2月:to 『遺書前夜』

 またある日。

 如月の上旬、僕らは高校受験のための願書を提出しに行った。

 仲が良かった(少なくとも僕はそう思っている)”応援団”の面々は結局全員がバラバラな進路を目指す。

 一番優秀なのはなんと誠。彼は県内屈指の進学校を志望するそうだ。

 本当に彼はすごい。200人弱の学年で3桁を取っていた男が、直近のテストでは10番以内に入っていた。

 そしてありさは私立の女子高へ。

 よく意味は解らなかったが”てっぺん”を獲りに行くらしい。

 頑張って欲しい。

 僕はやはり佐紀と違う高校を選んだ。

 というか”前史”と比べて圧倒的に勉強していない今の僕は、佐紀と同じ高校へついていくという選択肢を持てないのだ。

「……もう1か月で全部終わりさ」

 午後4時半を回ればもう薄暗い夕空となり、日中にもまして温度が低い寒気が僕の身体を──心を凍えさせる。

 ……四六時中佐紀のことが頭から離れない。

 1年、2年の時も佐紀を隔離した生活を送っていたというのに、あの時よりも世界が灰色に見えて仕方がない。

 知らない間に”桜井佐紀”という麻薬が身体に染みついてしまっていたのだ。

 どうして僕が君を愛することができないのか。なぜ僕が君を避けなければならないのか。一体僕はこれからどう生きていけばいいのか。

 頭の中をずっとそれらの疑問がぐるぐると回る。

 僕の得意技はいつだって『にげる』なのだけれど、気分転換にランニングを始めてみても、嫌な勉強に打ち込んでみても、カラオケで5時間以上歌ってみてもつる植物が足に巻き付いて一時もそれを忘れられない。

 ”お前らどうして命も賭けずに付き合っているんだ”という思考から、街中を行くカップルが総じて憎くなり──それが発展し『青春』そのものが色褪せて見える。

「ダメだ。……これじゃだめだ」

 自分の性根が腐っていくのがわかる。

 佐紀がいないのならもうこの世界などどうでもいいと、多分僕はこれからテロリストにでも就職できそうだ。

 指先でスマホを弄り、メッセージを打ち込んでは消す。

 僕はもう全てを佐紀に打ち明けてしまおうと考えていた。

 僕が未来から飛んできたこと、妙な”制裁”が掛けられていること……その他──僕が佐紀に想いを伝えられない理由の全部を。

 伝えたところで彼女は何と言うだろうか。まあ十中八九信じないだろうな。

 涼宮ハルヒに「お前は神だぞ」と言っても絶対に信じないように。

 くだらないギャグだと馬鹿にするだろうか。もしくは──。

 とにかく。僕はそれを告げた彼女に笑われてもよくて、なんなら嫌われてもよくて、それでも1人で救われたかったのだ。言い訳をしたかったのだ。

 『別に君のことを好んで避けているわけじゃないんだ。これには深い理由がある』と佐紀にいち早く伝えなければ、僕の心に溜め込まれているナニか黒いものに僕が壊されてしまいそうだった。

