9月:希求干渉ユートピア

**********



 やっぱりこの”歴史”の桜井佐紀は僕にとって友達でしかなかった。

 ──そして川根誠にとっては長年の恋人。

 高校こそはバラバラに別れた僕たち”応援団”組は、なんの偶然からか全員が同じ大学に進学した。

 有名でもなんでもない、地元の大学だ。

 誠とはしょっちゅう会っていて、緩やかな変化には気づかなかったけれど、久しぶりに会った佐紀と谷口は見違えるほど変貌していた。


 まずこの”歴史”の佐紀は眼鏡をかけている。”前史”では高校入学を転機にコンタクトレンズに乗り換えていたから、再会時には少し驚いた。

 彼女は高校で誠のサッカー部のマネージャーをやっていたらしい。

 誠曰く、「見ようによってはよく働いてたとも言える」と。

 相変わらずサボってたんだろうな。

 ……それにしても中学の頃は『絶対すぐ別れる』と確信していたのだけれど、時間は彼らを親密にさせたらしい──ペアルックにまでしちゃって。

 お試しで付き合っても長く続く。

 ……そういう恋愛もあるってことだ。


 そして谷口に至っては顔を合わせた時に気づけなかった。

 彼女のホワイトブリーチがかけられたロングヘアは、一本一本が神聖な絹糸のようで僕は目を瞬かせた。

 『クラスルーム』だったり、『校則』だったりする彼女を縛り付けるモノがなくなり、開放的に振舞えるようになった結果だろう。僕は嬉しく思う。

 まあ、彼女が「苦沙弥君。を2人分用意しろ」などと酩酊して、僕のワンルームに押し掛けてきたときは、本当の本当に勘弁して欲しかったけれど。


 僕は休日、小学生相手にサッカーチームのコーチをしている。

 昔お世話になったチームだ。在籍していたのはもう8年も前になる。

 タイムワープも含めれば体感で10年以上前か。

 初めはおっかなびっくりやっていたけれど、最近は木曜日あたりから思考がサッカーボールで埋め尽くされる。

 応援してる子たちが試合で負けるのは、自分がプレイする時より悔しい。

 だから小さい選手達の意思を尊重して、どうやって楽しんで勝てるかを考える。

 ……必死さ。お金は出ないけれど、楽しいから良しとしよう。

 




 彼らと再会してみて分かったことがある。

 僕の好きな桜井佐紀は確かに死んだということだ。

 中学までは見知った姿形だったが、高校を超えて大学生にまでなれば、本当に別人になってしまっている。そこに僕が好きな桜井佐紀はいないのだ。

 だから別に誠と佐紀が手を繋いで歩いてこようと、僕に嫉妬の感情はない──それは嘘ついた。普通に羨ましいと思ったわ。リア充爆発しろ。

 でもこの”歴史”の桜井佐紀が、川根誠が幸せになって本当に良かった。

「……3日前、桜井に好きな花訊いたら、”ヒマワリ”って言ってたよ」

 夕暮れ、誰もいない交差点で僕はそう呟いた。

 そして何の変哲もない電柱の下にコスモスを供える。

 中学3年の時にも同じ質問をして、佐紀が「コスモス」と答えたからだ。

 佐紀はもうそんな過去の質問を覚えていないだろう、それでも川根誠と歩んだ世界線の彼女は、コスモスではなくヒマワリが好きになるように生きてきた。

「また来るよ、佐紀。今日は”応援団”で宅飲みなんだ」

 返事は返ってこない。

 当然だ、そこに彼女はいないし、そもそも事故など起こっていないのだから。

 死んだ人間は還ってこないが、この”歴史”の桜井佐紀は生きている。

 そして守った桜井佐紀は今幸せだ。

 


 ──だからあの時、時間を巻き戻す決断をしてよかったと思う。


 【UTOPIA END】

 **********

 


