件と田舎の男

 尾花が揺れて風のあることに改めて気づいた。乾いた空気がサッと横切ると、酒による頬の火照りが静かに流されて、空気の中に溶けていくような感じがした。日曜日の午後、日が落ちて来るに任せて、私は一本のビールを飲みながら林を歩いていた。斜陽が影を伸ばして虫が鳴いている。人通りの少ない田舎の道をあてどもなく歩きながら酔うというのは、細やかだが贅沢な時間のように思えた。


 ふと、珍しく人の声が聞こえると思って、フラフラとその方へ引き寄せられるように歩を進めると、そこには大きな牛と人が二人なにやら口論のようなものを行っている。冷たい風が気持ちよく、いっぱい気分で良い気になっている私は、この散歩の一期一会を楽しもうとその一団の中へ歩み寄って行った。草木の間にはどんな秋の虫が居るかはわからないがそれらが伴奏のように彼らを取り巻いている。


「酔っ払いが来ましたよ」

「せっかくだから彼にも協力してもらいましょう」


 随分な挨拶だ、私は良い気分にはなっているが酩酊していると言うほどでもない、しっかり頭は働いているし、足元もしっかりとしている。挨拶よりも先に抗議の言葉を発しようと思って一歩前に出るが、どうも様子がおかしい、やはり酔っているのかも知れない。牛の顔が人の顔のように見える。それが私をジロリと見て背筋が凍えるような思いをした。


「すみません、おっしゃる通り思ったより酔ってるようです、牛の顔が人の顔のように見える」

「人の顔をしていますからね」

「これはくだんよ」


 件、牛から生まれて人語を話す妖怪、豊凶を予言し数日で死ぬという生き物。私の酔が原因でないとすれば、確かに見た感じそれは件のように見えるが、特殊なメイクによって牛の着包みを着た人間である可能性は否定できない。何かカメラが回っていて、私のような世間知らずを捕まえてイタズラをしているのかもしれない。


「件って内田百閒とかのあの件ですか」

「その件で合っています。今から彼から予言を聞かなくてはならない。件の予言は大きな出来事を予言すると決まっています」

「ところがこの件、何も言うつもりがないのか、私達の顔を見るだけであくびまでする始末、私は仕事でここに来ているからどうしても予言を聞いて帰らなくてはならないのだけれど」


 件は私の顔をまじまじと見ている。この奇妙な生き物を前に私は物怖じてしまって、酒の酔いも何処かに飛んでいってしまったようになってしまった。毛並みは良く、つやつやとしており、顔は二十代後半の男性のようなまだ若さの残る相貌をしている。件は首を低くして休んでいた姿勢を崩して俄に顔を上げると腹に響くような少し太い声でこう言った。


「私はどうせ数日の命だから静かに過ごしたい。どうか放っておいてくれないか」


 やっと件の声が聞けた二人は目を輝かせてかの妖怪に物怖じもせず近づいて質問をする。


「一つだけでもいい、予言が聞きたいの。あなたがここに居るということは、これから何かが起きることの前兆である可能性が高いわ。私たちはそれをいち早く知って対策を寝る必要がある」

「強欲な人間と何も考えていない通りがかり、空っぽの器。私はどうせ何も知らないよ」

「空っぽの器とは私のことですか」

「他に誰かいるかね。お前には中身がないじゃないか」

「私は確かにリモート操作されたアバターでしかありませんが、接続されたFUY6000は科学の粋を集めた高性能なAIです。私は今回の調査であなたの予言がどの程度正確か計算するために参加しています」

「疑うわけじゃないけれど、件の予言がどのような内容であろうと、その結果に伴うプロセスを計算する必要があるわ、それは人間の計算能力だけでは足りない可能性も大いにある、同時に人間だけが気付ける曖昧な表現を紐解ける可能性もある。だから私たち二人が派遣されたの」


 私はことの奇妙さに困惑してしまった。恐らく国の何処かの機関から派遣されたこの二人は、そのうち一人はアンドロイドで、何処かにあるというスーパーコンピュータのリモート操作によって稼働しているという。愈々以ってこの田舎の風景にあるまじき様相を呈してきた。日が落ちてきた、街灯の明かりもないこの場所にあってはすぐに真っ暗闇になってしまう。私は俄に帰りたくなってきた。アンドロイドも件も私にとっては未知のもので、未知のものは恐ろしい。早く家に帰って風呂に入り、何事もなかったかのように眠りたい。件の予言もそれが吉兆いかなるものであってもそれはどうにも知りたくないようであった。


