第49話 魔王の息子、狙われる

 実習の為、生徒たちは都市から少し離れた広い草原にやって来ていた。 

 真上から真昼の日差しが降り注ぎ、生徒たちを照らしている。

 雲一つない青空だ。

 遮蔽物がないおかげで風が吹いているのがせめてもの救いだった。


 国ごとに縦一列に並ぶ。

 魔術師見習いとはいえ、それなりに場数を踏んできている。

 九十名が並ぶ様は、中々に壮観だ。


 ゼノスは共和国の最前列に立ち、剣の柄を右手に、左手は腰に添えていた。

 自分に絡んでくる視線は、あまりにも重く、それでいてうっとおしい。

 ねばつくような視線の主は、もちろんイザーク先生だ。

 まるで観察でもしているかのように、片眼鏡ごしにジッとこちらを見ていた。

 イザーク先生の隣にはアルヴィナ先生もいるのだが、こちらはどこを見ているのか分からない。


「すまん」


 左隣に立つユリウスが小声で謝ってきた。


「まだ何もされてねえぞ?」

「今は、な。見ろ、先生のあの顔を。絶対に何か仕掛けてくるぞ」

「その時はその時でどうにかするさ」

「……すまん」


 ゼノスは苦笑しながら頷いた。


「さて諸君。私は君たちの先生としてやって来てはいるが、君たちがどの程度やれるのかを知らない。そこで、だ。今日は隣にいるアルヴィナ先生に協力してもらい、君たちの力を見せてもらうつもりだ」


 イザーク先生の言っていることは尤もだ。

 生徒たちの実力が分からなければ、どのような指導をしていいか判断がつかない。

 ユリウスやレティシアの先生をしていただけのことはある。

 

 おそらくはアルヴィナ先生の召喚魔法で魔族を呼び出して、生徒の動きを見るつもりなのだろう。


 それに――。


 ゼノスは辺りを見渡す。

 今までの実習は洞窟や森といった場所が多かった。

 それに対して今回は草原だ。

 生徒一人ひとりの動きを見るには適していると言える。


「いつもは集団で実習を行っていると聞いている。確かにそれも正しいが、今回は一人ひとりの動きを見てみたいのだ。呼ばれた者は前に出るように。待っている者もただ待つだけでなく、自分ならどう動けばいいか考えてもらいたい」


 イザーク先生の口調、それ自体は丁寧なものだが、ユリウスはぶるっと体を震わせた。


 名前を呼ばれた生徒が前に出ると、アルヴィナ先生が召喚魔法の詠唱を開始する。

 地面に黒く光る魔法陣が浮かび上がり、魔族が姿を現す。

 インプだった。


 これまでに何度も倒している魔族ではあるが、それはあくまで複数人でのことだ。

 一人で倒すというのは生徒たちにとって初めてだ。


 大して強くないとはいえ、弱いながら魔法も使用するインプは初心者にとっては手強い魔族である。


 しかし、ゼノスと一緒に時間を過ごしてきた彼らは、既に初心者ではない。

 呼ばれた生徒たちは特に苦労することなく、インプを倒していった。


「ほう」


 その様子を見つめるイザーク先生は、片眼鏡ごしに目を細めた。

 どの生徒もインプの攻撃や魔法を慌てることなく、落ち着いて対処している。

 

 レティシアの話ではゼノスという生徒が特に素晴らしいということだが、他の生徒も悪くない。

 なかなか鍛えがいがありそうだ。


 次々と生徒が呼ばれていき、そして、ゼノスの番になった。

 イザーク先生がアルヴィナ先生に軽く耳打ちする。

 アルヴィナ先生は表情を変えないまま、イザーク先生を見た。

 その視線は、「本当にいいのか?」と問いかけているようにも見えた。

 イザーク先生は笑顔で頷く。


 ――嫌な予感がする。


 今まで召喚されたのは全てインプだ。

 普通に考えれば自分が相手をするのもインプのはずである。


 しかし、だ。

 それなら、わざわざ耳打ちなどする必要はない。

 ゼノスは警戒しながら、黒く光り輝く魔法陣を見据えた。

 

 心なしか先ほどのものよりも大きく見えるのは気のせいだろうか、いやこれは――。


 ゼノスは何かに気づいたようにハッとする。

 慌てたように、後ろを振り返った。


「イリス! 『ディバインフィールド』を張れ」


 突然のことに、イリスはぽかんとした顔でゼノスを見つめた。


「え? インプ相手にそんなことしなくても……」


 魔法陣を中心に地響きがした。

 ゴゴゴゴ、という地鳴りと共に、魔法陣からソイツが姿を現し始める。

 

「ちっ、来やがった……いいから今すぐやるんだ。他の奴らも王国の生徒たちの近くに集まれ」


 ゼノスの言葉を理解しきれていない様子のイリスだったが、ゼノスのあまりに真に迫った表情からただ事ではないと判断し、他の生徒と『ディバインフィールド』を展開する。


 よし、これでとりあえず大丈夫だな。


 ゼノスは魔法陣へと視線を戻す。

 と、同時に。

 

 ずん、と。

 大気が震えた。

 

