制裁:僕はもう君と付き合えない

花井たま

i月:イマジナリーベストエンド

 『人生をもう一度やり直せたら』

 その感情が理解できないくらい、僕の人生は後悔とかけ離れていた。

 どれだけテストの成績が悪くたって、どれだけ勝ちたい試合に負けたって、同期の就職が先に決まったって、出世レースに出遅れたって、十分な老後の貯金がなくたって、老いぼれてハンサムとはかけ離れたジジイになったって、満足に固いものを食べられなくなったって、愛する彼女がそこにいた。それだけで良かった。他に何もいらない。

 最良の人生だった。

 

 【BEST END】

 *********************




 ──桜井佐紀さくらいさきは死んだ……らしい。

 何度電話を掛けても繋がらなければ、30通に渉るチャットにも既読が付かない。

 しかしながらニュースは無機質に『死亡:桜井佐紀』と画面に映し出して、悲惨な事故現場の様子を緊迫感と共に中継している。

 現場記者は夢のような文言を慣れた風に実況するが、事実今日はエイプリルフールなどではなく普通の日で、個人的に言えば僕と佐紀の大事なデートの日だった。

 『大事ではないデートがあるのか』と言われれば弱ってしまうが、それでも今日はいつもに増して特別なデートになった。

 それはつい2時間ほど前、誰も通らない交差点の真ん中で、僕らは中学で付き合ってから3年目にして、初めてのキスをしたからだ。

 口付けの柔らかい感触はまだ残っている。

 ──そしてその帰り佐紀は死んだ。

「いや、収支が合ってねーだろ」

 口角を釣り上げ苦い顔で笑う。

 どんな過激派でも高校生のキスに死刑なんて言わんわ。

 そんな悠長なことを考えていられるのも、実はニュースの方が間違っていて、明日になればまた佐紀に会える気がしていたから。

 僕は明日、学校で佐紀の顔を見たら泣いてしまって、佐紀は突然の号泣にドン引きながら一応慰めてくれる。そんないつも通りの日々が流れてくると信じていた。

 ──もしくは夢でもいい。

 気が付いたら朝陽が差し込み、朝ごはんを食べ、顔を洗って歯を磨き、制服に着替えたら軽く髪を整え出発。そして僕らが落ち合う通学路でこう話すのだ。

「昨日怖い夢見てさ。佐紀が死んじゃうっていう」

 口の中が乾ききって、そのセリフはかすれていた。

 いや、そうだって。そうに違いない。夢だよ、きっと。

 再び淡々と情報を吐く、スタジオキャスターの声が届く。

 ──夜八時頃。●〇市■町の交差点で、中学3年生の桜井佐紀さんが、赤信号を無視したトラックに撥ねられて死亡しました。このトラックの運転手──。

 ブチッ! 僕はテレビのコンセントを引き抜いた。

「う、ゔぅぅぅ……」

 無機質な”死亡”という情報は僕に避けたかった現実を叩き込む。

 桜井佐紀は死んだんだ。

 トラックに撥ねられて死んだんだ。

 赤信号に突っ込んだドライバーに。

 ──桜井佐紀は殺された!

 のらりくらりと躱していたその鋭い刃を、真正面から受けて僕は逃げ場を失う。

「うわああああああ!」

 彼女と出かけた洋服のまま、ちょっと小洒落たカーディガンのまま外へ飛び出す。引っかけるように履いた庭用スリッパがパタパタと鳴る。

 居ても立っても居られなかったのだ。ここにいたら殺される。ニュースキャスターの無機質な声に、返ってこないチャットの履歴に、数々の状況証拠に僕は殺される!

 どこへ僕は向かうのか。僕はそれを知らなかった。

 とにかく現実から逃げたかった。佐紀の死と結びつく全ての因子を排除した世界に行きたかった。

 僕の足はぐんぐんと住宅街から離れていく。

「くそぉぉぉぉお! おうあぁぁああああぁ!」

 何も考えたくないから思いっきり足を回して、耳に入る全ての雑音を自分の呼吸と叫び声で塗りつぶす。

 ブレーキの壊れた感情が心臓を飛び出して僕を前へ引っ張る。

 走れ、走れ、走れ、どこかへ、走れ!




