5月:76-56-79

「あー、もう少し神様に優しい世界になればいいのに」

 通学路で月兎はぼやく。

 屍体が埋まっているらしい桜の樹も、よくわからん虫の糞を落とすだけになって、どうやら屍体エネルギーも燃料切れらしい。花見する住民などこれっぽちもいない。

「……俗っぽいよ、それ」

 僕はあくびをする。

「最近の人間は信仰が足りてないね。その割に困ったらすぐ神頼みだ」

「あれ、僕に言ってるそれ?」

 心当たりがありすぎた。

「桜木クンだけじゃないさ。ボクは割と人間が好きなタイプの神様だから、こうやっておせっかいも焼いてしまうけれどさ、受験の時に一回とか、大会前に一回とか少なすぎると思わないかい? ボクが”祈ったらご利益を出すマシン”じゃないということを重々心に留めて欲しいね」

「でも月兎神社には誰一人として来ないじゃん」

 地図アプリにも載ってないんだぜ? 月兎神社。

「……」

「あれ? 月兎さま?」

 返事がない。ただのストラップのようだ。

「──おーい、コージぃ!」

 ああ、隠れたのか。

 ドップラー効果を伴って後ろから見知った声がやってくる。

 自転車のベルをじゃりじゃり鳴らして朝からうるさい。

「おはよ」

「お前今何か喋ってなかった?」

 月兎と話してるの見られたかな。

「そんなまさか」

「だよな。急げよ、朝練遅れるぞ」

 誠が僕のリュックをひったくるように奪っていく。

「りょーかいっ」

 僕は学ランのボタンを二つ外して走り出す。

 心地の良い朝だ。



 **********



「進路希望調査票、もう書いた?」

 朝練が終わり練習着から再び制服へ着替える途中、誠はそんなことを言った。

「全く。まだ一回目だろ? 適当に書くつもり」

「聞くやつ間違えた」

 ”前史”では佐紀と一緒の高校ならどこでもよかった。

 ──今回は佐紀と別の高校ならどこでもいい。

「けど誠はサッカー強いとこにするんじゃないの?」

 一番強いとこ行ってから考える! とか言いそう。

「サッカーはもちろん高校でも続けるつもりだけど」

「けど?」

「俺らってそんな強くねーじゃん?」

「……まあ、現状な」

「俺はこのチームで一番うまい自信がある」

 二番はお前な。と誠は付け足す。

「そうか」

「でも強豪中学のベンチは俺よりもうまいんだ」

「クラブチームとかな」

「そうそう、だから俺は別にサッカーの強さで選ばなくてもいいと思った」

 やけに回りくどい話し方をするな。

「じゃあで選ぶんだよ」

 それを訊くと誠はパッと顔が明るくなる。

 分かりやすいな。

「よく聞いてくれた! どう言い出そうか分かんなかったんだけど。ちょっと聞きたいことがあって」

「いいから言えよ。お前らしくない」

 普段脳より先に口が動くタイプだろ。

 しかし次の言葉を聞いてそのワケも納得した。


「──あのさ、好きな人と一緒の高校目指すとか、アリかな?」


 ──桜木に電流走る。

 あの川根誠に、まさか想い人が?

