10月:決闘

 食欲の秋か、読書の秋か、芸術の秋か。

 どう考えても一つの季節に負担が多すぎる。

 春は中々忙しくて、夏は暑くてやる気にならない。そして回ってくる秋という絶好の季節に、沢山のことをやりたくなるのは分かるのだが──それにしても過労死ラインを超えている。

 だったら1つだけ選んでしまおう。


 ──そう、僕ら”応援団”にとって”スポーツの秋”が始まる。



 **********



「ボクとしてはこうも上手くいくのかと拍子抜けをしているよ」

 月面ウサギのストラップを依代とする月兎は、今日もふわふわと浮きながらアルトボイスでそう言った。

 冬服移行期間の朝は肌寒く、昼間は暑いという気候から男子生徒は大体夏服の上に学ランを着こむ。

「まあな。だけど『なんでうまくいっているのか』がさっぱり分からん」

 僕は窓を開け自室に朝日を呼び込みながら答える。

 佐紀と誠の”お試し期間”はまだまだ続いているようで、先月佐紀の休み明けに映画館に行った後もだらだらと交際(?)を続けている。

 しかしながらこの現状は客観的に見れば僕にとって最良というわけで。

 4月に佐紀のことを避けずにそこそこ仲良くなったことが、この状況を生み出したと考えれば月兎の”虹色作戦”も悪くないのかな。

「そんなことどうでもいいんだよ、桜木クン。君が今考えられる最上のルートに乗っているのだから」

「でも佐紀は誠のことを好きじゃないんだろ。きっと、まだ。……もしかしたら10年後にはイチャイチャしてるかもしれないけど」

「……だから何が言いたいんだい」

「何かと不安だろ。何故かうまくいってる状況って」

 何故誠の告白を佐紀が受けたのか。しかも”おためし”で。

 例えばこれがRPGの世界で、僕が佐紀の選択を弄り『誠と付き合う』コマンドを選択したならばこの結果も頷ける。

 ……ただ佐紀だし。破天荒な選択を自ら選びがちではあるけれど。

「『川根誠と桜井佐紀が交際していること』が桜木クンに何か関係でもあるの?」

「まあ、ないな」

「じゃあどうでもいいよ。ボクは君のことしか考えてないからね。君が幸せになってくれればボクは十分神の仕事をしたと言える。君さえ生き残っていればいい」

「やっぱりメンヘラかヤンデレっぽいよ」

「まともな性格して神様なんかやってられるか」

 そういう性格のひねくれが信仰を集められない原因じゃないだろうか。

「──あのさ、月兎さま」

 僕は話題を改めて言う。

「なんだい」

「”前史”の桜井佐紀と今の桜井佐紀の違いって何だと思う?」

 月兎は僕の質問を考えながら一周壁に沿って飛び回ると、登校の準備を終えた僕のリュックに引っ付く。

「そりゃあ君が桜井佐紀と関わっていない2年間が違うだろう」

「でも姿形も声も仕草も癖も大体一緒なのに?」

 どこで僕は彼女の区別をつければいいのだろうか。

 例えば急に”前史”の佐紀が今の佐紀と入れ替わったとして、果たして僕はそのことに気づけるのだろうか。

「……それでも桜木クンはその2人を別人として扱うことに決めたのだろう? そう言って谷口ありさのこともフったのだからさ」

「……そうだな」

 2年間の隔絶は全く異なる桜井佐紀を作った。

 それが定義──前提条件なのだから。

「ボクは怒るよ。君が「桜井佐紀は同一人物だ」なんて言ったら」

 それはつまり桜木クンが桜井佐紀に恋をしているということだから。

「分かってる」

「ならいいけどさ」

 僕は儀礼程度に「行ってきます」と小声で言って家を出る。

 そして時間を確認しようとスマホを見た。ああ、10月か。

「……って神無月じゃん。今月」

 神様がみんな出雲に集まる月、神無月。

 僕がそう呟くと月兎ストラップがピクッと反応する。

「桜井クン……君はどうして気づいてしまうんだい」

「出雲行かなくていいの? 神様なのに」

「うっ……そういう訊かなくてもいいことを掘り下げる癖はやめたまえよ」

「別になんもけなさないから言ってみ?」

 月兎は「本当に?」などと2、3度弱気に伺った後。

「────かっ」

 わなわなと、その語気には怒りが込められているように感じた。

「ん?」

「集まれるかっ、あんな高学歴エリートばかりの宴会に。考えてみたまえ。君がニートだとしよう。年に一度──そう例えばお正月、親戚が全員集まってくる。そんな中で君の親族はみんな東大京大を卒業している。そして酒の席で○○銀行がどうとか、○○商社がどうとか、そうやってみんな自分の経歴を語り合うんだ。吐き気がするだろう? ボクが何を言えばいいって? それなら行かない方がマシだよっ」

