13話 夢霧無


「やぁ、初めまして…ではないね。」

「あなたは確か?」


 突然家を訪れたのは、見覚えのある男だった。

 彼は確か、俺が動画撮影に行った時に唯一会話してしまったシェルだ。

 もっともあれ以来油断しなくなったので、いい経験だったが。

 相変わらずの金髪黒目で、今日はなぜか白いロングコートを着ていない。

 ロングTシャツにジーンズというラフな格好だ。

 時間的にはまだ働いているはずだ。恐らく今日は非番なのだろう。


「シェルの方…ですよね。」

「覚えていてくれて嬉しいよ。少なくとも怪しいものではないんだ。」

「は、はぁ。でもなぜここが?」

「君が"夢霧無"なんだろう?どうしても聞いて欲しい大事な話がある。」

「………そう、ですか。どうぞ、中へ。」


 色々考えた結果、中に入ってもらうことにした。

 本当にただの勘でしかないが、話を聞いておいた方がいい気がしたからだ。

 それにどう考えても誤魔化すことなどできないと思えるほど、彼の表情は確信に満ちていた。

 おそらく俺が夢霧無である何らかの証拠をすでに掴んでいるんだろう。

 俺は彼をリビングに通した。


「…ご両親は?」

「いません。どちらも単身赴任で別々の職場に行っています。」

「そうか、色々大変そうだね。」

「もう慣れましたから、大丈夫ですよ。」

「君は強いな。」


 彼は少しだけ話辛そうにしている。

 そして座ろうともせずに、立ち続けていた。


「"朝比奈 描絵手"。彼女と君の関係は?」

「…どこでその名前を?」

「あとで必ず説明するから、まずは答えて。」

「友人関係…です。」

「そうか。おそらく君は知らなかっただろうが、彼女は純粋な人間じゃない。」

「…どういう…ことですか?」

「彼女は…"魔王の娘"なんだ。シェルター内では"遺産"と呼ばれてる。」

「魔王って…グランディア史で出てくる…あの?」

「その通りだ。」


 端的にまとめてしまえば、"召喚者"たちはグランディアで使命である"魔王"の討伐を現地民と協力して成し遂げた。

 まるでゲームのような話だが、世界融合前の現実の話だ。

 "帰還者"になった彼らを受け入れやすくするため、"グランディア史"は現在授業の必須科目になっている。


「待ってください。年代的に噛み合わないはずです。彼女はまだ15歳で、世界融合前よりも前に魔王は死んでいるのに…。」

「これが地球の話しならありえないで終わるよ。でもこれはグランディアの話だ。当然魔法によってそんな奇跡に思える時間旅行を成し遂げた。」

「魔法…。」


 正直魔法の勉強不足で、何が可能で、何が不可能かなんて俺には全く理解できていない。

 ただ今の話が全て嘘なら、彼がこの場に来る意味がない。

 信じたくないと思いつつも、俺の脳内は徐々に状況を整理し、その事実を受け入れ始めていた。

 否定できるほどの情報を、俺は一切持っていない。

 彼女が夢を語る時、悲しそうな顔をしたのをふと思い出した。

 何が彼女の表情を曇らせたのかは分からなかったが、もしもこれが事実であれば、その表情の理由になるのではないかと思えた。


「信じたくないかもしれないけど全て事実なんだ。今日から三日後、彼女の元に討伐隊が派遣され、世間は彼女の死など何も知らないまま全てが終わる。」

「嘘だ。急に人がいなくなる違和感が、完全に消せるわけない。」

「近隣住民、教育機関には急遽引っ越したとでもいえばいい。シェルターは当然政府にもコネと借りがある。人一人消すくらい、隠蔽は容易だよ。」

「待って…くれよ。なんで…そんなことを俺に?」

「彼女の正体がばれた理由は何だと思う?」

「…?まさか…でも俺はちゃんとチェックした!」

「君が討伐した"アルー"、あの時魔物が振っていたカーブミラーに何が映っていたかまで?」

「そんな…そんな些細な。」

「そんな些細なところから全てが発覚するのが、このネット社会だ。」


 俺はすぐにPCを開き、動画を確認した。

 非常に分かりにくいが、確かにカーブミラーには彼女が映っている。


「幸いなことに世間はまだ気づていない。彼女の為にもその動画は非公開にするべきだ。」

「わかり…ました。」


 俺が動画を非公開にしてPCを閉じると、パタリという音が小さく響く。

 彼女が"遺産"である事実を、俺の脳内は必死に否定しようとしている。

 だが俺はグランディアについても、彼女についてもあまりに知らない。

 今思えばお互いに友人関係の居心地の良さに満足し、個人的事情には踏み込んでいなかった。