 僕の心情を無視して全てを客観的に眺めるのであれば、”花火事変”は何もかも僕の追い風となった事件だった。

「”歌声コンクール”の曲は決まったから、指揮者決めるぞ」

 茹った9月の教室は僕の集中力を早々に奪い、いつもの如くゴリラ先生のホームルーム中は窓の外を眺めて過ごす。

 ──もう文化祭か。まだ体育大会も終わってないってのに。

 体育大会が終われば文化祭、その後すぐに冬休みが来て、それも越してしまえばあとは受験、卒業式でもう中学校はおしまいだ。

 校庭を占領する陽炎を睨む作業にも飽きて、もう一度黒板を見るとそこに思い入れある合唱曲の名前が書かれていた。

 クラスごとにドラフト式で抽選された数ある合唱曲の中でも、それが”前史”で僕が指揮をした曲だったから少し驚いて、僕はなんとなく佐紀の方を見た。

 佐紀のクラスは最優秀賞、僕のクラスが金賞。

 あの時「私達が組んだら最優秀賞を超えた賞獲れたのに」なんて言ってたっけ。

 最優秀賞を超えた賞が何なのかは知らないけど。

「まあ伴奏者は桜井で決まりだから、指揮者。誰かやらないか」

 ”前史”の僕なら手を挙げていただろう。

 あの時僕はどこかで佐紀には負けたくないと思っていて、それは月兎曰く格好つけたがりというらしいけれど、”前史”で立候補したのは『佐紀が目立つ場所に僕がいないのは悔しい』という、今の僕からは考えられない思考ゆえである。

「はい、はい! 俺、やります!」

 元気一番に起立までして名乗りを上げたのは誠。

 そう、この世界には佐紀の隣に誠がいる。

「ヒューヒュー。お熱いね」

「イチャイチャすんなよリア充がよ」

 教室を飛び交う冷やかしにも温かみがあり彼の人望をうかがわせる。

 こんな状況で僕が──いや誠以外の誰かが手を上げれば顰蹙ひんしゅく間違いなしだろう。

 そもそも僕はやる気などみじんもなかったが。

「……意外とやるね、川根は」

 すぐ後ろから女子の声がした。

「あれ、谷口」

 お前の席ここだったっけ。

「ホームルームの時だけ代わってもらったの。柏川に」

 それに。と彼女は付け足す。

「私のことは”ありさ”って呼んでよ。

 あいつら──佐紀と誠が名前呼びにシフトしたのに便乗して、ありさもそれを提案してきたのだ。提案というかほとんど決定事項だったが。

「……忘れてた」

「別に気が向いたらでいいんだけどさ。こーじ君」

「りょーかい。でさ、桜井ってなんでオッケーしたか聞いた?」

 元々佐紀の思考は読みづらいけれど、今回はいつもに増してだ。

「聞いてないよ。こーじ君」

 彼女の名前を言うまで語尾がこーじ君になるやつだこれ。

「僕の名前呼びたいだけじゃん。……ありさ」

「はい。ごちそうさまです」

 ありさは肩にかかった長い黒髪を蒸し暑そうにパタパタさせ笑う。

 もちろんインナーカラーは入っていないし、イヤリングもついていない。

 ──僕に向ける彼女の笑顔を見ると胸が痛くなる。

  


 **********



「今週末、サキと映画行こうと思ってるんだけどさ」

 次の日の朝一番。誠はそんなことを言った。

 彼の代名詞である日焼けで剥けた肌は見る影もなく、受験生の勲章である色白肌へと換装している。

「勉強は大丈夫なのか?」

「それは……まあヤバいけど」

 しかしまだまだ厳しい状況、みんなも勉強してるからね。

「落ちても知らんからな。で?」

「そうそう。映画のことなんだけど」

「いいじゃん。デートっぽいし」

 彼は深刻そうな顔をして、サキの方を流し見ながら問う。

「──でさ、どの映画にすればいいかなあ」

「お前らが好きなの見ろよっ」

 僕は突き放す。

 そんなの人に訊くんじゃない。

「だって、サキの好きな映画とか知らないし、俺はアクション映画とか好きだから、サキは多分そういうの趣味じゃないだろうし」

「乙女かよ。……直感で選べばいいのに。サッカーみたいにさ」

「それができてればこんなにアホアホ言われとらんわっ」

 それもそうか。

 僕は頬杖をついて”あの頃”を思い出すことにする。

 えーっと、映画デート……。苦い思い出が蘇る。

 ──ああ……アイツ好きな映画無いんだわ。

「……多分な、多分だけど桜井、人気な映画は嫌いだぞ。全部」

 その癖映画自体は好きだから、よくわからない変な映画ばっかり選ぶんだ。

 僕はラブコメとかロマンスとかでになりたかったのに、ちっとも怖くないホラー映画だとか、戦場ドキュメンタリーとかのチケットを勝手に買う。

 その上でのだ。マジで。そして映画が終わった後「ジ〇リより全然こっちがいいね」なんて言う。多分ジ〇リにマウント取りたいだけ。

「ドラ〇もんとかデ〇ズニーとか?」

「あと今だと何やってるっけ。君の〇は?」

「それはこれから制作って話だろうが」

「……ああそうだった」

 あれ面白いんだけどな。ネタバレしていいかな?

