15 - 愚者の選択

 ――『蒼のオーリオウル』とはどういうゲームであったか。

 その概要はこうだ。


 第三次世界大戦から百年後、世界は危うい均衡の上にあり、日本近郊では軍事衝突の危険性が高まっていた。

 そこで日本は、ロボット兵器『人型強襲兵装ヒューマノイド・アサルト・アーマメント』、通称『アサルトモービル』をアメリカと共同して作り出し、大陸に対抗する術とした。

 プレイヤーはそのパイロットとなるべく、アサルトモービル操縦士の養成学校に入学する……というものだ。


 前半は学生生活を謳歌し、やがて事件が起き、戦争パートに突入する。

 おおまかに言うとこうなのだが、では今はというと、おそらく『ゲームのスタート前』の世界ではないのかというのが、啓人の推理だった。


 『ノイン』というキャラクターは、主人公たちの前に立ちはだかるライバルキャラだ。

 最初は中国――中華統一共和国の工作員だと思われていたが、ゲームの後半で中国を裏切り、『組織』の目的のために行動する。

 その性格は冷酷なロボットのようであったが……実はそれは『組織』による精神操作によるものであり、本来は心優しい少年であったという設定が明らかになる。


 ――その設定を、『ノイン』は皮肉と共に飲み込んだ。


「――ちっ」


 舌打ちが聞こえる。

 同じ艦内――潜水艦内――で待機している兵士だ。

 聞えよがしに放たれた舌打ちは、静かな艦内でわずかに残響し、ついで響いたもらし笑いに遮られた。


「そう邪見にしてやるなよ。たかが人形ごときに」


「――ふん。あの陰険そうな目つきを見てたら、こっちの士気が下がるんだよ」


 『人形』という例えは、最近のノインに対する一般的な形容だった。

 何も言わず、語らず、意思さえ見せず、黙々と命令に従う人形。


 あの日、あの時、新谷啓人は『ノイン』となった。

 ただ黙々と指示に従い、任務をこなし、人を殺す、それだけの存在だ。


「第一、あいつは反逆者だろう。上もなぜ奴を生かしておく?」


「使えるからだろ。あの『蒼』を乗りこなせるのはヤツしかいない。それに、あいつのマインドコントロールはもう完璧――」


『――貴様ら、いい加減にしろ』


 低く放たれたのは、中国語だった。

 同乗していた潜水艦のクルーのものだ。

 物々しい視線にさらされた二人は黙り込む。


 無論、それはノインを擁護したものではない。

 これは潜水艦。もうすぐ目標国の領海内に侵入する。静粛性が命の潜水艦内で音を立てるなど、素人以下の振る舞いだ。


 次いで潜水艦のクルーは、じろりとノインにも視線をやった。

 端正な顔立ちの少年は、ぴくりとも、目線を動かしさえしなかった。


 ◆ ◇ ◆


 相模湾の南に位置する伊豆大島でメガフロートリゾート『スピカ』が作られたのは、大戦から百年近くがすぎさった、二十二世紀を四半世紀も過ぎてからのことだった。


 もともと、このメガフロート計画は核によって壊滅した東京と、それに伴う南関東一都三県の再建計画の一部だった。


 首都圏近郊の工業団地から湾内に漏れ出した大量の重油を分解、浄化するための巨大浄化施設として計画された。しかしそのコストと建設にかかる期間から見送られ、浄化計画は伊豆半島と南房総半島までをつなぐ「シークリアライン」に引き継がれた。

 この時のノウハウのおかげか、海洋浄化技術で今や日本はトップクラスの技術力を持っている。今でも日米豪が合同して海洋重油を浄化すべく、浄化船を大西洋に飛ばしている。


 閑話休題、結局白紙となったメガフロート計画は、千葉県伊豆大島でメガフロートを利用した日本最大の人工リゾート地計画として結実することになった。それが『スピカ』である。


(お父様の仕事とはいえ、リゾートなんて……こんなところに来るぐらいなら、受験勉強に集中したいのに……)


 ビーチに隣接されたホテルのロビーでそう一人ごちたのは、各務怜奈、つい先日に誕生日を迎えたばかりの十二歳の少女である。

 とはいえ今は八月で、中学受験はまだ先だ。もっとも、今や中学受験を一年前から準備しておくのは当然のことで、受験まであと半年もないといったほうが、怜奈の心情には相応しかった。

