第52話 魔王の息子、見惚れる
ゼノスが最初に連れていかれたのは女性向けの服飾店だった。
品揃えは主に一般庶民向けだが、中立都市ということもあり、貴族向けの上質な服も扱う店だ。
店内はやはりというべきか、女性客が多い。
男性客も目の付く範囲で二人ほどいるにはいるが、彼女の付き添いなのだろう。所在なさげに視線を彷徨わせている。
ゼノスは普段、人の視線など気にしない。
今も顔色に変化は無いように見える。
だが微妙な表情の動きが、彼も気恥ずかしさと無縁でないことを示していた。
「なあ、イリス、俺をここに連れてきたってことは……」
「そう、ゼノスに服を選んで欲しいのよ」
――やっぱりか。
ならレティシアももしかして。
「私も悩んでいるものがあったので、ゼノスに選んで欲しいなと思って……、イリス様と同じお店でちょうどよかった」
ゼノスに顔を向けられて、レティシアはにっこり微笑みながら説明する。
「――そうか」
そう返すしかできなかった。
イリスの後ろに控えるロゼッタに視線を向けるが、特に反応はない。
助けは望めそうもない。
ゼノスは覚悟を決めた。
「これはイリス様。それにレティシア様も。ようこそおいでくださいました」
「もう一度試着したいのだけど、この前に着た服はあるかしら?」
「もちろんでございます」
「それじゃあ準備してもらえる?」
「かしこまりました。レティシア様の分もご用意すればよろしいでしょうか?」
「私は後で構いません」
レティシアの言葉に店員が恭しく頭を下げると、店の奥へと入っていった。
少しして店員が戻ってくる。
両手にはあふれんばかりの服をかかえていた。
「準備が整いましたので、どうぞこちらへ」
その後は試着部屋に通され、イリスの試着という名のファッションショーが始まった。
選考するのはもちろんゼノスだ。
ロゼッタも、ということになってはいるが、イリスが何を着ても「よくお似合いです!」と褒めそやすばかりだ。
試着が十着になろうとしたとき、
「……どう?」
イリスはゼノスに問いかけた。
今着ている服は光沢のあるホワイトのワンピースで、スカート部分にはレースと装飾が施されている。
ゼノスの前でゆっくりと一回転したイリスが、スカートの裾をつまんではにかみながら訊ねる。
「そうだな……」
ゼノスは心に浮かんだ感想をそのまま伝えようとして、しかし思わず黙ってしまった。
試着部屋には自分たち以外にも人がいる。
声に出して伝えていいのか迷っていた。
一方イリスは、その沈黙の意味を悪いほうに勘違いしてしまう。
「変、かな?」
しゅんとして俯くイリスに、ゼノスは慌ててフォローを入れる。
「い、いや、変なわけねえだろ」
「だって、何も言ってくれないから。そうよね。私なんか、何を着たところでたいして変わらないでしょうし……」
「そんなわけねえだろ」
えっ、とイリスが顔を上げる。
「ロゼッタと同じ感想になっちまうが、どれもよく似合ってる。その中でも今着ているやつは、他の男に見せたくないと思うくらい最高に魅力的だ」
「……嬉しい」
蚊の鳴くようなか細い声でイリスは呟いた。
耳まで真っ赤に染めて、両手を重ねて胸の真ん中を押さえる彼女の顔は、心の底から嬉しそうな笑みに彩られていた。
そのあまりの可憐さに、ゼノスは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
思わず抱きしめてしまいたい衝動にかられてしまう。
事実、ゼノスは一歩だけ足を踏み出していた。
それだけで済んだのは、咄嗟に後ろからゼノスの袖をしっかりとつかんだロゼッタのおかげにほかならない。
あっぶねえ、助かったぜ。
ゼノスは首だけ振り向いてロゼッタに軽く頭を下げる。
対してロゼッタも頷き返した。
レティシアがむぅ、と唇を尖らせているのが見えたが気づかない振りをした。
「決めた。これにするわ」
「いいのか?」
「ええ。だって最高に魅力的なんでしょ?」
「ああ」
「ふふふ。だったら、買うしかないじゃない」
満面の笑み。
イリスが見せた笑顔に、ゼノスは心を奪われる。
その間に、イリスは試着後にハンガーにかけて並べていた中の二着を手に取った。
「ん、それも買うのか?」
「これも欲しいと思っていたから」
なんだそりゃ。
ゼノスは首を傾げる。
元々欲しいと思っていたのなら、わざわざもう一度試着する必要なんてなかったのではと思ったのだ。
確かにその通りではある。
実際、イリスは前回服飾店で手に取った二着を買うつもりだった。
しかし、店員に買うと告げる直前になって今回の計画を思いついたのだ。
計画とは何か?
それは、ゼノスに服を選んでもらうことである。
イリスには婚約者がいない。
つまり、今まで男性とお付き合いしたことが一度も無い。
だが、お茶会などで顔を合わせる年齢の近い貴族の女の子には、婚約している者も多い。
彼女たちから婚約者と一緒にお出掛けした、服を選んでもらったといった話を聞かされていた。
その時はまるで関心のないように装っていたイリスだが、やはり年頃の女の子である。
まったく興味がないわけではない。
自分もいつか、と夢見ていた。
そして、グランレイヴ魔術学院でゼノスと出会い、一目惚れしたのだ。
周囲には内緒ではあるものの、お互いに好きだと気持ちを伝えあった今、やらないという選択肢はなかった。
選んだ三着を店員に渡し、会計を済ませる。
ゼノスは軽く背伸びをした後、壁に掛けてある時計に目を向けた。
服飾店に入ってから既に一時間以上が経っていた。
「長くなってごめんなさい」
「気にすんな。買い物に付き合うって言ったのは俺だぜ」
時間が掛かったのは確かだが、イリスの可愛らしい姿が見れたのだ。
ゼノスには楽しいひと時であった。
だが、忘れてはいけない。
買い物はイリスだけではないのだ。
「じゃあ、次は私の番ですね」
そう言って、レティシアが店員に「持ってきてちょうだい」と告げる。
しばらくすると、店員はイリスの倍近い服を持って試着部屋に入ってきた。
ゼノスが目を見張る。
「これ、全部試着するのか……?」
「もちろん。付き合ってくれるんでしょう?」
「……ああ」
「よかった。じゃ、よろしくお願いしますね。あ、着替えているところも見ますか?」
その言葉をどう解釈すれば良いのかとゼノスは戸惑う。
そこへイリスが、即、反応した。
「見ますか、じゃないわよ! ダメに決まっているでしょっ」
こりゃ、まだまだ長くなりそうだ。
ゼノスは苦笑いを浮かべるしかなかった。
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