 そんな月兎に僕が何を言えばいいか解らなかった。



 **********



「みんなお疲れ! 気を付けて帰ってね」

「じゃあな! 明日はるぞっ!」

 ありさと誠が活気のある声で場を締める。

 夕暮れの教室、”応援コンクール”に向けた最後の練習が終わった。

「ばいばい」

「明日ちゃんと声出せよ」

 クラスメイトの士気は上々、”応援団”の仕事は明日終わる。

 僕らの出し物は川根誠と谷口ありさを主演としたミュージカル。

 当初は佐紀が主演を務める予定だったのだが、途中で「私、こんなことやるキャラじゃない」なんて言い出して、ありさにバトンタッチすることになった。

 まあ絶望的に声出てなかったしさもありなん。

 誠はバトンタッチについてかなり残念がっていたけれど仕方がない。

「マコトー。今日も一緒に帰る?」

 桜井佐紀の姿をした桜井佐紀が桜井佐紀の声で誠を誘う。

 彼女らは家が反対側にあるのにも関わらず、誠が途中まで下校路に逆行してまでついて行っているのだ。

「……いや、ごめん。今日はコイツと帰るわ」

 しかし誠は心底残念そうにそう言って、僕の肩に腕を掛ける。

 ──いや、そんな約束した覚えないが。

「そっか。じゃーね」

「おう」

 佐紀はあっさりした反応を示し、一人で教室から出て行ってしまった。



 **********



「なんで断るんだよ」

「そんな大したことじゃないけどさ」

 10月の陽は落ちるのが早い。

 5メートルも上にはトンボが円を描くように悠々と周回し、たまにユスリカ──あの蚊柱のような虫の軍団にぶつかるのが煩わしい。

「……セリフ。ド忘れすんなよ」

 ──カッ、コッ、ココッ。

 僕は小石を前に蹴って進む。

 その石を今度は誠が蹴る。

「当たり前だ、マジで300回は練習したからさ」

「誠にゃ足りねーわ。300如きじゃ」

 違いない。と誠も同調して僕らは笑う。

 向かう先は僕の家の方角だが、彼にとっては真逆。

「……今日、家泊めれねーぞ。明日早いし」

「知っとる。適度なとこでUターンしてるから」

 誠の指す”いつも”があの佐紀との”いつも”だと思うと、単純に嫉妬してしまう。

 誠の彼女が佐紀だから嫉妬するのか、誠に彼女がいること自体が嫉妬の要因なのかは──おそらく後者だろう。後者でなくてはいけない。

「そうかい、まあ僕から話すことはそうないけどな」

 僕はもう一度石を前に運ぶ。

 ──カッ……ココッ。

「俺はあるぞ」

 誠も石を前に蹴る。

 ──カッ……ぽちゃん。

 勢いよく転がった小石が側溝に落ちた時、誠は立ち止まり言う。

「……俺さ、アホだから色々調べたんだ」

「あぁ?」

 僕は首だけを捻って自分の肩越しに誠を見る。

「……お前とサキが喋っている時に感じる、あの胸の痛みの正体。あれってどうやら”ヤキモチ”って言うらしい」

「……だから僕は別に桜井のこと好きじゃねーって」

 僕は誠に正対して言う。

「知ってるって。そんなこと。俺が勝手にヤキモチ焼いてるだけなんだからさ」

「どうして」

 誠の方が圧倒的に佐紀と過ごす時間が長いじゃないか。

「熱出たサキを保健室に連れていってくれた時あったろ?」

「ああ」