 出会って一か月も経っていないから、仕方のないことかもしれないが。

 俺が必死に頭を整理している間に、彼はソファに座った。


「そういえば自己紹介がまだだね。僕の名前は"新木(あらき) 爽(そう)"。」

「一色…契躱…です。」


 俺の脳内の整理は徐々に完了し、やがて思い当たったのは描絵手のこれからについてだった。

 もしも新木さんが言っている通りであれば、彼女は殺される。

 上手く行きすぎた現実に油断して投稿した一つの動画のせいで。

 彼女が俺の大切な友達であることはすでに揺らぎなく、俺の中で彼女の存在はもはや切っては離せない。

 それにこれじゃ、大切な友達を俺が殺したのと一緒だ。

 知らなければそれまでだったが、もう全てを知っている。

 でもきっと、全てを知らなくても後悔していただろうけど。

 彼女が急に何も言わずに引っ越せば、俺は調べただろう。

 そしてきっと真実にたどり着いていた。


「もうわかっていると思うけれど、君に選べる選択肢は二つに一つだ。

 1、彼女の死を黙認する。

 2、彼女の死を拒絶する。…君はどちらを選ぶ?」

「…それは………。」

「すぐには答えられないか…やっぱり君は頭がいいんだね。夢霧無の活動も、高い順応力がないと出来ることじゃない。彼女の死を拒絶する意味が、本能的にわかっているんだね。」

「…。」


 俺は何も答えられなかった。

 もちろん描絵手の死を受け入れたいわけじゃない。

 しかし、俺は何の力もないただの子供だ。

 描絵手を助けようともがこうとも、俺にはきっと何もできない。

 描絵手の元に来るシェルが一体どれほどの強さか、想像するのは容易だ。

 魔王の娘、グランディア史を少しでも知っているのであれば、これがどれほどの事態なのか理解できないほど愚かじゃない。

 必死に現状を打破しようと、いくつもの考えが頭が巡るが、その全てが意味をなさないことは明らかだ。

 考えれば考えるほど、事態は詰んでいる。


「新木さんは…どうしてここへ?」

「シェルの考えに納得していないから…だね。描絵手ちゃんが仮に"遺産"でも、僕はいたずらに命を奪うべきではないと思う。彼女には彼女の人生があるし、何も彼女が諸悪の根源だった訳じゃない。それに僕は帰還者じゃないから、そういう深い事情も知らない。でもまっとうに生きている少女を殺さないといけないような事情なら、知る必要もないと思うけどね。」

「ならあなたは…。」

「そうだね。一色君が考えている通り、僕は君がどちらを選択しようとも彼女の元へ向かうことになる。何とか彼女を助けるために。」

「やっぱり…俺は強くなんかありませんよ。大切な友人一人…守れない。でもあなたが行ってくれるのであれば…。」

「無理だよ。僕一人じゃ100%無駄に終わる。少なくとも僕の存在は、彼女を助けるためのなんの保障にもならない。」

「なら俺は…一体どうすれば?」

「…一日考えてみるといい、ゆっくりとね。明日また聞きに来るよ、君の結論を。子供の君には酷な話かもしれないけど、僕は彼女を助けたいんだ。少しでも勝率を上げる手立てがあるなら、子供の手だって借りたいんだ。情けないと思ってくれていい。」


 新木さんはそういうと、迷うことなく立ち上がり部屋から出ていった。

 突然の来訪者がした話は、俺の心をズタボロにするには十分な力を持っており、見送ることすらできなかった。

 俺はただ床を見下ろしていた。


 ガチャリ…バタンッ。


 扉が開き、閉まる音がした。

 静かな室内に、その音はやけに大きく響いた。

 リビングで無気力に座る俺まではっきりと聞こえている。 

 もちろん彼女を助けたい。

 でもきっと、俺が駆けつけたことで彼女を助けることはできない。

 シェルは人一人簡単に消せるが、俺には人一人簡単に救えない。

 仮に新木さんと俺が組んで、三日後に描絵手を救えたとする。

 だがそれにはなんの意味もない。

 彼女が"遺産"である限り、彼女を狙う勢力は今後も出てくる。

 彼女を何度救おうとも、その事実が消えることはない。

 それにもしも彼女をどこかへ隠そうとも、彼女の"夢"は一生叶わない。

 何をどう考えようとも、きっと全ては詰んでいる。

 ようやく明るく充実してきた現実に、唐突に闇が覆いかぶさった。

 どうにもできない苦しみや悲しみが、俺の心を包みこんでいる。

 今俺を包み込む全てを人は無力感と呼ぶんだと思う。

 俺がなんの意味もなく床を見下ろしていると、突然スマホが鳴った。

 

