11話 人間の心
「どういうことだ……?」
検出された結果に、俺たちは呆然とする他なかった。
夕暮れ時の研究室。曇り空を赤と青のグラデーションに染めている日差しが、差し込む窓から、研究室を染め上げる。伸びた日差しの先にあるのは、積み上げられた様々な物品。指紋を取るために、いろいろな人物から借りてきたものだ。よろりと腰を下ろした拍子に、その山がカチャリと音をたてた。
凶器となった、ナイフの血指紋からは、殺されたラトウィッチ・ブレッドの指紋が、鑿からは、アーサーの父親、ダリル・ノーランドの指紋が検出されたのだ。
犯人が二人……? いやそれよりも、あのダリルが犯人、人を殺したというのか?
もちろん、俺はダリルと一度だけ話しただけで、彼がどんな人間か知っているわけではない。だが……。
嘘だったというのか。俺たちを見て浮かべた笑みも、言葉も……。自分の密室トリックに、そこまでの自信をもっていたのか……?
あんな表情を浮かべる人間が……殺人……?
俺の考えが浅いのか? こんな考えを持つこと自体甘いのか?
頭から溢れそうになる混乱の海に、思考が溺れそうになる
一方でエマは冷静だった。
「つまり、最初にラトウィッチさんがアーサーさんを殺害。その後、ダリルさんが、ラトウィッチさんを殺害。密室を作ったのは、ダリルさんと言うことになりますね」
「……そうなるな」
言うだけ言って、またエマは黙り込み、癖毛を弄り始めた。やはりエマは何とも思っていないらしい。そりゃそうか。今まで何十件もの事件、犯人を見てきたんだ。その中には、一見事件を起こしそうにない奴だって大勢いた。ハリソンの記憶にも、そんなやつは山ほどいる。
しかし、どうも腑に落ちない。指紋鑑定が間違っていたとか? いやしかし、鑿のほうからは、捜査員の指紋以外、ダリルの指紋しかなかったのだ。それもハッキリと大量に。これは、完全に鑿自体がダリルのもので、彼以外は使っていないということを意味している。彼がラトウィッチ・ブレッドを殺したことに違いはないのだ。
「おそらく……こんなことが起きたのではないでしょうか」
じっくりと考えた末に、エマはゆっくりとそれを言葉として紡いだ。
「ラトウィッチさんはその日、はじめから、アーサーさんを殺そうとしていたんだと思います。ラトウィッチさんは、あの日最後に目撃されたときに、『まだ一仕事ある』と言ったそうじゃないですか。それが、アーサーさんを殺害することだったんじゃないのでしょうか」
「可能性としてはあるな」
「ええ。でも、彼が犯人と確定してる以上、たぶん間違いないと思います」
……そうか。もう犯人がわかっているのだ。ここからは、犯人から事件の概要をつかむ作業になるのか。
「動機はあります。タイモンさんが言っていたように、ラトウィッチさんは、労働者の大量解雇を予定してました。それに対して、アーサーさんは、大規模なストライキを起こす予定だったそうですから」
「だが、それだけで殺人を考えるか? しかも、わざわざ自分の手を汚してまで。金は有り余っているはずなのに、どうしてその道の人間に依頼したりしない」
「シドーさん。ラトウィッチさんは、いわゆる成金ですよ? しかも積極的に上流階級への進出を目指していました。貴族たちや、他の新興富裕層の人たちから見れば、あまり快くは思えないどころか、上流階級への進出を邪魔しようと画策するのも珍しくありません。だから彼は、安易に人に汚れ仕事を任せることはできない立場です。それに、大量解雇の件は、公にはしていません。おそらく、アーサーさんが、実質的な経営者であるダリルさんの息子だったから知りえたんだと思います。ストライキの首謀者も、アーサーさんのはずです。実質的経営者の息子が、確かな情報を持ってきた、ということでなければ、まだ通達もしていない大解雇に対して、それだけの人数が短期間に集まるはずはありません。そんな短期間に起ころうとしていたことだからこそ、ラトウィッチさんは、自分で手を下す決断をしたのではないでしょうか」
「……なるほど」
「そうして、ラトウィッチさんは、あらかじめアーサーさんと会う約束を取り付けていたんです。『私もストライキは避けたいから二人だけで、解雇の話をしたい。話を広げたくはないから、秘密裏に会おう』とでも言えば、アーサーさんはなにも疑うことは無かったでしょう。市民からの支持を得ている彼が、批判の種を恐れるのは自然なことですから。そのための話し合いでもあるわけですし」
「それで……、アーサーをナイフで殺害……か。だがな、エマ。どうして、あの場所で殺す必要があった。お前の推理だと、密室にしたのは、ダリル・ノーランドであって、ラトウィッチ・ブレッドはないんだろう? はじめから、密室殺人にでもしようと思わない限り、あの場所での殺人に意味はなくないか? しかも、あの場所は、前回自分の息子の婚約者が自殺した場所だろう。普通気味悪がって、そんなところに行きたいとも思わないだろう? 特にこの時代の人間は」