「どうしてお前は気づけたんだ? どうして俺は気づけなかった」

 自嘲して誠は目線を下げる。

「そんなのたまたま」

「──んなわけねぇ。コージはサキの”何か”を知っている、だろ?」

 そうだ、僕は桜井佐紀ではない桜井佐紀を知っている。

 でもそんなこと言い出せるわけもなく。

「……」

「いや、いいんだって。お前が何を知ってるとか、知ってないとかはどうでもよくて、俺があの時気づけなかったりするのが超悔しいんだ」

 誠は僕から目線を外し、空を仰ぐ。

「……そうか」

 僕は彼の本気に応えられず、当たり障りのない受け答えしかできないこの状況がもどかしかった。

「だからさ、俺。コージには絶対負けんよ? 負けたくないんだ」

「別に僕は桜井を狙ってるわけじゃ」

 そもそも勝ち負けってなんだよ。

「それでも俺はお前に絶対負けん。どんなことも負けたくない」

 そのヤキモチの結論は真正面からの宣戦布告。

 いかなる悪意も取り除かれた純粋な宣言。

 謎の勝負を吹っ掛けられたというのに、僕は誠に感心をしていた。

「……よくわからんけど。まあ頑張れ」

 僕は拳を誠に突き出す。

「そこは「僕だって負けたくない!」って返すとこだろっ!」

 誠も拳を出した。

「……だって別に張り合う意味なくね?」

 僕らは拳を合わせる。

 ──トン、トン、バスッ。

「じゃあな。覚えとけよー!」

 誠はまるで青春映画のように夕日に向かって叫び、来た道を駆け出す。

 面と向かって「お前は敵だ」と言われたのにも関わらず、わだかまりが一切ないのは僕らが本当に親友だからではないだろうか。



 **********



 中1。2月の球技大会。

 僕が出場したのはサッカーではなく、バスケットボール。

 小学校からバスケを続けていたメンバーの大活躍もあって、僕らは決勝にまでコマを進めていた。

 他の競技はもう終わったのか、真冬の体育館で一学年丸々バスケコートを囲み、僕らの試合がどう運ぶのかを時には歓声、時には程度の低いヤジを交えて見守っていた。

 我がクラスのバスケ部は当然相手からのマークも厳しく、これまでの戦いより苦戦を強いられ、8分マッチの残り3分で5—9の4点ビハインド。

「これ、きちーな」

「はぁ、はあ。……まあ俺が一本は決めてくるよ」

 そう意気込むバスケ部の下にエンドラインからボールを送り出す。

「まかせたっ」

 彼は右へ左へ躱し、躱し。

 ──そしてミドルジャンパー。7—9。

「……えっぐ」

 これ勝てるんじゃね?

「ちょい待ち。俺……はぁ。割と体力限界。……まずはディフェンス!」

 連戦の負担が祟り彼は膝に手を置く。

「……おっけ」

 割とイケると思ったけれど、そんな簡単にはいかないか。

 残り2分は相手のターン。相手が放つ苦し紛れのシュートさえリバウンドを抑えられてしまう。リングにボールが入らないのが奇跡ともいえる。

 そんな状況の中。

「……ここっ!」

 バスケ部の身体を投げ出すようなスティールが決まった。

 僕は前線に走り出し、ドンピシャで手元にボールが入る。

 ──レイアップで確実に二点。

 そうだ9—9で同点、延長に持ち込めばいい。

 そんな堅実な──ある意味弱気な決断を試みようとした時。


「──がんばれっ」

 