 自然と、生徒たちの視線がそこに向けられる。

 そして、魔法陣の中から、それが完全に姿を現した。


 3メートル近い青黒い巨体。

 額から棘のように生えたツノに、肉食獣を思わせる剥き出しの牙。

 爛々と燃える金色の瞳がぎょろりと周囲を見回し、獲物を探している。


 それは、誰がどう見てもインプのような弱い魔族ではない。

 驚愕に目を見開いたイリスが、呟くように声を絞り出す。


「オーガ……ッ!?」


 レベル12のオーガ。

 レベル13のミノタウロスと比べれば弱いと思われがちだが、オーガにはミノタウロスにはない、特殊能力を備えている。


 それは高い再生能力だ。

 多少の傷であればすぐに塞がるし、例え手足が切断されてもしばらくすれば再生する厄介な魔族である。

 ミノタウロスよりも知能は高く、人語もある程度話す。


「うん? うまそうな肉がたくさんあるではないか」


 オーガは裂けた口から呼気を漏らしながら、イリスたちの方を見る。

 

「きゃああああっ!?」


 女子の悲鳴が響き、生徒たちはパニックに陥った。

 オーガ一体で、以前現れたゴブリンキングやゴブリンロードを上回るのだ。

 ユリウスやレティシアのように武器を構え、いつでも対応できる態勢を整える者もいたが、ほとんどの生徒は我を見失っていた。

 人食い鬼を前にして、責めることなどできはしない。


 そもそも人間を目にして、うまそうだと抜かす化け物だ。

 制御しきれているのかも怪しい。


 イザーク先生の方へちらりと視線を向けると、期待に満ちた目をしてこちらを見つめていた。


 俺じゃなかったら死んでるぞ、ったく……。


 心の中で悪態をつきながら、ゼノスはオーガに視線を戻す。


「おい、てめえの相手は俺だ」


 オーガが魔法陣から一歩前に出た。

 彼は、目の前の赤い髪をした人間を、あり得ない者を見るように睨みつける。


「貴様! この我を前にして恐怖せぬとは、餌の分際で生意気な……ッ!!」


 ゼノスは吠えるような声音で告げるオーガを一瞥すると、鼻をつまむような仕草をした。


「吠えんじゃねえ。てめえの口から腐った臭いがするんだよ、黙っとけ」


 怒りのあまり、オーガは意味不明な言葉で空に向かって吠えた。

 溢れ出る感情のまま大地を踏みつけた足により、大気が震える。


「その身を以って己の言葉を悔やむがいい!」


 鋭いツメをした巨大な右手が、ゼノスに向けて突き出された。

 ボウッと掌に光が生まれ、それがだんだんと赤に変わり、炎へと転じる。

 真っ赤に燃える炎は直径三十センチほどの大きさまで膨れ上がり、そして――。


「『イグニス』!」


 オーガが呪文を投じた。

 火の玉が唸りを上げて宙を飛び、一直線にゼノスへ向かう。


 ゼノスは慌てることなくポケットから剣の柄を取り出すと魔力を込める。

 真っ赤な刀身が姿を見せると、ゼノスは何気なく、無造作に剣を振った。

 次の瞬間には、火の玉が真っ二つになっていた。


「小癪な!」


 オーガはゼノスが強敵であると認識した。

 だが、己が負けるなど思っていないのだろう。

 人間を遥かに超える脚力で地面を蹴ると、一瞬でオーガの体はゼノスの目の前に迫る。


「まずは貴様を動けなくしてから、女どもを嬲ってやろう!」


 鋭いツメがゼノス目掛けて振り下ろされた。

 当たれば致命傷は避けられない。

 そう思われた。


 だが、その一撃はゼノスを捉えることはなく宙を斬り裂いた。


「ぬ……!」


 オーガが振り返ると、ゼノスが無防備な背を向けている。


 バカめッ!!


 その隙を逃すオーガではない。

 がら空きの背中に一撃を入れるべく、踏み込む。

 いや、踏み込もうとした。


「無理だぜ」

「な……。お……?」


 その瞬間、何が起きたのか。

 オーガには分からなかった。

 僅かな浮遊感のあと、彼の巨体は地面へと叩きつけられた。

 すぐに立ち上がろうとするが、どういうわけか立ち上がることができない。


「だから無理だって言ってるだろ。立つ足がないんだからよ」

「……ッ!?」


 オーガはそこで初めて、己の体が胴体の辺りで上下に切り離されていることに気づいた。


「がァ……ッ!?」


 下半身は炎に包まれながら、燃えている。

 いかに高い再生能力を持つオーガでも、上半身だけでは生きていられない。


「さて、俺のことを餌だとほざいていやがったな」


 オーガは口を開閉させるが、声は出ない。

 口から、オーガ自身のどす黒い血がとめどなく溢れ出していた。

 ゼノスが、手にした剣を振りかぶる。


 その瞳はオーガが今まで見てきた中で、一番冷たい瞳をしていた。


「まあ、召喚された場所が悪かったと思って――死ね」


 こうして、断末魔の叫び声を上げる間もなく、オーガの意識は呆気なく消えた。

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