第16話 魔王の息子、喝を入れる
「出デヨ! 我ガ兵ヨ!!」
茂みから現れたゴブリンキングは声高に号令をかけた。
ギャウギャウと喚くような声が瞬く間に伝達され、新たなゴブリンが姿を現す。
その数、実に四十体。
既にイリスたちを囲んでいるゴブリンを含めると、七十体近くに膨れ上がる。
そして、ゴブリンたちの手には決して質が良いとはいえないが、剣や棍棒、盾が握られていた。
この規模の敵に囲まれれば、レベルが低いなど問題ではない。
戦闘経験の少ない王国の生徒たちに恐怖心を与えるには十分すぎる光景だった。
「あ、ああ……」
一人の生徒が恐怖で膝から崩れ落ちる。
そうなると後は早い。
恐怖は伝染するのだ。
現実から目を背け下を向く者、涙ぐむ者、頭を抱える者と次々に戦意を失っていく。
そんな中でまだ戦意を保っていたロゼッタが一人、気を吐く。
「あなたたち、しっかりしなさい! 私たちは姫様に守られているではありませんか!」
「だけど……いくらなんでもこの数相手じゃ無理だよ……」
「……そうよ。しかも、私たちの攻撃は届かないんだし。イリス様の魔力が切れたら……そこで終わりじゃない」
魔法は万能ではない。
魔力が切れてしまえば、当然ではあるが魔法は効果を失う。
イリスの『ディバインフィールド』は範囲内にいる対象に向けられた攻撃を無効化するが、効果を持続させるには魔力を消費する。
イリスの魔力レベルが他の生徒よりも高いといっても所詮は20。
数分から十分もすれば効果は途切れてしまう。
ゴブリンキングたちもそのことが分かっているのか、ゴブリンたちに包囲させているものの、魔法が届かない距離を保っていた。
イリスが苦悶の表情を浮かべる。
上位種である二体は
自分たちの勝利を確信している笑みだった。
あの光の壁が無くなりさえすれば、後は一斉に襲い掛かって蹂躙すればいい。
それから数をもっと増やし、近くの町を襲い、さらに数を増やす。
それがオレ自身の望みでもあり、主の命でもある。
夢のような考えではあったが、ゴブリンキングにとっては現実的な計画だった。
だが――。
不意にゴブリンキングが笑いを止める。
一点を見つめながら、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
何だ、あの男は。
どうして奴は絶望していない?
ゴブリンキングは不満げに赤髪の男を睨みつけた。
ゼノスはゴブリンキングの視線を軽く受け流し、周囲に目を向ける。
そして、声を張り上げた。
「下を向くんじゃねえ、顔を上げろ!」
ゼノスの言葉で、王国の生徒たちは恐る恐る顔を上げる。
「たかがゴブリンだろうが! 敵がちょっと多いくらいで簡単に諦めるんじゃねえよ」
「で、でも……」
「でも、じゃねえ! おい、お前は何のために魔術学院に入ったんだ?」
ゼノスは傍にいた男子生徒に問いかけた。
「何のため……」
男子生徒は思い返す。
キッカケは些細なことだった気がする。
周りの者よりも才能があった。
それを褒めてくれる大人がいた。
そして、魔術学院に入ることを勧められた。
自分には人よりも優れた、特別な力があると自惚れていたのだ。
しかし、ゴブリンたちに囲まれ、ゴブリンキングを見た瞬間、悟ってしまった。
自分はそこまで大した人間じゃない、奴らからしたらちっぽけな存在なんだと。
もし、周囲を覆っている魔法が切れてしまったら――。
ゼノスは震える男子生徒の肩をポン、と叩く。
「いいか。お前には目の前の光景が絶望に見えているのかもしれねえ。今までの中で一番の窮地に立っているのかもしれねえ。だけどよ、諦めるのは少し早くねえか」
「……え?」
「お前は自分の持ってる全身全霊を出し切ったのか? 力の全部をぶつけたって言いきれるか? 挑んで挑んで挑みつくして、それでも無理だったって言うのならいい。だけどよ、そうじゃねえだろ。お前は――お前らはまだ全部を出し切ってねえし、奴らと戦えるだけの力を持っているはずだ」
「……」
