08 - 嘘
「卒業試験、合格おめでとう。そんな君にプレゼントがあるんだ」
『試験』を終え、全身から血をシャワーで洗い落とした啓人に、ベリオスは手を叩きながらそう言った。
「プレゼントだと……?」
啓人はベリオスを睨みつける。
だが啓人がどれほど殺気を叩きつけても、ベリオスの笑みは小揺るぎもしない。
「ついて来たまえ」
そう言ってベリオスが歩き出す。
無視してやりたいが、意味などないだろう。小さくため息を吐きながら、啓人はその背を追った。
「……なんだ、こいつらは」
啓人が案内されたのは見覚えのある場所だった。
見覚えもあるはずだ。それは最初に啓人が入れられていた、檻の中だったのだから。
そこに居たのは……やせ細って、今にも死にそうな二人の少年だった。
「これが君へのプレゼントだ」
笑顔で言うベリオスに、啓人は顔をしかめる。
善とか悪とか正義感とかではない。人間をプレゼントだとかいうのが、単純に気持ち悪い。
「俺に面倒を見ろとでもいうつもりか?」
「今後、君にはミッションを担当してもらう。一人じゃ大変だと思ってね。まぁ、使えるようになるには少しかかるけど」
それはつまり、啓人と同じ訓練を……拷問を施しているのだと理解した。
ふと、二人の子供と目があった。
ろくに飯も食えていないのだろう。その手足はやせ細っている。
だがそれでも、その目は折れてはいなかった。
生きようという意思があった。
「……おい」
「うん? なんだい?」
「助手とやらはいらない。代わりにこの二人を寄越せ」
啓人の言葉に、ぱちくりとベリオスはその目を瞬かせた。
いちいち芝居臭いヤツだ。殺すぞ。
「……それはどうしてかな?」
「ガキなんぞ連れても邪魔なだけだ。それなら身の周りの世話でもさせたほうがいい。……貴様の訓練とやらにつき合わせたら死ぬだろうが。勿体ない」
ふうん、とベリオスは笑った。
何かを見透かすような目だ。だが見透かされるようなものなどない啓人は、平然と見返した。そして――
「それはダメだな」
ベリオスは至極あっさりと、啓人の要求を却下した。
「ここにあるモノはすべて私の所有物だ。どうするかは私が決める」
ベリオスの言葉に、啓人は顔をしかめた。
その『モノ』の範囲に、自分が含まれていることが明白であるゆえに。
「だが、そうだね……ほかでもない君のワガママだ。どうしてもというのなら、聞いてあげなくもない」
啓人の口元から、ギリ、と噛みしめる音がした。
舌打ちをしなかったのは奇跡だろう。
――ベリオスは要求しているのだ。頭を下げて懇願しろと。
ふざけるなと拒否するのは簡単なことだ。
だがそれは出来ない相談だ。啓人にとって、二人を救うことは意味がある。その意味に気づいた今、放り捨てる決断をするのは簡単ではない。
――二年経って、啓人は焦っていた。
『メティスシステム』による精神への浸食は、徐々に啓人を蝕んでいる。
このままでは、怒りも憎悪も消えて、ベリオスの道具に成り下がってしまうのではないかと――『蒼のオーリオウル』におけるノイン・メティスのように。
数年待てばチャンスが来るのは理解している。
理解しているが、その前に自分が『壊れない』保証などどこにもない。
だが自分一人では無理だ。ベリオスを殺し、この海上基地から脱出することは。この二年、一人でなければ出来たかもしれない、そんなチャンスが何度もあった。
だから、変化が必要なのだと思った。
子供二人を保護し、手なずけ、自分の戦力とする。子供といえど、使える手が増えれば状況が変わるかもしれない。
安易な考えだ。
だがその安易な考えを実行に移さなければならないほどに、今の啓人は追い詰められていた。
「――お願いします」
だから啓人は、ベリオスに頭を下げた。
吐き気がする。怒りで意識が飛びそうだ。それでも。
こうすることで一厘の望みが産まれうるかもしれないのなら――啓人に躊躇いはなかった。
