4月:美しい世界には屍体が埋まっている
何もしなくても時は過ぎていくことを思い知らされた2年だった。
僕は”前史”通りサッカー部に入部して、自分だけは顔を知っているメンバーともう一度友達になり、小学校からの仲間からは「急に上手くなったな」と驚かれた。
……そりゃ3年も年季が違うしな。
しかし朱に交われば赤くなるとはよく言ったもので、僕の精神年齢といったものはどんどんと低下して、このままだと以前よりも酷いガキになりそうだ。
……くだらない下ネタで笑える日が、もう一度来るなんて思いもしなかった。
最初は大無双していた勉強方面も、受験という壁が近づくにつれて地頭の差が露呈し、波の振動が収まるようにどんどんといつもの定位置へ舞い戻っていく。
しかしイベントムービー回収の為に、バッドエンドルートを回らされるRPGのように、中学生生活の二周目はどうやっても一周目より無感動なものだった。
何せ、この世界には桜井佐紀がいないのだ。
ことある行事の度に、”前史”で積み上げてきた思い出が僕の心を蝕み穴を開ける。
遠くで笑う彼女の声が、閉じた記憶の鍵を開けて感傷的にさせる。
たとえ彼女が同姓同名の別人だとしても、声質は変わらないのだから。
声だけではない。体育大会ではしゃぐ彼女の姿が、あの時何を話したか、どういう仕草をしたかを克明に蘇らせるのだ。
こんな灰色の学生生活ををあと1年。
──あと1年も?
もし僕の希望的観測が通るならば。
「一言二言くらい──友達になるくらい大丈夫じゃないかな」
そんなことまで思い始めた最終学年の4月。
***********
『櫻の樹の下には屍体が埋まっている!』
──梶井基次郎『櫻の樹の下には』
***********
僕にとっては一大事件だった。
「まじか」
3年最後のクラス替え。僕と佐紀は同じクラスに配属された。
”前史”おいて僕らが同じクラスになれた年は一度もなかったから、それをなぞって今回もそうあるべきなのだ。
……と思っていたのだけれど。
「これはまずいことになったね」
「……月兎さま」
始業まであと20分、体育館裏に身を隠すと兎のストラップが言葉を発した。
「さあー、桜木クンはどうするのかなぁー」
最初の深刻さに反して声はウキウキである。
待ち望んだイベントがやってきたぞー! みたいな雰囲気。
「……あのさ、佐紀の命が懸かってるのわかってる?」
”暇だから”という理由で
「いやいやボクは安心しきってるね。だって君が”制裁”に屈する男だとは思わないし。逆にそれさえ守れば桜井佐紀と仲良くなれるんだよ?」
リュックに括られたチェーンを外して、自由になった月の兎が悠々と重力を振り切り、僕の周りを公転運動する。
……他人事だからって腹立つなあ。
ピンッ!