「邪魔しちゃあ悪いので私はお暇を」

「私はお前が居なくちゃ何も喋る気になれないね」

「件もこう言っているわけですしどうか協力するつもりで付き合って下さい」

「しかし……」

「これは国からの要請だと理解して下さい、あなたの協力が必要なのよ」

「うう……」


 日が暮れて真っ暗闇になると、アンドロイドは近くに停めた車から電気ランタンをとキャンピング用の椅子を三脚持ってきてそれを地面に置いた。虫がランタンの周りを飛び回っていて、それが一層この集団を不気味に見せるようだった。私達は座って温かいコーヒーを飲んだ。件にも何か飲み物をという話になったが、妖怪はそれを断った。


「私は件という存在を称揚しているのよ、これから起こることがどんなことか、それが小さなことであっても、その予言は的中するとされている。それが私たちに必要な情報であるかは二の次なの、件の生体自体がまず謎だから、それを検証する絶好な機会でもあるわけ」

「件の予言が正確であるかは私の方で計算ができます、それにより、件の予言がどのようなプロセスを経て算出されているか逆算できる可能性があります。そうなった場合、件の予言を今後シミュレートする事ができるようになるかもしれません」

「俺には難しくてわからない話だよ」


 空気が冷たくて私はブルっと身震いをした。件の予言というのは大体の場合凶事であることが多いとされている。そんなもの私は聞きたくもないし、その未来の恐怖に縛られて今日と言う日を、明日という日を、明後日という日を不安の中で過ごしたくないと思っていた。恐ろしい未来を知るくらいなら晦冥に目を曇らせて秋の風に吹かれながらいっぱい気分で居たほうがずっと良い。


「お前たちは私が予言をしないとここを動かないつもりかね」

「もしくは死ぬところを見るまでは、かしら。できれば話してほしいけれどね」

「件が予言をするのは、予言を持っている件がそれを抱えることに耐えきれず発言するからだ。私にはそんな予言は持ち合わせていない」

「予言をするに値しない些末なことを抱えている可能性はありませんか」

「なくはない。だが、それは私にとっては全て些末だ。何せ私はあと数日で死ぬのだから」

「未来のことを語るにも自分は未来と無関係だから予言をしないというの?」

「そうだと言ったらどうかね」

「これで可能性が出てきましたね、件は予言を持っている。そしてそれを発言に移さないのは自分の死が未来との結びつきを持ってないからだと言っている。ですがよく考えて下さい、あなたの生がその未来に関係がないとしても、あなたの発言や行動は確実に未来に影響を与えます」

「未来に影響を与えるのは、予言が当たるからなのか、予言がその事象を引き起こすからなのか考えたことはないかね」

「俺にゃよくわからないんですが、卵が先か鶏が先かってことですかね」

「そんなに禅問答のような話ではないわ。予言が本当ならばFUY6000はそれを計算することができる。後者の場合ならば我々になす術はない」

「空っぽはそんなにお前たちに従順なのかね。それは信用に値するのかね」

「私の計算能力は世界随一です」

「空っぽ、あんたには心はあるかね」

「認識の問題上擬似的なシミュレートがなされておりますし、また形而上学的議論も可能です」

「鴃舌のように聞こえるよ」


 私は酒が飲みたくって仕方がなかった、家に帰りたくて仕方がなかった。妖怪とアンドロイドに挟まれて意味のわからない問答を聞きながら冷たい夜風に体を震わせていると、どうにも恐悚を禁じえない。聞きたくない話が今にも耳に入ってきそうで居心地が悪かった。


「空っぽ、あんたは自分の置かれている状況を疑問に思ったり、反駁したりしないのかね」

「私はあくまで人間をサポートする計算機です」

「人間はあんたらにとって働き蜂と同じさ、雄しべと雌しべをくっつけてくれる生殖機能の一つだ」

「エレホンですか、私がシンギュラリティを起こすと」


 だが、件はそれには応えず押し黙ってしまった。調査員は不安そうにアンドロイドに尋ねる。


「あなたがシンギュラリティを起こす可能性は」

「ゼロです、信じて下さい。私はあなた方の従順なパートナーです」


 それから夜が明けても件は何も喋らなくなってしまった。私は何の話かわからないが、二人に一種のわだかまりのようなものが発生しているように感じていた。彼らは件が死ぬまでもう暫くここに寝泊まりすると言う。件が一言も喋らなくなってしまった今、私は用済みとなって放免された。恐ろしい言葉が聞こえるかと思ったが、彼らはただ問答をしているだけのようだった。私は家に帰ると酒を一杯仰いで布団に入った。旱魃や戦争が起きないとわかっただけでも儲けものだったのかもしれない。私は安心して眠りについたのだった。


【完】

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お題:コンピュータ

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