囲繞

 畑銀村である日、西野夕見子という細くて可愛らしい女子高校生が、部活帰りの帰路についていたとき、どこからか拳よりも一回り大きいくらいの石が飛んできて彼女の後頭部にゴツンと大きな鈍い音を立てて当たった。女子高校生の意識は夕方の橙色の西日の向こう側へと飛んで溶けていって、そのまま顔面からうつ伏せに倒れた。血が辺りにすうっと広がっていってキラキラと暗く光る、彼女の目は見開かれたまま生の輝きを失っていた。目撃者は誰もおらず、通りがかった村田の婆さんが見つけて飛び上がって警察に通報した。これが事件の顛末である。現場にはほとんど何も残されておらず、犯人がいるのか自然現象なのか、皆目見当がつかないといった有様であった。


 東堂玄二が現地に赴いたのは事件から二日後のことで、助手の望月薫と共に電車でやってきた。畑と何もない広々とした田舎の風景を前に二人は移動に疲れ切ったような顔で無人駅を降りると、迎えの車を探していた。空気はまだ少し湿っていて、朝露が雑草の首を傾げさせている。程なくして、依頼主の女子高校生の母親が車でやってきて、軽く挨拶を交わし合うと宿場まで連れて行ってくれた。小さな一間ではあるが、一応旅館風の間取りになっていて、こんなところに旅行客など訪れるのか甚だ疑問ではあるが、まるで観光地のような体裁であった。これなら寛げるし、足を伸ばしながら資料と向き合うこともできそうである。


「ありがとうございます、後ほど現場の方を見てみます」

「よろしくお願いいたします、夕見子はねえ、本当にいい子だったんですよ、いつも朝誰よりも早く新聞を取りに出てコーヒーを挽いてくれるんです。でも食事中に指の爪の間を穿る癖が抜けなくて、何度も言って聞かせたんですが治る気配はなかったですねぇ。部活は美術部だったんですが、さほど真面目に参加している様な感じではなかったです、顧問がいい加減だったみたいで、帰宅部がないあの学校で、何の部活もやりたくないっていうような腑抜けた学生が好んで選ぶような部活だったようですから、活動内容もなあなあのようで。でも夕見子が描いた絵は家に飾ってますよ、なんでもない果物と食器の静止画とかですが、うまくはないけれど味があるんですよ、それで」

「ああ、奥さん大丈夫ですよ。ゆっくりで、あせらずとも」


 西野のお母さんは鼻を強くかむとティッシュを丸めて、その上からもう一枚ティッシュをかぶせてカバンの中へ仕舞った。東堂はここに捨てて行っても良いと言おうと思ったが、わざわざ提案するほどのことでもないと思い直して何も言わないことにした。西野のお母さんからは数日風呂に入っていない人間の臭いがする。娘を亡くしてしまったことでショックを受けて無気力になり、普通の生活を送れなくなっているのかもしれない。ただ娘の話をする彼女の表情はやわらかで、苦悩の痕跡はない。


「あ、大根とお肉、朝煮込んだんです、タッパーに入れてくれば良かった。お二人にも食べて貰えたのに、いい出来だったんですよ。娘とはあまり学校の話はしていなかったのですけれど、成績も悪くなかったし、通信簿にも素行に関して問題があるようには書かれていなかったので、自由にさせていたんです。だからどこの誰に恨みを買うようなことがあったかなんてわからないんです。いい子だったんですよ。爪を穿るのは本当に止めて欲しかったけれど、朝から食べ終えた皿の上にカスのようなものが落ちて、私は気分が悪かった。淹れてくれたコーヒーは美味しかったわ。豆は旦那が買ってきたものですけれども」

「明日はお葬式で大変でしょう、改めて時間を設けますから大丈夫ですよ。僕たちのほうでは今日は現場など見て回ります」

「一日葬ですからすぐに終わると思いますが、大変な一日になりそうで今から少し憂鬱です」


 東堂たちは娘が死んだ母親とは思えないくらい淡白な印象を受けつつも西野の奥さんを宿の外まで見送った。風がやはり湿っぽくて、秋口の肌寒さと湿気で張り付く上着に収まりの悪い体をゆすりながら二人は軽い準備をして現場へと向かった。


