23 - 風の中で
眼を見開く。
『――各部油圧チェック完了。システムオールグリーン――』
暗闇の中で、明滅する光がその白皙のかんばせを浮かびあがらせた。
『
手足を緩く締め付けるインターフェースバンドの感触を確かめ、操縦桿を軽く指先で叩き、三度イグニッションペダルを空踏みした。
身体に沁み込ませたルーチンワークが、静かに啓人の集中力を高めていく。
『全システムオールグリーン。これより戦闘待機モードに移行します』
コンパニオンAIによる準備完了を待って、ノインは無線機のスイッチを入れた。
「こちらノイン。発進準備完了」
『発進準備確認。発進を許可する――あの艦隊を沈めてこい!』
通信に応えたのは、ベリオスではなく、管制室に詰める誰かのものだった。名前など知らないし、興味などない。
――どのみち、全員殺すのだから。
『――
「
操縦権限の許可を意味するグリーンランプを見るなり、啓人はカタパルトを遠隔で操作した。
電磁カタパルトが『アズール』の機体を加速させて斜めに打ち上げる。その余勢を駆りながら、アズールはバックスラスタを起動、空中へと加速する。
それはまるで、舞うように。
コックピットから見える――蒼く、どこまでも蒼い、空と海。
『おい、何をしてる。早く行け』
通信機から漏れる声。
背後から、数機のアサルトモービルが啓人のアズールに続いて空へと飛翔していた。
彼らは啓人を先鋒に、あるいは囮にして切り込む腹なのだ。
「はは――」
アズールの腕が動く。
右腕に剣を、左腕にアサルトライフルを抜き放つ。
『ボサっとするな――!』
言われるまでもなく。
『アズール』のメインスラスタが点火し、青白い光を上げた。
だがそれは――正面ではなく。
その背後に並ぶアサルトモービルに、躊躇なく、高周波ブレードを叩きつけた。
完全に、そして確実にコックピットを刺し貫いた刃が、ネルヴラインを流れる伝達液にまみれ、赤黒く陽光を反射する。
それはまるで血のようにすら見えた。
生命反応を失い、コアエンジンが活性を失って、蹴り飛ばされた機体が中空に放り出され、そして海面に落下して水しぶきを上げた。
『貴様――』
「ハハハハハ――――!!」
その哄笑は暗号化もされていない無作為な通信電波としてまき散らされ――そして、殺戮の嚆矢となった。
一瞬で加速して飛翔する『アズール』が、反応すらもできないアサルトモービルを蜂の巣にして、風すらも置き去りにして接近、ブレードで確実に破壊した。
『管制部! 奴を止めろ! あの野郎――!』
『ダメだ! 自爆装置が起爆しない!』
通信機越しに漏れる悲鳴に、啓人は恍惚なまでの高揚感を覚えていた。
自爆装置は『スピカ』襲撃の際、既に取り外している。
もはや彼を止めるモノは、何ひとつとして存在しなかった。
ずっと待っていた。
ずっと殺したかった。
ずっとずっとずっと――この日のために。
「この瞬間のために、俺は生きてきた!!」
敵機の無力化など考えない。
確実にコックピットを狙い、殺す。
絶対に、微塵たりとも、生存の可能性など残さない。
そうして、わずか数分で、空に上がったアサルトモービル六機すべてを死の棺桶に変え、『アズール』はようやく静止した。
そして転進する。上空から、基地へと真っすぐ、真っ逆さまに突っ込んだ。
そのままでは基地にぶつかる、と管制室が騒然としたとき、ふわりと減速し、メガフロートの構造物を繋げる、渡り廊下の真正面でホバリングした。
と思えば、その腕部マニピュレーターが、大胆に、しかしその実繊細な操作で渡り廊下の天井部分をはぎ取る。
そこにいたのは――
「兄様!」
ワンピースに身を包んだ、一人の少女。
「フィル!!」
ノインは――いや啓人は叫んだ。
コックピットハッチを開き、その手を伸ばす。
その手を、しっかりと、フィルは掴んだ。
海上に吹き抜ける強風をものともすることなく、少年と少女は、『アズール』のコックピットの中へと消えた。
『――奴を殺せェッ!』
