1月:SAN値チェック、ワンチャンス。
初詣は月兎神社に一人で行った。
掃除用の箒を片手に、ポケットに5円玉を入れて坂道を登っていく。
厚手のジャンバーが手放せない季節は、息を吐いては白い煙が出現して消える。
夏頃と比べて鳥居にしても社殿にしてもなんだか小奇麗に見えるのは、月兎がここに帰ってきたという証拠だろう。
もちろん寂れている神社に変わりないのだが、どこかピンと張り詰めた空気──神聖な空間と言えばいいのだろうか、そのようなものがこの場所に戻ってきていた。
「おーい、月兎。来てやったぞ」
ここの世帯主に呼び掛けてみるが返事はない。
きっとまた大好きな睡眠に耽っているのか、または居留守を使われているのか。
──まあ、きっと後者だろうな。
賽銭をぽいと放り投げ適当に祈っておく。
今となっては生きがいも願いもあったもんじゃないが、とにかく何かを願っておいた。それから僕は真剣に謝った。
「……ごめんな、月兎さま」
月兎はあんなに僕のことを考えてくれて、”虹色作戦”などとノリノリだったのに、結果的に僕は彼の忠告を全て無視する形になってしまったからだ。
仏の顔も三度までというし、あの短気な月兎の顔は一度で沸騰するだろう。
僕は箒を取り出して、湿った落ち葉を掃き出していく。
自分以外誰も来ないということは解っているけれど、これも1つの恩返しだ。
もうすっかり体を動かさなくなった僕からすればこれも重労働となり、大体掃除が終わったころにはもうジャンバーは必要なくなっていた。
ここで清掃活動をするのは初めてではなかったが、近くに軽口を叩ける
**********
冬休みが終わっても僕の生活は何1つ変わらない。
──中1や中2の頃と比べて。
”あけおめ”が飛び交う教室は真冬だというのに熱気に溢れ、設置されたストーブの前に固まる生徒はいない。
「あけおめ」
浮かれた空間で今日も気だるげな雰囲気を纏い、机に伏せていたのは佐紀。
茶渕の眼鏡を脇に置き、おさげ髪をピョコりとはねさせて僕にもっともな新年の挨拶をした。
「……おう。ことよろ」
そして僕は佐紀の前をすーっと通りぬけて自分の席へ着く。
後ろから「もうちょっとなんか話せよ」オーラが刺さるが、僕はその視線を無視した。あと2か月ちょっと、これは佐紀のための我慢なんだ。
またある日。
「コージ! 卒業旅行行くぞっ」
誠は今日も白のカッターシャツを腕まくりして元気を溌溂とさせる。
ただ冬場でも黒かった彼の肌は、受験生仕様に塗り替えられている。
「……いいけど。勉強はいいのかよ」
「受験終わってからに決まってんだろ」
誠の志望校は県内有数の進学校。
部活が終わるまでは成績が中の中である僕にさえも馬鹿にされていたのに、ここ半年でググっと偏差値を伸ばしてきた。
やればできるカッコいいやつなのだ、誠は。
「で、メンバーは」
「ありさはもう誘ってる。後はサキと、お前」
そんなの。
──行けるわけないじゃないか。
「……まあ、親に確認してみるよ」
「そうだなっ」
後日断りのチャットを入れた。
またある日。
「球技大会か……」
「そうそう、一緒にバスケやろーぜ」
2月に控えた球技大会の種目決めが始まった。
サッカー、バスケットボール、卓球そしてドッジボールの4種目をそれぞれクラス対抗で戦うという行事だ。
声を掛けてきたのはクラスの元バスケ部。
当然僕の脳裏には
「……うーん」
「もう4人は決まってて。マコトかお前で迷ったんだけどさ、あいつはどうせサッカーだろ? じゃあコージかなって」
「いや僕はドッジボールやりてぇ。もうおじいちゃんだからスポーツ無理だ」
「あいよ。ならマコトにすっか。おい! マコトー! お前バスケやるかー?」
バスケ部が大声で誠に呼び掛ける。
黒板の前でみんなを纏めていた誠は。
「おう! いいぞ! フリーキック決めてやんよ!」
と言い自分の名前を『バスケ』の下に書いた。
お前サッカーじゃなくていいのか。
僕こそバスケじゃなくていいのか。
まあ、これでいいんだよな。多分。
またある日。
「勉強会?」
ありさは手を後ろに組んで僕に打診する。
「うん。こーじ君どーせなんも勉強してないでしょ?」
「……何もしてないわけじゃないが」
一応過去問はパラパラ眺めた。
「そこでですね。わたしが一肌脱ごうかと」
「なるほど」