 ……まあ、なんとなく気づいてはいたけれど。

「やっぱり! え、誰だよ」

「うるさっ、鬱陶しいな急に」

「誰? 誰誰?」

 やっぱり谷口かなあ。仲いいもんな二人。

「だーから! まだ好きかは分からん! 気になってるだけ」

 しゅこー。

「……ウエッホ! 何すんだ!」

 誠は清涼剤を僕に噴射してきた。毒だぞそれ。

「で、アリだと思う? 付き合ってもないけど」

「なんでよ」

「なんかストーカーっぽくて嫌じゃん?」

「なら付き合えばいい」

 もしフラれたら諦めろ。

「まだ好きかどうかも分からないのに?」

「そんな中途半端じゃ、どーせ出願の時には心変わりしてるよ」

「……確かに。それは言えてる」

 僕たちは部室を出て校舎へ向かう。

 なんにせよ頑張って欲しいね。



 **********



「おはよ。進路調査見せてよ、桜木君」

 教室に入ると、先に登校していた谷口が話しかけてきた。

 みんな割と考えてるんだな、進路。

「成績に合わせて適当に書くよ」

 嘘。……正しくは佐紀の行く高校に合わせ、だけど。

「じゃあ、灘高とか?」

「僕がどんな風に見えてんだ」

「読書感想文入賞常連」

「やめろ。……谷口こそどこ行くんだ? 成績、僕と一緒くらいだろ?」

 中学生離れしたリーダーシップを見せる谷口も、実はそこまでお勉強ができるタイプではない。

「私は……まだ迷ってる途中で」

「なんだ、全部写させてもらおうと思ったのに」

「それならっ。……一応書いたから私の写す?」

 急に大きな声出してごめん。と目を逸らして谷口は謝る。

 全然気にならなかったので「いいよ」と返す。

「ホントにいいの? 写しちゃって」

「もちろん。いつも桜木にはお世話になってるしね」

 そう言って谷口は長い髪を耳にかけた。

 多感な時期の中学三年生は、異性の仕草に一々ドギマギしてしまう。

「……そりゃこっちのセリフだよ」

 宿題とか、宿題とか。

「確かに、そろそろ先生に疑われたって知らないからね」

「う、できるだけ自分でやってくる」

 絶対しないでしょ。と彼女は笑い──

「じゃあさ。文化祭とか学校説明会とかが、もし被ったら一緒にいこ?」

 ──次の計画を立ててくれる。

 誠はアホだから全然先のこと考えてないし、佐紀と僕は知ってても自分が幹事にはなろうとしない。こういう細かいところに谷口の魅力があるのだと思う。

「りょーかい。誠とか佐紀も誘っておくよ」

「……うん。そうだね」

 頷いた谷口の顔がどこか寂しそうなのは気のせいだろうか。

 だとしたら、なぜ?

 


