18 - 油断
ホテルの一階に上がった怜奈と天音は、激しい銃声に思わず物陰に身を伏せた。
だがそれは、どうやら自分たちに対するものではなかった。銃声はひとつふたつではない。これは、銃撃戦が始まった音だった。
「……やっと到着したのね」
安堵と共に怜奈は息を吐き出す。
天音は、許可もなくうっかり声を漏らした主を責めはしなかった。どのみちこの銃撃戦の音が、多少の会話ならかき消してくれる。
ちなみに天音は既に服装を戻している。音を消すことより、防弾チョッキの装着を優先したのだ。羞恥心がまったく理由のうちにないとは言えなかったが。
「……どうやら表口で銃撃戦が起きてるみたいですね。ここは裏口に急ぎましょう」
「どうして? 表口に行って合流したほうが――」
「確かに連絡を取りあって挟撃をすることは不可能ではありませんが、流れ弾が危険です。それに、逆にテロリストがこちらへの攻撃を優先すれば、戦況が不利になることもありえます」
――それに、表口の銃撃戦が味方のものと確定したわけではない。
「……そうね。先導お願い」
「了解しました――お待ちを」
天音に制されて、怜奈は動きを止め、二人は物陰に身をひそめる。その前を、男たちの足音が集団で通り過ぎて行った。
天音の『異常聴覚』を前に、あらゆる待ち伏せや奇襲は無意味だ。
たとえ銃撃戦の最中であろうと、彼女は特定の音を過敏に選り分ける。
その天性の素質こそが、彼女がその若さで『各務の姫』の護衛を任せられている理由の一つである。
「……行きましょう。今がチャンスです」
「ええ」
二人は、なるべく音を立てず、しかし迅速に、裏口へとその歩を進めた。
◆ ◇ ◆
裏口に辿り着いた二人は、扉の前で小さく安堵の息を吐いた。
怜奈が天音に視線を送ると、彼女は頷き、そして目を閉じた。
ひとつ、ふたつ、と彼女の指が折られていく。
足音、衣擦れの音、呼吸音から、裏口の先にいる人数を割り出しているのだ。
その指が四つまで折られたときに、ぴくり、と彼女は眉を動かした。
「これは……なるほど」
天音のつぶやきの意味を、怜奈は最初、理解することはできなかった。だがその頬が上がるのを見て、ようやく理解した。
彼女はスーツに取り付けたバッジをひねり、ボタンを押す。このバッジは特定の電波を放つ装置だ。
意味を持つ電波ではない。盗聴を警戒してのものだ。ただ電波を放ち――そして近くの味方に居場所を知らせる装備だ。
そう。天音はその聴覚で、裏口に襲撃をかけようとしている味方の部隊に気づいたのだ。
『
その声は空気を震わせることすらもなかった。
天音の耳に埋め込まれた超小型の骨振動型マイクロチップイヤホンが、音を漏らすことなく声を届けたのだ。
天音はバッジのボタンを押し、了承を伝えると、腰のホルスターから拳銃を抜いた。
「お嬢様はここでお待ちを」
「ええ、任せるわ」
十秒後にC、クロスファイア。
つまり挟撃だ。
(五、四、三、二――今!)
扉から身を乗り出し、手に持った拳銃で敵に狙いをつける。
発砲。
破裂音と共に飛翔した弾丸は、斜めから頬骨を砕き、脳まで達してその運動を止めた。即死だ。
弾かれたように後ろに倒れた仲間を見て、テロリストがアサルトライフルを構える。だがその後頭部を、裏口の向こうから弾丸が貫いた。
――
「ふう――」
挟撃に成功し、すべての敵の死亡を確認し、ようやく天音は銃を下ろそうとして――はっと後ろを振り向いた。
このとき、三枝天音は油断していた。
少なくとも、その誹りは免れえないと彼女は思った。
味方が来たことによる安堵感。敵を殺すという行為。銃を撃つことの高揚感。そのすべてが、三枝天音の意識を外に向けさせた。
この時のことを、三枝天音は、きっと忘れることはないだろう。
テロリストによって後ろ手を拘束された怜奈の姿を。
怜奈に至近距離で銃口を突きつけた、テロリストの冷たい眼差しを。
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