通信機から漏れる悲鳴のような叫び。
基地に備え付けられた大型の機関砲塔が、そのすべての銃口を『アズール』へと向ける。
大口径の最新型だ。その十字砲火で受ければ、いかに頑丈な『アズール』といえど無傷では済まない。
しかしその砲塔が火を噴くよりも早く――
日本艦隊から放たれた
◆ ◇ ◆
『弾着。目標構造物の破壊を確認しました』
「撃ち方止め。目標の偵察を継続。航空群、発艦開始」
本来、激しく揺れ動く船の上で、このような精密射撃を成功させることは難しい。しかし日本海軍では、半径一キロ範囲内における海面の波形を分析、予測し共有することで、精密射撃を可能としている。
タイミングを完全に同期させた
「感動的なシーンでしたな」
とはいえ、各務弦也のその言葉は、国防海軍の持つ高い練度への賞賛ではなかった。
おそらく先ほどドローンカメラに撮影された、少年と少女のワンシーンのことを言っているのだろう、と、大野義也准将は即座に理解した。
「離れ離れにされた兄が妹を助け出す。そして二人を救う我々。映画でも見ている気分だ」
ちっとも感動を催した風もない声で呟く各務弦也に、やはりピクリとも表情を動かさずに、「ええ」と准将は答えた。――その直前の、圧倒的なまでの殺戮劇を見届けながら『感動』などと、よくも言えたものだと感心しながら。
あの力がこちらに向けられればと考えると、警戒のほうがよほど先に立つ。
「これより敵地下構造物の制圧に移ります」
「人員はなるべく生かしてください。色々と利用価値があるので」
「……了解しました」
本来なら、部下を危険に晒すような指示には了解などしたくなかった。だが、同じことを軍上層部に言い含められていた准将にとって、それは了解せざるを得ないことだった。
彼の葛藤をよそに、艦隊から次々と戦闘機、そしてアサルトモービルが発進していく。空母からだけではなく、随伴の巡洋艦からもだ。滑走路が必要なく、格納庫も狭く済むアサルトモービルは、巡洋艦でも十分に艦載可能だ。
それとすれ違いに、蒼い機体――啓人の乗る『アズール』が空母甲板上空に飛来した。
無論、戦艦を沈めるためではない。
誘導員の指示に従って『アズール』は甲板に着陸する。
最初、自由落下にも等しいほどの速度で降下する機体を見たとき、誘導員は顔をひきつらせた。しかしそれほどの速さでありながら、船をまったく揺らすことのない着地を目にして、今度は狐につままれたような顔をした。
コックピットハッチが開く。
少女を片手に抱き、三メートルの高さからワイヤーで降りてきた少年は、駆け寄ってきた海兵に頭を下げた。
「ありがとうございます。彼女を、頼みます」
銃を手に曲がりなりにも警戒していた日本海軍の隊員たちは、一瞬毒気が抜かれたような顔をして、すぐに敬礼を返した。
「……兄様」
不安そうな顔を向けたフィルの頭に、ぽん、と手を置いた。
「大丈夫だ」
彼の言葉はそれだけだった。
けれど、彼女にはそれだけで十分だったのかもしれない。
眼を閉じて、こくりと頷く。その頬に小さな雫が伝った。
「どうか……ご無事で」
その言葉を残して、彼女は武装した隊員たちに船内まで誘導されていく。それを少しだけ見送って、啓人は再びコックピットへと戻るべくワイヤーに手をかけた。
その瞬間。
メガフロートの方角から爆音が轟いた。
慌ててコックピットへと戻った啓人は、高解像度カメラで映像を拡大させる。
――それは直感に過ぎなかった。目で見える距離ではなかった。
それでも、そこにいると思えた。
偶然も必然もない。その結果がすべてだ。
基地の上空に、一機のアサルトモービルがいた。
回避運動もせずに、ただ漫然と静止している。
赤い。ただ赤い。全身を血で塗りたくられたような、深紅の機体。
「――ベリオス」
直感だった。
だがそれでも、啓人は確信と共にその名を吐き出した。
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