「うぅぅぇええ。……はあ、はあ。まーじで何やってんだ僕」

 精魂尽き果てて倒れ込んだのは、森に囲まれた知らない神社の境内。

 仰向けになった夜空には満月が輝き、眩しそうにそれを見上げていた今日の佐紀を思い出して気が滅入る。

 ……本当に佐紀はいなくなったんだ。

 冷たい石畳が背中と頭を冷やして僕はもう一度その事実を受け止める。

「理不尽すぎんか、ちょっと。……神様?」

 流石にあんまりだよ。何か僕たち悪いことしました?

 3年間、清く正しい交際をしてきたと自負しております。

 キスしたのが悪かったの? それだけでこの仕打ちっすか?

 思い出が次々に湧いてきて頭に血が上る。

「……チッ。答えろよ! 神様ならさあ!」

 運が悪かったなんて言わせねーぞ! たったそれだけで佐紀が死んでたまるか!

 ガラガラガラ! 鈴緒を乱暴に振って鳴らす。

「月兎神社……げっと神社? おい、なんか言ってみろよ!」

 ガラガラガラガラ。

「神様の癖に返事すらできないんですかー! ばーかばーか!」

 ガラガラガラガラガラガラガラ。

「クソ、クソ、クソッ!」

 どんどん知能を失っていく。

「マジで、答えなかったらお前あれだからな! マジであれだから!」

 聞いたことない神様を罵倒して、煽って、ひたすら絶叫する。

「なんだよげっと神社って。寂れてるし、傾いてるし!」

 ポケットに入っていた小銭を全部賽銭箱に投げつける。

 激しい金属音と共にはした金と怒気が吸い込まれていって、僕は手を合わせた。

 場に静寂が戻る。目を閉じ、乾ききった喉を震わせる。

「……そんで、僕は、これから、どうすればいいんですか。……ホントに、教えて」

 藁にも縋る思いで祈った。初めて本気で祈ったかもしれない。

 そうして幾らか時間が経った後、奇跡は起きた。

 


「──最初っから。そう言えばよかったのさ」


 

 うんと若い男の子の声が、崩れかけた小さな社殿の中から聞こえたのだ。

「……えっと?」

 頬が驚きでヒクついた。

 目を開けたって人の気配はない。閉じられた社殿の奥から音がするのみだ。

 本気でお願いしていたのは確かだけど、こんなにはっきりとした答えを貰えるとは思わなかった。

「なんだい君は。ボクが10年の眠りを満喫してる中踏み込んできて!」

「はあ」

「何をしでかすと思えばボクへの罵詈雑言に騒音行為! シカトを決め込もうかと思ったよ」

 姿は見えないが、甲高い声でずいぶんとご立腹なのは雰囲気から分かる。 

 まあ確かに。そりゃ僕だって怒るわ。

「いや……。ごめんなさい」

「で、この月兎げつと神社に何か用かい? 神社に」

「僕、なんて呼んでましたっけ?」

 ……ちゃんと読めてたことない?

「なーにがゲット神社だ。……ホケモンGOのやりすぎじゃないかい?」

「あっ、ホケGOご存じなんすね」

 10年眠ってた割によく知ってんな。

「他の神社が大盛況だってことは知ってるよ!」

「……ここ人来なさそうっすもんね」

「いい度胸だ。茶化すだけなら帰りたまえ」

「そんなわけじゃなくて……ええと」

 なんでここにたどり着いたのだろう。

 神様なら、話くらい聞いてくれるだろうか。

「なんだい。言いたいことがあるなら言ってみな」

「……僕は」

「知っているさ。本当に久しぶりの参拝客だしね。力になってやらんこともないよ」

 どうすればいいのか聞きたい。その言葉を遮るように神様は言う。

「え?」



「要は、桜井佐紀を生き返らせれば満足するのだろう?」



 生き返る? ……佐紀が?