「じゃあ結局何を見ればいいんだよ」

「少しは自分で考えてよ」

 すぐ質問するのは君の癖だぞ。

 なんて言ったら月兎に怒られそう。お前が言うかって。

 情けは人の為ならず。

 ここで優しくしておけば月兎が僕に優しくしてくれるかもしれない。

「ジャンルとかだけでも」

「その考えをもう捨てろ。アイツ超気まぐれだから見る映画は当日に決めたほうがいいと思うぞ」

 水族館行くと決めてたのが、当日に「ボウリング行きたい」って言いだして本当にデートの予定を変えたことがあったからな。多分当日に決めたほうがいい。

「よく知ってんな」

 誠は感心だか、驚愕だかの表情を見せる。

「……勘だけどな」

「どんな細かい勘だよ」

「マジマジ。ま、頑張れって」

 僕は誠に拳を出す。

 ──トン、トン、ばすっ。



 数学の授業は思春期の女子を取り巻く恋の方程式について熟考する。

 つまり前の方の席で寝ている桜井佐紀についてだ。

 爆睡じゃん。教師も起こすかどうか迷うくらいの文句ない爆睡である。

 ──なんかモヤモヤするなぁ。

 好きでもないのに付き合うってなんなん?

 お試しってのもよくわからないし。

 誠に「それでいいのか」って聞いたらいいって言うし。

 もしかしたら大学までだらだらと続いて、結局うまくいくのかもしれないけれど。

「おい、コージ」

 背中をつんつんと叩かれて振り向くと、後ろの席の柏川がピンク色の紙切れを渡してきた。

 肩越しに目が合ったのは、ありさ。

 ああ、ありさからの手紙か。

『サキのこと見てるでしょ?』

 よく見てるな。

『そうだけど何か』

 と書いて柏川に渡す。

『なんでそんなに気になるの?』

 また柏川から渡された。

『別に大したことないよ』

 また柏川に頼む。

『本当に何とも思ってないの?』

 またまた柏川郵便から届く。

『だからそれはあ──』

「──席代わってやるから直接話せ」

 返事を書いていると柏川がついにキレた。

 ごめんなさい。

 先生が板書をしているタイミングを見計らい、僕は柏川と席を交換する。

「さんきゅな」

「授業終わったら机も入れ替えよーぜ」

「それはちょっといいっすわ」

 心遣いはありがたいですがそれには及ばないです。

 毎時間ありさに追及されてたら精神がもたない。

「──で、なんだよ」

 うんと小声でありさに話す。

「サキのこと見てたでしょ。こーじ君」

「……見てたけど、なに」

 隠すことでもないので堂々と言う。

「本当に好きじゃないんだよね?」

「夏祭りで言ったろ?」

「……そうだったね」

 8月の熱気が生み出したあの”事変”を思い出しありさは逆上せる。

 その表情を見ているとこちらまで恥ずかしくなって──妙な気分になる。

「なんかごめん」

「でも、誰にも言わないでいてくれてありがとう」

「何を」

「……アレ」

 言いにくそうにありさは左手を口の前に持ってくる。

 ──アレか。

 察した僕は目を逸らす。

「……そりゃ、”友達”が損することをするわけないだろ」

「わざわざ『友達』を強調することもないじゃん」

「だって友達だろ? 僕ら」

 僕がそういうと、ありさは勝気な笑みを浮かべる。

「まだね」

「……」

「別に、あの時言ったことは冗談じゃないからね。……もちろん”アレ”も。悪い返事はいらないけど、良い返事はいつでも待ってるから」

 ──ズキズキ。

 まっすぐな好意が僕の胸の奥へ侵食していく。

「おう」

 でもそれしか答えることはできない。

 僕は”前史”の桜井佐紀が好きなんだ。