「……まぁ、好きにするといい。では二人は君に貸そう。ただし、戦闘訓練は行うよ。弱者を見ていると吐き気がするからね」
「分かった」
否はない。使えない子供が使えるようになるなら、啓人にとっては歓迎だ。
ベリオスはそんな啓人に、いつもの笑みを向けた。
やはりその目は、少しも笑ってはいなかった。
◆ ◇ ◆
二人を部屋に連れ帰り、まずは風呂に叩き込んだ。
――そのときに発覚したことだが、少年二人と思っていたが、どうやら一人は少女だったらしい。
二人の身体には無数の傷痕があった。拷問の痕だ。啓人の身体にもまったく同じ痕がある。少し昔を思い出して、啓人は顔をしかめた。
ともかく二人を風呂に叩き込み、その間に飯を用意する。
実のところ啓人はそこそこ料理ができる。
飯は、マズいものを食うよりも美味いものを食ったほうがいい。というより、わざわざマズいものを食う趣味は啓人にはなかった。
配給の食糧は限られているが、限られているからこそ有効活用すべきである。
時間もないからと適当に作ったポトフを皿に盛り、風呂から上がった二人の前に置いてから、自分も席に座って食べ始める。
「さっさと食え。明日からは訓練だ。食わなきゃ死ぬぞ」
二人は目の前の料理と啓人の顔に視線を往復させてから、おずおずとスプーンに手をつける。
最初はおずおずと、しかし徐々にスプーンの動きがその速度をあげていく。何度も何度も咽ながら、貪るようにポトフを平らげる。
気が付けば、二人は泣いていた。
啓人はその気持ちを、理解できないではなかった。
二人と自分が同類だとは思わない。けれど食事というのは、人の根源に根差すものだ。生きるという行為そのものだ。
気が付けば二人の皿は空になっていた。
啓人は無言で立ち上がり、二人の皿にポトフのおかわりを注ぐ。
「ノイン、さん」
目の前に皿を置かれた片割れ、少女のほうが、小さな声を発した。その声は枯れている。
「その、どうして、助けてくれたん、ですか……?」
――お前たちを利用するためだ、とは言わない。
啓人はこの二人を利用するつもりでいるが、そのためには、二人に信頼される必要があった。命を懸けてもいい、と思えるほどに。
「まず……お前たちの名前は?」
「フィルツェーン、です」
うなずき、少年のほうにも目線を向ける。
「……ノインツェーン……」
それはドイツ語で、十三と十四を表す言葉だ。
ノインは九を表す。二人と啓人の間にある四つの数字の空白は――おそらく啓人の知らない『犠牲者』の数なのだろう。啓人の前に八人、後に四人、もう死んだのか、あるいはまだ捕えられているのか。
「俺は、お前たちと同じだった」
静かに、啓人は語りだした。
どこかで捕えられ、拷問を受け、そして今、ベリオスの手先として人を殺していることを。
「お前たち二人も……きっと、そうなっていたと思う」
それを容易に想像できたのだろう。
二人は、青い顔で頷いた。
「……任務はいつも死と隣合わせだ。何度死を覚悟したかもわからない。ベリオスは、いや、ここの基地の連中は、俺たちが死んだところで何も思わない。そんな目に合うのは……俺だけで十分だ」
その言葉は嘘ではない。
ただし優しさから出た言葉でもなかった。
複数人でチームを組んで作戦を実行する場合、味方のミスは自分の死に直結する。互いの信頼がなくては足を引っ張るだけだ。
啓人は他人を信用しない。信頼しない。そんな余裕がないからだ。
啓人が二人を拾ったのは、使い捨ての道具としてだ。仲間としてではない。
「安心しろ。お前たち二人は俺が守る」
嘘を吐く。
啓人の胸に、ちりちりとした何かがよぎったが、無視をした。
「ありがとう、ございます」
二人の眼には、未だくすぶる恐怖と、安堵と、感謝が浮かんでいた。
啓人はそれに、満足そうにうなずいた。
啓人は嘘つきだ。
だが、啓人は気づかなかった。
自分もまた、嘘に騙されているということを。
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