 僕は肺を突き刺す透明な空気を1つ吸い込むと、思い切って送信ボタンを押す。


 『少し話がある

  ここに来て欲しい』


 そして月兎神社の場所をスクリーンショットして送る。

 地図アプリには載ってないからね。かわいそうな神社だ。

 ともかく、僕は返信を確認せずに月兎神社へ一足先に向かう。

 裾や袖から冷気が入り込み、澄んだ空には満月が燦然と輝いていた。



 **********



 初めてここに来た時──佐紀が死んだ時、まるでこの月兎神社が家の目と鼻の先にあるように感じたことを思い出した。

 声にならない叫びを上げて一気に駆け上がった山道も、運動をパタリとやめた受験生擬きな現在の僕からすれば歩いても心臓破りの坂だ。

 そんな山の頂上……ではなく中腹に月兎神社はある。

 せめて頂上であれば信仰心も集められるし、何より目立つと思うのだが、この神社は山道からも離れ雑木に埋もれている。

 しかしその面構えは月兎がここを留守にしていた数か月前と比べて明らかに生気を取り戻しており、月兎はここにいるのだと僕は直感的に理解できる。

「……本当にさ。マジでみっともないわ」

 僕はおんぼろな鳥居をくぐり社殿へ歩み寄る。

 そして鞄から取り出した貯金箱を開け中身をそのまま賽銭箱へ投入する。

 中身は何千円だっけか。いや、もう入れてしまえば関係ない。

「やっぱり僕はまだ若かったよ。月兎さまの忠告はちゃんと聞くべきだった」

 有名な神社のそれとはかけ離れた、閉じられている薄い扉に向かって僕は語りかける。その奥にいるここの世帯主に向かって語りかける。

「ごめん」

 僕は直角に頭を下げた。

 神様にお祈りをしているのではない。友に2度目の謝罪をしているのだ。 

「3年間も時間を戻してもらって、もうこれ以上助けてなんて言わないけれど、月兎さまには見ていて欲しい。……僕が──僕と佐紀がどうなっていくのかを」

 この3年間がどう終わっていくのかを、またはどう続いていくのかを月兎に見せつけてやりたいのだ。

 あと10分20分もすれば佐紀は来るだろう。もしくは来ないかもしれない。

 スマホの着信は見なかった。

 彼女が来ようが来なかろうがここでずっと待つつもりでいた。

 月兎はその間、やはり何も言わなかった。


 5分くらい経っただろうか。

「……桜木?」

 例え雑踏の中でも聞き分けることができるであろう、僕が愛してやまない桜井佐紀の声がした。

 雷におびえる子供のように──本当に雷に打たれた気分で、僕は反射的に音の鳴る方へ向き直る。

「早かった……な」

 かろうじて口に出せたその言葉を最後に僕は呆けた顔になる。

 佐紀はいつもの眼鏡ではなく、コンタクトレンズをつけていた。

 それに久しぶりに見た彼女の私服は、前よりうんと垢抜けて見え僕は息を呑む。

 チャームポイントのおさげ髪も今日は下してカジュアルに。

 ──そう、佐紀はきっと気合を入れてきている。

「よかった。桜木だったわ。で、ここどこ?」

 いつも通りつんけんした口調は変わらないが、浮ついた雰囲気を纏って佐紀は落ち着きがない。……落ち着きがないのは僕もだけど。

 こんな人目につかない場所で改まり”話がある”なんて言われたら、普通の人間は告白を、普通じゃない人間はレイプか殺人を──ともかく非日常を想像するだろう。

「ん。急に呼び出してごめん。……月兎神社ってところ」

「うわ、君本当にしんこー心あるんだ」

 もう既に夕景は夜空に覆われ、満月が木々の間から差し込む。

 まともな街灯などあるわけもなく、月光のみがスポットライトのように僕らを照らす。

「……まあな。ちょっと神道に知り合いがいてさ」

「へー」

 知り合いというか神様だけど。

 すると唐突に佐紀が「ジャージャン!」とクイズのSEを口で流した。

「問題:今の天皇は何代目でしょーか?」

「どういう脈絡だよ。……知るわけないだろ」

「正解は126代目でした」

「そこ受験にでるの?」

「出るわけないでしょ」

「じゃあなんで知ってるんだよ」