 そうちゃんと言うことができたな──。

「──桜木君」

「うわっ」

 気が付けば後ろに数学教師が立っていて、僕はコンカッションを喰らった歩兵のように縮み上がってしまう。

 ロボットの如く首をぎこちなく捻り僕の背後を取る初老の顔を見ると、彼は古傷のような皺を滲ませて僕を超然と見やる。

「君は──君たちは受験生だという意識が足りていない。桜木君、授業の邪魔をするなら後ろに立っていなさい」

 その命令は僕に逆らうことができなかった。

 最も逆らおうとも思わないが。

「……はい、すみません」

 教室内からクスクスと笑い声がする。

 さっきまで寝ていた佐紀はどうやらこの騒動で起きたのか、僕の顔を見るとニヤリとした。目が「ドンマイ」と言っている。

 腹が立って僕は佐紀を睨む。

 ──だって立つなら熟睡してたお前だろ。

「……ごめんね」

 先生には真面目に授業を受けているありさが、不真面目でいつも気だるげな僕に絡まれていたように見えただろう。

 ──まあ、これも人生だ。

 彼女が突然トラックに轢かれて、発狂して神社に辿り着いて、なぜか中一までタイムワープをすることに比べちゃ、どうってこともない。



 長かった数学の授業が終わり給食の時間になった。

 最近気分転換の為にランニングをするようになり、それが結果的に功を奏して、僕は恥辱に耐えながらも30分程立ち続けることができた。

 佐紀は僕が説教された後も睡眠を続け、授業後に寄ってきた誠に起こされる。

 「ありがと~」と言って彼女はトレードマークの茶渕メガネをかける。

 一言二言話して佐紀はあくびをする。

 話題は遠くて聞き取れないけれど、佐紀のこの癖には既視感がある。

 全然話す気分じゃないけど仕方なく話してますよー。のジェスチャー。

 眠かったり、怠かったり、機嫌が悪かったりすると、桜井佐紀という人間はよくあくびをする。無意識下の仕草かもしれないけど、僕はよくこれを感情パラメータ代わりに使っていたから知っている。

 あ、またあくびした。

 クイズ番組で、簡単な問題をタレントが答えられない時のような、今すぐにでも教えてあげたい衝動に駆られる。

 果たしてその衝動は僕の身体を動かす。

「おい、トイレ行くぞ誠」

 僕は誠の腕を引いていく。

 少し強引かもしれないが、これも誠のイメージアップ戦略のためだ。

「は? 待てって。じゃ、サキまた後で」

 誠は無垢な笑顔を向け、佐紀は手を振る、周りの野次馬が鋭い目で見るが僕は気にせず彼を男子トイレに連れ込む。

「……なんだよ」

 彼は露骨に不満を表した。

 仲良く談笑していた時間を半ば無理やり没収されたのだから。

 だから真面目な話だと印象付けるために、いつもよりワントーン落として話す。

「──いいか、桜井のことは気まぐれな野良猫だと思え」

「おう?」

 講釈を始めてみたものの、どう話を進めればいいものやら。

 まさか「桜井が生あくびをたくさんする時は話す気分じゃないとき」なんて、いきなり詳細に話すべきではない。

 だから外堀から慎重に埋めていく作戦にする。

「僕くらいになると、人がどういう時に話して欲しくないか分かるようになるんだ。お前だってそうだろう。話したいときと話したくないときがある。違うか?」

「それはー。まあ気分によるな。ってかなんか話し方いつもと違くね?」

 誠が頷くより早く僕は畳みかける。

「気にすんな。……僕だって彼女と喋りたくないときがあった。3年も付き合っていたのにだ。でもその気持ちの上下は仕方ないこと。大切なのはもう一方がその”話したくないオーラ”に気づいてあげることだ」