 ――学業成績優秀な彼女が、多少リゾートで羽目を外したところで中学受験に失敗する確率は皆無に近かったが。


 しかし、そんなものは慰めにもならなかった。

 この日、確かに、彼女はここに来るべきではなかった。



 突如メガフロート全体に響き渡った警報と、海上から突如吹き上がったミサイルの光がそれを証明した。



 爆発。轟音。悲鳴。怒号。ビーチから我先にと逃げ出す人々。


「なっ……」


 その光景を、ビーチに隣接されたホテルのロビーから見ていた怜奈は、思わず声を呑んだ。


 ――第三次世界大戦以降、日本人は、もはや平和ボケとは無縁であると言われている。第三次世界大戦、正確言えば第二次東亜戦争の停戦から百年、未だ日本と中国での戦争は『終戦』を迎えたわけではない。その形は少々歪ではあるのだが。

 しかしそれは、いつでもだれでも『有事』を想定しているという意味ではない。ビーチで遊んでいたらミサイルが飛んでくるなど、誰も想定していない。

 戦争とはテレビの向こう側で行われるものであり、日々平和な暮らしを営んでいる普通の日本人にとって、戦争が真に身近なものとは言えなかった。


(国防軍が領海内の潜水艦を見逃した? まさか噂になっていた大陸側の新型原潜……?)


 しかし彼女――各務怜奈は、パニックのままに逃げ惑う民衆とは少し違った。

 彼女の家は、日本の国防に深く関わる軍人家系である。当然、有事に対する心構えは一般人よりも上だった。

 バッグから素早く携帯端末を取り出し、父親の名を選び出して電話をかける。


(……ダメね。でも、お父様がこの事態に何も手を打たないとは考えられない)


 怜奈はバッグに入れた護身用の拳銃を確かめる。

 無論、日本で銃を所持することが銃刀法違法であることは、今も変わっていない。所持の許可が下りる例は戦前よりも増えはしたが、十八歳以下である怜奈に許可が下りることはありえない。

 だから、これはただのエアガンである。――殺傷まではいかないが、人をある程度無力化させる威力を持つ違法改造空気銃だ。それをただのエアガンとして警察に見逃してもらうぐらいは、各務の家は力を持っていた。


(それより、天音に早く連絡を――)


「お嬢様!」


 聞き覚えのある声に携帯端末から目を離し、慌てた様子で駆け込んできた少女の姿を認めて、怜奈はほっと息を吐く。


「天音。良かった、無事だったのね」


 三枝天音。

 男性用のスーツを着こんでいるが、れっきとした怜奈と同年代の少女である。小学生か中学生か、その幼さに、スーツははっきり言って似合っていなかった。

 彼女は怜奈の世話係兼護衛として、今回の旅行に同行していた少女だ。


「お嬢様も、よくぞご無事で……」


「ええ。お父様は?」


「弦也さまはご無事です。それよりお嬢様、早くご避難を――」


 彼女が言い終えるよりも前に、ロビーの玄関口で悲鳴が聞こえた。

 入口のガラス戸の向こうで、銃器をもった兵士たちが女性に銃を突き付けていた。銃口を向けられた女性は、腰が抜けているのか、ただ震えるだけだ。


「っ」

「お嬢様、逃げますっ」


 思わずバッグに入れた空気銃に手を伸ばそうとした怜奈の手を、天音がつかんで走り出す。


「ダメよ! せめて避難誘導を――」

「時間がありません! 連中の装備に、こちらの装備では対応不可能です!」


 彼女の判断はこの上なく正しい。

 ろくな武器もない、味方もいない。天音はともかく自分は実戦経験もない。相手は防弾チョッキを着ている。改造エアガンごときでは豆鉄砲と同じだ。

 ――しかし、それでも。


「――ごめんなさい、天音」


 怜奈は天音の手を振りほどいた。


「お嬢様!?」


 怜奈はきっと、何度後悔して、何度生まれ変わっても、きっと同じことを選んだだろう。

 ……たとえ現実に、抗う術がなかろうと。


「――みなさん、裏口に向かってください! 早く!」


 怜奈にとって『民間人を助けずに自分の保身を図る』ことなど、決して選べることではなかった。

 それは各務の家に生まれた女の矜持。そして彼女自身の誇りと生き方だ。


 三枝天音の選択は、この上なく正しかった。

 各務怜奈の選択は、愚かだと知りながらそうするしかなかった。


 ゆえに、各務怜奈は、その選択の代償を自ら払わなければならない。


 各務怜奈は改造エアガンを手に取った。

 女性を撃ち殺したテロリストたちは、まさに今、ホテルの中へと踏み込もうとしていた。

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