20 - 交渉
「お嬢様!」
少年――黒いパイロットスーツに身を包んだ、謎のパイロットが放った銃弾は、各務怜奈の真横を通過してヘリポートに穴を穿った。
「動くな。動けば撃つ」
冷徹な声が、すべての動きを止める。
今のは警告だ。もとより、あの射撃術を見せた少年が、至近距離で外すはずがない。
しかし今なら、怜奈を撃つより前に殺せる――と拳銃に指をかけようとした瞬間、少年が天音を見た。
バイザーから覗く目は、あまりに冷たく、重い。
指が動かない。動かせない。――これは恐怖だ、と本能的に理解した。そして何より、自分が彼を撃つよりも、彼が引き金を絞るほうが早い。
背後で気配が動く。『音』でそれを確かめて、天音は叫んだ。
「撃つな! 全員……待て」
「――しかし」
「ダメだ。彼は見逃しはしないし、躊躇いもしないだろう。誰かが撃とうとすればお嬢様は死ぬ」
冷や汗が流れる。
人数は、減った。六人のテロリストに人質に取られている時のほうが、圧倒的に不利だった。論理的には。
だが今のほうが、あの時よりもよっぽど危険に思えるのはなぜだ。
「……交渉がしたい」
少年の口から飛び出たのは、そんな言葉だった。
「交渉だと?」
「ああ。見逃せとは言わない。ヘリも必要ない。そのつもりなら、とっくにアレで逃げている」
――確かにそうだ、と天音は思った。
そもそもアサルトモービルでここまで駆け付けたのだ。わざわざ降りて、テロリストを殺し、交渉を要求している。脅すだけならアサルトモービルで脅したほうがよほど確実ではないか。
……この男は何をしたいのだ?
「……交渉とは、何のだ」
その言葉が好奇心の発露なのか、それとも必要と認めたからなのか、考えることを天音は放棄した。
彼は小さく息を吸い、そして言った。
「各務弦也と、話をさせてほしい」
◆ ◇ ◆
交渉は決裂、しなかった。
武器を取り上げ、人質を解放した上でなら、交渉に応じる。二人きりにはしない――。
その条件を啓人は呑み、各務弦也の部屋の前で怜奈を解放した。
「――すまなかった」
小さな声で呟かれた謝罪に、怜奈は大きく目を見開いた。
だが結局、天音に抱き着かれるように引き戻された怜奈は、それ以上彼について知ることはできなかった。
パタン、と部屋の扉が閉じる。
案内された部屋には六人の男がいた。
部屋の中央にある椅子に、一人の男。それを囲むように五人の護衛。護衛はいずれも武装している。
啓人はヘルメットを脱ぎ、そして頭を下げる。その姿に、護衛たちは全員が驚いたような顔をしたが、椅子に座った人物だけは「ほう」と小さくつぶやくだけだった。
「座りたまえ。……名前は?」
「新谷啓人」
「アラヤ……? ノインと言ったのではなかったかな?」
「ノインと言う名前は『組織』によって名乗らされた名前だ。新谷啓人が本名だ」
本当は、ノインの本名など知らない。
ただ己を新谷啓人と定義している彼にとって、それは当然の返答だった。
「なるほど。君は日本人なのかな?」
「分からない。ただ、母親は日本人だった」
啓人の返答に、目の前の青年は、細めていた目をうっすらと開き、肩をすくめて見せた。
「日本人の、しかもこんな少年がテロリストを名乗っている。やれやれ、我々の国はいつからそんな哀しい国になったのかな」
「俺自身は、テロリストになったつもりはない」
啓人の否定に、男はため息を吐き、そして笑みを浮かべた。少し呆れたような笑みだ。
「一民間施設を襲い、戦闘によって民間人が大勢死んだ。この所業がテロでないとするなら何なのかな?」
「それを否定するつもりはない。俺が言いたいのは――俺は奴らの手駒に成り下がったつもりはない、ということだ」
その言葉に、今度こそ、各務弦也は動きを止めた。
各務弦也に、もとよりテロリストとの交渉を受けるつもりはない。テロリストには断じて譲歩しない。それは国家権力に次ぐ権力を持つ四家の一、各務の主である彼の責務だった。
今回、交渉の席を用意したのは、相手が圧倒的不利な状況での交渉を受け容れたからだ。この状況で暴れたところで、彼を殺すことは容易だ――たとえ聞いた通り、いやそれ以上の戦闘力を持っていようが。
でなければ各務弦也が許可する以前に、彼の保有する『護衛』がそれを許しはしない。
しかし――彼がテロリストの一味でないというのなら、話は変わる。
「一体どういうことかね?」
滔々と、啓人は話しだした。
テロリストの組織に誘拐され、拷問を受け、戦闘訓練を施されたこと。アサルトモービルに乗るように強要されたこと。そしておそらくは、精神操作を受けながらも、それに抗い続けたことを。
「つまり君の目的は、この国に保護してほしい、ということかな?」
「俺だけじゃない。もう一人もだ」
ふむ、と各務弦也は考え込んだ。
目の前の彼は、あの蒼いアサルトモービル……『蒼い悪魔』のパイロットだったという。アサルトを用いて各国に破壊活動を行った。その行状を考えれば、どう考えても重犯罪者だ。
しかし武装組織に誘拐されて無理やり乗せられていたとすれば、彼は被害者であり、彼が日本国民であるのなら、日本政府はその身柄を保護する必要が生じる。
しかしそれは、『蒼い悪魔』に煮え湯を飲まされた同盟国には面白くない話だ。そして敵対国にとっても、日本に戦力を奪われたことになる。
(しかし、これは有益な話だ)
これは日本が合法的に『蒼い悪魔』のパイロット、その戦力を手中に収められる機会といえる。
それも軍ではなく、各務がその管理を行うのならば、各国の反発も最低限で済む――。
「――いいだろう。日本政府は君たち二人を保護する」
「ありがとう、ございます」
彼は今度こそ敬語を使い、そして頭を下げた。
「しかし問題は、その施設にいるもう一人の方だね。君を保護し、艦隊を派遣するとしても――」
「それじゃ駄目だ。俺が戻らなければ、あの男はフィルを殺す」
それが形を変えた命乞いでないことは、各務弦也には容易に理解できた。
本当に、彼が戻らなければ、もう一人は死ぬのだろう。
損得だけで考えれば、彼をこの場で拘束し、保護するべきだ。たとえもう一人を見捨てても、優先されるのは日本国民の生命である。
しかし弦也に、もはやそのつもりはなかった。
彼はこの短時間で、この少年を、その瞳の奥に宿るほの暗い光を気に入っていた。その本懐を遂げさせてやりたい、と思える程度には。
「……しかし良いのかね? 君の任務を成功させることはできないが」
「構わない。……だが、一つ頼みたいことがある」
彼が願ったのは――
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