「んー。勘?」

「嘘だろ?」

 僕はスマホを取り出して調べた。

 ──当たってる。

「やっぱ私天才だわ」

 僕のスマホを覗き込んでいた佐紀のドヤ顔がブルーライトで照らし出されて、少しイラっとする。なぜ全く勉強しないのに物覚えがいいのか。

「どして急にクイズ?」

「いや、思いついたからだけど」

 いつも斜に構えてクールぶっている佐紀が妙にテンション高いのは中々珍しい。

 久しぶりの掛け合いの後にやってくるのは心臓が縮まる嬉しい痛み。

 会話の切れ目は本物の沈黙。

 真冬の森には小枝が風邪でぶつかり合う音のみが耳に届く。

「……今日、コンタクトなのな」

「いつも伊達なの知らなかった? 今日は裸眼。たまたまメガネ忘れてさー」

「どんな嘘の吐き方だ」

 僕が突っ込むと佐紀は焦った時に出る癖──おさげの片方を弄ろうとするが、髪を下しているので当然空を切る。……これ前も見たな。

「──別に……気合入れて来たとかじゃ、ないから」

 そう言って佐紀は上目遣いで僕を見る。

 いつも強気な彼女が時たまに見せるしおらしい表情と、僕よりも20センチ程低い背丈は僕の庇護欲をそそり、彼女の願いを叶えてしまいたくなる。

「そうかい。……今日はさ、大事な話があるんだ」

「……っ」

 佐紀の吐息が白く変わり空へと昇っていく。

 不安と期待が入り混じった伺うような視線がしっかりと僕の瞳に吸い付く。

 ……まいったな。

 僕は決してをしようとしているわけではないのに。

「僕は桜井のことよくわからないけど、多分桜井が期待してるような話じゃない」

「私が何を期待してるって?」

 やっぱり佐紀の言葉と行動はいつも裏返しで、語気を強めても猫が怯えるように体が気持ち縮んで見えた。

「──お前はもう一回死んでいる……って言ったら信じるか?」

「NANI?」

「いやそういうネタじゃなくてさ」

 張り詰めていた空気が一気に霧消した。

 なんでか佐紀とは真面目な空間が続かない。

「ネタじゃないわけないでしょ。なんで私が死ななきゃいけないの」

「だから大事な話があるって言ったじゃん。ちゃんと聞いてくれ」

「……っ! 君ねえー。少女マンガ読んだことある?」

 ガスッ。

 僕が着ていた厚手のジャンバーに佐紀の拳が突き刺さる。

「うっ……。ないですけど」

「今日この服新品。で、コンタクト。髪も少しアレンジしてきたの。分かる?」

「……ヒールのある靴だしな」

 僕がそう言うと険しげに見えた佐紀の顔が若干緩んだ。

「チッ……。なんでそーゆー時に気づくの?」

「怒ってる割には楽しそうだな」

「別に怒ってないし楽しんでもないわっ」

 ガスッ。……拳は全然痛くないけれど、心がしんどい。

 本当にどうしてこんなにも心が通じ合う子と、付き合うことができないのか。

「……ってか桜木の顔逆光で全然見えんわ」

「見る必要ないだろ別に」

 僕は顔を横にそむけた。

「私だけ見られてるのいやなのー」

「駄々っ子かよ。……ほら、これで満足か?」

 僕は屈んで身長差をなくす。

 いつもより近い距離に佐紀の顔があり、きっと家でシャワーを浴びてきたのだろう──シャンプーの香りがダイレクトに鼻腔をくすぐった。

「ちょーっと身長が高いだけで偉そうに。子ども扱いしてー」

 ぷんすこぷんすこ佐紀は僕に軽いデコピンをする。

「ちなみにな。お前

 もう一度僕が膝を伸ばして立てば目を合わせている佐紀の、首の角度がどんどんと上がっていく。そして佐紀は半信半疑……+くらいの顔をした。

「……いつまでその設定続けるん?」

「設定じゃないって。僕、未来から来たんだわ」

 自分でも馬鹿げていると思うが、事実らしいのだから仕方がない。

「クラスを助けるために?」 

「それは”応援コンクール”な。僕は──桜井を助けるために」

 あの時佐紀に脅迫されてとっさにアイデアを出したんだっけ。

「君が私のヒーロー?」

「いや、それだけは断じてない」

「ふーん。なんか怪しいね。いや、そりゃ怪しいか。というかおかしいよ」