 **********



「桜井、進路どうするんだ?」

「その質問今日で5人目だよ飽きた」

 一週間に一回。佐紀と僕での体育大会に向けた作戦会議。

 放課後の教室は僕たちが占領、貸し切り状態だ。

「そう言わずにさ」

「……リストの上から順番に三つ書いて出したよ」

 僕が手癖でペン回しをすると、佐紀もそれを真似して回そうとする。

 ──しかし、落下。恥ずかしいのか彼女は落ちたペンを無視して作業を続けた。

「ペン、落ちたぞ」

「……あ、ホントだ」

 それを指摘すると、今気づいたかのように拾う佐紀が微笑ましくて仕方がない。

 僕は思わずニヤけてしまう。

「……」

「む……うるさいなー」

 ガシガシ。

 対面させた机の向こうから脛を蹴ってくる。ちょっと痛い。

 しかも僕は何も言っていない。

「……音楽学校とかじゃないんだな」

「いやいや、そんなの最初から考えてないって」

 佐紀は小さいころからずっとピアノをやっている。

 ……そういえば”前史”でこの質問をしたことはなかった。

 僕らは最初から二人で一つだったため、進路に迷ったことがなかったのだ。

「難しいから?」

 訊くと佐紀はおさげの片方を触って少し考える。

「うーん、まあ、それもあるけど。……それよりって方が上かな。ピアノ弾くのは好きだけどさ」

「なんか桜井っぽいね。……”歌声コンクール”の伴奏、うまかったから覚えてる」

 ”歌声コンクール”というのは文化祭の目玉演目、各クラスの合唱コンクールだ。

 ”前史”中学三年生のコンクールにおいて、僕が指揮者を務めたクラスが金賞。佐紀が伴奏を務めたクラスが最優秀賞と、その行事に関しては少々の因縁がある。

「ありがと、それほどでもあるかもしれない」

「あるんかい」

「……ないかもしれない」

「見栄を張るんじゃない」

 佐紀は「だって自信過剰みたいじゃん」と唇を尖らせ、もう一度ペンを回す。

 ……今度は何とか成功。

 こっちまでハラハラするからやめてほしい。

「……で、桜木は?」

「僕?」

 『興味ないけど儀礼的に訊いた』という雰囲気をもろに出して佐紀は言った。

 ──少しは興味持ってるフリくらいしろよ。

 僕はそういう所に”前史”の佐紀を見いだし、懐かしむ。

「さっかー、強いとこ行くの?」

「いや、から普通のとこで普通にやるよ」

 佐紀とは被るけどそれが本心。サッカーは続けるだろうけど。

 強い学校で上を目指すのは、多分僕の飽きが来るほうが先だ。

「……をパクんな」

「別にはお前だけのもんじゃないだろ」

「そーだけどさ。じゃあ行きたい高校とか無いの?」

「ん、特にないかな。……親も別にうるさくないし」

 強いて言うなら君と違う学校だけど。

「それな~。私に決めるなんて無理だよお。高校がこっちに来て欲しいわ」

 ぐるる……。と佐紀は唸る。

 あ、そうだ。

「谷口から学校説明会誘われたんだけど、桜井も一緒に行くか?」

「えぇっ。ありさから?」

 佐紀の目に突如光が灯った。電源入れたみたいな変わりようだ。

「そうそう。文化祭とかさ、誠も一緒に」

「ありさは何て言ってたの? 私も誘えって?」

「そうは言ってなかった気もするけど。でもまだ高校決まってないなら一緒に、どう?」

 というよりも谷口と僕の二人で出かけるというビジョンがない。

 ──それに、誠になんか悪いし。

「チッ……。あの子は全く……」

「あの、桜井さん?」

「元はというものはね、君が『そ…ら』なん──ブツブツ」

 急に佐紀の声量がなくなって、大事なところが聞き取れない。

「え、なんだって?」

「なんでもありませーん。私関係ないしー」

「マジ? そこでやめる?」

 佐紀は「あわわわ」と掌で耳をパタパタ叩く。

 たとえ与太話だとしても滅茶苦茶気になるな。

「え。──ホントに聞きたい?」

 もう馴染んだ茶渕の眼鏡を整え僕に問う。

 僕は唾をゴクリと飲み干す。

「い、言いたくないならいいけどさ」

 何故だか軽々しくそれを知ってはいけない気がしたのだ。

「けんめいだよ、桜木クン。多分私から言うべきことじゃないしね。……代わりと言ってはなんですが、一つだけ私から助言をします」

「……なに、怖いんだけど」

 こういう雰囲気の彼女にいい思い出はない。

「──、ね?」

 佐紀から筋道が通っていないヒントを出されて混乱する。

 ──まさか。サッカー部で回し読みしてるエロ本がバレたとか?

 だとしてもなぜ今なのか、という疑問もあるが一大事なのには変わりない。

 もし佐紀が──多数の女子が本当にそれを知っていて、どこかから漏れた情報が先生に渡ったら最期、目も当てられない惨劇になるだろう。

 少なくとも3週間はボールに触れない。足が棒になるまで走ることになる。

 ここが分水嶺だ、サッカー部の命運は僕に懸かっていると言ってもいい。

 焦点は僕らがエロ本を所持していることを知っているのかどうか。

 佐紀の指すがどういうものなのか少しずつ探りを入れていこう。

「……どの本のことを言ってる?」

 佐紀のアドバイスからこの間0.5秒で覚悟を決め、澄ました顔で僕は言った。

「私もよく知らないよ。たしか、もっと? って感じの本」

 ──あれ、やっぱりバレてる?

「男と女が交わる感じのああいう感じの感じ?」

 これで頷かれたらもう白状するしかない。

「うん。だってありさは言ってた」

 待て待てこいつらはどこまで知っているんだ?