勉強を教えていただけると。
「マックでもどこでもいいよ。私の家でも」
「……うーん」
ありさのことが嫌いという訳ではなく、佐紀のことが好きなのにも関わらず、ありさと2人で出かけるということが不誠実だと思うのだ。
僕が苦い顔で首をしかめると。
「まあまあ。ダメ元で誘ってみただけだから。全然気にしないでよ」
あ。あの人の新刊読んだ? 本当に珠玉のミステリーだよね。とありさは何事もなかったかのように話を続ける。
「……なんか、すまんな」
──好きな人を避けて、自分に好意を持っている人を避けて、一体僕は何を得たいのだろうか。
またある日。
「あらら? 貸し切りがいいかしら?」
昼休みは満腹感と共に午前中の疲れがどっとやってくる。
約1年ぶりに僕はあのセクハラ養護教諭がいる保健室へ出向いてみた。
「ホントにそのシステム使ってる人いるんですか……」
1000円で保健室貸し切り。
「その情報は守秘義務があるの。簡単に言えるわけないでしょう、商売なのだし」
「……たった千円じゃ商売あがったりでしょう」
僕は溜息を吐きながらテーブル椅子につく。
座る場所など何も気にしなかったのにも関わらず、ここへ通っていた時と同じ場所へ勝手に腰掛けていたので、仄かな懐かしさがした。帰巣本能みたいな。
「そこの棚、開けてみなさい」
養護教諭は僕に鍵を渡す。
彼女が指を指した棚は部屋の片隅で、黒光りをして怪しげに佇んでいた。
正直あんまり乗り気でなかったが、断る理由もないので僕はその棚を開けた。
ガチャリ。
「……うっわ」
この感情を文字に起こすなら、ドン引き。
「ゴムにローション、おもちゃもあ──」
「──どうしてこんなのあるんですかっ」
悪いことをしている気になって周りを見渡すと、ここの常連は皆知っているようだった。恥ずかしそうに俯く女子生徒。やれやれと僕に同情を示す男子生徒。
「勿論、これを売ったり貸したりしているのよ。特価でね」
悪びれもせずに肩をすくめる養護教諭。
「……2年間もこれに気づかなかったなんて」
「言っていなかったからね。それで、今日桜木君のつがいはいないの?」
彼女は小指をピンと立ててウインクする。
「それが桜井のことなら、あいつはいつも教室で寝てますよ」
僕はため息交じりに言った。
「じゃあどうしてここに来たのよ。好きなんでしょう? 桜井さんのこと」
「別に……」
好きだけど。
だからこそ同じ空間にはいられないのだ。
こんな意味不明な事、誰も解ってくれないだろうけれど。
「バレバレ。アラサー独身になるとそこら辺のセンサーがビンビンなのよ」
「あれ、39歳じゃ──」
「まだ30代だからア・ラ・サー」
「はぁ」
「君はまだ若いのに。そんな草食系でどうするよ」
「あはは……」
好きで草食動物になってるわけじゃないんだよな。
……この養護教諭早く解任されんかな。嫌いじゃないけどさ。
またある日。
家で緑茶を淹れてみたら、茶柱が立った。
別に毎日淹れているわけでもなく、貰い物の茶葉で一度淹れてみたらたまたま立ったのである。
「これは……すーぱーらっきー」
早速写真を撮り、佐紀に共有しようと思った。
所謂”クソリプ”を佐紀に対して送り付けるのが僕の愉しみの1つで、よく月兎に「君は一体何がしたいんだい?」と不審がられていた。
だけど。こういうのもやめるべきだ。
──ポコン。
しかしそう決心した直後、噂をすればなんとやら──佐紀からのメッセージを受信したのだ。
『暇なんだけど』
…tね反射的に開き既読をつけてしまった。
こうなってしまえば『あ、気づかんかったわ。すまん』という手段は使えず。
『悪い
勉強してる』
──ポコン。
”泣いている女の子のスタンプ”が返ってくるととうとう罪悪感が募り、僕は真っ白な参考書を開き勉強を始めた。これなら嘘にはならないはず。
それでも心が痛いけれど。
またある日。
筋肉の鎧を着たゴリラは今日も愉快にホームルームを始める。
「もうそろそろ卒業だからな。今回のテーマは『将来の夢』についてだ」
窓ガラスを貫通した冷気は学ランという軽装備のみでは防げないため、僕は少し机を内側へずらし窓際から離れ、頬杖をつきやる気のない顔を出す。
「将来の夢かあ」
そして誰にも聞こえない声で呟いた。
”前史”の僕は卒業文集に何を書いたっけ。体感でたった3年しか経っていないというのにもう、何も覚えていない。
