07 - 壊れゆくセカイ
壊れていく。何もかもが。
『――殺せ』
その囁きが壊していく。
『――殺せ。殺せ。殺せ。殺せ――』
――自分は誰だった?
――なぜ殺すのか?
――何をしたかったんだった……?
意識の底から入り込む囁きが、『新谷啓人』という自意識を粉々に破壊し、漂白し、ただ埋め尽くす。
『殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ殺セコろセコロ――』
何かが割れる音が、その囁きを止めた。
気がつけば――洗面台の鏡が粉々に割れている。
(俺は――新谷啓人だ)
血が滴る。どうやら、鏡を割ったのは自分の額のようだ。
その破片に映る自分の顔に、何度も、何度も、俺は自分の名前を囁いた。
――ノイン・メティスは裏切り者だ。
『蒼のオーリオウル』でのノインは、最初、主人公たちの仲間として登場した。しかし途中で、『組織』によって精神操作を受けた兵士であることが発覚し、主人公たちを裏切る。
悲劇の敵とでも言えばいいのか。主人公たちは精神操作を解こうと奮闘するが、最終的には裏切りの代償として死んでしまう。
(これが精神操作ということか……)
『メティスシステム』によるものなのだろう。
これに屈するということは、すなわち、ベリオスに屈すると言うこと。
そして自分の死が確定することも意味する。
(そんなのは御免だ)
殺す? ああ殺すさ。ベリオスを殺す。そして俺は自由になる。
それに――ゲーム知識によれば、反撃のチャンスはある。
『今』はおそらく、ゲーム開始以前。それは自分の年齢でわかる。
そして回想として『ノイン』がゲーム開始前に登場したイベントがあった。そこで仕掛けることが出来れば――。
それがいつになるかは分からない。
一年後か、二年後か、もっと先か?
「耐えるさ。耐えてやる……」
滴る血によって、赤く染まっていく鏡の破片を見つめながら。
啓人は、その言葉を口にした。
その日からの啓人の日常は、いくつかの訓練が主となった。
射撃訓練。格闘術訓練。その全て、実弾や真剣で行われ、常に命をすり減らす。だが啓人にとって、その訓練はありがたかった。
『メティスシステム』の起動は週に一度。そのたびに啓人の精神は崩れ、壊れていく。それに比べれば、命を懸けた訓練なんて何でもない。
啓人にとって恐ろしいのは死ぬことではない。『新谷啓人』という己を、復讐を見失うことだからだ。
――そして二年後。啓人の『卒業試験』が行われる。
手に握った銃のグリップを確かめる。
息を吐くことはしなかった。ほんのわずかであっても、気配を悟られるような真似をしたくなかったからだ。
啓人が立っているのは、廃墟を再現したフィールドだ。
あくまでも屋内であり、その廃墟をぐるりと壁が囲んでいる。だからわずかな反響する恐れがあった。
体調に不備はない。拷問の傷は未だ癒えたとはいないが、動く分に不備はなかった。つまり『相手』を殺すに問題はないということだ。
音がした。
足音――消そうと努力はしているが消えてはいない。わずかな衣擦れと靴が床を叩く音が、耳朶を打つ。
その音の中に、自分の移動音を紛れこませるようにして啓人は移動を開始した。
『卒業試験』の内容はこうだ。
一対三。言うまでもないが自分が一、相手が三だ。
お互いに銃器で武装し、どちらかを殺し尽くすまで終わらない。降参はない。生きて出るか、死体になって運び出されるか、どちらかだ。
普通に考えれば、圧倒的不利。
だが文句をこぼすことなど許されない。許されたとしても、するつもりもなかった。
「……いない。奴はどこだ」
「分からん。だがガキ一人だ。さっさと殺して終わらせるぞ」
声が聞こえた。
声量は落としているようだが、愚かなことだ。
どうやら殺して欲しいらしい。
その声をたどって、三人組を目視で確認した。
背後から狙いをつけ、発砲。狙いをつけてから撃つまで半秒もなかったが、その銃弾は間違いなく男の頭を撃ち抜いた。
たった二年の訓練の中で、啓人の銃の扱いは非凡な域に達している。
復讐の意志力がそうさせるのか、あるいは、生死を問わない非人道的な訓練の賜物なのかは分からないが。
啓人はそのまま二人目も撃ち抜こうとするが、銃声を聞いた男たちの反応は素早かった。地面を転がり、銃撃された方向を見抜き、遮蔽物に身を隠す。まさしくプロの動きだ。
啓人の放った二発目の銃弾は、右隣にいた男の腕をかすめ、壁に弾痕を残すだけに終わった。
逡巡もせずに、啓人もまた遮蔽物に身を隠す。だけではなく、近くの部屋へと静かに転がりこんだ。
遅れてばら撒くように銃声が連続した。
どうやら相手の武器はアサルトライフルらしい。それだけ、とは限らないが。
遮蔽物に身を隠すだけではなかったのは、跳弾を恐れたからだ。
弾は壁にめり込んで跳弾しないかもしれない。だがするかもしれない。
(……案の定か)
注意深く見守っていた啓人は、数発の銃弾が、自分の居た位置を貫いているのが見えた。
(狙ったか?)