 現場は当時の様子を想像するにはあまりにも材料が足りないように見えた。足跡があるかと思ったが、田舎なりに人通りの多い道のようで、いくつもの足跡や自転車の轍が残っている。血の跡が少し残っており、周りを見渡すと隠れられる場所はないように思われる。ただ帰路から向かって右側は石造りの壁になっており、高さは三メートルはあるように見える。そこから石が落ちてきたら大きさによっては人の頭が割れてしまうのもおかしくない。


「この通りはバス停や駅に向かう道を通っているから人の通りが多いんだ。もし人を殺そうと言うなら、こんな目撃者がいる可能性の高い場所を選ぶだろうか。計画的な殺人であったらこの場所を選ぶのはなんだか辻褄が合わないような気がするよ」

「見てください、ミミズですよ、こんなに大きなやつは都会じゃ全然見ませんね、すごい、気持ちが悪い。潰しちゃっていいですか」

「やっぱり事故なんじゃないかって思ってしまうけれど、当たったのは後頭部だから少なくとも後方から石は飛んで来ているんだよな、この壁の上からじゃあ角度が合わない気もする」

「ミミズってなんでこんな形しているんでしょうね、蛇よりもシンプルなデザインなのに、一層気色が悪い。蠕動運動自体がどうにも気味が悪いですよね。食後の人の腸を覗いているみたいでグロテスクです、なんでこんなのが生きてるんでしょうか、ああ、逃げてく。昔は雨の日の翌日のカラっと晴れた日に、コンクリートの上で干からびているのを見たことがある気がします。どこに消えたんでしょう、都会のミミズはみんな死んでしまったんでしょうか」


 日が落ちてきたので二人は宿に戻って食事を摂った。美味しいとも不味いともつかない曖昧模糊としたものであったが、腹は膨れた。明日は葬儀に出向き、同級生や教師から話が聞けるのを期待していた。東堂は血痕を思い出していたが、望月は持ってきた文庫本を読んでいて、仕事などあまり気にしていない様子だった。夜は虫の声がジージーとうるさく、外は明かりが乏しい、普段よりも深い暗闇と相まってどうにも二人とも寝付けない。望月は思い出したようにミミズの話をまた持ち出してグチグチと言っていたが、それが意味をなさない言葉のように響いて、東堂の脳をゆっくりと鈍らせていき、次第にやっと眠気へと変わっていった。


 香の煙が薄く漂って外のホコリっぽい匂いと混ざって人々の心にそこはかとなくノスタルジーを想起させる、天気は悪くなく晴れていて、陽の光に眩しそうな人々が集まってきた。田舎ともなると生徒も先生の数も少ない、親戚以外は雰囲気や服装でわかる為、学校関係者を見分けるのはどうにも容易そうであった。午前中のうちに告別式は終わって、荼毘に付されるのを見守るのは親戚だけだというので、一同は解散の雰囲気を漂わせていた、そこで東堂は来ていた学生や教師に話を伺うために近づいて行くことにした。


「西野さん?いつも明るくて、色んな人と仲良くしてたよ、一人のときはタブレットで何か見てた、多分電子書籍を読んでたんだと思うんだけど、そういう話はあまりしなかったから知らないなぁ」


 葬式のあととは思えない明るさで女学生が答えた。他の女生徒の方でも印象は概ね好評で、誰かに恨まれているような雰囲気はない、狭い学校でもスクールカーストというものがあるようだが、彼女らの話し方からその中でも西野夕見子は不自由のない立場にいたのが見て取れる。容姿も良かったため、男子生徒の方でも人気が高く、妙な距離感を取らず、隔たりのないさっぱりとした態度が好まれていたようだ。一番ではないけれど、学校の人気者の一人、という認識が正しいように思う。恨みを買うようなタイプではなさそうではあるし、他の生徒が憎しみのあまり殺害してしまったというような風には思えない。とは言え学生の生活というのは表面だけでは何が起きているかわからないものでもあるから、絶対とは言い切れない。見落としもある可能性があるから早合点するわけにはいかない。


