15話 修行


「ふぅっ、いい汗かいたな。」

「やぁ、なかなか時間がかかったね。」


 再度真っ白な空間に戻ってきた俺へと、トットが声をかけてきた。

 すでに新木さんもその場にいて、へたり込んでいる。


「ありがとうトット、リアルボスラッシュ面白かったよ。ま、結構強くなれたかな。新木さんは?」

「修行にはなったけど、へとへとだよ。しばらく動けそうにない。」

「でも修行はこれからですよ?」

「え?何を言っているんだい?もう充分だよ?」

「俺は昔からレベル上げはしっかりとするタイプです。」


 新木さんがまた驚愕に目を見開いて唖然としている。

 この表情をもう何度見ただろうか。


「契躱。"試練"と"力"の時間だ。君は試練をクリアした。どんな力が欲しい?」

「…ハッ!?ちょちょちょ、ちょっと待ってください!あの試練をクリア!?何を言っているんですかトット様!できるはずがない!」

「新木さんは中盤でゲームオーバーだったからね。信じられないのも無理はないと思うけれど、事実だよ。契躱は試練を乗り越えたんだ。」

「だって、始まりが手ぶらだったんですよ!信じられない!」

「問題は手ぶらだって所じゃなく、敵の強さにあるはずだけれど、契躱はクリアしちゃったんだから仕方がない。僕だってクリアできないと思ってこの試練を選んだのにさ。"スラシス"の復讐ついでに。」

「そんな…馬鹿な。」


 新木さんは黙り込んでしまった。

 "闇魂"は一度クリアしていたから、俺有利だったかもしれないな。

 本当に楽しかった。


「トット、今回は自分で力を選んでもいいのか?」

「うん。クリアを想定してなかったし、難易度的に誰に挑戦させても一発クリアは無理だったろうから、多少の無茶は問題ないと思うよ。」

「…そうか…どうしようかな。"試練"を楽しみすぎて俺も考えてなかった。」

「一色君、出来るだけ強いトライアルスキルを作るんだ。ここまで来たなら圧倒的に倒そう!」


 唐突に疲れた様子の新木さんが立ち上がり、俺の肩に手を置いた。

 余談だが俺はまだ"パンイチ"だ。

 かなりハードだったから新木さんの手が汗に触れて


 ベチャッ!


 という汚い音が鳴った。

 新木さんも自分の手を引き戻してその手を眺めている。

 かなりげんなりとした表情だ。

 だが俺は、背後から突然肩に手を置かれるというこの行為で、"闇魂"のとある攻撃を思い出していた。


「決めた!」

「どうするんだい?」

「"バックスタブ"だ。もしも俺が対象に背後から攻撃した場合、その攻撃の威力に倍率をかけてくれ!」

「…そんなんでいいのかい?こんなことを言うのもなんだけど、君が乗り越えた試練的にもっと強いのも可能だけど?」

「そうだよ契躱君。一応僕からのアドバイスだけど、描絵手さんの所に来るのは皆"帰還者"なんだ。背後なんて簡単に取れないさ。」

「新木さん、簡単に取れない背後をとるの、なんか燃えませんか?俺的にはかなり面白くなると思うんですけど。」

「な、何を言っているんだい?戦いは遊びじゃないんだよ?」

「なら戦いを遊びにまで落としこめばいい。そうすれば俺は無敵です。」

「そ、そんなの普通じゃないよ。」

「普通だったらきっと描絵手を守れない。俺は俺なりのやり方で彼女を守りたいんですよ。」

「…わかった。もうなにもいうまい。」

「決意は固そうだね。それなら君に力を付与するよ。これで君のトライアルスキルは計2つ。歴史上3人目だね。」

「そ、そういえば確かに聞いたことがないな。トライアルスキルを複数持つ人間だなんて。」

「大っぴらに言うことでもないしね。」


 そういいながらも、トットが指を鳴らした。

 その瞬間何かが起きただとか、そういうことはない。

 でもトットが俺にスキルを与えたのだと理解した。


「…それで?まだ修行を続けるんだっけ?」


 新木さんが俺の方を見た。


「えぇ、俺には現実での対人経験が圧倒的に足りませんから、新木さんと模擬戦を何度かやっておきたいんです。」

「なるほど。それは大事なことだと思うけど、僕は結構強いよ。もちろん、さっきの試練が対人戦の強さまで測れるだなんて思ってないよね?」

「そうですね、ゲームでもやはり人間の方が強いですから。」

「うん、対人戦の恐ろしさはある程度理解しているみたいだね。」

「トット、俺たちに武器を。ここからは試練じゃないからいいだろ?」

「構わないよ。…じゃぁ契躱には刀を、新木さんには剣を。」


 すると真上から唐突に刀と剣が落下してきた。

 俺が呆然と見送ると、それは目前に刺さった。

 しかし新木さんは、落下してくる剣の柄を平然とキャッチしていた。

 

