第6話


         ※


 その日、僕と流果は、件の廃棄区画の部屋で昼食を摂っていた。昼食と言っても、昼夜逆転気味だった僕たちの基準だから、時刻としては午後三時頃だったと思う。


 当時から、流果は自分が『ディジネス』と関係があるのだと言って憚らなかった。もしかしたら、部屋に籠りっぱなしの僕への当てつけだったのかもしれない。

 無理もないことだ。僕は駆け出しのオンライン・シューティングゲームのプレイヤーで、ロクな稼ぎもなかったし、反対に流果が調達してくる食材や総菜、金銭が、二人の生活を支えていたのだから。

 そんな流果も、この日は悪天候だったためか、流果も外出する素振りは見せなかった。


「あんちゃん、やっぱ勝てないの?」


 その投げやりな物言いに、僕は怒りよりも情けなさを覚えて振り返った。ヘッドギアを外し、流果と目を合わせる。


「賞金稼ぎになるには、まだまだ実践訓練が足りない。次の大会には、トップ8に入れるように頑張るから」

「あっそ」


 関心の薄さを隠そうともしない流果。布団の上であぐらをかきながら、やれやれとかぶりを振る。


 当時、流果はツインテールをおさげにしていた。いい加減髪型を変えようかと口にしていたところから察するに、誰かから助言を得ていたのだろう。やはり年上の人間とのコンタクトがあったに違いない。


 僕の知らない、流果の姿。それが垣間見える、というわけではない。しかし、彼女が『ディジネス』と関わりがあるというのは、あまり気分のいいものではなかった。

 僕自身、実の妹が何をしているのか問い詰めるだけの度胸がなかった、というのも大問題だったのだけれど。


 この時点で、『そんな組織とは縁を切れ』と言うことは、僕には到底不可能だった。『ディジネス』と流果との関係なくしては、明日の飲み食いにも窮する状態だったのだ。


 自分がゲームで一端の賞金稼ぎになり、流果を飢餓と犯罪から引き離す。

 そのために、僕は寸暇を惜しんでゲームに没頭し続けた。現実には誰も死なない、しかし限りなくリアルに近い状況下で、他者を殺め続けたのだ。


 ふと、何かの気配を感じ、僕はゲームを中断してヘッドギアを外した。流果もまた、玄関ドアの方を見つめている。

 

 流果と反政府組織に繋がりがある以上、誰かから狙われる恐れが皆無だとは言えない。

 普通の警察だったらまだ優しい方だろう。別な暴力系組織、あるいは、警察の中でも汚れ仕事を担当するような部署の人間だったらどうしよう。

 何某かのつてで、この部屋の場所が露見する恐れは常にあったのだ。僕たちは危害を加えられるかもしれない。


 素直に従うしかないな、と僕は思った。僕は当時から、現実的な暴力行為には抵抗があったのだ。肩を強張らせ、じっと玄関ドアを見つめる。

 対して流果は、布団の中から金属バットを取り出した。


 まさか、こんな華奢な少女がバット一本で相手に敵うまい。そうは思ったけれど、それでも僕は、流果を治めることができなかった。いや、『流果に文句をつける権利があるとは思えなかった』というのが正直なところだ。


「あんちゃん、下がってて」


 流果は腰を落とし、ゆっくりと玄関に向かう。何が何でも抵抗するつもりらしい。

 だが、その意志は呆気なく砕け散ることになった。


 インターホンのない玄関ドアがガンガンと叩かれ、あまりにも意外な人物の声がした。


「一翔、流果、いるんだろう? 私だ。伝上昇竜だ」

「お父ちゃん⁉」


 流果が素っ頓狂な声を上げる。それからガタン、と金属バットを落とし、だっとドアに駆け寄った。


 一気に警戒感を解いた流果に、注意を促す間もなかった。急いで玄関ドアのチェーンを外し、半ば体当たりする勢いで押し開ける。

 果たして、そこに立っていたのは実父、伝上昇竜だった。


 僕と流果がこの廃棄区画に住まわされるようになってから、出会ったのはこれが最初だった。

 流果の心は、自分が半ば捨てられたのだという怒りよりも、久々に父に会えたという喜びを優先させたらしい。父に抱き着き、背中を擦って安堵感を爆発させている。


 比べて僕は、流果よりもずっと複雑な心境だった。既に述べた通り、僕たちは捨てられたのだ。父に対する怒りは、ずしりと胸の中央に圧し掛かっている。


 流果の頭を撫でながら、ふっと父は目を上げた。思いがけず、僕と視線が交錯する。

 