「西野さんねぇ、成績も良いし、素行も良かったですね、字が綺麗でそれが印象に残っていますね、日直の日誌なども彼女が書くと独特の匂いがするようでした。うちは小さな学校ですから、学生の人数も多くはない、とは言え廃校間近の学校ほど過疎ではないですからね、悪しからず。西野さんには期待していたんですよ、いい子だったし、見た目も良い、ただあまり先生方の相手をしてくれる子じゃなかったですね、生徒と一緒にいるのが楽しいようなのか、私のことはあまり見てくれてなかった。授業中はしっかりと聞いてくれるから気分が良かったですがそれだけですね、普段は挨拶を少し交わすぐらいしかしてくれない、いけずな子だと思いましたよ」


 教員の多くは彼女を素行の良い人間だと評していた、葬儀の日に人に故人はどうだったか聞かれて悪し様に言うような人間はそう多くはいないが、そういう人間もいるにはいる、とは言え今回は空振りで彼女の身の回りにある負の部分というものをあぶり出すような証言は得られそうにはなかった。東堂はそれが不服なようであったが、望月は特に気にならないようでそのあたりの土を木の棒でほじくり返しているだけであった。東堂はその様子を見てため息をついたのだが、その時背中に嫌な違和感を感じて急いで上着を脱ぐと大きなコオロギが数匹入り込んでいて、それがぞわぞわと動いて気色が悪かった。振り返ると学生も教師も東堂を見てヘラヘラと笑っている。ぎょっとしていると、たかが「冗談じゃないですか」と誰かが言った。みんなが同じような表情でこちらを見ているので、その様子が如何にも不気味で東堂は嫌な気分になった。


「尾野が来てない。西野さんと同級生なんだけど、ずっと引きこもってて学校にも来てないんだ。気持ち悪いやつだし、きっと西野さんを殺したのも」

「こら、あることないこと勝手に邪推してはダメですよ」

「尾野さん?どんな人なんですか?」

「村長の息子ですよ、学校に来たがらなくてもう一年近く学校に来ていません」

「なるほど、ありがとうございます」


 東堂はやっと何かしらの収穫を得たような気分になってホッとした。ここに来てまだ二日目ではあるが、何も収穫なしとなると沽券に関わるようで非常に気にしていた為、この情報は信憑性の有無を別として何かしらの成果として享受することにした。東堂は背中のコオロギをはたき落としてそれを踏み潰した。汁が靴底にこびりついたが、砂利を擦るようにして拭おうとした。それを見ていた望月は嬉しそうにケラケラと笑っていた。


「そこで生徒が話してましたよ、夕見子さんは頭が割れて脳みそがデロリと飛び出ていたとか、普通に石が当たったくらいじゃそうはならないでしょうし、彼らの他愛のない噂話なのか、事件に関係があるのか」

「でも死体を見たのは警察と村田さんと奥さんくらいじゃないのか」

「だから嘘かもしれないですね」

「棺に入っている様子ではそんな感じはなかったけれどな」

「子供の言うことですから」

「でも本当なら石は投げられたんじゃなくて何かしら道具を使って飛ばされてきたようなものだ」

「本当じゃないかもしれませんよ、ここの住人、ちょっとおかしいですよ、生徒もですが教師たちも何か気色が悪い」


 秋口だというのに湿っぽい空気が肌に張り付くようで不快感を催させた。飛んでいる羽虫が濡れた肌に張り付いてはたき落としてもはたき落としても、虫の体の一部が腕や頬に残るようであった。東堂は嫌な顔をしながら宿に戻り、明日は引きこもりの同級生とやらに会ってみようと決めた。虫が鳴いている、今日も寝付くまでに時間がかかる夜だった。