「…新木さん、もしかしてさっきの試練負けるまでずっと手ぶらですか?」

「そうだよ。……もしかして敵から武器を奪ってもよかった感じかい?」

「少なくとも俺はそうしました。」

「ハハハ、そうか。…僕もそうすればよかった。君たちはゲームベースに話を進めるけれど、僕はそういうのには疎い。ずっと剣だけを磨いてきたから。」


 新木さんはかなりショックを受けている様子だ。

 しかしショックなのは俺も同じだった。

 さっきの試練が対人戦の実力を測れないという言葉、あの重みが俺の肩に重くのしかかっていた。

 手ぶらで中盤まで倒す新木さんの方がよっぽど化け物だと、俺はすでに気付き始めている。

 舐めていたわけじゃないが、おそらく新木さんは俺が考える何倍も強い。

 そんなことを考えていると、新木さんは静かに構えを取った。

 漫画ではよくある表現だけど、今日俺も初めて理解した。

 なんというか、気配というか、存在感というか、新木さんの体が実物よりも遥かに大きく見え、空間が一瞬にして張り詰めた感覚がある。


「わぉ…なるほど。剣を持って全力が出せるタイプなんだね。」


 トットが気の抜けた感想を漏らした。

 もっとも、俺も全く同じことを考えていたが。

 ゲームの対人戦とかでもかつて味わったことのないほどの緊張感が、一気にこの真っ白な空間に広がった。

 息を吸うのさえ苦しいほどだ。

 新木さんのみが出せる気配みたいなものが、まるで水みたいに床に広がり、それが空間を満たすような、不思議な感覚だ。


「どうしたんだい?一色君。構えないのかい?模擬戦、するんだろ?」

「えぇもちろん。そのつもりです。」


 俺も負けじと刀を構えた。

 だが新木さんの前では、まるでこの刀が木の棒であるようにすら思える。

 それほどの力量差をひしひしと感じざるおえない。


「そじゃぁ僕が開始の合図を出すよ。いつも通りこの指を鳴らしたら開始っていうことで。それとこれはサービス。君らはこの空間でいくら斬り合っても死なない。全力で戦うといい。」


 パチンッ!


 するとトットが、間髪入れずに指を鳴らした。

 瞬間、目前から新木さんが消えた。

 俺は体面のビルにいた新木さんがいつの間にか目の前にいるという、あの不思議な現象を思いだしていた。

 なんてことはない。

 人が消えるような速度で移動するなんてありえない、弾丸じゃあるまいし。

 そんな考えの全てが払拭された。

 新木さんはきっと、弾丸よりも速い。


 ギャインッ!!!!


 何とか本能レベルで振り上げた刀が、新木さんの剣に衝突する。

 すると金属同士がぶつかる独特な音がなった。

 それだけのやり取りで、手が痺れる。


「今のに反応するなんて、試練を越えたのも伊達じゃないね!」

「い、今のは一体!?」

「特に名前はないけど、"縮地"っていう古武術の移動方だよ。移動の初速を限界まで速くする技術だから、突然目の前に現れて驚いたろ?」

(…よくわからないけど、技の極地だってことだけは理解できた。)


 新木さんはそういいながらも下から剣を振り上げる。

 その一撃で、俺の刀は空高く舞い上がった。

 その刀を目で追うと、次の瞬間には新木さんは目の前にいなかった。

 俺は唖然としながらすでに俺から離れた新木さんを見る。


「さ、刀を拾って。できれば僕は君にも死んで欲しくない。だから君に強くなってもらうために、なるべく全力で行くよ?」


 俺は足元に落下してきた刀をゆっくりと拾った。

 そしてすぐにトットへと視線を戻す。


「あぁ…なんかレベルが違う気がするんだが?」

「うん、違うだろうね。絶対にクリアできない試練を出しても面白くないから、その人に合った適切な強さに試練を調節するんだけど、それは対象が強くても同じなんだ。だからボスラッシュの敵の難易度、新木さんだけ"7周目"だよ。」

「7…周目?」


 今度は俺が唖然としながらトットの方を見る。

 ゲームに詳しくない新木さんは首をかしげるだけで、理解していないようだ。

 "7周目"、闇魂のゲームシステムとして、一度クリアしても再度最初から強くてニューゲームをすることが出来る。

 つまり周回することが出来るのだが、回を重ねるごとに敵も強くなる。

 ようはあの独特なスリルが損なわれることはない。

 その一方で、敵が強くなる周回数には限界が存在し、それが"7周目"だ。

 つまり新木さんは、高難易度ゲーム闇魂の初回最高難易度ボスラッシュを素手で中盤まで駆け抜けたことになる。

 俺はその事実をトットの少ない言葉でしっかりと理解していた。

 結果的に俺はある考えに至った。

 

 これ…俺いらなくね?


 俺がそんな思考回路を辿り終わるのと、新木さんが俺の目の前に突然現れるのはほぼ同時のことだった。

 ゲームは難易度が高いほど燃える。

 俺の中にこの最高の練習相手に対する敬意が芽生えた。

 対人戦だって結局俺の意識は変わらない。

 つまり、相手が強ければ強いほど燃える。

 今の俺はすでに迷いを払拭し、現実を楽しめる段階まで戻っていた。

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