「それはですね。ラトウィッチさんはおそらく……味をしめていたんだと思います」」
「は……? あじ……?」
「シドーさんの言うとおり、私もおかしいと思いました。……ただ、ラトウィッチさんが他の人と同じ立場なら、です」
「……?」
「わかりませんか? ラトウィッチさんは三年前、ハンナさんも殺害している、と言っているんです」
気がつけば日は沈み、窓の外は暗い。二人の間にあった日の道筋も、今はもう無くなっている。昼間と比べれば格段に静かな道に響く、石畳を蹴る馬車の音が、不意にできた沈黙を埋めた。
何拍かおいて、ようやく俺は言葉を発すことができた。
「は、ありえない。……どうしてそんな結論になる?」
「ラトウィッチさんが犯人であることを考えれば、これで説明がつくんです。 三年間に、ラトウィッチさんがハンナさんを殺害する理由は充分にあります。上流階級に進出するためにも、息子さんには、どうしても貴族と結婚してもらう必要があります。そんな中での、息子さんの庶民階級の人との結婚です。ラトウィッチさんの上流階級へのこだわりからすれば、動機としては十分すぎます」
「たしかに動機はそうだが……。……味をしめたというのは?」
「ハンナさんの死因、覚えていますか? ナイフで首を一突き、です。アーサーさんと同じなんです。ラトウィチさんがアーサーさんをあの場所で、あのやり方で殺害しようとしたのは、ハンナさんという前例があったからではないでしょうか。
ラトウィッチさんは三年前、ハンナさんを殺害してしまった。しかし結果として、ハンナさんは自殺と判断、ラトウィッチさんは罪を免れた。ハンナさんは元々精神的に弱かったという情報が、後押ししたのが大きいでしょう。もしかしたら、警察関係者に圧力を掛けたのかもしれません。……どちらにせよ、ラトウィッチさんにとっては、賭だったと思います。殺害してしまったこと自体も、そうですし、圧力をかけたことも、他の貴族や富裕層たちに嗅ぎつけられる可能性があったわけですから。ですが、そんなこともなかった。完全に彼は、ハンナさんを『自殺』にみせかけることが、できたわけです。だからこそ、今回のアーサーさんの件も、同じ要領でできる、と思ったのかもしれません。ハンナさんと違ってアーサーさんを突然の自殺に見せかけるのは難しいので、今度こそ、圧力をかけようとしていた可能性は高いです」
「……」
辻褄はあっている。しかしそれでは犯人が……いや、違う。犯人はラトウィッチで確定しているんだ。犯人が特定されていなければ、単なる無理矢理なこじつけだが、しかし犯人はわかっている。これはその前提での推理なのだ。
「ダリルさんが凶器として使った鑿は、あまり殺人には向いていません。つまり、計画的な殺人ではないということになります。ここから、ダリルさんが、偶然その現場に来てしまったことは推察できます。あまりに遅くまで帰ってこないアーサーさんを心配して工房へやってきた、というところでしょうか」
「ダリルが殺人現場に出くわした、ということだな。だがそれで……」
ラトウィッチ・ブレッドを殺すに至るのか、と言おうとして、俺は口をつぐんだ。ダリルは、すでに娘を一人失っている。それに加えて息子まで失ったのだ。その計り知れない悲しみに被せることのできる言葉を俺は持っていない。
エマも同じようなことを思ったのだろう。推理一色だったその表情が、一時の憂いに揺れた。
「ダリルさんが、自分の子を本当に愛していることは、私にも伝わってきました……。だからこそ、娘と同じ姿で殺害された息子のを見て……ダリルさんは悟ってしまったのではないでしょうか。三年前の、ハンナさんの事件は、自殺に見せかけられた、殺人だったことを……。そして……」
あの、温厚そうなダリルが……殺人を……。
それなら、完全にとはいかないが、彼が殺人に手を染めてしまったのも、理解できるような気がした。相変わらず残っているわだかまりは、きっと俺の中での理解の抵抗なのだろう。情で理解を妨げてはいけない。知識まで妨げてはいけないんだ。
「……ラトウィッチ・ブレッドが、アーサー・ノーランドを殺し、それを目撃したダリル・ノーランドが、怒りのあまりラトウィッチ・ブレッドを殺害。正気に戻ったダリルが、密室を作り上げた……てところか。まさか、呪い騒動にまで発展するとは予想しなかっただろうが……」
あの日、何があったかは、これでわかった。だが……。
「肝心の密室は、どうなんだ?」
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