デコピンで飛び回るストラップを打ち抜き、月兎は「ぐええ」と悲鳴を漏らす。
「──神様になんてことをするんだ!」
「だったら自分の神社くらい守れっ」
神社をほっぽり出して怠惰に過ごす神様がいるか。
元からさびれていたけれど、月兎がいなくなってから拍車がかかるように風化が進んだ。やはりそこに神様がいるかどうかが大事なんだろう。
「フン! どーせ参拝客なんかいないね! 見てよこのチャーミングなストラップ。よっぽどこっちの方が求心力に優れてる」
可愛くデフォルメされた”兎が月に乗っているストラップ”は、確かに男女問わず人気が出そうだ。
しかし月兎は神様。アイドルやゆるキャラではない。
「月兎さま。……若い衆に媚を売ってプライドは許すの?」
「うぐ……。うるさいうるさい。やむを得ない、この世界は厳しいんだぁ」
そう月兎は慷慨する。
僕は掃除した月兎神社の賽銭箱に、何も入ってなかった時の気まずさを思い出した。
伊勢や出雲とは比べないにしろ、0円ってねぇ。
「……わかるよ」
だから僕はできるだけ優しい声で同調した。
なんも分からないけど分かってあげよう。それが優しさだ。
神様のガチ凹み程対応しづらいものはないし。
「今ボクの話はどうでもいいだろう。君がどうやって桜井佐紀の誘惑を跳ねのけるかを談義すべきだ」
「うまく友達になれたらいいけど」
2年間僕は佐紀のいない生活を耐えて来たんだ。
あと1年くらい、ちょっとだけ。佐紀と仲良くなったっていいだろう。
どうせ高校も違う所行くし、少しだけ。
「……さしずめ、男女の間にホンモノの友情は存在するのかゲームってところだね」
「AVタイトルかよ」
月兎は愉快に笑い、僕は先を嘆いた。
──冗談じゃないよ。
**********
新しいクラスルームも3年目となれば見知った顔ばかりで、入学式(約5年前)に感じたあの緊張感は既に霧消している。
「よし──、と──決め─」
最初は全神経を集中させて参加していたホームルームも、そんなに重要ではないことを悟ってからは全く耳に入っていない。
どうせ僕には関係ないクラスの役職決めだ。
だから窓際の席をゲットした僕は、校庭に吹き荒れる桜吹雪をぼんやりと眺めながら、佐紀に対する感情をチェックする。
「───員に立──する人ー」
まず、僕は桜井佐紀を好きになっていない。
それは絶対の前提条件。
「─、──いな。じゃ──」
彼女とすれ違ったら意識はしてしまうものの、だからといって恋愛的に好きかと言われれば、僕が好きなのは”前史”の桜井佐紀であって、僕とは全く別の道を歩いてきたこの世界の佐紀には恋をしていないのだ。
だから一言二言話したって何も問題なくないか?
……間違いない。
「──、じゃあ桜木で」
考え事に耽っている僕の耳に「じゃあ桜木で」という声が届いた。
「は、はい」
「おー! やるね桜木」「ちゃんと聞いてた?」
反射的に返事をすればクラスから歓声が上がる。
──いや、聞いていないが。
何が起こったのか全く分からず、前で仁王立ちする担任の顔を伺うと、珍しくゴリラのような表情が緩んだ。笑うな、こっちが笑えてくるわ。
……一体何だってんだ。
「やっぱコージならやってくれると信じてた。……ううう」
よく通る低めの声、我らがサッカー部不動のキャプテンにしてボランチの相方、
黒板を見ればクラスの役職決めが始まっていて、”応援団”という欄の下には桜木浩二と川根誠と既に書かれている。
汚い。手口も汚ければ、ウソ泣きの絵面も汚い。
「……」
「じゃああと女子二人。誰かやりたい人居ないかー」
”応援団”というのは体育大会で学ランを着て大声を出す、あの役職ではない。
クラスごとに5分間の発表の時間をもうけ、自由にクラスの個性を発揮する”応援合戦”の演出担当ということだ。
夏休み明けの体育大会のために、長期休暇の間も準備をしなければいけない役職は、生徒にとってあまり人気のあるものではなく、自分たちが受験生だということもそれに拍車をかけていた。
僕だってやりたくないが、決まってしまったものは仕方がない。
若干不貞腐れてまた外を眺めると、教室内にまた歓声が上がる。
「……はい、じゃあ私やります」
余程意外な人だったのだろう、僕の時よりも一段と声が大きい。
こんな貧乏くじ、マジで誰が自分からやりだそうって言うんだ。
……
「って、えぇ……」
小さな驚嘆が漏れる。
──なぜならもう一人のアホが桜井佐紀だったのだから。
「お、桜井か! 珍しいなガハハ。じゃああと一人。桜井、推薦あるか?」
ゴリラは再び顔をふにゃと緩ませる。
僕も同意だ。珍しいにも珍しい。”応援団”なんて絶対にやらないタイプだし。
やっぱり僕の知っている佐紀とは違うのか。
「……先生、ちょっとトイレ行ってきます!」
僕の二席後ろで立ち上がった、ロングヘアの女子生徒は
佐紀とかなり仲の良かった子だと覚えている。
「ありさー? 逃げるのはナシだよ?」
佐紀がどすの利いた声をかけると谷口はしぶしぶ腰を落とす。
まるで何か弱みを握っているかのようだ。
「……わかったやるよ、やればいいんでしょ!」
──本当に仲はいいのだろうか。
果たして黒板に再び桜井佐紀と谷口ありさの名前が記され、どうやらこれでクラスの役職が全て決まったようだ。
「意外とすんなり決まったな。じゃあ次、係活動決めてくぞー」
ゴリラは円滑にホームルームを運営する。
いつも目が合う誠の方を恨めし気に見れば、彼はぼーっと前の席を見やっていた。
その意識の先に誰がいるのかは分からないけれど僕は予感を察知する。
──誠に好きな奴がいる?