 ──投了だな。言い訳フェーズに移行する。

「……部室のエロ本はさ。別に僕たちが持ってきたわけじゃなくて、先輩が勝手に置いていったり、別によくあることだと思わない? ……って桜井に言っても仕方がないけっ」

 ガンッ。

 また脛に衝撃。

「いてっ」

「……ぜんっぜん違うっ。変態」

 佐紀はジト目で僕を睨む。

 結局アドバイスの真意は判らずじまいで、佐紀は帰りのチャイムが鳴るまで一言も口を利いてくれなかった。

 ……僕が勝手に自白しただけかよ。

 


 **********



 下校路は二人ではなく一人。

 何が言いたいのかというと隣に佐紀はいない。

 もっと正確に言えば一人の男子中学生と、一柱の神様。

「さっきの舌戦は迫力あったねえ」

 特にラスト。完璧な自爆は全米が泣いたよ。と月兎は煽る。

「……もうサッカー部員に顔向けできねえよ」

「フフッ。どうだい? もう一度時間を巻き戻すっていうのは」

 機嫌よさそうに月兎はストラップで僕の二の腕をぺちぺち叩く。

「無条件で戻してくれるならな」

能力ちからっていうのはそんな便利なモノじゃないよ。そもそもボクがやってることは無から有を生み出す行為じゃない。桜木クンの人生に”制裁”を加え、その”制裁”を超常現象に変換しただけさ。言わばを仲介してるに過ぎないってこと」

「”制裁”の為替ねえ。……ホント、苦労させてもらってるよ」

 僕がこの2年間を思い返してぼやくと、月兎は鼻で笑う。

「いやいや、桜木クン。──そんなこと言いながら君、”制裁”を少し甘く見過ぎていないかい?」

 そんなことない。と言いかけて僕は一度口を噤む。

 ”制裁”と仰々しく銘打たれているのにも関わらず、僕は今日ものうのうと佐紀との楽しい時間を過ごしていた。

 ──果たしてそんな”制裁”があるだろうか。

「……実際、告白したり、されたりしなければ何とかなる。って考えはある」

 どれだけ仲良くなったって、ラインさえ越えなければ大丈夫なんじゃないか。

「そりゃかなり甘々さ、危機感が足りてないよ、さすがに」

「……」

 僕が気を悪くしたと思ったのか、月兎は僕をフォローする。

「……別に仲良くするなとは言っていないよ。寧ろ不運で恋人を喪った──というかボクが君贔屓だから、君にはできるだけ幸せになって欲しいと思っている。」

「それは、ありがと」

 佐紀を生き返らせてくれた大恩人だ。感謝してもしきれない。

「”制裁”というものはいつも君の隙を伺っている。それは桜木クンが気づかないうちに侵食し、引き返せなくさせる麻薬のようなものだろう」

 知らないけどね。そう月兎は付け足す。

「……なんにせよ。君の心の中に『僕は大丈夫』なんていう思考があるならすぐ取り除いたほうがいい。……しかしだ。麻薬も濫用しなければ人類の利になる。君にはそれを是非利用してほしい」