 その声は大きいものではなかった。しかし確かにそれは聞こえた。

 ”僕専用の通信帯域”に入った交信が僕を”ダウンタウン”に留まらせる。

 即ち3ポイントラインの外側。

 ゆっくりとしたステップから止まり、崩れたフォーム。

 ボールが描いた放物線は綺麗な回転でもなくブレブレ。

 ──けれど、僕は絶対に落ちないと確信していた。

 バシュッ。

 炭酸飲料の開封音のような音が体育館に響く。

 湧き上がった歓声は聞こえなかった。

 僕は聞こえた”声”の方を向く。

 佐紀は僕から目を逸らして、口元は笑っていた。


 帰り道。

「”頑張れ”ってありがと、佐紀」

「……別にそんなこと言ってないし」

 隣を歩く僕の彼女はそう言って僕のわき腹を殴る。

 その淡い痛みに愛情表現が少ない佐紀の、僅かなそれを感じ幸せに浸る。



 **********



 いざ体育大会の当日になると急にやる気がなくなる。

 日本の10月暑すぎませんか。

「……いや、これマジで一日中外におるん?」

「私も帰りたくなってきたわ」

 修学旅行で見たようなやり取りを僕と佐紀は繰り返す。

 ということは。

「よっしゃ勝つぞぉ!」

「まず80メーター走、アヤちゃんと小泉頑張れ!」

 ありさと誠の我がクラスツートップは陣頭指揮を執る。

 彼らの働きに感心しながら「クソつまんねー」と斜に構えてみるけれど、明らかに過去2年より胸の高鳴りを感じているのは事実で。

 ──しかしとりあえず午前中はサボって日陰に逃げておこう。


 弁当を食べて午後一番、すぐにこの時がやってきた。

 僕らはこの”応援コンクール”の為に”応援団”として集まってきたのだけれど、意外と本番に大きなドラマはない。

 寧ろここまで積み上げてきた練習の成果を、今まで通りに出すことが重要。

 僕は暗めの衣装を身に纏い大道具を設置したり、移動させたりする。

「わー! 俺らのクラスが! 校長のソーラービームで壊されたあ!」

 大業な悲鳴を上げるのは誠、演目の入りは『の校長がクラスを破壊した』という設定。

 観客である生徒たちがざわざわし始める。

「俺はみんなでこの学校を卒業したかった! 誰か可愛くて、優しくて、運動ができて、時間を巻き戻してくれる天使みたいな人はいないのかあ!?」

 いるわけないだろー!