佐紀の急接近という目下の不安要素と、あの女っ気が全くないことで有名な川根誠が誰かに恋をしている、という嬉しい誤算が入り混じった学期初めである。
──それにしてもあの佐紀がクラスの役職を率先して務めるとは驚いた。
やはり佐紀は、僕の知らない桜井佐紀なのだ。
**********
「おーっす、桜木、川根君」
聞き馴染んだ声が2年ぶりに僕に向けられた。
「──佐紀」
まだ桜が咲いている日の昼休み、新しいクラスになり再結成されたクソガキグループで、”消しゴムバトル”に燃えていると佐紀と谷口が話しかけてきたのだ。
何しろ唐突なことだったので、力を誤り自分の消しゴムを弾き飛ばしてしまう。
「さき?」
「──サキ。……なんか随分小慣れてるね」
佐紀はオウム返しをし、谷口は僕の物まねをして茶化す。
──オレまた何かやっちゃいました?
「おかしかったか?」
「……だって、今までずっと苗字呼びだったし」
首を捻ると佐紀が違和感のたねあかしをする。
「そういえばそうだった。……桜井」
思い返せば、”名前呼び”は付き合ってからのイベントだった。
──一年生の冬休み、僕らは名前を更新した。
それまでずっと苗字で呼び合っていたことを忘れていたのだ。
影が差したように場の温度が下がる。
「──いや俺はくん付けかよお!」
微妙な空気が流れた空間を切り裂くように誠がカットインする。
恐らく何も考えていないだろうけれど、グッジョブだ。
「じゃあ呼び捨てにすればいいんでしょ。かわねー」
「お、おう。……サクライ、さん」
急に勢いが削がれてしゅんとなる。
「何恥ずかしがってんのよ」
谷口は誠の席の背もたれに腰掛け、彼の肩を肘でつつく。
僕らのキャプテンは硬派で女慣れしていない。
「うるせぇバカリサ。な、慣れてねーんだよこーいうの!」
しかし幼馴染の谷口を除く。
「モテないよ、バカワネ。じゃあ、体育大会の打ち合わせ始めよ」
「余計なお世話じゃ」
谷口はさっさと僕らを纏め、四つの机を向かい合わせて議場を作った。
何気にリーダーシップあるんだよな。
声だけが大きい誠と、仕事になると急に大人しくなる内弁慶の佐紀と、そもそもやる気がない僕にとって、谷口というリーダー格はいい人選かもしれない。
**********
「じゃあ、何やろっか」
「やっぱり定番はダンスじゃね?」
乾いた陽の下で生徒たちが掛け声を合わせて踊る姿は、統一感と迫力があり生徒からも、先生からも人気な演目である。
「とりあえず夏休みまでには全部決めておきたいよね。小道具何作るかとか、演出や振り付けも」
休みにあんまり学校来たくないし。と谷口は佐紀を睨んだ。
本当に仲いいのかなあ。
「大丈夫、だいじょぶ。なんかあったら桜木に任せればいいからさ」
「えっ」
急に佐紀に頼られて心臓が一度脈を打った。
「……なんでだよ」
「だって小二の図画工作すごかったじゃん。器用だなーって思ってたよ」
恥ずかしくなるから過去の話はやめてほしい。
「コージのことよく知ってんね。さ、桜井さん」
相変わらず誠はタジタジである。
「小学校の頃は仲良かったからねー。避難訓練のときとかさー」
「おまっ、なんで覚えてんだ」