 僕だって誠とかが急に「未来から来た」なんて言おうものなら、まず最初に精神疾患を疑う。

「まあ。……おかしいよなあ」

 山道から虎が出てきたとしてもそいつが元人間であるわけないし、唐突に体が毒虫になり腐ったチーズを好んで食べるようにはならないのだ。

「君がそれ認めてどうすんの。……話くらいは、聞いてあげるよ。”貸し1”で」

「随分安いね」

「今日だけの大特価。こんなクソ寒い山に呼び出されて何もせず帰るのは癪だー」

 ベージュのボアフリースに身を包んだ佐紀は身を震わせて言う。

「ありがと。ちな、どれくらい信じてる?」

「桜木が未来人って? ……うーん。実はさ、10%くらい」

「結構高いね」

 交通事故に巻き込まれる確率よりも全然高い。

「いやー。桜木がこんなしょーもない嘘つくかっていうのと。あとさ、1年生の時──入学式かな? 君だけなぜか”オトナ”に見えたんだ」

 露骨に目逸らされたけどね。と佐紀は僕を睨む。

 あの頃も露骨に佐紀を避けてたからな。特に入学して数か月は。

「今は”オトナ”じゃねーのかよ」

 僕が訊くと佐紀は鼻で笑った。

「ホントに、マジで片鱗も見えないの、今。だからあの時目の錯覚かなーって思ったんだけど。未来からきてるならー。……まあつじつまは合うよね」

「マジマジ。高1から、中1まで飛んだんだよ」

 嘘だったら本当に怒るからね、と言って彼女は社殿の石階段に腰掛け、すぐに立ち上がる。どうやら彼女のジーンズを貫通した凍みが想像以上だったらしい。

 僕はすかさず来ていたジャンバーを脱いで石階段に敷く。

「……今日は随分カッコつけるじゃん。寒くないの?」

「うるせぇ。別に、お前が寒そうにしてるの見るほうが寒いし」

 寒くないと言ったら嘘になるけどな。

 僕がドヤ顔を決めると、しかし佐紀はその滑稽さを嗤うこともなく頬を染める。

「う……。あ、りがと。……桜木も隣座る?」

「……おう」

 ジャンバーはそう大きくない。

 佐紀のフリースと僕のトレーナーが触れ合うくらいの距離で座れば、僕はインナーとトレーナーだけだというのに一転して寒くない、寧ろ汗まで出てくる程。

「ねね、そのー。そっちの私ってどんな子だったの?」

 足をぴったりと閉じ、小さな手はポケットの中、彼女は一度眼鏡を上げる仕草をした。眼鏡ないのに。

 ガスッ。わき腹にパンチが入る。

「痛っ。……なんだかんだ言って信じとる?」

「そうじゃなくてー。面白いじゃん、そーいう話」

「……そうだなー」

 僕は3年も昔のことを思い返す。

「……僕らは付き合ってたんだよ。中1から……桜井が死ぬまで」

「自分が死んだ前提で話されるの──」

「まあ黙って聞け」

 さっきからちっとも話が進まん。

「ヤダね。手とか繋いだの? じゃあ」

「……ああ、何回も」

「ハグは?」

「イベントごとに」

「キスは」

「一回だけ。その日には死んだんだ」

 矢継ぎ早に佐紀は問いかけてきたが、僕がそこまで答えると彼女は目を大きく開けて僕を見た。驚愕の表情だ。

「……だから。……」

「え?」

 佐紀がどこにひっかかり驚いているか分からない。

「いや、私は桜木が未来から来てるなんて全然信じてないよ? ないけど、桜木ってたまに私のこと名前で呼ぶじゃん? 間違えたーとか言ってさ」

「それが?」

のこと、って呼んでたんでしょ?」

 暗くてよく佐紀の顔を伺うことができなかったが、どこか拗ねたような雰囲気を僕は感じた。

「……うん。それで何回も間違えた」

 そんなこともあった。

 佐紀から目線を外してぼんやりと前を向く。

 一面木、木、木で目だったオブジェクトは鳥居だけ。

 ここに何百年も住む月兎は相当な忍耐の持ち主だ。

「……私はちょっと信じかけてる。実は」

「そんな簡単に鵜呑みにしたら詐欺師につかまるよ」

「いいギターの音が鳴る壺売られたら買うかも」

「お金に困ったら売りに行くよ」

「そんなことはいいからキスした日のことを教えてよ」

「確かに」

 なんで壺の話になってるんだ?

