13 - 代償

「実に愚かだね、ノイン」


 虫のように床に這いずった啓人を、楽しそうに嗤ったのは、ベリオスの声だった。


「な、んで……」


「うん? なんでというと、なんで僕がここにいるのかかい? それとも、なんでバレていたのか……いや。なんで、ドライツェーンが君を撃ったのか、かな?」


 笑っていた。

 嗤っていた。

 実に楽しそうに、実に愉快げに。


「簡単だよ。ドライツェーン、こちらにおいで」

「……はい」


 啓人の横を、小さな足音が歩いていく。

 ドライだ。

 涙の痕を残したまま、いつものような快活さはまるでない。ドライはまるで死んだような顔で、ベリオスの横に立った。


「スパイだよ」


 なんでもないことのように、ベリオスは言った。


「いや、スパイというとおかしいかな……もともと彼は僕のモノで、君にはただ貸していただけだ。そうだろう?」


「…………」


 バカな、というセリフは湧かなかった。

 自分が、あまりに迂闊すぎただけだ。

 捨て駒といいながら――完全に信用していた。裏切るなど思いもよらなかった。どんな場面でも二人は、自分の味方であると思っていた。

 そんな自分の愚かさに、まるで気づかなかった。


「ドライ……なんで……」


 背後から聞こえた震える声に、啓人は、思わず振り向いた。

 フィルは――その動揺をあらわすかのように、目を大きく見開いている。


 彼女の言葉に、ドライは何も言わなかった。

 ただ、感情の見えない目で、啓人を見ていた。


「ドライ……」


 声の震えが、止まった。


「ドライツェーン!!」


 フィルが床を蹴った。

 一瞬、まばたきの間にフィルはドライに接近し、ダガーを抜く。

 だがそれを振り下ろすよりも前に、銃弾がフィルを貫いた。


「っ……」


 手の甲を撃たれたフィルは、思わずダガーを取り落とし、たたらを踏む。

 フィルを撃ったのはベリオスだった。その銃口は、ゆっくりと、フィルの顔へと照準する。まるで、虫を見るような冷たい目で。


「待って。約束が違う」


「――そうだったね」


 ようやく発したドライの声にふっ、と口元に微笑を浮かべ、ベリオスは引き金から指を離す。


「さて、何の話だったかな……ああそうそう、ドライツェーンについてだね。スパイといっても、最初から君を裏切っていたわけではない。彼が君は裏切ったのは、今日が初めてだよ」


「なんだと……」


 ベリオスが手を差し出すと、ドライは胸元から機械を取り出した。

 それは、無線機だ。


「君たちの会話はこれで筒抜けだった。なぜそうしたかは――本人に聞いてみるといい」


 ――裏切られていた?

 俺が? ドライに?


 鼓動がうるさい。息が乱れる。

 利用していたつもりでされていたのか?

 なぜだ。なぜ気づけなかった。なぜその心配に思い至らなかった。自分が裏切るように自分が裏切られることを。


「あ、あ……」


 手に持つアサルトライフルが頼りない。

 足に力が入らない。流れ出ていく血が、自分の計画の杜撰さを、その愚かさを証明するようで。


「あぁぁあああああ!!」


 啓人はアサルトライフルをベリオスに向けた。

 だがその背後から、待機していた兵士が銃床で啓人を殴りつけ、手に持ったライフルを弾き飛ばした。


「さて」


 ベリオスが目線を動かすと、兵士たちが啓人の腕をつかみ、拘束して引きずり上げた。

 フィルもまた、抵抗する術もなく拘束されていく。


「君たちが失敗した理由は以上だ。もっとも――成功していたとしても、三人で逃げることは不可能だったが」


 その言葉に、思わずフィルが顔を上げる。

 ドライは、反応しなかった。


「ノイン、君は二人を騙していたんだろう? そして二人もそれに気づいていたはずだ。君が二人を囮にして、一人で逃げるつもりだったことを」


 ぴくり、と二人の肩が跳ねた。

 気づいていた――だから、ベリオスに通報した。


(バカか俺は……)


 当たり前だ。こんなペラペラな嘘に、二人が気づかないわけがない。

 気づいていても従ったのがフィルで……気づいて裏切ったのがドライだ。ただそれだけ。


「ノイン。君は二人を頼ったが、もしも一人でやっていれば成功したかもしれない。確率は低くとも、ゼロではなかった。――そしてその勇気が君になかった」


 ベリオスの言葉に、啓人は何も言い返せなかった。

 焦っていた。恐怖した。啓人はそれに屈して、こんな杜撰な計画を立てた。そして失敗した。当たり前のことから目を背けた結果が、これだった。


 腹立たしい。自分の間抜けさが。

 何年も、何年も我慢して、耐えて。

 その結果がこれなのか?

 こんな簡単に、終わるのか?

 俺は――


「だが、まだ終わってはいないよ」


 ベリオスの甘い囁きが、啓人の耳朶にするりと入り込んだ。


「反省したろう、ノイン。我が子よ。ならば僕は君を許そう」


 ぽん、とベリオスが肩に手を置いて。

 そして、囁いた。


「だが覚えておくといい。

 人は、容易に人を裏切る。誰でも、簡単に。

 理解しがたい愚かなる動物、それが人なんだ」


 ベリオスはそれを、紛うことなき真実だと思っている。

 それを、一瞬で理解した。


「親友でも、恋人でも、親でも。

 この世界に、本当の意味で、信頼できる人間なんてどこにもいない。

 君を裏切らないのは、君自身だけだ。

 それを、忘れないで」


 啓人は、否定することも、いや、一言も発することはできなかった。


 ベリオスは拳銃を抜く。

 そして、構えた。

 その銃口の先に居たのは――ドライだった。


 銃声。連続する。

 三発の銃弾は、ドライの腹に三つの穴を開けた。


 鮮血が散る。

 ドライは、少し驚いた顔で、けれどそれを受け容れるように――目を閉じて後ろに倒れた。


 啓人も、フィルも、何も言えずに、それを見ることしかできなかった。


「僕はね、裏切り者が嫌いなんだ。覚えておくといい」


 啓人を拘束していた兵士はその手を話し。

 ベリオスは嗤いながら、兵士と共に消えていった。


 ――後に残されたのは、床を這いずる啓人と、フィルと、そしてドライの死体だけだった。

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