僕は彼女の暴走をすかさず止めに入る。
──避難訓練でかくれんぼした話。あの時の先生、僕はもう反省しています。
あの頃と今の僕は違うけれど、やっぱり過去の黒歴史は広めたくないものだ。
「えー。なんでだろうねー」
そう言って佐紀は僕に向けて二年ぶりに笑った。
止められていた麻薬を打ち込んだような、満たされていく感覚がする。
「……とにかく、秘密でおねがい」
「わかったよ、貸し1ね」
したり顔を見せる。
そうだ。事あるごとに”貸し”を作ろうとするのも彼女の癖だった。
「……っ」
僕は無意識のうちに佐紀の頭へ伸ばしかけた手を止める。
──いつも佐紀の頭を撫でて”貸し”を返していたから。
脳裏に「こんなんで”貸し”が返せると思っているのかー」なんて言いながら、満足げに目を瞑る佐紀の顔がフラッシュバックする。
僕は上げかけた掌をそのまま自分の頭に当ててわしゃわしゃした。
「え、貸しってなんだよ」
そしてとぼける。
新品の筆のように滑らかな感触ではなく、硬くてギシギシする傷んだ毛。
掌は野郎臭い僕の髪などではなく、素直に彼女の質感を欲しがっていた。
──僕が好きな桜井佐紀は目の前の桜井佐紀ではないのに。
「なんでもやってくれる権利」
「横暴すぎる」
佐紀はサイコスパイシーな一面がある。危険。
「まあまあ。桜木……くんは何か意見とかある?」
話が逸れまくっていたので谷口が軌道修正を図ってくれた。
「桜木でいいよ」
「……助かる」
なんて呼べばいいか迷ってたんだ。と谷口は苦笑する。
「俺、劇とかやってみたいな、なんて」
誠が口を挟む。
「劇ぃ? かなり難易度高そうだけど」
谷口は誠に対してのみ、かなり厳しく当たると見受けられる。
「そうなの? 俺はよくわからんけどやりたいってだけ」
「評価項目に”元気よさ”みたいなのあるじゃん?」
「あー、劇だと迫力が足りないってこと?」
「うん。ストーリー性を持たせるのはいいと思うんだけど」
彼らは二人だけであーでもないこーでもないと議論を始める。
……僕の口を挟む余地がない。力を抜いて机に肘をつく。
「……あの二人に任せておけば決まりそうだ」
ないしょ話のように佐紀は少し小さな声。
「真面目だもんね。二人とも」
「ホント、私たち楽できていいねー」
机に伏せて二人の会話を楽しげに眺める佐紀。
僕は少し切り込んでみる。
「どうしてわざわざ”応援団”やることにしたの?」
僕の知っている桜井佐紀は、わざわざこんなことをやる人間ではないから。
「どうしてって?」
「だって一番最初に「ダルい」って言いそうじゃん?」
「…なんで」
──知ってるの? 佐紀は目でそう言っている。
「まあ……勘だけど」
勘というか、なんというか。
「……当たり。面倒くさいよー、こんな仕事。んっ……」
佐紀は重い荷を下ろすように顔を机に伏せ、ピンと腕を伸ばす。
身長の低い佐紀の小さな手の甲が、肘をついた僕の目の前にやってくる。
短い二つ結びが耳になって、まるで今の彼女は気まぐれな猫ののびだ。
「じゃあなんで」
たゆんだセーラー服の襟首から佐紀のインナーウエアが、チラリと見えて僕は目を背ける。刹那のそれは魅惑のトンネルだった。