「……佐紀が死んだのは別に超能力バトルに巻き込まれたとか、ヤクザの抗争の犠牲になったとかじゃない。単純にトラックに轢かれて死んだんだ」

「あっけないね」

「本当に。今でも後悔してるんだ。僕に何かできなかったのかって」

「それで……。どうやってタイムワープしたん?」

「あの時、僕は気が狂っていた。マジのマジな発狂。よくわからないまま気が付いたらここにいたんだ」

「ゲット神社?」

 ──びゅううう。

 佐紀がゲット神社と言った瞬間草を薙ぐような突風が僕らを叩きつけた。

 月兎に風を起こす能力ちからはないはずなのに、どういう偶然か。

「ここの神様、月兎げつと神社って呼称にこだわってるから、気を付けて」

「……寒」

 運のない失言によって吹き荒れた雪風で佐紀は自分の身体をきゅっと抱く。

「おい月兎、佐紀が寒がってんぞ。なんとかしろ」

 僕は2月と言えば妥当な寒風の責任をここの所有者に求める。

 『ボクにそんな能力ちからがあると思っているのかい? 桜木クンは少し神様のことを過大評価し過ぎだよ』……そんな声が聞こえてきそうだが。

「誰? げつとって?」

 突如虚空に語りかけた僕へ訝しげに問う。

「……僕の恩人。……神様」

「ぷっ、神様? 桜木、神様と知り合いなの?」

「知り合いどころか。ここ3年間ずっと同居してた」

 嗤うなら嗤うがいい。僕は開き直って笑みを返す。

「私に隠してそんなペット飼ってたの?」

「別に隠してないしペットじゃないが」

「でも。その神様が色々してくれたんだ」

 佐紀は首を後ろに回して社殿をまじまじとみつめる。

 そこにどういう感情があるのか僕には図れなかった。

「そうそう。もう一回、やり直すチャンスをくれたんだ」

「それで未来から飛んできたの」

「信じてもらえないだろうけどな」

 佐紀と会話を交わす傍ら、僕はもう1つの”大切なコト”を伝えあぐねていた。

 ──つまり”制裁”について。

 寧ろそれを言うためにここに彼女を呼んだのだけれど、どう話を切り出せばいいのかさっぱり見当もつかない。

「んー。むつかしいけど。逆にふにおちたーというか」

 凍える手を一度上に伸ばして佐紀は立ち上がる。

 立ったり座ったり落ち着きがないな。

 しかしながら、佐紀は僕が未来から来たということに肯定的な見解を持っていて、思ったより話がすんなりと進む。

 話題の脱線はいつものことだけれど。

「腑に落ちた?」

「例えば、私の好きな食べ物。何だと思う?」

「生クリーム、とか」

 少なくとも”前史”の佐紀はそうだった。

 僕が答えると、佐紀はくるりと無駄に1回転してこちらを向く。

「アハ、正解。やっぱり君は私のこと全部知ってるんだ。って腑に落ちたの」

「……まあな。今まで言えなくてごめん」

「こんな日でもなきゃ私だって信じないよ。じゃあさ。次の問題」

「おう」

 佐紀の姿が月光に照らされる。神社を覆う木々がざあざあと揺れて、ストライプの影を地面に落とした。


「──私の好きな人。だれでしょーか」


 かじかむ指先を後ろで組み佐紀は言った。

 神社の境内にポツリと佇む1人の女の子という構図は神聖さを醸す。

「……それ。知ってる」

「やっぱり君は全部知ってる」

「うん。……でも」

 本当は今すぐにでも抱きしめてやりたかった。

 3年間の空白を埋めるよう情熱的に求め合いたかった。

「でも?」


「──僕は桜井と、付き合えないことになってる」


 言葉にした瞬間、その事実が重くのしかかり視界がぼやける。

 声は震えて悔恨の涙が湧いてくる。

「……」

 佐紀もまた硬直した顔で二の句を待つ。

「あー、どう言おうかあ。……タイムワープの条件がそんな感じで~」

 沈む気持ちを抑えようと、明るいトーンを僕は発した。

「……別に君のことを好きとは言ってないけどさ。どうして付き合えないの? 好きーって言うくらい自由じゃないの? 君のことを好きとは言ってないけど」 

「うん、自由さ。でももし僕とお前が付き合ったら、桜井……死ぬんだって」

「死ぬの? 私?」

 僕は佐紀から目を逸らして頷いた。

 佐紀との間にできた沈黙が、苦しいものになったのは初めてのことであった。

 彼女はとぼとぼと僕の前にやってきた。

 様々な感情──突然ぶち当たった理不尽の壁だったり、もしくは目の前に現れた死のイメージなどが彼女の顔に浮かんでいた。

 僕はやはりこの事実を伝えるべきではなかったのかもしれない。

 けれど彼女は言う。


「……そっか。ありがとうね、桜木」


 そしてほほ笑みを作ったのだ。

 明瞭に見えた佐紀の表情は全てを慈しむ女神のような優しさで。

「3年間さ、多分ずっと大変だったと思う。私は時間をループしたことないから分からんけど、そりゃ誰にも言えないよ。信じてもらえないし」

 彼女は精一杯背伸びして僕の頭を撫でる。

 僕に伸し掛かった無理難題を払い落とすように。

 ──涙が、溢れて止まらない。

「……本当に、辛かったんだ。お前無茶苦茶、かわいいからさ。どれだけ避けようとしても目が勝手に佐紀を見つけて。だから、1つお願いがあるんだけどさ」

「か、かかかかわいいって」

 急にスピーカーが壊れた佐紀を置いて僕は告げる。

「……これから高校、別の所行くだろ? ……もう、僕のことは忘れてくれ」

 そうさ。何を迷うことがあるだろうか。

 僕1人で抱えていた秘密は今、佐紀と半分こにできた。

 成人式にでもなれば僕らはもう、これを笑い話にできるのかもしれない。

 佐紀は佐紀の道を行く。僕は僕の道を行く。

 そのようにして僕は自分を無理やり納得させる。

 けれど。

 

「──無理。嫌だ。私は桜木のことすきだから」


 佐紀は俯きながら運命に逆らう。

「はあ?」

「それで、君は絶対イエスって言わなきゃダメ」

「……え?」

 お前は死にたいのか?

「だって私は桜井佐紀じゃないもん」

 佐紀は女神の表情を一転させて憤怒を表現する。

「……ちょっとムカついてる。君はまだ誰とも付き合ったことないと思ってたのに。どこの馬の骨とも知らない女とファーストキス? ファーストハグ? ファースト……手つなぎも済んでるとか。……なんかヤダ」

「そんなこと……ってか桜井は佐紀だから同じ人だろ」

 どうしようもないじゃないか。

 ──ガスッ。

 ヘッドバッドが僕の胸に当たった。

「うるさい。だって私知らないし。君だけ3年間もたくさん思い出持ってて、私はのせいで君と付き合えないんよ? そんなの嫌だ」

 佐紀は僕の背中に手を回して、がん、がんと頭を胸に打ち付ける。

「その桜井佐紀って誰? 少なくとも私じゃないよっ。

 いつだって受け身だった佐紀が「好き」というセリフを望んでいる。

 僕はその願望を叶えてやりたかった。

「……でも、そしたらお前は死ぬんだ」

 桜の樹の陰から野ウサギが顔を出しているのを、佐紀の肩越しに見つけた。

 佐紀はぱっと僕の胸から離れるとにっこり笑った。 

「死なんよ。死なないよー。絶対私は死なないから」

「どこからそんな自信湧いてくるんだよ」

「だって私は君の心の中で永遠に生き続けるのだから」

「重いわ」

 僕は佐紀の頭にチョップした。

「……DV」

「お前が言うか」

 それは言えてる。と佐紀は言うと、何か思いついたように肩がピクッと跳ねた。

「……あ、yesよね?」

「そうだな」

「じゃあさ。一回私に告白してみてよ、試しにさ。それで今日は許してあげる」

「本当に返事をしないよな?」

「あだぼーよ」

 ──大義名分を得た。

 僕はただ、そう思った。

 やっとこの3年間ずっと言えなかった言葉を伝えられる。

 それが佐紀の狡猾な罠だということに薄々気づいていて、僕は自分の衝動を止められなかったのだ。

 そうして僕は荒い息を整えて、心の奥の奥から言葉を引っ張り出す。


「……好きだ。桜井。本当に大好きだ」


 ──言ってしまった。

 えへへー。

 佐紀はそうはにかんで。


「──私も」

 

 ──ジョキンッ!

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