 プルルル、プルルル。


 もはや出る気もしない。

 そんなことを思いながら画面を見ると、そこには


 『朝比奈 描絵手』


 と表示されていた。

 思わずスマホへと伸ばした手は、驚くほど震えていた。

 それでも俺は、逃げ出したい衝動と戦いながら電話に出た。


『もしもし…?』

「もし…もし。」

『よかった…最後に電話が出来て。私…引っ越すことになるかもしれなくて。』

「どこへ…行くの?」

『わからない。でも多分、もう会えないと思うんだ。ずっと遠くだから。』


 彼女の声は、驚くほどかすれていた。

 泣いていたんだと、直ぐに理解できた。

 引っ越すなんて嘘だと、俺は知っていた。


「ごめん…本当は知っているんだ。全部。」

『…そう…なんだ。新木さんって人が…来て…それで…ごめんね。本当はいつかはこうなるって知ってて…でも…どうしても友達が欲しくて…分かり切った最後だったのに…私…浮かれてたんだ。友達が出来て、絵の夢に近づけて、全部上手く行くんじゃないかって…いつの間にか思ってた。』


 途切れ途切れにゆっくりと、かすれた声で話している。

 描絵手がまた泣き始めたんだと分かった。

 彼女のその震える声と涙が全部事実なのだと教えてくれた。

 いつしか俺の頬にも、涙がつたる感覚があった。

 

「…どこかに…逃げるの?」

『うん、だから大丈夫…だよ。私のことは…気にしないで。』

「どこに…逃げるの?必ず会いに行くよ。」

『それは…えっと…ハハハ』

「逃げ…ないのかよ?誤魔化すなよ、死んじゃうんだぞ?」

『ごめん、でも…どうすればいいか分からなくて。もう逃げたくないの、これ以上逃げたって、きっと私の人生に幸せなんてない…だから。』

「だから…死ぬのかよ?そんなのって…。」

『うん…そうだよ、でも仕方がないんだ、それが運命だから。…はぁ~ぁ、現実もゲームみたいに何度もやり直せたらよかったのにね。そうすれば私だってきっといつかは素敵な人を見つけて、絵を描いて、ずっと生きて…ハハハ、でも現実はゲームじゃないよね。』


 そんなの分かり切っているはずだった。

 でもいつしか現実はゲームみたいになっていた。

 魔法が使えて、魔物を倒したらお金がもらえて。

 でも現実はゲームじゃなくて、生まれも、運命も選べない。

 でも俺は、そんな現実からいつの間にか目を逸らしていた。

 

