9話 ロンドン万博
「これはベイクウェルが発明した、のちにファクシミリと呼ばれるものの原型だな。円筒の回転によって接触針と化学紙を使って紙面を読み取り、電気信号で受信側の円筒に同期させて、遠くにいる相手に紙面を送ることができる仕組みだ。しかし、そもそもこれは受信側と送信側の同期自体が難しいという欠点がある。結局これから、これが実用化されることはない。しかも、今から四七年後、アメリカ人のハンメルが、その欠点を克服したもの発明するし、俺がいた時代にまでになれば、このバカでかい機器を使わずともこれ以上の働きができる」
翌日の昼。俺たちは、これまでにないほどの大勢の人々で賑わう場所、ロンドン万博へと足を運んでいた。場所はロンドンのハイドパーク。
この万博は別名水晶宮と呼ばれている。その所以は、この会場となっている建物にある。見上げれば、そこには長く続く半円のガラスの天井。俺のいた現代において、ショッピングモールなどで見かける建物の構造が、今この時代にある。骨組みに鉄骨も使われている。この場所だけは、おそらくこの世界において、もっとも俺が元の世界を感じる場所だったのだ。
懐かしい。懐かしいと思える……。俺は、どうしてもっと早く……。
久しぶりの前向きな感情に気分もよくなり、饒舌になる。
エマも、物珍しいものに囲まれて興奮していた。
「シドーさん! あれ見てください!」
「ああ、洗濯機か。一八四三年にカナダのジョン・E・ターンブルが手絞り機を組みこんだ洗濯機で特許を取っているが、これはローラー式の脱水を用いているな。だがこれも、たいした脱水もできないから、それほど役に立たないぞ。結局手が疲れるしな。便利な回転式脱水が一般化するのは今から約五〇年後に、アメリカ人のアルバ・ジョン・フィッシャーが電動式の洗濯機を発明してからだ。こんな手動のものなど俺は初めて見た」
「そ、そうですか」
会場は、原料部門・機械部門・製品部門・美術部門に分かれており、人の間を縫うようにして、俺たちは展示品を見ていった。
この時代の人間からすれば最新の技術の目白押しになるのだろうが、俺からみればここはただの骨董市だ。展示してあるものが逆の意味で珍しい。とはいえ、珍しいことには変わりは無く、実物を見られることが、ことのほかおもしろい。
「あ! シドーさん!」
「蒸気機関か。別に珍しくもないだろう。これはスクリュー・プロペラ式の船舶用に作られた軽量タイプのようだが、根本的な仕組みは他に使われているものと同じだ。ずいぶんと改良を重ねているようだが、どのみち蒸気機関はエネルギー効率が悪すぎる。二〇世紀以降は、レシプロ式蒸気機関は衰退し、内燃機関動力や、電気動力にその座を奪われることになる。俺がいた時代に至っては、趣味や酔狂以外で蒸気機関を活用しているものはいなかったな」
「……そうですか。…………あ!」
「アメリカのモールス式電信か。発明自体は一八三八年だが、国が違うからな。イギリスではクックとホイートストンが改良した五針電信機が商業的に使われているんだったな。六年前、一八四五年にジョン・タウェルを逮捕するために電信が役立っていた。しかし、今から六年後の一八六〇年にフィリップ・ライスが電話、つまり声による通信機器の発明とその発達にしたがって、これも衰退ししていく。一九六五年に最初の電子メール、電信の完全上位交換の通信方法が開拓されてからは、一気に電信は消える。俺も祝儀などの儀礼的な意味合いでしか電信の存在意義を知らなかったな」
「………………」
「お、あれは、ブリュネルのセメントだな。セメントの歴史は意外と古く、後にコンクリートが発見されるまでは――」
「――もう! シドーさんと一緒にまわっても楽しくないです!」
突然、エマが毛を逆立てて大声を出した。
「な、なぜだ!? せっかく俺が丁寧に解説をしてやっていると言うのに!」
「その解説が楽しい気分を台無しにします! 人が最新技術に感動してると言うのに、どうしてその衰退の話をするんですかっ。 デリカシーないですっ」
「いいではないか! 他に誰にもできない未来の話だぞ! 興味深いと思わんのか!」
「時と場合によります!」
「なぜだっ。知識の泉ほどおもしろいものはないだろう。知識があれば、それだけで埋まるものはたくさんあるのだから!」
俺がそう言うと、エマは、首筋の髪を弄りはじめた。
「シドーさんて……」
そして、さっきまでの拗ねたような表情を消し、急に真面目な表情で、俺を見据え始めた。その茶色の瞳は、あまりにも透明で、そこに透かすものの全てを溶かし、読み取ってしまいそうであった。俺はその瞳に捕らえられ、地に射すくめられたように、目をそらすこともできなくなった。
「エマ……?」
「私、シドーさんがどんな人か……わかったような気がします」
「なんだ、急に……」
「人にはルーツがあります。その根源が、その人のひととなり為人を作るのです。あなたは、芸術を否定し、閃きや推理を軽視し、知識に深く固執する人です」
これは……まずい……。
(君ってさー……芸術アンチ・閃きアンチ・知識信仰マンじゃん?)