跳弾は狙って当てられるものではない。
が、経験則をもって、ある程度跳弾しやすい方向ならば全く狙えなくもない。運に過ぎないことだが、どうせ撃つなら賭けておくのは悪いことではない。
啓人は即座に行動を開始し、建物の構造を利用して側面に回り込むべく静かに動きだした。
しばらくして、銃声が止む。
(こっちに来てる)
銃を撃ったあとに人は足音を隠しにくい。銃声を耳元で鳴らしているのだ。自然、その直後に小さな音は聞き取りづらく、音も立てやすくなる。
訓練で減らすことは可能だが――完全にゼロにするには、よほどの練度が必要だろう。
だからこそ啓人は、自分に接近する足音を鋭敏に察知した。
相手も、側面からの攻撃を警戒しているのだろう。
正面からではなく側面に回り込んで攻撃するのは、ごく自然の選択肢だ。
啓人は、腰から静かにナイフを抜いた。
接近する男に、姿勢を床スレスレにまで低くして一気に接近、視界の下からまるで絡みつくように腕を取った。
喉をナイフで掻き切る。
声も出せずに男は絶命し、飛び散った鮮血が啓人の全身を赤く染めた。目をもう片手で守っていたので、問題はない。
その気配を察したもう一人の男が振り向くが――遅かった。
崩れ落ちる男を盾にして、驚愕を浮かべるその顔面を撃ち抜いた。
――啓人はかすり傷を負うことすらもなく、プロの傭兵三名を殺害した。
◆ ◇ ◆
モニター越しにその様子を見ていたオペレーターは、思わず顔をひきつらせた。
最初、この訓練内容を聞いたとき、これは処刑に等しいとオペレーターは決めつけていた。
相手は本物のプロの傭兵三人だ。
『組織』に属する傭兵は軍の特殊部隊ほどの訓練は受けていないが、軍人崩れやフランス外人部隊の出身者も多い。組織のオーダーによって暗殺や破壊活動をこなす。
子供が相手だろうと容赦も油断も、ましてや手加減もするはずがない。
だが結果はどうだ?
数年しか訓練も受けていない、まだ十歳程度に過ぎないだろう子供が、プロの傭兵三人を相手にして完勝してみせたのだ。
目の前で見ていた光景が信じられなかった。
オペレーターは、『組織』に忠誠こそ誓ってはいても、一人の人間だ。
妻も子供もいる。
だからこそ年端もいかない子供が、なんの容赦も迷いもなく相手を殺す光景に、絶句していた。
「彼は素晴らしい」
背後から声が聞こえた。
それは『組織』の頂点、その一角に君臨する男の声だった。
優男に見えるその男だが、一皮剥けば、その中身は野獣か悪魔かと言われていることを、オペレーターは知っている。
わずかな勘気に触れるだけでも、いや触れなくとも、気まぐれに自分を殺すかもしれない。そんな相手に、オペレーターは何も答えられなかった。
だが、そんな心配など不要だろう。
『ベリオス』と組織内で呼ばれる男は、恍惚とした表情で、モニターの中に未だ映る少年を眺めていた。
「ああ、素晴らしいよ、ノイン……やはり君は、僕の思う通りの……」
男は、最後まで言葉を紡ぐことはなかった。
オペレーターは、モニターの向こうからこちらを睨みつける少年の瞳を見た気がした。
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