男子生徒がゆっくりと顔を上げる。
ゼノスと目が合う。
力強い、全てを包み込むような目だ。
「イリスを見ろ。イリスが光の防御魔法を使ってお前らを守ろうとしているのはどうしてだ? 今も必死で維持しているのは何故だ? あの姿を見てもお前らは出来ない、やれないって言うのかっ!」
肩を叩かれた男子生徒はイリスを見る。
魔力を消耗しているせいか、イリスの顔色は悪い。
だが、イリスは青ざめた顔のまま、唇を噛みしめて、祈りをささげていた。
その姿は、いつもよりもずっと美しく、そして輝いて見えた。
男子生徒が立ち上がり、剣を構える。
先ほどまでの絶望していた姿はどこにもない。
諦めるものか、という強い意志が瞳に宿っていた。
男子生徒につられて一人、そしてまた一人と立ち上がる。
——よし。
ゼノスはニッと笑みを浮かべ、男子生徒の頭をぐりぐりと乱暴に撫でる。
「うわっ!」
「いい顔だ。やれるな?」
「……正直言ってまだ怖い。だけど、俺は負けたくない!」
「よーし、よく言った! 他の奴らも同じか?」
ゼノスの問いに、王国の生徒たちが皆、力強く頷く。
これで準備は整った。
次は――。
「皆を鼓舞していただき感謝いたします。ですがゼノス様。このままではイリス様の魔法の効果が切れてしまうのも事実でございます。どうなさるおつもりでしょうか?」
深々と頭を下げたロゼッタがゼノスに問いかける。
「もちろん、俺が一匹残らず片付ける」
「はっ……?」
ロゼッタだけではない。
その場にいた生徒全てが目を丸くしていた。
「しょ、正気でございますか? あの数を……お一人で?」
「ああ」
ゼノスの口調はごく自然で、軽い。
だが、決して冗談を言っているようには見えなかった。
七十ものゴブリンをたった一人で、しかもゴブリンロードにゴブリンキングまでいるというのに。
にわかには信じられない。
「……私たちも一緒に戦ったほうがよろしいのでは?」
絞り出すようなロゼッタの言葉に、ゼノスはゆるく首を振った。
「いや、あんたらにはイリスを守ってもらいたい」
「姫様を?」
「ああ。イリスの魔力は残り少ない。いつ切れるか分からねえ状況だ。魔力が切れちまったら、まともに戦うのは無理だろう」
「確かに」
「なら、今度はあんたたちが大切なお姫様を守る番だ。違うか?」
「仰る通りです。——皆さん、聞きましたね! 全力で姫様をお守りしますよ!」
「「おお!!」」
ロゼッタの掛け声に、生徒が剣を突き上げて応える。
ゼノスは一つ頷くとイリスのもとへ近寄った。
「イリス、剣の柄はどこにある?」
「え? 胸ポケットですけど……それが――」
「ちょっと貸してもらうぜ」
イリスが答えるよりも早く、ゼノスは彼女の胸ポケットに手を突っ込んだ。
「ひゃん!?」
背筋を駆け上がるぞくっとする感覚に、イリスは思わず小さく悲鳴を上げた。
「何をするのです、ゼノス様っ!!」
ロゼッタが叫び声をあげる。
「多少見どころのある男かと思っておりましたのに、人前で姫様の胸を揉みしだくような変態だったとは!!」
「ま、待てロゼッタ!? 俺はこれが欲しかっただけだ! 別にイリスの胸を揉もうとしたわけじゃねえ!」
ゼノスが慌ててイリスのポケットから手を引き抜く。
手にはイリスの剣の柄が握られていた。
「それでしたらゼノス様ご自身のものをお持ちのはずでしょう。なぜ姫様の剣の柄が必要なのですか?」
ロゼッタは目を細めてゼノスに問いかける。
その冷たい視線に若干気圧されるゼノスだったが、咳払いをして気を取り直す。
右手にはゼノスの、左手にはイリスの剣の柄が握られていた。
「こうするためだ」
ゼノスが魔力を込めると、両手に赤い刀身の剣が姿を現す。
ぐるんと剣を振り回して構えると、ゼノスの周りに火の粉が散り、空気中に炎が走る。
「——これで奴らを蹴散らしてやるよ!」
ゼノスはゴブリンに向かって飛び出した。
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