 翌日東堂と望月は簡単な茶菓子の手土産を持って村長の家に向かった。流石に他の家々と比べると立派な作りで、少し古くはあるが大きな家だった。村長は噛み煙草を口の中に含みながらもごもごと話したが、引きこもりの息子が外と接点を持てば少しは状況がマシになるのではないかと考えているようで、二人の対顔を快く受けた。古い木の匂いのする廊下を抜けて二階に上がっていくと、また広い廊下に出た。その奥の方の部屋が息子の部屋だという。妹もいるようだがこの時間は学校に行っていて留守にしている。息子と違って快活でよく外で遊んでいるようだ。東堂は引きこもりの人間が知らない人と会うストレスを甘んじることは少なかろうと考えていたから、この訪問が無駄足になるのではないかと不安ではあったが、他にすがるものがないので、ここで諦めるわけにはいかないと心してかかる姿勢を示していた。


「息子はもう二年も学校に行ってません、来年は受験だと言うのに勉強をしている様子もない、その癖飯は一丁前に食う、人の言うことは聞かない。ねえ、天罰ってやつを信じますか、私は昔人を殴って歩いていたんだ、人が何か用事を持って外を出歩いているのが気に食わなくて誰彼構わず殴ってたんです、私は目的がなかったから、人が何か目的を持っているのが羨ましかった、みんな等しく自分のように無目的で何もない時間を虚しく過ごす気持ちを味わって欲しかった、きっとそのときのことの罰が今になって自分の家族に降り掛かったんだ、息子は何もしていませんよ、家の中で私が稼いだ金を使って好きなものを買って、飯を食って、寝ている、夢も希望もあったものじゃない、停滞は常に時間に取り残されていく、この子はきっと三十代、四十代になっても学校に行かなかった夢を見ますよ。自分がずっと十代のままの精神年齢を引きずって。ねえ哀れじゃないですか、どうかこいつにガツンと言ってやって下さい」


 村長は部屋をノックすると、大声で「開けろ!お客さんが来てくれたぞ!」と言った。それからシンとして、その無音が東堂と望月の耳の奥では村長の大声をこだまのように繰り返すようだ。やはり駄目かと思っていると扉がキイと小さな音を立てて開いた。中から細身の老けているのだか童顔なのか判然のつかない顔がヒョッコリと出てきて、「誰ですか」と言う。


「東堂と望月と言います、西野夕見子さんのことで何かご存知でないかと伺いに来ました」

「はあ、西野さんのこと」

「ちょっとだけでもお話できませんか」

「まあ、暇なんで、どうぞ」


 東堂は快い返事を意外に思ったが、これは幸先が良いと内心喜んだ。村長の方は「ではごゆっくり」と言って早々に階下に降りて行ってしまった。尾野の部屋は引きこもりの部屋のイメージとは違ってよく片付いていて清潔だった。十二畳ほどの部屋でとても広々としている。ベッドの横にはサイドテーブルがあってタブレット端末が置かれていて、近くには小説の並んだ戸付きの本棚が一つ、部屋の反対側に大きめのテレビとデスクトップパソコン、最新ゲーム機も揃っているようで、ずいぶん快適に引きこもり生活を送っているのが伺える。対して本人はと言えば、肌は荒れていて年齢不詳に見え、体臭も何日も風呂に入っていない人間特有のアンモニア臭がぷうんとしている。


「それで、聞きたいことってなんですか」


 尾野は居心地の悪そうな顔もせず、二人を四つもある座椅子に案内し、座るように促しながらゆっくりと自分も座って言った。


「西野夕見子さんが亡くなったことはご存知ですか」

「知ってますよ、葬儀に出なかったことですか、僕は引きこもりなんで学校の人間と顔を合わせるのが辛かったから行かなかっただけです」

「西野さんとは交友はなかったんですか」

「同級生だからありましたよ、まだ学校に通っていた頃はよく話しかけてくれました。誰にでも分け隔てない快活な女の子だったと思います。引きこもってからは全く会っていません」

「それじゃあそう繋がりは深いわけではないのですね、特別な感情とかは抱かなかったですか」

「好きになったかどうかって話ですか、確かに学校に通っていたときは数少ない話のできる子だったから気になったりはしましたが、登校を止めてからはすっかり忘れていました、特別な感情というものがそういう意味合いのことならば何もありません」

