4話 1冊の本
「シドーさん。次はどうすればいいですか? キッチンですか?」
うむ。扱いやすいやつだ。
「いや、書庫の整理をしてくれ。こっちも、もう終わりそうだから、2人でやろう」
広い部屋に隙間なく散らかされたものを、少しづつ片付けていき、部屋は見違えるように綺麗になった。
探偵エイゲート・ハリソンは、ずいぶん芸術志向の人間で、部屋にあるほとんどのものは彫刻や絵画、それを書くための画材や石材だった。
「全く。ハリソンは、随分とくだらないことばかりやっていたんだな……」
「なにをいってるんですか。頭脳明晰で、芸術にまで造詣があるなんて、素晴らしいじゃないですか。あ、もしかして嫉妬ですか?」
「違う。そもそも芸術はくだらない。時間の無駄だ」
「でも先生は、『芸術とは、人類の至宝であり――」
「――美を食らう生き物であり、芸術に還元できないものなどない』だろ。知ってるよ。俺の記憶の中にもあるからな。だが記憶はあっても、思考は無い。ハリソンがどんな思考でそう言ったかはわからない。が、俺はそれを間違っていると思う。芸術など何の役にも立たない」
「立ちます! 人を感動させることができます!」
「そんな主観的なものだから、必要がないと言うのだ。感動と言うのなら、科学の方がよっぽど神秘的で感動的だ。世界の自然はその全てでできているのだから」
「むー……なんて心が貧しい人なんでしょう……」
頬を膨らませて、そうぼやいたあと、エマはついとそっぽをむいて、書庫へと向かって行ってしまった。
ハリソンの記憶からすると、彼女怒らせてしまったらしい。
…………ハリソンのことを悪く言ったのが、そんなにいけなかったのだろうか。彼女は一度怒ると、それが相当長い間続き、ハリソンですら手を焼くそうだ。
…………考えてみれば、彼女からすれば俺は赤の他人。しかも親しんでいた師匠は、突然いなくなり、俺に取って代わられたというのだから、彼女も彼女で精神的に弱っているのかもしれない。
こ、これは、謝りに行った方がいいのか……?
書庫の扉を見つめる。古びた木製の扉は、見た目よりも重く感じ、その奥からは何も聞こえてこない。それがかえって重圧となり、俺は思わず一歩後ずさった。
「う……む」
思えば彼女にはこのひと月世話になっている。……ここは、腹をくくるべきところだろう。
「よし……」
一歩、また一歩と扉へと近づいていく。その間にも、めまぐるしく俺の頭は思考を続けていた。
最初のひと言は何にするべきか。今このタイミングで行って大丈夫か。どうやって謝ろう。そう考えているうちに、すぐに扉の前まで来てしまい、俺はドアノブへと手を伸ばした。
ドアノブに手を触れ、握りしめる。
「シドーさん!」
突然扉が爆発したかのように開き、エマが飛び出してきた。そして、俺の鼻柱に扉がしたたかにぶつかった。
「どぅふぉ!」
尻餅をついて倒れこみ、あまりの痛さに俺は悶絶する。
なんだ!? 奇襲か!? 待ち構えていたのか!? ぼ、暴力はダメだろう!? 反則だ! 暴力反対だ!
「な、なにをふる!」
涙目で抗議する俺の目の前には、息を切らして興奮しているエマの姿があった。
「これ! これを見てください! シドーさんこれのことじゃないですか!?」
興奮のあまりか、要領を得ない言い方になっている。その様子にさすがに首をかしげ、さっきからエマがつきだしているものに、目を向けた。
そこにあったものは、信じられないものだった。
「これは……!」
手にとって適当なページをめくってみる。
白紙だ。
もう一度表紙を見てみる。間違いない。この時代にそぐわない、コミカルな絵柄と精巧な印刷技術。書かれている一人の男の絵。その男の名は、エイゲート・ハリソン。
そうこれは、この本は、俺をこの世界へと連れ込んだ本だ。
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