桜がつむじ風となって校庭から空へと舞い上がっていく。
『桜の樹の下には』
煩悩をかき消すように梶井基次郎の詩が頭をかすめた。
「……当ててみてよ」
佐紀はもう一度体を起こし、茶渕の眼鏡を整える。
同じ目線で目が合って、僕はそれを端なく逸らした。
「んー。間違えて手を上げたとか?」
「ぶっぶー」
「誰かに命令された?」
懐かしいテンポだった。
「ぶっぶー。そんなわけないでしょ?」
もっとThe Beatlesっぽい答え。と佐紀はヒントを出す。
「……アバウト過ぎるわ」
そもそもお前ビートルズそんな知らんだろ。
何せヒントにしてもジャンルが広すぎる。何曲あるんだよ。
「──ちょっとは二人も考えてよ」
「そーだぞー」
僕と佐紀の空間に割り込んで、真面目な二人組が唇を尖らせて言う。
「で、僕たちはなにするんだ?」
「丸投げかよ」
バシッと誠が僕の肩を小突く。
無理やり僕を参加させといて何言ってんだ。
「川根がどーしても劇やりたいって言うから」
”どーしても”を強調して谷口は言う。
「別にどーしてもとは言ってないだろ? 目立つやつをやろうぜって話」
「まあ色々話して、このクラスはミュージカルでいこうってなりました」
「いえいっ!」
誠と谷口がパチパチと手を叩く。
「歌って踊って劇をする感じ? いいんじゃない」
何が幸せなのか分からないけれど僕も手を叩いておく。
さっきまで話していた佐紀の様子を伺うと、さっぱり興味なさげに外を眺めていた。
──やはり全くやる気はないようだ。
「で、台本をどうするかって話だけれど」
谷口も佐紀の様子に気づいた後、呆れた表情をして打ち合わせに戻る。
「オリジナルでやるのか?」
「5分で体育大会向けのミュージカルなんてないからな」
僕が訊くと誠が答える。
そりゃそうか。
「今すぐに決めなくちゃいけないことでもないけど、早めに決めておかないと修学旅行もあるし」
「コージ班別行動一緒に行こーぜ。サッカーミュージアム。今のうちに──」
「その話は後にして」
谷口が話の脱線を元から止める。
しっかりしてんな。この子いなかったらどうなってたことやら。
「でさ、サキ。──台本書ける?」
「えぇ?」
佐紀は寝耳に水といった表情。僕だって驚いた。
「私が台本? そういうのは桜木に任せればいいのに」
「……擦り付けたいだけだろ」
お天道様が見逃しても僕の目はごまかせねぇよ。
「違うって。桜木、小学校の時よく読書感想文で賞獲ってたから」
「あれ、意外とコージ頭いい?」
「……結構意外」
誠と谷口が瞠目する。
「今日は僕の暴露ショーか何かか?」
本当によく覚えてんな。
「卒業文集でくっさいポエム書いてたのも聞きたい?」
「待って待って。ホントごめん」
なんで僕が謝ってるのかは知らないけど本当にまずい。
”歴史に名を残す人間になる。常識を塗り替える”(キリッ
なんて偉そうに書いた過去……あ、いてて。心が痛い。痒い、むず痒い。
「じゃあなんか案出してよ」
──人の足元見るのが上手だな君。
「そのうちな」
「今」
「いまぁ?」
そんな簡単に思いつくなら作家目指してるよ!
