2月:ご都合主義のその先へ


 ──ジョキンッ!



「え……?」

 いとも容易く

 その野ウサギは両手で持った鎌により自分の首を刈り取ったのだ。

 

「本当に、君は最期の最期まで世話を焼かせて」


 社殿の奥から聞き慣れたアルトボイス。

「……全く。それに桜井佐紀は破天荒すぎるし」

 突如野ウサギの首が飛び、虚空から声がするという超常現象のオンパレードに、僕と佐紀は黙りこくってしまう。

「……誰か、いるの?」

 それでも掠れた声で佐紀はなんとか発声すると、月兎はいつもに増してテンション高く言う。

「お初にお目にかかるよ、ボクは月兎。月兎神社の神様ものさ」

「かみさま。……神様っ?」

 佐紀の声が裏返る。そりゃ神様に出会ったんだもんな。

「おい月兎さま。これは……?」

 僕は異変に気付く。

 ──周りを見渡せば月兎神社が

 もう少し正確に描写するのであれば境内の風化が急速に進み、鳥居は今にも倒れそう、社殿は瓦が剥がれ落ちてきている。石畳もどんどん土に埋もれていった。

「ボクは。数百年もの間本当の本当に暇だった。神様だって俗世とそう変わったもんじゃない。落ちこぼれってのはどこでも爪弾きさ」

 ハリのある声は段々と声量が落ちてきている。

 まるでこのままいなくなってしまうかのような。

「月兎さま、このまま消えるわけじゃないよな?」

「……ジジイから先に死ぬのは生命の定めだろう? 別に何もおかしいことなんてないじゃないか。ようやく、見つかったのさ。……終わり時ってやつが」

「終わり……時?」

 首がなくなった野ウサギが宙を舞う。

 満月が差し込んだ境内はまるで終末世界の一幕のようだ。

「この3年間はボクにとって、ボクの存在を賭すのに足る時間だった。本当さ、全部覚えてる。君が買ってくれたみたらしの味。沢山の会話」

「どうして突然、月兎さまが」

「──じゃあどうして桜井佐紀が死んでいないのだと思う?」

「あ……」

 佐紀は口を開けて嘆じた。

 宙を舞うウサギの──首筋を彼女はさする。

「これでもボクは神様だからね。神様1柱を生贄に運命を変えたのさ」

 ガララララ。

 石柵が壊れる音がする。

 月兎は死ぬのだ。佐紀の代わりに。

「……どうしてそこまで」

「もうボクは十分生きたからだよ。それだけ」

「でもまた助けてもらって。……僕はどう恩返しすれば」

 僕が項垂れると月兎は柔らかい声で言う。

「恩なんてもう全部返済済みさ。君との生活でおつりが返せる程。……桜井佐紀」

 そして一転、威厳を持った声で月兎は佐紀に呼び掛けた。

「……はい」

 隣に立つ佐紀の顔は罪悪感で歪んでいた。

 もしかしたら『自分が死ぬつもりだった』と考えているのかもしれない。

 佐紀も佐紀でどうしてそこまで。

「もう、絶対にこれ以上桜木クンに迷惑を掛けるんじゃない。君が死んだら桜木クンがどうなっていたか、しかと考えること」

「……はい」

 佐紀の顔がどんどんと曇っていく。

「そしてもう1つ。これ以上桜木クンが『かわいい』と評した顔を歪めるのはやめてくれ。ボクは決して君のために死ぬんじゃない。人は死ぬべき時に死ぬんだ。今日は死ななかった。それだけさ」