「そうですか」

「僕を犯人だと思いますか」

「え、いや、そんなことは」

「良いんですよ、引きこもりは普通の人間とは違う、異質なものだと同級生たちは感じているのでしょうね、確かに僕の生活は健全なものではないし、親のスネを齧って時間を空費しているだけですから、そういう彼らにとって理解不能なものが存在しているというだけで、疑いを向けられるのは理解しています、僕は両親の財産を無為な時間に変換していると言う以外は無害な男ですよ、自分が嫌になることはあります、しょっちゅうね。ですが怖いんですよ、他人が、特にこの村の人達が、何を考えているかわからない」

「わかりますよ、他人が何を考えているかわからなくて恐怖を覚えるのは誰もがそうですから」

「そうではないんです、この村の人間は少しだけだけれど、決定的に異常なんだ、僕の親もそうだし、同級生もそう、近所のおばさんやおじさんもそう、みんなどこかおかしい、引きこもっている自分が一番正常だと考えるのはおかしいでしょうか、おかしいでしょうね。それでも彼らとは距離を取っていたい。僕はいずれここを出ていきます。働くことになるでしょうね、それでもここにいるよりはマシだ、知らない人と話すのは怖くない、怖いのは知っている人と話すことですよ」

「知らない人と話すのは怖くないんですか。僕は怖いですけどね」

「それはあなたが交友関係に恵まれているからです、僕は知っている人のほうが怖い、何を言われているのか、何を思われているのか想像するだけで身震いしますよ、両親だってそうだ、本当のところどう思っているんだこんな寄生虫のことをと考えますよ」

「ご両親は、もしかしたら心を痛めているかもしれませんが、きっと愛していますよ」

「信じるのは難しいですね」

「……西野夕見子さんのことで他に何か知りませんか、恨みを持っている子がいたとか、誰かと仲が悪かったとか、些細なことでもいいです」

「僕はここ二年間ずっと学校での交友関係は知りません。でも誰でもあり得ると思いますよ。恨みを持っていなくても、親しくても、この村の人間は誰もがそうする可能性がある」

「どういう意味ですか」

「そのままの意味です、おかしいんですよここの人たちはだから嫌なんだ」


 そう言うと尾野は俯いてしまい、これ以上は話すことはないと体で示していた。東堂はここまでかと思うと暇を告げて部屋を出る。ドアを締めるとき、チラリと尾野の姿をもう一度確認すると、俯いた猫背の男の姿がそのままあった。その姿はひどく見窄らしく、東堂の哀れを誘った。望月は話の間ずっと部屋の中をキョロキョロと眺めていて落ち着きがなかったが、急に口を開くと、「あの子は普通の子ですね」とこぼした。村長に挨拶をと思ったら引き止められて茶を勧められた、息子のことやよくわからない愚痴などを聞いていると家を出る頃には外はもう日が傾いていた、風はぬるく薄膜が張り付くようで不快だった。旅館まで歩いていると村人を思われるおばあさんが二人を呼び止める。


「調査頑張ってくださってるんですってね、お疲れなさいね。良かったらこれどうぞ、うちで採れた柿なの。何かわかったら教えてちょうだいね、夕見子ちゃんいい子だったから悲しいわ」

「ありがとうございます、できる限りのことはします」

「もしかしてあなた達が石を投げたなんてことだったら、簡単に済むんだけどね」

「いや、僕たちは西野夕見子さんが亡くなってから来ましたから……」

「うまいことはないものね」

「はあ……」


 柿の入ったビニール袋を片手に宿に着くと、ちょうど夕飯がそろそろできると言うので、東堂と望月はそういえば昼は何も食べていなかったのを思い出して、腹の虫を鳴らしてしまった。味は相変わらず大したことはないが、空腹のおかげかどうにも箸が止まらない。食べ終えてもまだ少し、何か口にしたいという欲求が収まらなかったので、頂いた柿を食おうと思い袋を開けると、イラガやアブラムシがたっぷりとついていて、二人はギョッとした、虫が多すぎてどれも手に取る気になれず、虫が外に出ないようにビニール袋の口をキュッと縛るとゴミ箱に捨ててしまった。びっしりと蠢いている虫を見たせいでなんだか肌がムズムズする。