「5、4、3、2、」
待て待て、考えればなにかあるはずだ。
別に全部オリジナルじゃなくたっていい。
「1」
──あ、あった。
「ゼr」
「えっと、例えばさ。──過去に戻る話とかどう?」
「過去に戻る話?」
佐紀は嗜虐的な笑みを崩して首をかしげる。
「全然具体的なことは思い浮かばないけどさ、何かを助けるために未来から飛んでくるみたいな」
実際は”制裁”なんてあったり色々大変なんだけど。
でもフィクションにそんなのいらない。ご都合主義ハッピーエンドが丁度いい。
「ドラ〇もんみたいな?」
「そうそう、ド〇えもん」
佐紀がいい例を出してくれたので乗っかる。
「クラスを助ける話かー」
「そうなるね」
クラスを応援する”応援合戦”だから。
「うまく演技できるかなあ」
「不安が早いよ」
「だって『クラスの為に時を戻したい』って思わなくちゃいけないんでしょ?」
今から役作りの心配とか、実は結構楽しみにしてるだろお前。
「まだ桜井が主役と決まったわけじゃないが」
「……確かに。なんか勇み足」
「ね、ちゃんとやる気出た?」
ニヤリと笑って佐紀の顔を覗き込む。
「別にそんなんじゃ……。本当! いいテーマだと思った、それだけだよっ」
パシッ!
僕は佐紀のパンチを受け止める。久しぶりだけど反応は悪くない。
困るとよく手が出る彼女の癖は僕に染みついていた。
──当たったところで痛くも痒くもないけれど。
「……”未来から助けに来てくれるヒーロー”とかさ。結構私好きかも」
そう言って佐紀は拳を下ろし、ニパーと微笑む。
「それはよかった。……頑張らないとな」
「……うん、台本くらいやってもいいかなって思った」
その笑顔がずっと続くように僕は未来から来たんだ。
──本当、頑張らないと。
プロデューサー:谷口ありさ
現場監督:川根誠
脚本:桜井佐紀
……雑用:桜木浩二
──ここまで決まって予鈴が鳴る。
雑用ってなんだよ。
もう休みは終わりだ。谷口が今日の進捗を纏める。
「じゃあ、ウチのクラスはミュージカルをするということで。台本はサキと……桜木に任せたよ。締め切りは夏休み一週間前。ゆっくりでいいからね」
「おう」
響きの良い返事を返す。
何せ仕事と締め切りを明確に設定してくれるからすごくやり易い。
これから僕が多くに関与するかは分からないが、手伝うとするならば谷口、誠ペアの表舞台ではなく、裏方の脚本だったり演出に回るだろう。
──適材適所で完璧な配置じゃないか。マジ谷口△。
「待ってありさ。本当にそれでいいの?」
しかし佐紀は谷口に抗議する。
「どういうことかな?」
谷口は明らかにすっとぼけた。
突然の緊迫した状況に僕と誠は置いてきぼりを喰らう。
「……」
無言で佐紀は谷口を見つめ、谷口もまた目を合わせる。
──そして、先に目線を逸らしたのは谷口だった。
「いいの。このクラスでいいモノ創る方が優先でしょ? 期待してるよ」
「……バカ」
ぷい、と佐紀は自分の席へ小走りで帰ってしまった。
本当に仲がいいのだろうか。益々疑念が深まるばかりだ。
本鈴が鳴りだして先生が教室に入ってくる。
「じゃあ頑張ろうね、桜木っ」
谷口は何事もなかったかのように笑う。
プロデューサーモードから一気に中学三年生に戻ってきた彼女は、その落差からいつもは気づけない魅力を醸していた。
──まあ、こんな爽やかに笑ってるし大丈夫だろ。
「よろしく、谷口P」
「なんだそりゃ」
佐紀との急接近にヒヤヒヤする面もあるけれど、無理やり”応援団”に参加させられたことで、久しぶりに『生きている感覚』を取り戻せた気がして、この世界に来て初めて学校が楽しいと思った。
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