第3話 魔王の息子、舞い上がる
人生初めての一目惚れを経験したゼノスだったが、それはイリスも同じだった。
——な、なんでこんなに胸が高鳴っているの?
落ち着きなさい、イリス。
相手は王族でもなければ貴族でもない、それどころか王国の民ですらないのよ。
きっと、危ないところを助けられたから勘違いしているんだわ。
そうに決まっている、気をしっかり持つの!
と、イリスも必死で自分に言い聞かせていた。
しかし、後ろにいたメイド服姿の少女の言葉で現実に引き戻される。
「どうされました、姫様?」
「え!? な、なんでもないわ、ロゼッタ」
ロゼッタ・クレヴァニール――イリス付きのメイド兼お目付役で、イリスの父親であるレーベンハイト国王から同行するように任命を受けた少女だ。
イリスと同じ十六歳である彼女は、幼少の頃よりイリスの侍女として育ったため、彼女への思いも人一倍強い。
「本当ですか?」
ロゼッタはケガがないかイリスの体に視線を這わす。
頬がいつもに比べると赤らんでいるものの、それ以外は特に変化はない。
次にイリスの手を取り、脈を取る。
「お怪我はされていないようですが、いつもより脈拍が高くなっていらっしゃいますね。気分はいかがですか?」
「だから本当になんでもないのよ。心配性なんだから、ロゼッタは」
「それでしたらよろしいのですが……申し訳ございません。本来であればこのロゼッタが姫様の盾にならねばならないというのに」
ロゼッタはイリスの前に立つと、ゼノスに向かって深々とお辞儀をする。
「このたびは姫様を助けていただきまして、ありがとうございました」
「え? い、いや! 感謝されるほどのことじゃないから気にしないでくれ。にしても、怪我がなくて良かった」
ゼノスはハッと我に返ると、慌てて答えた。
——やべぇ、見惚れてた。
「挨拶が遅くなりましたが、私は姫様の侍女をしております、ロゼッタと申します。そして、こちらがルナミス王国第一王女、イリス・レーベンハイト様です」
「こりゃご丁寧にどうも。って、王女様!?」
ゼノスは驚きの声をあげる。
——王女といえば、人間の国の中でもかなり地位が上の存在のはず。
それなのに魔族と戦うことになる可能性が高い魔術学院に入学させようってことは、それだけの力を持っているってことだ。
ゼノスはイリスに視線を移すと、ちょうど目が合った。
——くぅ、やっぱ可愛いな、おい!
こちらを見つめるイリスの瞳に吸い込まれていく。
一瞬にして、目の前の少女で頭の中がいっぱいになる。
だがそれはイリスも同じ。
——か、かっこいい。
今まで自分に言い寄ってきた男は数知れずいた。
先ほどのユリウスもその一人だ。
ただし、どちらかというとイリスに好意を抱いているというよりも、帝国にとってメリットがあるからという理由の方が大きい。
自分が王女であるという肩書きに関心を寄せて近づこうとする輩の何と多いことか。
イリスはそんな打算が見え隠れするような男は嫌いだったし、どれだけ顔や身分がよかろうと、惹かれる相手は一人もいなかった。
しかし、今目の前にいるゼノスという男は違う。
今まで出会った、どの男とも違う感じがしたのだ。
こうして視線を交わしているだけで、雲の中を漂うような気持ちになっていた。
内側からあふれる感情に、戸惑いを隠せない。
しかし、そんな二人の正気を取り戻したのは、やはりロゼッタだった。
「お二人とも、少々近づきすぎな気がいたしますが」
「「……え」」
ゼノスとイリスは、そこで初めてお互いが手の触れる寸前まで接近していたことに気が付いた。
「うおぁっ!?」
ゼノスは飛び跳ねるように下がると、照れ隠しに頭を掻く。
「悪い、その……自分でも気付かなかった」
「い、いえ、私の方こそ……少し考え事をしていました」
何とも言えない甘酸っぱい空気が二人の間を漂う。
その空気を無視して、再びロゼッタが口を開く。
「こほん、ゼノス・ヴァルフレア様と仰られましたか」
「あ、ああ」
「共和国にこれほど腕が立つ方がいらっしゃるとは知りませんでした。どなたか師事されている方がいらっしゃるのですか?」
「まぁ、な」
「そうですか。さぞかしそのお方もお強いのでしょうね」
「はは……」
魔王や四天王にしごかれましたとは、口が裂けても言えない。
「先ほど姫様を助けていただいたことについては感謝いたします。ですが、この魔術学院は、三国が共同で造り上げたもの。即ち、各国が魔王討伐の主導権を握るための試金石。帝国にも共和国にも後れをとるわけにはいかないのです。そうですよね、姫様」
急に話を振られたイリスは、肩をビクッとさせて驚いた顔をしたが、直ぐに真面目な顔に変わり、真っすぐな瞳でゼノスを見た。
「正直、今までは帝国だけ注意していればよいと思っておりました。貴方に会うまでは」
ゼノスは悩んだ。
ここは何と言って返すのが一番良いのか、と。
ゼノスとイリスとでは、学院での目的が違うからだ。
「お手柔らかに。まずはお互いに試験を頑張ろうぜ」
ゼノスはそう言って、握手を求めた。
一国のお姫様に対して馴れ馴れしいにも程がある態度だ。
しかし、ずっと魔族領にいたゼノスは、王族や貴族が人間の中では地位が高いということしかバエルから教わっていないし、対人間用の所作や言葉使いなども当然教わっていない。
教えることが出来る魔族がいないのだから当然である。
だが、ゼノスの行動はイリスにとって新鮮だった。
まじまじとゼノスの手を見つめること数秒。
「え、ええ。頑張りましょう」
そう言って、両手で握り返した。
——や、柔らけぇ!
これが女の子の手の感触か……。
——硬くてごつごつしてる。
これが男の人の手……。
ただ、手を握っているだけなのだが、二人ともその感触に浸っていた。
「こほん」
ロゼッタの咳払いで、ずっとお互いの手を握り合っていたことに、二人は気づく。
「うぉっ!?」
「ひゃっ!?」
二人とも慌てて離し、取り繕うようにキリっとした表情を浮かべるが、ゼノスもイリスも頬は赤い。
「そ、それじゃあまた」
「お、おう!」
イリスはロゼッタとともに足早に学院の中へと入っていった。
——イリス、か。
可愛い子だったな。
魔王から任された任務の重要性は理解している。
だが、異種族とはいえ、初めて出会った同年代の異性に触れたという経験が、ゼノスを舞い上がらせていた。
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