月で兎を捕まえて

 イタロ・カルヴィーノのレ・コスミコミケは読んだことがあるだろうか。そうそう、Qfwfq老人が過去を振り返って嘘か真かその時代を回想して語る物語だ。そのうちの『月の距離』という作品がある、あれは月が地球にもっと近かった時代の話。私達のいる世界もまた月がすぐ近くまで近づいてくることがある。


 昔はもちろん月は遠く離れた空の上にゆっくりと旋回する衛星だったが、私が生まれてからの月と言うのは既に一定周期ごとに地球に著しく接近するようになって久しい。月の接近は、東京などの高層ビルのある都市部ではそうでもないが、私の住んでいるような片田舎では建物が低く、月は本当にすぐ目の前まで迫ってくる。巨大なゴツゴツした渺茫たる月の大地が地上に影を落としながら近づくさまは壮観だ。


 接近した月には棒高跳びの要領で飛び移ることができる。一定の距離まで月に近づくと、その微弱な重力に引き寄せられて、地球の重力から脱し、月の地表に足をつけることができるのだ。これは新月の夜に於ける、私のおよそ一ヶ月ごとの楽しみだ。


 月には兎の耳が付いたパジャマを着た少女たちがいて、私は彼女たちとボール遊びをする。彼女たちは遊びに飢えているのか、まるで子犬のようにボールを拾ってきたり、投げ返してきたりする。その様子が可愛らしくて、私はいつもボールを持って月に行くことにしている。


 おそらく、彼女らにはさほど知能がない。教育を受けていないと言うのもあるが、意図的に知能が低く調整されている様子がある。また、自分の生命に対して本能的関心がないように見受けられる。怪我や危険のあるものに関して興味を示したら、自分の被害などは余り気にしないように見える。総じて生きるということに無関心な風である。


 それは確かに理にかなっている。というのも彼女らは月に住む異星人たちの食用の生体であって、養殖された食肉なのだから。道徳に悖ると思う者があるかも知れないが、地上の人間が人食いである彼らの餌食になるよりはよっぽど良く、品質改良された人肉を提供できる環境を整えるほうがよっぽどマシだったのだ。つまり異星人と我々の力関係というものはそう言った道徳的な問題を越えた折衷案を作り出す程に歴然としていた。我々は彼らと友好関係を保つことで力関係のバランスを取らざるを得ない弱い立場にある。


 とは言え、お互いの生活はほとんど不干渉となっていて、たまに芸術面など文化的な交換が行われる他は何もなく、平和と言っても差し支えがない。彼らは月に適した身体構造を有しているため、地球上の環境にさほど興味がないのもあり、完全に棲み分けがなされている。私は月に遊びに行くときにはいつ彼らと遭遇することがないかと不安に駆られることもあるが、未だにそう言うことはない。彼らの多くは月の裏側で生活をしており、月と地球の接近時に影響の大きい表側には養殖所や工場がオートマチックに稼働しているだけに過ぎないのだから。


 少女たちとのボール遊びは私にとって、他には代えがたい癒やしとなっていた。彼女らは純朴で、汚れを知らず、ただ純粋に目の前の興味だけに反応する純粋な生命に見えた。その様子が愛おしくて、私はついつい月が離れるギリギリまで彼女らと遊んでしまう。彼女らは決まって少女で、それ以上の年齢を見たことがない。恐らくはその前に屠殺されて解体されるからであろう。目の前の愛らしい少女たちは、やはり人間ではなく家畜であるという認識を持つべきだ。


 しかし、ある日、私は誘惑に勝てずに一人の少女を攫う企てをした。人目に注意して、ターゲットを絞って、ボールで釣るようにして地球上に連れ帰った。緊張で心臓が早鐘のように鳴って、殆ど口から飛び出しそうになっている。だが、誰にも見られず、誰にも気付かれず連れ出すことに成功した。少女は私の後を興味深そうに着いてくる。私は急いで家に帰って鍵を掛けた。そして、少女を風呂に入れてやり、食事を与え、柔らかい布団で寝かせてやった。


