13話 名探偵は謎を解かない

「……やめよう」


「え?」


「この謎は、解けなかった。この事件はの真相は、分からなかったことにしよう」


「なにを言ってるんですか?シドーさん」


「今日分かったことは、誰にも言うな、と言っている」


 エマの困惑は頂点に達しているようだった。俺の言っていることがまるで理解できないのだろう。


 探偵であっても。


 探偵であるからこそ。


「い、意味が分かりません。せっかくシドーさんの知識と、私の推理で事件の真相を知ることができたんじゃないですか。探偵らしくしていれば、シドーさんが元の世界に帰れるかもしれないんでしょう? エイゲート・ハリソンとしても、いえ、探偵としても、ここで事件を解決すれば――」


「――それで……誰が幸せになる?」


「え……?」


 カタリ、と風に押された窓が音を立てた。その音は、とても小さなものであったはずなのに、不思議なほどこの部屋に響いた。


「この事件を解いて、幸せになる人間はいるのか? ダリルが捕まったら、アリスはどうなる? 母もいない。兄弟も姉妹もいない。あの若さで完全な独り身だ。こんな時代で、身寄りの無い若者に、幸福な末路が想像できるのか? しかも、兄や姉の死に不審を抱いて、名探偵エイゲート・ハリソンへの依頼を熱望したのは彼女だ。……結果として、ダリルが捕まれば、それは自らが自分の父親を地獄に落とすこととなってしまったことになる。そんな思いまで彼女は背負わなければならなくなる」


「…………」


「それだけじゃない。ラトウィッチ・ブレッドの息子はどうなる? 自分の婚約予定だった人が、自殺ではなく、自分の父親に殺されたということを知ることになる。それに、ブレッド社の社長が殺人に関わっていたとなれば、今後の会社の営業に大きな影響が負の影響がでる。それを急に社長に就任したばかりの彼の息子が、どうにかできるはずもない。ブレッド社は絶対に傾く。……そうなれば、ブレッド社やその傘下で働いている人たちの大勢が職を失うだろう」


「大勢の……」


「ダリルにしたってそうじゃないか? ダリルは……自分の息子と娘を殺された。その恨みからの殺人なんだ。俺はダリルと少し会った程度だが……あいつが、これからの人生で、他に殺人を犯すような奴には見えない。殺人は、確かに罪だが……。それでも俺は、ダリルを捕まえるべきでは無いと思う」


「……」


 探偵というやつは、どいつも真相を暴き、それをさらす。


 しかし、真実というのは、真相というのは、暴けばいいものなのか?


 それは違う。


 そこが科学とは違う。


 相手はこの世の真理ではない。人と、その内面なのだ。


 もし、それが探偵であるというのなら、そんなものに俺はなりたくはない。


 そんな探偵にはなりたくはない。


 エイゲート・ハリソンとしてではなく、俺自身のあるべき姿として。


 エマは黙ったまま、窓の外を見つめていた。


 つられて俺も空を見上げる。


 黒く漂う雲。その一部に薄く輝く光が見える。あの雲の向こうに、月がある。太陽と同じ、いつの時代も、いつの世界にもそこにある。世界を超えた今、真理というのなら、あの存在こそがまさに真理ではないかという錯覚すら覚えるようになってしまった。


 真理と科学。


 推理で暴く。


 ここは、俺がいた世界とは違う。世界が違うというのなら、やはり世界で通じる真理というのは、存在するのではないのだろうか。真理とまでいかなくとも、この世界は一体何なのかということを、知ることができれば、そうすればきっと……。


 今日知ったことは誰にも話さない。俺も、エマも。


 この謎は、解かない。


 風が再び窓を揺らしたその一瞬、切れた雲の隙間から、月が覗いて……やがて消えた。

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