 客席からヤジが飛んでくる。そこですかさず。

「──私だ」

 背中に羽を生やしたありさが長い黒髪を左右になびかせ登場した。

 会場にどっと笑いが起きる。

 同じく黒装束の佐紀を見ると、下げた左手で小さなガッツポーズを作っていた。

 ……ずっとあーでもない、こーでもないって脚本考えてたもんな。

「天使様! 実は」

「説明を聞いている尺はないっ! 時間よ巻きもどーれ! Ready?」

 ありさが呼び掛けると全員が声をそろえて。

「「「OK!」」」

 ポップなミュージックと共にクラスメートが二人の周りをぐるぐる回る。

「LET'S GO 3の2! GO FOR WIN! LET'S GO 3の2! GO FOR WIN!」

 声を合わせて歌いながら、一緒のリズムで手拍子をして。

 ──ジャッ、ジャーン……。

 ギターの余韻が消えるとともに誠は過去へと戻ってきた。

「はっ! ここは」

「──ジュラ紀だ!」

「なんでやねん!」

 誠とありさ、そして陳腐な恐竜のコスプレをした生徒が出てくる。

「お前1人では勝てん! だから私たちは仲間を集めるんだ!」

「おー!?」

「さあ、あの憎き校長をぶっ壊しにいこう!」

「──レッツゴートラベル~♪」

 誠がシャウトする。

 ベースとドラムがリズムを作り、ギターとキーボードが後から入ってくる。

「ふぉあざうぃん~♪ たいむいずまね~♪」

 恐竜が誠に合わせて歌って踊りだす。

 曲が進むごとに沢山の生物や人物──サメだったり鳥だったり、ナポレオンだとか織田信長だとかが輪に加わって一つの軍団を形成する。

 僕ら大道具班は決められた手順通りに段ボールの山をくみ上げる。

 たちまちステージ端に校長先生の似顔絵があしらわれた像が出来上がった。

「We don't care♪ We just go on♪」

 ステージ逆側の誠が軽く何回か跳ねた後、彼はその胸像に向かって突進する。

 ──そしてジャンプ。飛び蹴りだ。

 気持ちいい破壊音と共に校長先生が撃破──積み上げた段ボール箱が派手に飛び散り、観客からは歓声が上がる。

 後は大団円、みんなで踊るだけ。

「「「うぃーぶれーくすくーる♪ あんどうぃーうぃるうぃーーーーーん♪ 」」」

 最後に全員のコーラスが決まり僕らはダッシュではけていく。

 うまくやれたかどうかはわからない。

 しかし確かにやり切った感動があった。

 ホントに強いて、強いて苦言を呈すのであれば『タイムワープはそんな簡単なことじゃない』ってことだけれど、そんなの粗探しの屁理屈にしかならない。

 みんながはしゃいでいる中で僕は一足先に座席へ座る。

「本当はこーじ君と一緒に演りたかったんだけどな」

 クラスの輪から同じく抜け出てきたありさが後ろから話しかけてきた。

「バカ言え。僕こそキャラじゃないだろ。それこそ桜井以上に」

「そうね。サキ、今かなり浮かれてるよ、珍しく」

「な。実はあいつ行事好きだから」

 いつもは僕と同じく「あつぃー」と言いながらいち早く休憩を求める彼女が、今は興奮した生徒が作る円陣の真ん中で、誠のハイファイブに「届かんよー!」とぴょんぴょんジャンプして応えている。

 ああ、そう。いいじゃん。

 僕は幸せに包まれているフリをして笑みを作る。



 僕の体育大会は終わったはずなのだけれど、実はメインイベントが残っていた。

 各クラス二人ずつ出場するただの”借り物競争”。

 ただの借り物競争だ。他の競技は総合優勝を見据えて真面目にやらないと顰蹙を買うので、あまりクラスのポイントに関わらないこの種目を選んだ。

「やっぱりなんでお前が出るんだよ」

 しかしスタートライン上、隣で気合を入れていたのは誠。

 僕らのクラスのエースとも言える人材。

 こんなしょっぱいポイントしか貰えない──しかも運ゲーの要素も強い借り物競争になぜ彼がわざわざ出場してしまうのか。

「当然っ、コージに負けたくないから」

「あれ、僕らチームじゃなかったっけ」

 こういうのって協力して二人分探すのが効率よくない?

「細かいことはいいんだ。ちゃんとストレッチしておけよ」

 ……チッ。めんどくせえ。

「──それでは3年生の借り物競争が始まります」

 僕はほぼ棒立ち、誠は重心を落としてスタートダッシュを狙う。

 アナウンスがよく聞いたことある声だと思ったらサッカー部の後輩だった。

 そんなことにも気づいてしまうくらいに集中していない。

「位置について、よーい」

 ──パンッ! 