「……うん?」

 まあ桜井佐紀はそんなのお構いなしに喋りかけて来たけどな。あいつは機嫌損ねると一日くらいずっと拗ねてるのに。

「さっきのは割とその兆候があった。例えば……。とかが見分けやすいポイントかな」

 ここで本丸に攻め込む。

「なるほど! あくびを見てたのか、やるな」

 誠は納得した顔をしてから「でも、」と言った。

「──お前誰と3年付き合ってたんだ?」

 ──あ。

「いやそれは、この前読んだ小説に引っ張られてさ」

「コージらしいな。ま、サキと話したいことは大体話せたしいいよ」

 誠は深く追求せずに納得する。

 僕は彼のこういうところが好きだけれど、なんだか悪いことをしてしまった気がする。誰も埋まっていない墓を掘り返しただけなのだけど。

「よかった。じゃ、先に戻っててくれ。僕、大きいほうだから」

「あいよ」

 トイレの個室に入り、一つ深呼吸をする。

 僕は誠が知りたいことを全て知ってしまっている。

 まさに一周したギャルゲを人にやらせている状態だ。

 ──あんまりヒント出し過ぎるのも良くないかもな。

 じれったいけれど、見守ろう。

 誠には新ルートを開拓してもらわなければ。

 そう決めた僕のはとことん悪かったのだ。今日に限って。



 昼休みを超えれば音楽の授業だ。

 音楽でも国語でも理科でも社会でも変わらない。

 昼休みはいつも教室で眠りこけていた。

 べたつく腕をタオルでぐるぐる巻きにして、その上に頭をのせれば簡易枕の完成。窓を開けて風を取り込めば簡単に眠りへ誘われる。

「うぅーん」

 僕が目を覚ますと、もう授業5分前でほとんどの生徒は音楽室へ移動していた。

「……まだ余裕でしょ」

 もう5分あるし。

 そう呟いたか呟いていないか、僕はもう一度自分の腕に突っ伏す。

 遅れても所詮音楽の授業、今日は合唱の練習らしいから一人くらい欠けたってなんてことないだろう。

 ──ガララガララ。

「おい、寝てんじゃねぇ。早く授業行くぞ!」

 誠が汗をダラダラ垂らして教室へ飛び込んできた。

 休み時間に外遊びとは元気なことですな。

 教室には僕一人だと思っていたが、また前の方で佐紀が寝ていた。

 ずっと寝てるなこの子。背中のブラが透けて目に痛い。

「サキ? 一緒に行くか?」

「ん。ちょっと大丈夫。だいじょうぶだよお」

 そう言って佐紀はのびをして、あくびをする。

「あ。俺先行ってるから」

 ──それは眠い時のあくびだろっ。

 僕は声に出してツッコみたくなったが、誠は至極真面目にやっている。

 給食前にした話──を思い出し、実行しているだけだ。

 呆れを通り越して笑ってしまう程の天然ボケ。

「桜井? 行かないのか?」

「先行っててって。大丈夫だからさー」

 ──これ多分大丈夫じゃないやつだ。

 彼女の言動を鑑みて「これはまずい」と察知した。

 佐紀と誠の関係ではなく、佐紀に異常がある。

 僕は知ってる。”こいつが大丈夫と言いまくるときは大体ヤバい”と。

「……どーせ。熱でもあるだろお前」

 用意した音楽の教科書を机に戻す。

「ないっ」

「ごめんな」

 否定する彼女の額に手をあてる。

 ……本当に熱いじゃん。

「あるよ、これ」

「太陽のパワーをきゅーしゅーしてるだけだよ」

 頑なに熱があることを認めない佐紀。

 普段なら「学校休める。やったー」とか言いそうなものだけれど。

 まあ、どーせ。

「……伴奏任されてるから休めねー。とか思ってんだろ」

 ああ、桜井佐紀は本当に。めんどくさがりでいつも斜に構えている癖に、与えられた役職への責任感が強いのだ。

「うぐ」

 図星をつかれた佐紀はパンチを繰り出す。

 いつもよりも半分くらい威力がない。これ相当弱ってんな。

「そんなの全部誠に任せとけって。伴奏がいない程度で成り立たなくなるようなダサい彼氏ならフればいいじゃん」

 あいつはその程度の器じゃないからな。

「分かった。保健室行く。先生にはよろしく言っといて」

 ──ガゴンっ!