頭に、紗友の声が響く……。
あのとき……出会って間もないあのとき、しゃべり掛けてきた白紗友が俺に言った言葉に……。
記憶と現実の重なりに、浮き上がってきたのは焦りだった。
「ここから推理できる、あなたの為人って、もしかしてシドーさん……」
(もしかして君……)
まずいぞ……。これは、あのときと同じ……。
しかし、もう遅い。
エマが無意識に漏れたと思われる薄笑いを浮かべる。それは記憶の中の紗友の薄笑いと、完全に重なった。
「そういう感覚的思考、全くできない人なんですか?」
(そういう感覚的思考、全くできない人?)
「……な!? ななな……ななにを……」
言われたのは二度目になるのに、俺は依然と同じ反応をしてしまっていた。
その俺の反応を見て、エマは耐えきれなくなったようで、盛大に吹き出して笑い出した。
「プーッ。アッハッハッハ……。やっぱり図星なんですねー!? やっぱりー! 」
く、くそ……。紗友と同じ反応を……。
「アハハ……、そ、そう考えると……アハハ、芸術とか推理を馬鹿にしてたりするのも……か、かわいいですね。アハハハ……。自分がわからないから……アハハ……強がって突っぱねてるって、アハハ、かわいいー」
「くっ……こいつ……」
言葉まで……。
かつて紗友も、全く同じことを俺に言った。
中学で出会い、性格的には真反対の紗友と俺。完全に合わないと思い、はじめから関わらないようにしていた。そんな矢先、入学して一月ほど経ったあとに、今のと全く同じやりとりをしたのだった。
エマと同じように大爆笑したそれ以降、なにがおもしろいのか、それまでの素っ気ない態度を一変させて、紗友は俺に話しかけに来るようになったのだ。
……それはそれとして、だ。
「い、いつまで笑っているのだ! 笑うな!」
エマのあまりの大爆笑に、周囲が何事かと視線を向けてきている。恥ずかしいことこの上ない。このまま帰ってやろうか。
それでも、エマの笑いは止まらない。
「あ、ああそうだ。芸術などわからん! なぞなぞや頓知もわからん! それのなにが悪い!」
「アハハ、開き直ってるー」
笑いを助長させてしまった。
ひとしきり笑ったあと、エマは涙目で小さく咳払いした。
「コホン。なるほど。元の世界に帰れる可能性を見つけつつも、探偵の依頼をあそこまで渋っていたのは、できる自信が全く無かったからなんですね。ウクク……」
「……」
「でも、だからってそれを知識で補おうとするというのは、健気ですね-」
「…………」
「でも……そうなると困りました。今度の事件。ほとんど私だけで解決しなければならないということになります。私はまだ下っ端なのに……。シドーさんはハリソン先生の記憶を持っているからと、少し当てにしてたところもあったのですが……」
「……お前も犯人わかってないんじゃないか」
話がようやく逸れてきたので、話に加わることにした。
俺とエマは、近くにあった休憩用のベンチに腰を下ろした。
「そりゃあ、あれだけの情報で推理なんて、無理ですよ。二人を殺害可能な人が多すぎます」
「だよな」
「だいたい、ああいうのは、先にトリックがわかるものなんです。先に犯人を捜すのは無理ですよ。そりゃあ、犯人が先にわかれば、トリックもわかるかもしれませんが……。だから、タイモンさんが言ってたみたいに、どうにかして密室トリックを解きましょう」
犯人を先に……ね。
そりゃあそうだ。それができれば苦労はない。ハリソンなら……いやハリソンでも無理だ。第一俺はエイゲート・ハリソンではないんだ。彼と同じことはできない。
差し込んできた日差しが、水晶宮のガラスを通して、目の前にある巨大な絵画を照らし上げる。やはりここにいると、前いた世界にいるような気分になる。違う時代。違う世界。俺がいた場所とはほど遠い『最新』の中で、この水晶宮だけは、唯一俺が未来を感じることができる。
未来、最新……。
「あ」
「え? どうかしました?」
「……。……わかるぞ」
「えっ? なにがですか? まさか、トリックですか?」
「犯人だ……」
「へっ!?」
「わかる……。わかるぞ!」
思わず俺は立ち上がっていた。
「エマ! 帰るぞ!」
「え? え?」
戸惑って動かないエマの手を引いて、急いで出口へと向かう。
振り替えると見えたのは、腕を引かれるままにまん丸に眼を見開いているエマと、巨大な絵画。
そのタイトルは『天啓』。
人は導かれる。神が消えた時代でも。確かに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます