーがあり、こちらに差し出していた。

 

「いやいや、それは受け取れませんよ」

「お、男の子が好きな飲み物なんて、わ、私よくわかんなくて。そ、そうですよね、コーヒーを飲まない方だっていますもんね」


 いや、そういう事じゃなくてね。

 野々原さん、また目が渦巻きになってる(ような気がした)

 

「とりあえず掛けましょう」


 何人かこちらをチラチラ振り向いて伺ってる。話す内容も内容なので苦笑しながら椅子に座るように促すと、彼女は一つ席を空けてこちらに体を向けて座る。

 

 こうして正面から見ると、肩より少し下まで伸びるサラサラの黒髪、小さな顔にかけられた眼鏡の奥には黒目がちの瞳。眼鏡で目が小さく見えてることを考えれば、もしかするともっとぱっちりと大きな瞳なのかも知れない。若干地味なことは否めないが清楚な美少女には間違いなさそうだ。落ち着いてる雰囲気からすると年上……大学生なのだろうか。

 

「さっきのは俺の完全に自爆なんで気にしないでください。ちょっと恥ずかしいくらいなんで」

「でも、それで助かったのは事実なんです。本当にありがとうございました」

 

 でもどうしましょう、私コーヒーは苦手でと小さく呟くのが聞こえた。

 

「じゃあそれ頂きますね」

「はいっどうぞ!」

 

 一つ空けた席をこちらに詰めて座り直しながら渡してくる。

 

「甘さの好みもわからなかったので微糖を買いました」

 

 ドリップしたコーヒーならブラックでも飲むが、缶コーヒーは割と甘目が好みである。

 

「大丈夫ですよ。ブラックも好きですし、ミルクたっぷりの甘いやつも飲みたくなる時もありますしね。じゃあありがたく頂きます」

 

 プルタブを開けて一口飲むと人工甘味料の味が舌に広がる。実は微糖のこの味は苦手なのだが当然表情には出さない。

 なんとなく間が持てないので、コーヒーの缶を口に近づけながら話しかける。

 

「そういや、ギア車で頑張ってるんですね。女の子はオートマで取るもんだと思ってましたけど偏見かも知れません。何か理由があるんですか」

 

 本当に軽い気持ちで聞いたつもりだった……のだが。

 

「そ、それは……」

 

 俯いてしまい、ぎゅっと下唇を噛む野々原さん。

 

「(え~!?今のNGワード?やっちまった?)」

 

 人間何が地雷なのかわからない。いや、見えてないからこそ地雷なのだが。

 二人の間に気まずい沈黙が流れて、この空気どうしようと途方に暮れたその時……


 ピンポンパンポ~ン♪


 発表だ。俯いてた彼女もハッとして顔を上げモニター画面に向ける。

 モニター画面に受験番号と合否の結果が表示された。

 自分の番号に合格のマークが付いてるのを見てホッとするが、次の瞬間

 

「あっ、あった!ありました!合格です!」

 

 と、耳に衝撃が訪れたあと

 

 むにゅ!

 

 と、腕に柔らかな衝撃が。

 見ると野々原さんが感極まって俺の腕に抱きついて……泣いていた。

 

「え?ちょ、ちょっと!」

 

 周りからの注目も集めているしやめて欲しいが、泣いている女の子を無理に引きはがすわけにもいかない。結局彼女自身がハッとして離れてくれるまで俺は、腕の感触にただただオロオロするのであった。


「本当にすみません!」


 もう何度目かわからないくらいに頭を下げる彼女に、気にしてないからとこれも何度目かの返答をする。

 いやむしろ「ありがとうございます」なのだが、これは口が裂けても言えないな。


「実は私、今日で試験受けるの4度目なんです」

 

 少し時間が経過し落ち着いた彼女が話始める。

 

「前回は、3度目の正直で合格を信じていたのに落ちてしまって……つい、堪えきれずに二階の談話室まで行って泣いてしまいました」

 

 やっぱり、あの泣いている姿は野々原さんだったようだ。

 

「練習では上手くいくんです。でもどうしても特にS字だけは苦手で、あそこに行くと頭が真っ白になっちゃうんです」

 

 うん。知ってる。さっき見た。

 

「試験にはお金もかかるし、親とかに叱られちゃうの?」

 

 心配して訪ねてみると、彼女は小さく首を横に振った。

 

「自分のお金なんです。お小遣いとか親戚の仕事をお手伝いして頂いたお金を貯めてた分で通ってます」

 

 それを聞いて俺はちょっと自分が恥ずかしくなった。推薦で大学が決まって、やることがなくていたら親から「今の内に免許でも取っとけ」って言われ、何の疑問も感じず親が出した金で通っていたのだから。

 

「じゃあ合格の喜びも一入ひとしおだったんだね」

 

 泣くのも仕方ないわ、そりゃ。

 

「はい。まー自分のお金って言っても、お小遣いとかはやっぱり親に貰ってるのに変わりはないんですけどね」

「それでも偉いよ」

 

 本心からそう思っての言葉だ。

 

「でも、あの時後ろからのアドバイスがあってS字を切り抜けたら意識が変わったんです。自分でもよくわからないんですが、そこからは落ち着いて運転できたんです。改めて本当にありがとうございました」

「……っ!」

 

 思わず息を呑んだ。だってそこには……俺の目の前には……屈託のない、はじけるような満面の笑みがあったのだから。


 俺は今日、彼女の泣く姿を図らずも再び見ることになったようだ。

 いや、それ以上に魅力的な笑顔を記憶に残すことになった。いまだ残る腕の柔らかな感触の記憶とともに。

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