 フラフラと立ち上がり歩き出すが、バランスがうまく取れず机を蹴り倒してしまった。

 不安過ぎる。

「一人でいけるか? 大丈夫か?」

「大丈夫だって言ってるじゃん」

「……はあ。ついてく」

「好きにして」

 桜井佐紀の”大丈夫”はどうしても無視できない。

 同姓同名で、姿形が一緒で、声も同じで、癖も仕草もほぼ一緒。

 でも僕は桜井佐紀を桜井佐紀ではないとしている。

 ──その根拠は一体どこにあるのだろうか。



 保健室にたどり着くと、養護教諭の方が音楽室へ報告に向かった。

 当初は僕がそのまま報告しがてら授業に参加するというプランだったのだが、何を深読みしたのか先生は、僕が佐紀を看病することのできる環境を作っていった。

 ──別にそんな関係じゃないってのに。

「大丈夫か。体温は?」

「38.4。……ちょっとだいじょばないかも」

 メガネを外した佐紀はやっと強がりを解いて不安をこぼす。

 そんな高温で文化祭の為に授業出ようとしてたのか。

「お前って割と行事好きだよな」

「別にいつもの授業より楽しいだけ」

 佐紀は寝返りをうって背中を向けてしまう。

 彼女にかけられたバスタオルがはだけて、セーラー服が張り付いた小さな上肢が僕の眼に晒される。

「……文化祭、最優秀賞獲りたいな」

「最優秀賞じゃ足りないよ。何かもうちょい上の賞ない?」

「──え」

 僕の心臓がドクンと跳ねた。

 まるで佐紀が桜井佐紀のようなことを言いだしたからだ。

「ま、まあ目指すだけならタダじゃないの?」

「それもそっか」

 佐紀は目を瞑る。

 僕は彼女が睡眠をとりたいのだと考え、ベッドから離れた時。


「──ねえ。桜木は私のストーカーなの?」


「はぁ?」

 脈絡もなく佐紀はそんなことを言いだした。

「私からすれば、君が怖いんだよ」

「……なんで」

「なぜだか私がして欲しいことを、して欲しい時にしてくる」

 今日なんて特にそう思った。彼女はポツリと言った。

「……僕、なんかしたっけ」

「まず映画。あれ、桜木の案でしょ。マコトから聞いたよ。映画の好み……っていうか変な癖がバレてるなんて知らなかった」

「……イメージから推理したんだ。ほら、ホームズ好きだし僕」

 僕は佐紀に背を向けたまま話す。

「で、給食前。私がマコトと楽しく喋ってたのにさ」

「だったらごめん」

「タイミングが良すぎる。体が重いなって思ったときに来るんだもん。あれ、なんで私がダルそうにしてたの分かったの?」

「別に、誠を連れションに誘っただけだ」

「女子の前で連れションって言うな」

「……前にお前も言ってただろーが」

 シップの匂いが蔓延する保健室は、1、2年の頃よく暇つぶしに通っていたが、この学年になりぱったり来なくなったことを思い出す。

 別に何もしてなかった。図書館から借りてきた本を読んだり、代わり映えのないB2サイズのポスターを眺めていただけだ。

「で、最後。私をここに連れてきた」

「そりゃどうも」

「でも私大丈夫って言ったじゃん?」

「だってお前の大丈夫は信用ならな──」

「──どうして?」

 僕の言葉を狩る如く彼女は食い込んできた。

「……」

 背中に鋭い視線が突き刺さる。

「……勘が当たったってことにしよー。私真面目な雰囲気あんま好きじゃないし」

 なんか面白いこと言ってよ。と話題を変えたい佐紀は言う。

「分かったよ。とっておきの話をしてやる」

 こういう時の為にストックしてあるんだ。

 僕は今一度佐紀の方を向いた。

「夏だし怪談とかどうか──って寝てるかぁ」

 髪の縛りを解いてボブ風になった彼女は、僕に寝顔を向けることなく意識を落としていた。

 ……どれだけ自由だよ。

 おかげで誠との関係とか色々聞きそびれたわ。

 余談だが、僕が保健室に置いてある本を読んで先生を待っていると、音楽室へ報告に行っただけだというのに30分かけて戻ってきた。

「初回だから料金は取らないけど、次から30分貸し切り1000円だからね」

 生徒からお金を巻き上げる養護教諭は、中指と人差し指の間から親指が覗くサムズアップ。親指がニュッポニュッポと動く動作は卑猥というより下品だ。

「これってセクハラで訴えれますかね?」

「教育委員会は我々の味方だよ、小僧」

 2年間休み時間に通っていた保健室の、優しい養護教諭の本性を垣間見て、僕は大人って怖いなと思いました。

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