12話 オカルトは転がっていない

「肝心の密室は、どうなんだ?」


 問題はそれだ。ばかばかしいことだが、この密室が呪いだという妄言を真に受けている人間は少なくない。指紋鑑定法で犯人を見つけたがいいが、これを証拠とするのは、この時代ではまだできない。いくら名探偵といえども、急に唱えた科学論が公に通用するはずがない。この指紋鑑定を実証するには、この時代の科学者たちを納得させるだけの、資料、実験、論文が必要だ。それには膨大な時間がかかる。そんなことをしている間に、万が一呪いで話が片付いてしまっては目も当てられない。この時代には、そういうことが本気で起こりうるから、困る。


 エマは髪を弄っていた指を離して、体の前で両指を組んでしまった。


「密室はですね……その……まだ考え中です」


 まあ、そうだよな。


 ここまでの推理だけでも、さすが名探偵の助手と呼べるほどの推理力ではあったが、やはりそれは『先に犯人がわかっている』という普通あり得ない前提で行われた推理でしかない。


 話が途切れ、ずいぶんと喋っていたエマは、疲れの色を見せていた。大きく椅子にもたれて、近くにあったティーポットから、とっくに冷めてしまっている紅茶を注いで、一気に飲み干した。


 もう空には、夕暮れの残光すらない。黒い空にうっすらと見える雲の輪郭が、漂う雲の軌跡を示す。


 密室、か。


 散らばった木々。壁中に打ち付けられた木板。内側から木で固定された扉。


「エマ、本当になにも思いつかないか? いわゆる探偵お得意の、仮説の段階、みたいなのは」


「いやな言い方しないでください。ないですよそんなの。変な考えしか思いつきません」


「言うだけ、言ってみろよ」


「だから……き、木が自然に曲がって、扉を閉めたとか……」


「あー。なるほど。そんな手が」


「嘘嘘! 今の冗談です! 本気でそんなこと思っていませんって!」


「たしかにそれならできるな。さすが、名探偵助手だな」


「いいじゃないですか、ちょっとくらいオカルトに走ったって! やっぱり無いって聞いても…………え……?」


「え?」


「……え?」


「ん?」


「……」


「……」


「……シドーさん。今なんと」


「……さすが、名探偵助手だな?」


「その前です」


「それならできる」


「できるんですか!?」


「……あっ。ああー」


 そうか。知らないのか。あまりにも普通に知っていたことだから、エマが知らないとは、全く思わなかった。


「エマ。木は、曲げられるんだ」


 エマが明らかに戸惑ったのがわかった


「そ、それは知っています。でも……」


「違う。力任せにやることを言ってるんじゃない。曲がった後、元に戻すこともできる。そんな技術があるんだ。」


「……」


「曲げ木、と呼ばれている。その技術自体は一八世紀後半から存在している。しかし、それがこの国に浸透し始めるのは、ミヒャエル・トーネットが、成型合板および、ノックダウン方式の家具を、万博で展示してからだったな。盲点だった。知らないのも無理はない。方法は至極単純だ。蒸気と圧力にかけた木板を曲げ、そのまま乾かす。すると木は曲がったままになる」


「元に戻すときは……?」


「木の種類にもよるが、同じように蒸気、もしくは熱湯を当てれば、水を吸って木は元に戻る。それでも、完全に真っ直ぐにはならないだろうが」


「ダリルさんは、木工師。しかも、ロンドン万博に行ってます! それを知っている可能性は大です! とすると……密室はこうなるんじゃないでしょうか」


 エマはじっとしていられなくなったようで、立ち上がってウロウロと机の周りを周り始めた。


「実は、はじめから少しおかしいと思っていたことがありました。アリスさんの話では、現場の扉は、従業員であるテッドさんが開こうとしたとき、少ししか開かなかった、とアリスさんは言いました。でも、現場の扉周辺を見てみると、全部で合計一四もの板が、扉に、しっかりと打ち付けてありました。これだと、扉側と壁側に板を釘で打って、扉を固定したように見えます。でも、これはおかしいです。そんなにしっかりと木が打ち付けてあるのに、どうして扉は少しは開いたんでしょう。普通はビクともしないはずなのに」


 言われてみればそうだ。


「考えられる理由は一つです。扉は、釘で打ち付けられた板では固定されていなかったんです。ラトウィッチさん殺害後、ダリルさんは、曲げ木の技術で、九〇度以上曲げた木板を作ります。そしてそれを、部屋の中から扉側の壁だけに、釘で打ちます。そして、あらかじめ折っておいた木板を、壁と扉の両方に打ち込みます。扉は内開きな上に、扉と壁を固定するものはないので、このときはまだ出入りできます。ダリルさんは外に出たあと、扉を閉めて、扉の外側から熱湯をかけ続ければ、壁側に固定された、曲がった木は元に戻り、扉が開くのを妨げるようになります」


 ここまで説明されれば、おれでも結末は分かる。


「扉をぶち破ろう、と言ったのは、ダリルだった……」


「ですね。扉をぶち破ることによって、曲げ木は折れてしまいますから。そして、あらかじめ打ち付けてあった木のおかげで、まるで内側から大量に木板が打ち付けてあったのを、ぶち破って入ったように錯覚してしまうというわけですね。木板が大量にばらまいてあったのは、折れて飛んでいった曲げ木を隠すため。壁に打ち付けられた材木も、錯覚を誘発するための、工作だったんですね……」


「……これが、密室の真相か……」


 全ての謎が、解けた。エマの手によって。


 あっけない。いや、そう感じるのは、俺自身は何の推理もしなかったからか。現にエマは、今度こそ疲れ切って、椅子に体を預けきっている。


 窓の隙間から、涼しい風が入りこんできた。そこには、どこか遠くの音が混ざり込み、耳へ入っては、記憶も残さず抜けていく。夜の音は不思議に遠い。不意に聞こえてきた音は、あの工房で聞いた音に、どこか似ていてもの悲しい。目に浮かぶのは、立ち並ぶ工場に、にこやかな笑みを浮かべるダリル。そういえば彼は……どうしてわざわざ密室なんて手間のかかることをしたのだろう。捜査攪乱のためだとしても、それほどダリルへ得があったようには思えないが。彼については、結局憶測の中でしかわからないままだ。


 これで事件は終わるのだろうか。ダリル・ノーランドが捕まることで。


 そうなれば……。


「…………」


 気合いを入れるように、大きく息を吐いた音が聞こえた。


「さあ、シドーさん。明日から忙しくなりますよ。まずタイモンさんに密室のことを伝えた後、ダリルさん自身に直接、指紋鑑定からの推理を聞かせます。たとえこの時代では公に認められてない理論でも、直接追求すれば、自白を取れる可能性が高いです。そうすれば、事件解決です!」


「……」


 これが、探偵の仕事。謎を暴き、犯人を捕まえる。きっとこれが、俺をこの世界に連れてきたあの本が求めていることだ。探偵ものの小説として。探偵が謎を解くことを。この事件が、その第一歩となる。この事件を解き、あの本が物語で満たされたとき、もしかしたら元の世界に……。


 それが、謎を解いたら、起こりうること。


 それが、この世界での、俺の強い望み。


 だが……。


 浮かぶのは、うつむくアリスの横顔、ダリルの笑顔、工場地帯で見かけた労働者たち、そして、見も知らぬラトウィッチ・ブレッドの息子。


「……エマ」


 自分では黙っていたつもりだった。しかし、言葉を紡いだのは、俺自身の口だった。


「……やめよう」

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