 夜中、虫のうるさい鳴き声に悩まされていると、窓ガラスがゴツンと鳴った。二階にある部屋だから誰かがノックするなんてことはない、なんだか気になって東堂は窓を開けて見てみると、道の向こうにぼうと立っている人影がある。


「なんですか」と東堂は言ったが、人影は微動だにしない。しばらく待っても動く様子がないので、これは木か何かを人と見間違えたのだなと思い窓を締めた。望月は我関せずといった風で、暗闇の中でスマートフォンの光を浴びて顔ばかりが見える。東堂はやれやれと布団に入ってしばらくあとにぐうぐうと寝息を立て始めた。


 翌日は再び現場に出向いた。やはりあまり多くの発見はできそうになかったが、村の集落の中心地とバス停や駅を挟んだ通りだけあって、人通りが多く話を伺うことができた、それでも芳しい情報は得られはしなかったのだが。


「やっぱりこの人通りの多さで人に目撃されないように殺すというのは難しいように思う、一人になるタイミングはあるかもしれないが、バスや電車の他に田んぼへの道もある為、計画的に殺すのは難しい、やはり突発的に行った犯行であるか、やはり事故であるかの可能性の二択になる気がするな」

「今日もミミズがいる、雨も降ってないのに、なんだってこんなに多いんでしょう」

「そうなると道具を使った線はおおよそ消えたと言っても良いかもしれない。彼女が通学用のバスを使ったとしたら同じバスに乗っているか、バス停を降りたあとからここまでの間に何か悶着があったと考えられるから、道具を用意する時間があるようには思えない」

「あ、踏みますよ」

「なあにミミズくらい」

「ぎゃあ」


 東堂が壁を眺めながら後ろへ下がっていると、通りかかった爺さんの足を踏んづけてしまった。爺さんは蹲って「痛い痛い」と口の中で繰り返していた。


「すみません、大丈夫ですか、調査に集中して周りが見えておりませんでした、申し訳ないです、立てますか手をお貸しします」


 すると爺さんはその手をパシリと払って一人で立ち上がると、東堂たちの方を向きもせずに足早にその場を離れていってしまった。「だから言ったのに」と望月が地面を棒でほじくり返しながらため息交じりに言う。東堂はバツが悪そうに頭を掻いたが、相方は地面をほじくるので一生懸命で歯牙にもかけない様子である。


 結局のところ、東堂たちは何の情報も得られず、現場の様子から若干の予想を立てる他なく、調査はどうにも上手くいかない。村の聞き込みで得られる情報は西野夕見子が明朗快活で良い子で、多くの人から好かれていたと言うことくらい、その際にネガティブな印象や人間関係が仄めかされることはなかった。むしろ誰も彼もが同じようなことを言うのに違和感を覚えるほどであった。然るに引き篭もりで人との交友を断絶していた尾野もまた、西野夕見子に悪い印象を持っていなかったということは、やはり人々のそれらの総評は間違っているわけではないということの証左であるようにも思われた。西野夕見子に事前に恨みを持っていた人間はいそうにない、あるとすればその日の会話や行動で誰かの怒りを買ってしまい、カッとなった犯人が無計画に犯行に及んだという可能性、もしくはやはり事故であるという可能性だ。結局警察がまごまごしているのと同じ状況になってしまった。東堂は自分の不甲斐なさに深いため息をついた。


 途中経過を報告がてら、依頼主である西野の奥さんを尋ねることにした、ほとんど進展がないという事実が非常に心苦しいが、聞き込みや現場調査が一段落した今、一度現状を伝えるということはしておいたほうが良いと東堂は考えた。日も落ちかけ、帰路を歩く学生たちの姿がほんのチラホラと見える。学生の足は早く、東堂や望月を元気に追い越して行く。そのたびに妙な視線を感じていると、ふと学生たちの喃語が耳に入る。