「……そうとうお人好しの神様ですね」

「ボッチ故におせっかいなのさ。……そして桜木クン。君はもっとダメだ」

「本当に、何から何まですまん」

 深く深く野ウサギに向けて頭を下げた。

 僕は佐紀が”告白”に返事すると薄々気づいていて、自分の感情を本能のままにぶちまけた。月兎は僕が殺したようなものでもあるからだ。

「謝罪を求めてるんじゃない。本当に。寧ろ君らはまだ若いから、ボクみたいなおじいちゃん如きの命で何とかなるならそれが最善さ」

 アルトボイスが静寂の山によく響く。

 遠くから何かの遠吠えが聞こえた。

「──でもボクはもういなくなる。そんな生き方はいつか身を滅ぼす。君は桜井佐紀を助けるために時間を戻したんだよね? なら、しっかり守りなよ」

「……分かった」

 おんぼろ小屋から廃屋と化した社殿を見つめ、僕は深く頷く。

「全く、前代未聞だよ。神様の存在が消えていくなんて」

 そして月兎は──首のないウサギはアハハと笑った。

 その声はどんどんかすれていって、木々の擦れる音に同化していく。

 僕は残された数秒にこれまでの感謝を全て伝えようとする。

「本当に。本当に僕は楽しかった。ありがとう。……これからは大丈夫、僕らは──僕はちゃんと佐紀を守るよ。またここに遊びに来るから」

 後悔をしていないわけがない。

 それでも月兎は「前を向け」と言ったのだ。俯いてなどいられない。

「ボクはここに眠ってなんかいないよ」

「それでも。いつでも君が帰ってこれるように。本当に感謝してる」

「ボクもさ。君がここに初めて来てくれた時──君はかなり狼狽していたけれど、僕は久しぶりの来客に狂喜乱舞したのさ。それからの3年は絶対に忘れられないね。陰キャのボクには眩しすぎる時間だった」

 もう時間だ。と月兎は呟く。そして。

「……うん、やはり最期は神様っぽく締めたいね。じゃあ

 ──神は死んだ! 

 なんてね。……意外と、心残りなんてないのさ」

 ポトリ。首のないウサギは地に落ちた。

 ガザガザと小枝と小枝がぶつかり合って音を鳴らす。

 そして残されたのは少年少女2人と”かんながらの道”の力が消え去った土地。

「月兎さま……」

 ずっと黙っていた佐紀がポツリと漏らし、崩れた社殿に向けて手を合わせた。

 この神社(だったもの)の情景はまるで世界が滅んだあとの景色。

 僕らはまた冷たい石段に2人並び座る。

「1つだけ、訊いていいか?」

「……うん」

「どうして、あの時お前は返事したんだ? ……死ぬって解ってたのに」

 僕が問うと佐紀は照れ隠しか、顔を背けてしまった。

「今になればアホだなーって思うんだけどさ。私はどーしてもに張り合いたかったんだ」

「佐紀に?」

「そう、桜木が名前で呼んでるに。たとえ私が死んだとしても私は君と──」

 そこで佐紀は言葉を切り、足を引き寄せて膝を抱える。

「……僕と?」

「──っ。もういいでしょ。でも月兎さまには悪いことしたな。申し訳ない」

「マジでそれな。本当にいい奴だったんだよ」

 少しメンヘラ気質だけど気さくな神様。

 ずっと僕のことを考えててくれて、彼がいなければ今頃僕は沈んだ生活を送っていただろう。”虹色作戦”なんて言い出したのも月兎さまだしな。

 ──でも。

 僕は立ち上がり、佐紀の前でしゃがむ。

 彼女はきょとんとした顔で僕を見つめていた。

「月兎さまはに幸せになって欲しいって言ってた。月兎さまと3年間過ごしただけじゃなくてに。……意味わかる?」

「……うん」

 その瞳は大きく見開かれ、口は一文字に結ばれていた。


「──桜井。僕の彼女になってくれ」


 僕は佐紀に向かって掌を伸ばす。

 彼女はそれを取るかどうか迷っているようだった。月兎が死ぬことによって得た自分の幸せを受け入れていいのか図っていた。

 しかし僕は答えを出すことを急かそうとはしない。じっと掌を佐紀の正面に留め、まっすぐと彼女の瞳を見据える。 

 そうして何時間か、もしくは数十分か、数分か数瞬か。幾らか時間が経った後、彼女は僕の手に小さな掌を重ねた。


「──君が……どーしてもって言うなら」


 【BETTER END】

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