 都合のいい話過ぎないか。

「本当……ですか?」

「ああ、本当だとも。正確には”過去に戻す”というところだけれど」

 「こんなこと特例中の特例だよ」だとか、「別に久しぶりの来訪者に舞い上がってるとかじゃないから、勘違いしないように」だとか、「下々に能力ちからを見せる時が一番快感」だとか、そんな神様のハイテンションなど聞こえていなかった。

 そう、些事などどうでもよかった。もう二度と佐紀に会えないという絶望から、一縷の希望の光を見られただけで既に満足だった。

「細かいことはなんでもいいんで! やっちゃってください! 神様っ!」

 調子よく神様を担ぎ上げる。

 これから月兎げつと神社を氏神様にしよう。古ぼけた鳥居もペンキで塗ってあげよう。

 僕らを救う神様はいたんだ!

「──なんか君、ボクを過大評価し過ぎじゃない?」

 唐突に調子を上げた僕を鼻で笑うように神様は言う。

「いや信じる者は救われるんだなって」

「他宗教の格言は他で言ってよ。本当にボクがへそを曲げたって知らないよ」

 これ神道じゃなかったっけ?

「とにかく、そんなウマい話が転がってるわけがないだろう。なんたって事の発端は桜井佐紀のミスじゃないか」

「……佐紀のミスだって?」

 語気を強めて言葉を咎めようとするが、神様は意に介さず続ける。

「ああそうだ。運に見放されたのも突き詰めればミスだ。君たちは損失から始まっているんだ。祈っただけで一発逆転なんてあり得るわけがない」

「……なんかあるんすか?」

「当然慶事オンリーなわけがないさ。君がやろうとしてることはズルなんだから。チート、グリッチ、ケツワープさ。ならばなにかしらバランスを取って君に制裁を与えなくちゃいけない。わかるだろう?」

 声質は少年のアルトボイスだが、”制裁”という単語が凄みを帯びて境内に響く。

 確かに僕は神様と話しているんだ。という実感を得た。

「バランス、ですか」

「……正確にはボクがメリットのみの能力ちからを使えないってだけなんだけどね」

 神様は自嘲して投げやりに説明する。

「はあ」

 キリストは病気を無条件で治していたとか聞くし、意外とこの神様も神様の中では大したことないのかもしれない。

 絶対口には出さないけど。拗ねられたら困るし。

「ボクが君に”制裁”を告げた時点で君に拒否権はなくなる。後出しじゃんけんみたくデメリットを見てから「やっぱやめた」なんて、神様を舐めたマネは通用しないよ」

 つまり僕が過去に戻ると決めてしまえば、どんな”制裁”が待ち受けていてもその決断を変えることはできないということか。けれど。

「まあ、過去でも地獄でもどこでも行きますよ」

 既に心には余裕があった。

 だってさっきまで首を紐で括らなければ、佐紀に会う手立てがなかったのだから。

「うん。そうだよ。だから……僕は行くよ」

 次は自分に言い聞かせて決意を固める。

「おっけー。君の意志は尊重するよ。……でも君はもう十分豊かな青春を送ったと思わないかい? 小学校からの幼馴染とそのまま中学3年間交際して、高校に入ってファーストキス。絵にかいたような清い交際さ。君も桜井佐紀もよっぽどお互いを信頼していたんだろうね。だがボクだって伊達に長く生きちゃいないよ。君のようなタイプの成功例をいくつも知っている。青年期に清い交際をした男は、大体しっかりとしたお嫁さんを貰うんだ。清廉潔白な新しいパートナーを。ボクはという道もあると言っている。だからどうしても戻る必要があるとは思えない。本当さ。もし君が過去に戻ったら、今より深い悲しみを背負うことになるかもしれない。君を待ち受けるのは人を生き返らせるに足る”制裁”さ。当然あり得る」

 神様は長々と僕を諭す。本当にリスクを考えてるの? と。

 ……考えてるわけねーよ。

 そう、しかし今の僕にはどうでもいいことだった。

「それでもいいっすわ。だって、このままじゃもう佐紀と会えないんでしょ?」

 まあね。と神様は言った。

「ボクは助言しただけさ。向こう見ずな若さも悪くない。……まあ、精々頑張ってくれたまえよ」

 迷いなく僕は頷く。

 ──望むところだ。

 そして、



「──望みの通り君は直ちに過去へ飛ぶ。


 制裁:君はもう桜井佐紀と付き合えない」


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