「ほらぁ、やっぱり怪しいって、人に聞き込みとかしてるんだって、自分がやったことを人に擦り付けるつもりよ」

「でも証拠はないんだろう、何でも噂なら信じるってのか。あ、待って、目が合った。怖っ、なんだろう目の下がくまで真っ黒だ、気色悪い」

「ね、やっぱりそうだと思うのよ、人を見る目が異常だもの」

「うーん、確かにそうかもしれないなぁ」


 望月はスマートフォンを眺めながら歩いていたがふと顔を上げると、何かが飛んできたのが見えた、とっさに避けるとそれは地面にベシャリと割れた。熟れた柿だ、その中には虫が何匹も蠢いている。望月は周りを見渡したが、投げた本人と思しき人物は見当たらない。普段何事にも無頓着であまり周囲を気にしない望月ではあるが、何か悪意のようなものを肌に感じて気分が悪い。東堂も先程の学生の会話から自分たちに何かしらの嫌疑がかけられているように感じていた。


 西野夕見子の母親は元気そうにしていた、娘を失ったばかりの人間とは思えないくらい溌剌としていて、東堂は呆気にとられてしまった。途中経過の報告を行っている間も何が面白いのかずっと笑顔でウンウンと頷いている。話を聞き終わると質問もせず、何か要求するでもなく、茶菓子を作ったのでと勧めてくる。奇妙な違和感を感じつつもお菓子を頂いて暇を告げると、西野の奥さんは玄関からいつまでも去っていく東堂と望月を見つめ続けていた。


 二人が歩いていると村人たちの姿がそこかしこに見える、そこまで極端に人の少ない村ではないのは確かだが、このように多くの人が道に出てぼうと立っているのを見るのは初めてである。まるで何かを見に出てきたかのように人が並んでいる。


「夕見子ちゃんの頭が割れたんですって」

「村長さんの息子さんに罪をなすりつけようとしたみたいだぞ」

「葬式の間もウロチョロと学生や先生方に話をして回っていたそうだ」

「水岡の婆さんのあげた柿をゴミ箱に捨てちまったらしい」

「浜本の爺さんを踏んづけて怪我させたらしいじゃない」

「西野さんも気の毒に」

「なんてやつらだ」


 村人たちのこそこそとした話し声が、シンとした帰路の道に響いて渡る。東堂たちは嫌な居心地の悪さを感じながら道を行く。ただならぬ雰囲気を感じて二人は互いに目配せをして宿に戻る道を止め、自然と駅へと向かって足を伸ばしていた。その背後から村人たちがついてくる気配がするが、東堂たちは不気味に感じて振り返ることも何か発言することもできずにいる。急に走れば村人たちに何か刺激を与えてしまうかもしれない、まるで悪意の風船が張り詰めたような空気がそこにはあった、何か変化を与えてしまうと破裂してしまうかもしれないような奇妙な緊張感、普段あっけらかんとしている望月も青白い顔をしている。


 湿った空気がシャツを濡らして肌に張り付いてくる、虫がブンブンと飛んでいる。何度も調査したあの道まで来ても村人たちは遠巻きにゆっくりと付いてくる、その影が夕日に照らされて細長く伸びていた。望月は握っていたスマートフォンを手から滑り落としてしまい、急いでかがんで拾おうとするとジャガイモが一つ、飛んできた。それからはあっと言う間だった、石が飛んできて、望月の頭に当って、血が流れる。東堂は急いで望月を立たせて駅へと走る。村人の誰も彼もが一斉に石を投げてくる。肩や背中に大きな石が当って青あざを作りながら二人は走った。運良く電車がちょうどよく来ていたので急いで乗車した。石はなおも飛んできていて、電車の側面にガンガンと音を立てて当たっている。望月は血を流したまま気を失ってしまった。電車は走り出して、村人たちの姿がどんどん遠くへ離れていく。村人たちは逆光で影のような姿でゆらゆらしながら「かわいそうに、かわいそうに」と言っていた。


【完】

―――――――――――――――――――――

お題:投石

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る