 号砲と同時に誠がロケットダッシュで飛び出す。

 誠以外の僕らはそこそこのスピードで、”借り物”が書かれた紙が入ったボックスへ向かう。

「えぇっと?」

 箱の中を覗けば100枚くらい入っていて軽く引いた。

 ──絶対こんなに使わんやん。

 なんとなく目を瞑って1枚引く。

 髪から垂れた汗が瞼を伝うのを感じた。

 そして開けば──ハズレ。

「あ"?」

 ──ハズレってなんだよ。ハズレって。

 辟易としながら2枚目を開く。

 『サッカーボール』

 どっかのガキが持ってるだろどーせ。

 ”好きな人”とか変なお題が出されなかったことにほっとする。

 まだボックスの前でもたついている誠を見ると、彼は7枚くらい連続でハズレを引いていた。……この種目を企画したやつが悪い。

 

 果たして意外と”お題”はすんなり見つかった。そこら中にサッカーボールで遊ぶ小さい子がいて、もう2、3枚同じお題があったとしても対応できるだろう。

 僕は一番近くにいた少年に話しかけた。

「すみません、ちょっとボール貸してもらってもいいですか?」

「お兄ちゃんも遊びたいの?」

 借り物競争をまだ理解していない少年は言う。

「いや、後で返すから、今だけ向こうに持っていっていい?」

「じゃあなんかカッコいいの見せてよ」

「えぇ……」

 ……違う子に頼もうかな。

 そう思案して周りを見渡せば、かなりの人数がもうゴールへ到達している。

 ──借り物競争の最下位ほど恥ずかしいものはない。

 放送部の迫真のアナウンスにいちいち実況されながら、他の生徒も自分のお題は何なのか、何を──または誰を持ってきたのかを注目して観戦する。

「……分かった。ちょっと貸してくれ」

 少年は僕にボールを渡す。

 僕は適当なリフティングからインロール、アウトロールを繰り返して見せた。

 技術があまり衰えていなくて安心した。

「フフフ……合格じゃ」

 クソガキがよお。

「ありがと、後で返すね」

「いってらっしゃーい」

 僕はゴールとはグランドを挟んだ真反対の観覧席を飛び出す。

 あとはゴールに飛び込むだ……け?

「──なんだよ、誠」

 何故か僕の前に立ちふさがったのは川根誠。

 彼は何も言わず彼自身のお題を見せてきた。

 『サッカーボール』

「来いよ」

 そう言って誠は腰を落とす。

「……そういうことかよ」

 どんな確立に恵まれたのか、僕らは2人とも同じお題を引いた。そしてそれが”サッカーボール”だった。誠はそれを持たず、僕を通すまいと間合いを取っている。

 僕は腕に抱えたボールを足元に落とす。

 ──どうやら誠を1v1で抜かなければいけないらしい。

 どうしても勝負を受けなければいけないわけではないけれど。

 ──ここで逃げるってのはに不誠実すぎる。

「──おっとお! サッカー部元キャプテンと司令塔が、グランド中央で唐突に1対1を始めるようだぞ?」

 ハウリングを響かせて放送席からアナウンスが飛んできた。

 部活の後輩だ。目ざとく僕らを見ていたのだろう。

「同じクラスで一体どういうことだぁ!?」

 僕も訊きたいよ。一体どういうことだあ?

 観衆の目は全て僕らが集めているということを自覚する。当然だ、衝突など起こりようもない”借り物競争”で突然サッカーが始まるのだから。

 しかし僕は好奇な視線を全てカットし、誠の一挙手一投足に注意する。

「……どういうことだ、マジで」

「こういうのも面白いだろっ!?」

 ──ダッ。

 緩いスピードで誠が突っ込んでくる。

 これは足元へのチェックに見せかけた罠だろう。

 ……僕が躱そうとしたところを確実に狙っている。

 ダダッ。

 だからボールを巻き込みながらバックステップし間合いを取る。

 スパイクとは違った地面の感触に戸惑うが、それは誠も同じ。

 ──ザザッ、ザッ。

 滑りやすい地面を利用して、左右にフェイントをかけ続ける。

 そしてじわりじわりと前へ。

 スピードに乗れていない僕も、急な方向転換についていけない誠も、この状況はオールインで仕掛けたら負ける場面。

「──ダメだっ! 桜木先輩仕掛けられないっ!」

 いくら無視しても大きなスピーカーから大音量の実況が聞こえる。

 うるせえ。

 一回きりの大勝負、慣れない環境で様子を見るのは当たり前だろっ。

 ──ダッ、ズザザッ。

 仕掛け続けていたフェイントの一つ、クライフターンで上手く逆を突けた。

 オールインには絶好のタイミング。

 僕もスピードには乗れていないが、それ以上に誠の体が死んでいる。

 これは行け──。

 ──ヒュッ!

