11 - 疼痛の幻
「兄ちゃん、おかえり!」
任務を終えて帰還した啓人に飛びついたのは、ドライツェーン――啓人はドライと呼んでいる――だった。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、兄様」
ドライの向こう側で微笑んだのは、フィルツェーンだ。フィル、と啓人は呼んでいる。
二人とも、もはや見違えるように成長した。今やあの細くてガリガリだったころの面影はない。
ドライは最近は戦闘訓練のせいかずいぶんと筋力も増え、背も伸び、その突撃は啓人をよろめかせるほどである。その腕白坊主ぶりは、犬の尻尾でも生えてるのではないかと思えるほどに元気が有り余っている。
そして、最も変わったのはフィルかもしれない。少年と見間違えたほどだったのに、今では銀髪の美少女だ。ドライとは対照的に、物静かな雰囲気で楚々とした佇まいで、もう何年かすれば立派な淑女となりそうだ。
「兄ちゃん聞いてくれ! 今日はあの『グンソー』に勝ったんだ!」
「ドライ」
ぐいっと襟首をつかみあげられて、ドライが啓人から離れる。
その襟首をつかみあげたフィルは笑顔だ。ただし、その笑顔を見たドライは「ひぃっ」と顔を青くしたが。
「兄様にご迷惑をおかけするものではありませんよ。任務から帰られたばかりなんですから」
「ご、ごめん姉ちゃん」
「……まあ、気にするな。すまんな、フィル」
二人の頭を撫でると、ドライは尻尾を幻視させるかのように目を輝かせ、フィルは頬を赤く染めた。
二人の関係は、相変わらずよくわからない。
二人は実の姉弟ではない。実年齢も分からない――これは啓人もだが――ののだが、どうやら二人の間ではフィルのほうが姉だと最初から決まっていたらしい。
ドライが暴走し、フィルがそれを抑えるというのがいつもの二人だ。
しかし戦闘となると、ドライが後衛、フィルが前衛なのだ。ドライは銃の扱いに特化した才能を持つし、フィルは逆に近接戦闘に類まれな才能を持っている。
懐いてくれているのは分かる。啓人の思惑通り、二人は啓人のためならば全てを投げ出すかもしれない、とすら思える。
「兄様。すぐにご飯の準備をしますから、先にお風呂に行かれては?」
「ああ、そうだな……」
言われるがままにシャワー室に入る。
全身が血まみれだ。
シャワーをひねる。全身に降り注ぐ水が、赤く染まり、排水溝へと流れえていく。
いつまでも赤い。いや――気がつけば自分に降り注いでいるシャワーも赤かった。
赤い。これは血だろうか。血だ。
どいつを殺したときについた血だ?
ああ、それも分からない。
これは――
(違う。幻覚だ)
心の底から聞こえた声に、世界はようやく正常な景色を取り戻す。
そもそも血なんてついていない。ヘリに乗る前に洗い落とした。
すべて、ただの幻覚で。
(――どこまでが?)
自分は今どこにいる? 自室か? いや違うのか?
そもそも俺は誰だ。何だ。どうしてシャワーを浴びてる? 俺は――
「兄ちゃん! 着替え置いとくぜ!」
「あ、ああ。ありがとう……」
啓人はシャワーを止めた。
目の前の鏡には自分が映っている。
中学生、ぐらいだろうか。身長も伸び、その肉体はもはや鋼のごとく引き締まっている。
体中に刻まれた傷痕を指先でなぞる。その傷跡が、自分の実在を教えてくれる気がした。
(俺は……新谷啓人だ……)
それが全てだ。
(俺はベリオスを殺す……)
そのために、ひたすら準備を重ねてきた。
もう何年経ったか分からない。一年か、二年か、十年経った気さえもする。あるいは一か月なのか。時間の感覚は失われ、『チャンス』が来る気配なんて欠片もない。
ならばやるしかないのではないか?
『新谷啓人』が壊れる前に。
啓人はシャワー室から出た。
タオルで身体を拭き、着替えを身に着け、ドアを開く。
机に料理を並べていたフィルと、フォークとナイフを手に今か今かと待ちわびるドライ。二人の姿に、啓人は自分の心が冷えていくのを感じた。
二人は既に啓人に心酔し、訓練によって戦闘能力も身に着けている。
すべてはこの日のため。
――捨て駒として使うには十分だ。
「二人とも、ご飯の後に、少し海を見に行こう」
啓人は告げる。
自分の奥底に疼く痛みを無視して。
すべてを終わらせるために。
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