第53話 魔王の息子、再会する
ゼノスたちは服飾店を後にする。
すでに昼をとうに過ぎ、午後のお茶の時間に差し掛かっていた。
イリスは怪訝な顔をレティシアに向ける。
「まったく、貴女も帝国の第一皇女なら、教育係の乳母の一人や二人いたでしょう?」
「そうですね、二人おりました」
「だったら、淑女たるもの男性の前でみだりに肌を見せることのないようにって教わらなかった?」
「もちろん教わりましたよ」
当たり前でしょう?
そう言わんばかりにこてりと首を傾げるレティシアに、イリスは頭を悩ませる。
「じゃあ、なんでゼノスの前であんな格好で出ようとしたのよ」
「あんな格好とはどのことでしょう?」
「……下着姿のことよっ」
店員が用意した服を持って、試着部屋にある着替えスペースに入ったレティシアだったが、上下ともに真っ白な下着姿でゼノスの前に出てきたのだ。
ゼノスは反射的にレティシアに背を向け、その間にイリスが素早くレティシアに詰め寄り、着替えスペースへと半ば強引に押しやった。
「大事な部分は隠れてましたし、問題ないのでは?」
「大アリよ!」
イリスはこめかみを手で押さえる。
「私が教わったのは、結婚相手の男性以外にはみだりに肌を見せないように、です。ゼノスであれば別に見られても問題ありません」
「ゼノスは貴女の結婚相手じゃないでしょう!!」
「あら、そうでしたっけ? でも、ゼノスはお父様がお認めになった相手ですし、私も……。後はゼノスさえ首を縦に振ってくれればすぐにでも婚約を結べます」
「なっ……!?」
イリスが頬を赤らめた。
何を驚くことがあるのだろう、とレティシアは思う。
レティシアと比べて、ゼノスは文句なしに強い。
自分よりも強い者に惹かれるのは、生存本能として当然のことだ。
今日だって、先に誘って二人きりで服飾店に入り、既成事実を作ってしまおうと考えていたほどだ。
イリスの方が先にゼノスを誘っていたので、仕方なく自分をアピールするのにとどめたに過ぎない。
「……ゼノスが首を縦に振っていない以上、赤の他人でしょう」
「その言葉、そっくりそのままイリス様にお返しします」
「ふふ」
「フフフ」
イリスとレティシアに挟まれる形で歩いているゼノスは、どちらの顔も見ることができず、ただ前を向いていた。
こ、怖え……。
話の内容が自分に関係しているだけに、何と言っていいのか分からない。
いや、話に参加してはダメだと本能が告げていた。
ふと後ろを振り返ると、ロゼッタと目が合った。
「姫様、レティシア様。あちらの喫茶店でお茶でもいかがでしょうか?」
「お茶?」
「そうね……」
イリスとレティシアの手が自然とお腹に触れる。
そういえば、朝食を摂ってから今まで何も口にしていないことに気づいた。
ロゼッタがふわり微笑む。
「私のお勧めは、野苺と生クリームがたっぷりそえられたパンケーキでございます。美味しゅうございますよ」
「「行きましょう」」
二人の声が重なった。
喫茶店で四人掛けのテーブルに案内される。
イリスとレティシア、ロゼッタの前には、ロゼッタのお勧めパンケーキと、紅茶が並んでいた。
甘いものが苦手なゼノスは紅茶のみ置かれている。
「生地がふわふわしていて美味しいわね」
「生クリームも上品に仕上がっていて素晴らしいわ」
「それはよろしゅうございました」
ロゼッタはゆっくりと一礼する。
空腹だったこともあり、イリスとレティシアは目の前のパンケーキを食べることに集中していた。
パンケーキは分厚い二段重ねであったが、あっという間に食べ終えた二人は、運ばれてきた紅茶を口に含む。
「ゼノス、今日は突然でごめんね」
「いや、特に用事があったわけじゃなかったしな。こうしてのんびり過ごすのもたまには悪くねえ」
魔術学院に来てみてよく分かる。
魔族領にいた頃はとにかく体を鍛えることばかりしていた。
娯楽がまったくなかったわけではないが、一緒に楽しむ相手がいなかったということもあるし、魔王の息子として舐められたくないという気持ちもあったのだ。
――いや、一人だけいたな。
ゼノスは思い出す。