 人生は一回きりで終わりだ。

 でも、だからこそ、一回きりの人生なんだ。

 大切な友達の人生が、そんな終わりでいいはずがない。

 彼女はどこにでもいる一人の少女で夢もある。

 彼女が死なないといけない理由なんて、どこにあるんだ。


『最後だと思って、ごめんね、こんな話。でも最後に、契躱君と話したくて。どうしても、自分を止められなかった。…さようなら。』


 プツン。


 電話が切れた。

 俺の耳に、また静寂が戻った。

 スマホを机に置くと、どうしようもない現実だけが手元に残った。

 不意に天井を見上げた。

 きっと三日後に彼女は死ぬ。

 それは運命で、俺にはどうすることもできない。

 このどうしようもない感覚を、俺は以前に経験したことがあった。

 いつの間にか俺は、幼少期のトラウマを思い出していた。

 それは本当に下らない幼少期の思い出で、俺が夢霧無になった理由でもある。


「はい、皆さん。今日まで"ブーちゃんの"お世話をよくできました。」


 教卓の前に、小学3年生の時に担任だった先生が立っている。

 なんてことはない。

 "ブーちゃん"は"ブタ"で、実験的に導入された授業の一環だ。

 彼を成熟するまで育て、最後まで"育成"か、"食事"か選ぶ。

 子供の精神を著しく成長させるには、生物の死が不可欠だと、そう考えた政府が実行した教育の一つだ。

 今はもう行われていない。

 やはり賛否両論で、子供にはまだ早いだとか、そういう意見が多かった。

 でも政府の考えも理解できる。

 世界融合の後、やっぱり人はそれなりに死んだ。

 子供の内から命の価値を少しでも学んで欲しかったんだと思う。


「それでは今から多数決を取ります。ブーちゃんを食べた方がいいと思う人。」


 担任がそう聞くと、少なくない数の生徒が手を挙げた。

 生き物を食べるのは当たり前で、残酷だけど誰かがやっていること。

 それが事実だし、そう教育されている。

 でも手を挙げた生徒は半数には届かなかった。


「それでは次に、最後まで育てた方がいいと思う人。」


 大多数がこの意見に手を挙げた。

 みんなが一生懸命愛情をこめて育てたんだ。

 死んでほしくない。そう考えるのもまた、当たり前のことだ。


「はい、皆ありがとうございます。」


 先生は黒板に投票数をまとめた。

 当時の1クラスの生徒数は32人。

 食事にするが11人。

 育成するが21人だった。

 多数決の結果、ブーちゃんを生かすことが決まった


 

 はずだった。



「皆さんよく多数決に参加してくれました。それじゃブーちゃんは育てることに決定します。」

「はーい!」

「でもね、残念ながらブーちゃんとはお別れなんです。」


 全員がシーンとなった。

 先生の方をみんながキョトンしながら見つめる。


「ブーちゃんはちゃんと専門の施設の人たちが最後まで育ててくれます。だから安心してね。みんな悲しいとは思うけど、ブーちゃんの為には仕方がないことなんだ。だからちゃんとお別れしましょう。」


 その後、ブーちゃんとのお別れ会が行われた。

 ブーちゃんは無事に旅立つこととなった。

 俺たちの知らないどこかへ。

 放課後、俺は偶然職員室の近くを通ることになった。

 中から幾人かの教員の声がした。


「…難しい授業ですよね。選択権を生徒に与えるなんて酷です。」

「でも必要な事です。子供たちの将来の為に、いい機会です。」

「先生のクラスはどっちになりましたか?」

「私のクラスは最後まで育てる方です。」

「そうですか、私のクラスは食事にする方が多数派でした。」

「そう…ですか。」

「えぇ。でもどちらを選択しても、最後は同じですから。」

「…豚を1頭育成するのにもお金がかかりますからね。どちらにせよ養豚場で"食事"になる。生徒たちがこれを知ればきっと悲しみますね。」

「そうですね。難しい世の中です。」


 俺は知った。

 ブーちゃんはどちらにせよ死んでいたんだと。

 最初から俺たちに選択権なんかなくて、意見なんてなくて。

 結局ブーちゃんは死んでいたんだと。

 俺はいつの間にか泣いていた。

 悔しくて、辛くて、苦しくて。

 ブーちゃんを守れなかった自分の弱さを。

 小さな意見でしかない自分の矮小な力が。

 何もかもが許せなかった。

 だから俺は"夢霧無"になろうと思った。

 個人の影響力じゃ何もできないから、俺が多数決で手を挙げた1票が100票や10000票になれば、いつかは現実が覆るんじゃないかって。

 俺は描絵手の件で、いつの間にかそんなことを思い出していた。

 そう、俺にはきっと何もできない。

 でも現実を覆すヒーローみたいな存在が、俺にとっての夢霧無なんだ。

 今ここで何もかも諦めて座っているならきっと、俺が夢霧無を作った意味がなくなる。

 俺はいつの間にか、無気力に座っていたソファから立ち上がっていた。

 仮に世界中が俺を間違っていると非難してもそれでいい。

 "エゴ"でいいんだ。

 

 俺は彼女を助けたい。


 考えがまとまると、俺は暫くリビング中を歩き回って彼女を助ける方法をしばらく思案した。

 助けるために動くだけじゃだめだ。

 確実に彼女を救いたい。


 やがて俺は、一つだけ道を見つけた。

 それを実行することは一人では無理だ。

 俺はスマホを手に取った。

 ミルさんにあるお願いをするために。


「ミルさん、夜分遅くにすみません。」

『問題ありません。今日も今日とて暇ですから。』

「それならよかった。いくつかお願いしたいことがあります。」

『お願いごとですか?大人の階段を上るにはまだ早いと思いますよ。』

「いいえ、全然違います。今から俺が言うものを用意して欲しくて。」

『…何かあったんですか?』

「"遺産"についてはどれくらい知識がありますか?」


 俺はそれからしばらくミルさんと通話した。

 描絵手を守ることのできる、唯一の道であるそれを実現するために。


 もう迷わない。

 なんとしてでも彼女を守る。

 俺は俺であると同時に、エゴの化身、"夢霧無"だ。

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