「なるほど?」

 二転三転する月兎の主張に、僕は曖昧に頷いた。

「君が失った2年間は灰色。本来”前史”の君はもっと交友関係も広まって、3年時にはクラスの中心人物になっていたじゃないか」

「確かにそうだったけれど。……ってかなんで知ってんだそれ」

 中心人物とは言えないかもしれないけれど、”前史”では学校の行事が総じて楽しかったし、こんなに中学校生活ではなかった。

 しかし月兎は僕の”前史”をなぜ知っているのか。

「フフフ。”神様データベース”は万能なのさあ」

 全国でコネクションされた常時アクセス可能なデータサーバー。

 ……らしい。

「なんだその胡散臭いネーミングは」

「未来は見えないけれど、もう現象となっていることならばボクは何でも知っている。例えば──桜井佐紀とか谷口ありさのスリーサイズとか知りたくない?」

 いや別に……どちらかと言えば知りたい。

 喉をゴクリと鳴らし、僕が口を開こうとするのを月兎は制して言う。

「──でも教えてあげませーん。君がボクに意地悪したせいだね。インガオホー」

「殺すぞ」

 殺すぞ。

「罵倒が直球すぎるよ。でもボクは殺せないんだよね。神様だから」

 付き合ってらんねぇ。

「あまりにも君の反応がいいから」

「……さっさと本題に戻りやがれ」

「分かった。というかどこまで話したか忘れたよ」

 やっぱりこんないい加減だから信仰されないのではないか。

「クラスの中心人物がどうとか」

「あーそうそう。君がどうしてそうなったのかっていう話をしたかったんだ」

「理由とかあるのか?」

 別に大したこともしてない気がするけれど。

「──それはね、偏に桜井佐紀がいたからだよ」

「さっぱりわからん」

 焦れて小石を蹴っ飛ばしたら思いの外勢いがついて、路肩に止めてある外車へ一直線。

 ──ギリギリの所で速度を失い九死に一生を得る。

「”前史”。君が1年の球技大会で大活躍したとき、もしくは柄にもなく2年で学級委員を務めたとき。他にも沢山の行事に君は積極的な関与を見せた。そしてその行動原理は全て桜井佐紀にあったんだ。──要は君が重度の格好つけたがりってことさ」

 最後の一言がどうにも蛇足に聞こえる。

「……酷い言われようだな」

「良いように言えば、君は他の人の為に力を発揮できるってことだけどね。だって桜井佐紀の為に3年も時間を戻してきたじゃないか」

「良い言い方があるなら最初からそっちを使ってくれ」

「君は自分に都合のいい記事しか読まないタイプの人間かい? それじゃロクな大人になれないよ。いい面と悪い面、どちらも平等に噛みしめないと」

 声変りが一切済んでいないアルトボイスで月兎は言う。

「正論なのがうざったいな」

 もう一度石を蹴ろうとして、やめる。

 ついさっきのハプニングがトラウマとして蘇ったのだ。

 代わりにぼんやりと空を眺めると、地平線にまるで虹がかかったような綺麗なグラデーションができていて、手元にカメラが無いのが惜しい。

「……君の人生を彩るのは女の子さ」

「それだと僕がとんでもない女たらしみたいじゃないか」

「事実なんだから仕方ないだろう。じゃあここ2年間の思い出をいくつか挙げてみてくれよ」

 キャンプ、社会見学、体育大会……。

 イベント名が次々と頭に浮かんで、それが画像や映像に置き換わらない。

「……サッカーをしていた」

 ただ過ぎ去っていった時間がそこにあった。

「だから桜木クンが桜井佐紀と関わることを止めようとは思わない。君が高校へ進学し、桜井佐紀と別々の道を歩こうと君の人生は続いていく。思い出は人を創り、人は環境を創る。これからの人生の為に君はより良い中学生活を送らなくちゃならいんだ」

 中学を卒業した『これから』を考えたことはなかった。

 何事もなく中学を超えれば僕の役目は全て終わり、という気持ちでいたけれど人生はこれから先も続いていくらしい。

「それはありがたいけど」

「そもそも君が桜井佐紀以外を好きになれば楽な話なんだよっ」

「……別に今は誰も好きじゃないって」

 厳密に言えばまだ僕はあの世界の佐紀に恋している。

 まあ、もういない人間なんだけどさ。

「結局僕からは2つ。まずはよく”制裁”に気を付けること。そしてその上で君の灰色人生に色を付ける。──虹色作戦を始めるんだ」

 だって人の為に時間を巻き戻した君だけが、灰色の世界に閉じ込められるなんて、あまりにもかわいそうな話じゃないか。と月兎は付け足した。

「……月兎さまは中二病」

「安易なラノベタイトルをつけるんじゃない」

 そしてぺしぺしと僕の二の腕をストラップで殴る。

「でも納得はした。僕も少しは佐紀に近づいていいんだな?」

「だからいい面ばかり取るんじゃない。そもそもボクがしているのは警告だ。『仲良くしていいが、仲良くなりすぎるな』と言っているんだ。4月に君は言っただろう。「佐紀の命がかかっている」と。確かに交際しなければ規則は破られない──けれど、もう少し危機感を持って行動してくれよ」