「?」

 前に突破しようとした刹那、足元に死神の鎌が振られた感覚がした。

 その悪寒によって僕はすぐさま進撃を止め、ボールが足元でファンブルする。

 して死神の鎌──飛んできた誠のつま先は何とか躱したが一気に不利な状況へ。

 ──シュッ!

「はあっ!?」

 一瞬前まで背中を見せていた誠は体ごと足を投げ出し、僕の足元で詰まっているボールへ向けて一直線。物理法則を無視したようなあり得ない挙動だ。

 ──なら、後ろにボールを無理やり逃がしてやり直すか?

 第2、第3の追撃はキツいけど、仕方ない──

「──いや?」

 僕は新たなルートを見出した。

 それは誠の動向を詳しく見定めようとした時──。

 ──それは集中していなかったわけでもなく、視界に隅に見えた1人の顔。

 桜井佐紀が僕らを見ている。あの球技大会のように。

 ──ガッ! ヒュルルッ!

「──さ、桜木先輩からっ! ヒールリフトが飛び出したぁ!」

 うぉおぉ! どよめきが巻き起こる。

 足元に詰まったボールを無理やり挟み込んで持ち上げた。

 誠の特攻により前面全てを抑えられたルートの中で、残された『ヒールリフト』という、ソシャゲで言えば最高レア並の確率で発動する技。

 実戦ではまず決まらないとされる技である。

「……あれ?」

 そのままゴールを通過──会場は一気に湧き上がる。

 あまりにも綺麗に決まって謎の浮遊感があった。

「……俺の負けだわ。あんなん出されちゃ勝てねえ」

 砂にまみれた体操服で仰向けになって誠は寝そべる。

 古戦場を見れば砂ぼこりで煙幕ができていた。

「いや、誠のプレッシャーも過去1だったよ」

 あんな体が死んだ状況から一度ひっくり返されるとは。

「──お前さ、ああいうタイミングで大技出さないタイプだろ。いつもは」

「──そうかもな。でも出たんだ、今日は」

 ……だったら桜井佐紀と桜井佐紀の違いは一体何なのだ。

 声が同じ、姿も同じ、癖や仕草も同じ。そして、僕に一瞬の勇気をくれる。

「──お前らぁ! ちょっと来いっ!」

 僕が誠に手を差し伸べて起こしながら案じていると、ゴリラ先生がすごい剣幕に僕らを怒鳴りつける。

 ……そうだ、これ借り物競争だったわ。

「お前のせいだぞ、誠」

「コージだって楽しんでたじゃん!」

「どっちも反省しろっ!」

「「……はい」」

 どこかのマイクに拾われたゴリラの叫び声がスピーカーで拡散され、僕らは称賛の拍手を浴びる決闘者からとんだ笑い者になった。



 ──それでも桜井佐紀は別人でなければいけない。

 僕はもう一度それを心に留める。



 **********


 

 体育大会通しての総合優勝に僕らのクラスは程遠かった。

 敗因は……まあ借り物競争だろうな。

 結果的にポイントが加点されるどころか、反則とみなされて減点になったし。

 ”応援コンクール”の方は生徒の投票では見事1位。

 しかし校長をぶっ壊すというストーリーのせいか先生からの評価は最低。

 ……故にこちらも『優勝』に届かず。

 でも、楽しかった。もしかしたら”前史”より楽しかったかもしれない。

 僕らのクラスはそうして高い士気を保ったまま、学校二大行事のもう一つ──”文化祭”へと突入していく。

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