「お父ちゃん、あたいらのこと心配した? 大丈夫だよ、ちゃんとご飯食べてるし!」


 流果がきゃっきゃと声を上げる中、僕と父は沈黙を貫いた。


「あれ? どしたの、お父ちゃん?」


 父の胸から顔を離し、こちらに振り返る。


「あんちゃんも、何怖い顔してんの?」

「え?」


 怖い顔? そんな表情をしていただろうか。

 流果に心配をかけたくなくて、僕は言葉を捻り出した。今は、育児放棄された怒りは棚上げしておこう。


「と、突然どうしたんだい、父さん?」

「急な仕事が入った」


 さっぱりと言い切る父。


「しばらくは、お前たちに会えなくなる。もしかしたら、次に三人揃うのはだいぶ後のことになるかもしれん」


 父は平然とした態度でそう言ったが、具体的な『急な仕事』の内容が何なのか、それには言及しなかった。

 妻を喪い、実子とも一方的に縁を切るような人間だ。どうせロクなことをしてはいないだろう。あるいは、ロクなことをするために僕と流果を切り捨てたのか。


「えーっ? せっかく会えたのに、また会えなくなっちゃうの?」


 流果が甘ったるい声を出しながら、父の顔を見上げる。

 世間一般には『反抗期』なるものがあるそうだが、流果には微塵もそんな気配はなかった。

 当然か。そもそも日頃顔を合わせる仲ではなかったのだから。


「それを伝えに来たのか、父さん?」


 むしろ反抗心を抱いていたのは、僕の方だったらしい。我ながら、こんな訝し気な口調で父に語りかけるとは。


「それはもちろんだが、親子三人で母さんの墓参りを、と思ってな」

「墓参り?」


 父の口から出るには、全く以て意外な言葉だった。故人を偲ぶようなセンチメンタルな行為をするとは、彼らしくない。

 自分の感情を排して、与えられた物事を遂行する。そんな機械じみた気を保つことが、『父らしさ』だと思っていたのだが。


 だが、そんな不可解な僕の考えのベクトルは、急に捻じ曲げられた。一人はしゃいでいる、流果によって。


「ねえお父ちゃん、前から気になってたんだけどさ」

「何だ、流果?」

「お母ちゃんってどんな人だったの?」


 一瞬、ほんの僅かに、父の頬が引き攣る。

 流果からしてみれば、また会えなくなる前に訊いておきたい事柄だったのだろうが……。


「そうだな、母さんは……ああいや、お墓に向かいながら話そう。廃棄区画の外に車を待たせてある。話はその時にな、流果」

「ふぅん? 分かった」


 そう言って、ようやく流果は父を解放した。


 父に先導され、三人で傘を差しながら廃棄区画を歩く。当時の父の身分は不詳だったが、従者が傘を差しだしてくれるような高貴なレベルではなかったらしい。あるいは、僕たちの前ではそんな姿を見られたくなかったのか。


「それでさ、お父ちゃん! お母ちゃんは、どんな人だったの?」


 再度問うてくる流果。そんな彼女とは目を合わさずに、父は素っ気なくこう言った。『優しい人だったよ』と。


 おいおい父さん、それだけなのか。母さんに関して言うべきことは。

 僕は内心、父の適当さに怒りを通り越して呆れてしまったが、父は口を閉じたままだ。


 事実、あまり話したくはないのだろう。だが、流果は問いを重ねた。そこには、彼女が意識せずとも、父の生傷を抉るような気分があった。


「お母ちゃんのこと、あたいはよく覚えてないんだけど、お父ちゃんはお母ちゃんのどんなところが好きだったの?」

「そう、だな」


 しばし、雨がトタン屋根を打つ音だけが響いた。


「美樹は――お前の母さんは、父さんの理解者だった」

「理解者?」


 オウム返しに尋ねる流果。この言葉には、僕も思わず反応した。母が父の『理解者』? どういう意味だ?

 昔から今まで、何をやっているのかひた隠しにしてきた父。そんな彼が、自分の人生の一端の種明かしをしようとしている。


「父さんは、自分の仕事に誇りを持っている。だが、それにお前たちを巻き込むことは、到底許されることではない。だから一翔と流果には、こんなところでの生活を強いてしまったわけだが……」


 抽象的な言い回しに、流果は首を捻っている。だが、父は振り向き、流果の肩に手を置いて、はっきりとこう言った。


「私は世界を変える。もっとよりよく、平和な世界に。それができたら、お前たちを迎えに来るよ」

「……? ま、いいや! 約束だよ、お父ちゃん!」


 傘を放り出し、再び抱き着く流果。そんな彼女の頭越しに、父は僕と目を合わせ、苦笑してみせた。


 それから先は、何ということのない、ごくごく日常的な会話が交わされた。母の墓標を前に、三人で手を合わせる。

 父は運転手に、ある高級レストランへ向かうよう指示を出した。あまりに平凡すぎて語りようがないのだが、そのくらい平和で、仲睦まじい親子像がそこにはあった。


 ――それがまさか、こんな形で再会が果たされることになろうとは。

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