自分の後ろをついて歩く少女の姿を。
そういえば親父の命令で魔術学院に行く前、「私も一緒に行く」って言ってたな。
元気にしてるといいんだが。
「どうしたの、急に笑って」
「笑ってたか?」
「ええ、とても優しい笑顔でね」
「そうか」
懐かしさのあまり、顔に出ていたようだ。
「ちょっと妹のことを思い出してた」
「えっ! ゼノス、妹がいるの?」
イリスの問いに、ゼノスは頭を掻きながら頷く。
「ああ、セスって名前の妹が一人な」
「へぇ、そうなんだ」
これはまたとないチャンスだとイリスは考えた。
イリスが聞かなかったということもあるかもしれないが、ゼノスは基本的に自分のことを話そうとしない。
その話題に触れようとすると、何故か聞きにくい空気になってしまうのだ。
だが、今は違う。
ゼノスの方から自らのことを口にしたのだ。
話題を広げない手はない。
だがイリスよりも早く、レティシアが口を開いた。
「ゼノスの妹ですか、気になります。その子について教えてください」
「わ、私も気になる!」
「いいけど、別に面白くもなんともねえぞ?」
「それでも知りたいのっ」
食い気味に言われてしまった。
ま、いいか。
ゼノスとしても別に隠すようなことではない。
それに喋ったところで、どうせ本人に会うことはできないのだ。
問題ないだろう。
「歳は俺の三つ下の十三歳。周りに歳が近いのがいなかったせいか、いつも俺の傍から離れようとしなかった、困った妹だ」
「その割に顔は困ってなさそうだけど」
「そりゃ……妹だし、な」
血の繋がった、たった一人の妹だ。
仕方がないなと思うことはあっても、鬱陶しいと思ったことなど一度もない。
「イリスやレティシアだって、兄貴がいるんだから何となく分かるだろ。後ろを追いかけてた時期があるんじゃねえか?」
すかさず二人が言い返す。
「ないわね」
「私もありません」
きっぱりと言い切る二人の表情は真顔だった。
うちの妹が特別なだけで、イリスとレティシアの方が普通なのかもしれないと思ってしまうほどの真顔である。
「セスちゃんて、可愛い?」
店を出た後も、イリスとレティシアはゼノスの妹についての質問をやめようとしなかった。
「あー、そうだな……」
どう答えてよいのか、ゼノスは一瞬悩む。
今までは周りに同じ年頃がいなかったこともあり、比較対象がいなかったので、判断基準がよく分からなかった。
ただ、魔術学院に入った今は違う。
そこで見てきた基準で考えるのであれば。
ゼノスは思ったままを口にした。
「それなりに可愛いんじゃねえか」
「実の妹を可愛いですって」
「これはなかなか重症ですね」
「お前ら……」
喫茶店に入るまでは睨み合ってたというのに、息がぴったりである。
まあ、険悪だった二人の空気が消えたのはいいけどよ。
そんなことを考えていると、奇妙な感じがした。
向かいの道から、こちらに歩いてくる美しく艶のあるピンク髪の少女が見えた。
ツインテールに結んだ髪は、歩くたびにぴょこんと揺れている。
「んん?」
見覚えのある姿に、ゼノスは目を細める。
あれはどう見ても――いや待て、でもここは人間の街だぞ。
あり得ないと思いつつ視線を向けると、ピンク髪の少女と目があった。
「……あ」
嘘……だろ。
ゼノスに気づいたピンク髪の少女は一切の迷いなく、まっすぐ走り出した。
そして、そのままゼノスにダイブする。
「えっ!?」
驚いたのはゼノス――ではなく、イリスとレティシアである。
何せ大勢の人が行き交う道で、ゼノスが人目をひく可愛らしい少女に抱きつかれたのだ。
「ちょっと、ゼノスから離れなさいっ」
「えー、やだよ。せっかくお兄ちゃんに会えたんだもん」
「やだじゃないでしょ! ……ん? お兄ちゃん……?」
イリスは、ゼノスとピンク髪の少女の顔に視線を這わす。
ゼノスはため息を吐くと、かすかに口元を緩めて頷いた。
「こいつがさっき話してた、俺の妹のセスだ」
セスは小さく舌をペロッと出して微笑んだ。
「えへへ、来ちゃった」
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