「ウィッス」

「……君の勘違いは、もっと根本のところにある。。もう一回よく考えてみるといい」

 さっき月兎が言ったばかりじゃないか。

 『”前史”との違いは桜井佐紀の有無』だって。

 もしかしたらその考え方自体が間違っているのか知らん。

「……だったらなんなんだそれは」

「人に聞いてばっかいないで少しは自分で考えてみたらどうだいっ。もっともボクは人ではなく神s──ぐえっ」

 月兎は不満げにそう言って飛ぼうとするが、ストラップのチェーンはリュックに繋がれたままなので、ビンとチェーンが伸びきって首を絞められた時のような声を漏らす。

 少し考えてみたけれど、湯水のように湧き出てくるのは”前史”の楽しかった記憶。

 常にそこには僕に笑いかける佐紀がいて、鳥肌が立ち悪寒がする。

 今の自分と対比すると劣等感で心が潰れそうになるくらい、あの時の僕は輝いていた。

 この劣等感を引きずって生きていったら、僕の人生は散々になること違いない。

 佐紀は死なずに、僕も良く生きていく。

 そんな道があるのなら。

「……本当に、佐紀を避けなくてもいいのかなあ」

 そもそもこれだけ近づいて今更避けるということができるのか?

 そんな僕のつぶやきに月兎は反応する。

「それがそもそも的外れな着眼だと思うね、ボクは。まあ、まだそんなに深く考えることでもないさ。気楽に楽しめばいいと思うよ。君の楽観はあくまで正しいし。交際しなければ規約は守られる。だから告白しなければいいし、告白されても断ればいいだけ」

「だよね」

 結局僕はそこに帰着すると思っている。

 僕の楽観の正体は、”交際”という行為に明確なラインがあるということだ。

 そもそも僕が佐紀に好意を寄せていない現状では、そのラインさえも地平線の遠く彼方にあり、”制裁”という単語の実感がわかないのだが。

「でもさ、例えば君が桜井佐紀を好きになったとして、桜井佐紀も君を好きだったとして、告白されたら君は何と言うつもりだい?」

 言葉に詰まった。

 ──どうするもこうするも断らなければ佐紀は死ぬし。

「そう、もちろん「いいよ!」などと言えば桜井佐紀は死ぬ。ならば、断る……? もしや君は「桜井のことは好きじゃないんだ」とでも言うのかい? 何のための虹色作戦だよそれは。桜木クンの人生は真っ黒になるね」

 ──君の人生、桜井佐紀の人生は続いていくんだ。

「ならどうすれば」

「また質問かい。そもそも、だよ桜木クン。麻薬も用量用法を守ってお使いくださいってことだね」

 なんどもチェーンを引っ張られて歩きずらいので、僕は月兎を解放してあげた。

 月兎はようやく自由になったと、大きく月面宙返りをして僕の隣に戻ってくる。

「……大体要領は掴めてきたよ」

 要約すれば、節度を守って桜井佐紀と接触しろという話だろう。

「それはよかった。他になにか質問はあるかい?」

 ──質問か。

 真面目な話の間もずっと聞きたいことがあったのだけれど、いいかな。

 別に大したことでもなくて、単純な疑問なのだけれど。

「もしよかったらでいいんだけど。佐紀と谷口のスリーサイ──」

 言い終わる前にストラップからため息が聞こえた。

 別にそんなに知りたいわけじゃない。本当に。マジで。

 その情報を基に女優検索なんて、まさかするわけないよ。

「……君って割と……まあいい。で、何をしてくれるの?」

「じゃ、じゃあ……とか?」

 本当は白玉団子とかの方がいいのかな? 神道的に。

「──許そう」

 ストラップがどうやって物を食べるのか。

 月兎曰く魂を食べているらしいけれど、よくわからない。

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