ただあの頃の僕は僕なりに無気力ながら──高校は”佐紀の進路に合わせる”という消極的な理由で決めていながら、しかし早く働きたがっていたような気がする。
それは一応『佐紀を幸せにする』という人生のゴールがあったから。
けれど、今の僕はもう何もやりたくない。
そもそも意味がないのだ。
どれだけ頑張っても佐紀の為にしてあげられることは何もない。寧ろ何もしないということを頑張らなくては佐紀が死ぬ。
勉強して大企業に入ろうとも、今から死ぬ気でサッカーを頑張り選手になれたとしても、宝くじやFxでお金をどれだけ稼いでも。
──そこに佐紀がいないのだからやりきれない。
僕はこの先、佐紀がいない人生をどう生きていくのだろうか。
またある日。
今年初めての雪が降った。
溶けて消えてしまうようなしょぼい雪ではなく、犬が喜び庭を駆け回り、猫はこたつで丸くなるほどの雪だ。
1時間目は先生方の厚意によって自習(という名の雪遊びタイム)となり、誠ら”犬組”は我先にと外へ飛び出して行った。
しかしながらその他の”人間組”も、各々雪だるまを作るなどして校舎から出ているのだから、この地域でどれだけ雪が珍しいか分かる。
「あーねむっ」
そして残ったのは”猫組”。
即ち僕と佐紀のチームである。
なぜ外に出ないのか?
雪など寒いだけで何のエンタメ性もないただの気候だからだ。寒いし寒いから。
にゃーん、と彼女は伏せていた体勢からのびを一度すると、同じく教室に残っていた僕に気づく。
「なんだ、君はいかないのか。気まずいわー」
嫌悪感を滲ませることはなく、佐紀は微笑む。
その表情から「やっぱり桜木もいてくれたのか」という、言葉とは裏腹な彼女の安堵を読めたので、
「……いや、今行くところだった」
と思わず天邪鬼的に返してしまった。
「そっかそっか。……いってらー」
そう言って佐紀は頬杖をつき目を瞑った。
無感情なフリをした悲壮感を纏う佐紀の横をすり抜け僕は教室を出る。
本当は暖かいところが好きで、こんなにクソ寒い廊下にでるつもりはなかった。
その後雪合戦を誠たちとしたが、あまり楽しいとは思えなかった。
またある日。
「ねえ。桜木最近調子悪い? だいじょぶ?」
図書室でたまたま出会った佐紀は出し抜けにそんなことを訊いた。
間違っても佐紀は図書室なんぞに迷い込む人間ではないから、ここの常連の誰か──つまるところ僕に会いに来たのだろう。
僕は本に伏せていた目を佐紀に向ける。
「どうして」
「……別に、勘だけど。無理してる感じするし」
はっきり言ってしまえば、そう気遣ってくれる佐紀に甘えて、ぎゅーっと抱きしめたかった。そんなことは決してできないけれど。
「……季節風邪かもしれん」
「季節風みたいに言うな。……なんか面白い本ある?」
佐紀は立ち上がると小説コーナーへ向かっていく。
活字アレルギーのクセに、わざわざなんでそんなことするかね。
「佐紀が面白く読める本ってならこっち」
僕は佐紀を置いて児童文学コーナーへ。
「私そんな子供じゃないしー」
3回りくらい低い角度から佐紀は僕に噛みつき、僕の足をシューズで踏んだ。
「いてっ。バカにしてねーわ。一回これとか読んでみ? 結構おもろいから」
僕は一度読んだことのある過去の『読書感想コンクールの課題図書』を、佐紀に手渡し図書室を後にする。
後ろから聞こえる小さな「ありがと」に胸が痛くなる。
──ダメだ。……佐紀が可愛すぎる。
もっとちゃんと避けなきゃ、いつか絶対僕は佐紀を殺してしまう。
またある日。
僕は廊下を曲がるとき、佐紀がその奥にいないか確認した。
1年の最初期にやっていたことだけれど、いざ思春期に入ってこんなスパイごっこじみたマネをするのは恥ずかしい。
またある日。
僕は佐紀と目が合って、それを逸らした。
またある日。
佐紀が夢に出てきた。
夢の佐紀はいつも僕と付き合っていて、とても幸せそうで、朝起きるのがつらくなった。
またある日。
学校への通学路。
澄み渡った空に幾筋かの雲。
それが佐紀の顔に見えた。
またある日。
またある日。
またある日。
──1月、僕は1年や2年の時のように佐紀と距離を置いて過ごした。
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