 月での彼女らの生活環境がどの程度のものかわからないが、寝食に関わる環境は余り良いものではないと私は考えていた。というのも、生産数と養殖所の面積を考えると、余り充実した施設ではないように見えたからだ。私はこの少女を自分のエゴと所有欲を以って愛玩したいという欲望に勝てなかった。


 最初のうちは彼女に言語を教えてコミュニケーションが可能になるようにするつもりだったが、彼女らの脳は恐らく言語機能を省略されているか、著しく低コストに設定されているようで、いくら言葉を尽くしても彼女が理解しているようには見えなかった。


 ただ、同時に彼女らには自我というものが欠如している為、私の言うこと、正確にはどうしたいかというのを察してそれに従うような従順さを見せた。これは寧ろ、人間と言うよりは子犬に近いイメージを抱いた。彼女は何処に行くにも私の後を着いてきたし、遊ぶことも大好きだった。私はささやかだが幸福だった。


 生命というものは不思議なもので、私は彼女を食用とわかっていても、自分が口にするものではないから、食欲が湧くわけでもないし、ましてや、家畜に対するある種の距離感というものを喪失していた。私は彼女を愛し、彼女は私に懐いた。


 交配に関しても何度か考えたが、どうにも動物を相手にするような背徳感が強く、実行には移さなかった。私は今彼女を人間と動物と曖昧な価値観で接している。彼女には人間として幸福であって欲しいと願いながらも、コミュニケーションの次元はペットのそれであった。私はこのアンビバレンツなバランスが、危うい均整で成り立っているような気がして恐ろしかった。私自身の価値観、倫理観というものが、食肉用人間という存在を前に揺らいでいるのを感じた。


 彼女を地球に連れてきて半年くらい経った頃、彼女が随分大人しくなって、殆どの時間を座布団の上で小さく丸まっていることが多くなった。心配して頭を撫でてやると気持ちよさそうにして私の指をペロペロと舐める。しかしやはり元気がないように見える。私は食肉用人間のドキュメンタリーや資料を漁って、彼女の健康状態を回復するために必要な情報を集めようと試みた。


 だがそれはすぐに無駄なことだとわかった。老衰である。彼女らはせいぜい1年程度しか生きられないように調整されており、最初の数ヶ月で中学生くらいの体格まで成長し、その後、数ヶ月以内に流通用に食肉加工処理される。万が一加工処理に間に合わなかった場合、育成のコストを削減するために一年程度で自動的に老衰で死ぬようになっているという。


 私は絶望に打ち拉がれて泣いた。人間としてか、ペットとしてか、私には判断がつかないが、それでも愛していた事には変わりはなく、迫りくる喪失に理不尽な怒りとも悲しみとも言えぬ感情に晦冥たる気持ちに沈んだ。


 率然として、少女が立ち上がり私に抱きついて、強いてそうしないと呼吸が止まってしまいそうなほど苦しそうに肩で息をしている。そうして「あそぶ」と言った。ただそれだけ言って、よだれを垂らしながら痙攣して、やがて動かなくなった。私は慟哭した。尾籠なことだが、私はこうなることを少しも予想しておらず、軽率にペット感覚で人を攫って、ペットと人の両方の愛し方で彼女を愛し、大きな喪失感を味わっている。


 外は斑雪が白く、音も少ない。私は彼女に人間の墓場を買ってやることが出来ないので、せめてもの餞に裏の庭に彼女のお気に入りだった毛布に包んで埋めてやった。その上には梅の苗木を埋めて彼女がいたことを忘れぬように墓石の代わりとした。


 その後は私はしばらく月に遊びに行くことはなかったが、二年ほど経ってからまた月の少女たちにボールをなげてやることにした。彼女が最後に遊ぶと言ったのを覚えている。彼女らの短い人生の中で何か楽しみがあるとしたらそれは遊ぶ、ということなのかも知れない。私はまた彼女らを動物のように見ている。そうしないと心が壊れてしまいそうだからだが、もう二度と私は彼女らを攫おうなどと思わないだろう。


 新月は今日も街の街灯に照らされて仄かに明るい。畢竟するところ、私は酔眼朦朧した人のように、世の中をぼやけて見ることしか出来ないのだ。


【完】

―――――――――――――――――――――

お題:月

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る