第15話
そんな思いに囚われる僕の胸をえぐるように、流果は言葉を続けてくる。
「あたいは、智子を殺そうとしたんだ」
「それは違う!」
僕はダン、と足をついて立ち上がった。はっと息を飲み、流果が僕を見上げてくる。
「相手がお前の親友だってことも知らずに、戦わせたのは僕だ。僕のせいだ。僕が父さんたちに反抗できずに、お前を無理やりコントロールしたから」
しかし、流果はすぐに俯いた。
「あんちゃんこそ、間違ってるよ。あたいが何とかして、操縦回線を遮断できれば、あんちゃんに智子を追い詰めさせるようなことはなかったんだ」
そう言って、自分の膝頭に顔を押し付ける。嗚咽が漏れ始めたのは、それから間もなくのことだ。
人間には、自分の過ちを他人に押しつける悪癖がある。自分が責められないようにするため、誰しもが無意識に行っている。
今の僕たちの会話は、一見それとは真逆に見えるかもしれない。遠藤智子という少女の死を巡って、『悪いのは自分だ』と、自ら責任を背負い込もうとしている。
だが、それは偽善なのかもしれなかった。僕は流果の、流果は僕の、葛藤する様を見たくない。だからこそ自分が悪いのだと、互いに主張をぶつけ合っている。
相手を慮っているかのように見えて、実は自分が苦しみから逃れたいと思っている。
これはとんでもない、自意識過剰なわがままの衝突だ。だが不思議と、僕は自分のことも、流果のことも責める気にはなれなかった。
代わりに脳裏をよぎったのは、父や大槻、その他管制官たち大人のこと。彼らの冷淡な、落ち着き払った態度のこと。
『それが人間のやることか』というフレーズが、再び思索の海面に浮かび上がってくる。
「流果」
僕は一つの決意をして、流果の名を呼んだ。彼女は答えない。しゃくり上げるばかりだ。
「流果」
再び呼ぶ。流果は必死に手の甲で涙を拭っているが、顔を上げるには及ばない。
僕はそっとテーブルを回り込んで、流果のそばにひざまずいた。
「よく聞いてくれ。僕は次に、お前が戦いに駆り出されたら、お前が逃げられるようにコントロールする」
そう告げると、流果は一瞬固まった。心臓の鼓動すら止まっていたかもしれない。
「僕自身のことは、どうでもいい。お前が助かってくれれば」
「……」
流果は何事か言葉を呟いたが、僕には何と言っているのか分からない。
「大丈夫だ。僕には、お前の他に失うものは、何もない。僕が処罰されても、流果が自由に暮らせるのなら、それでいい」
すると流果は、半ばタックルを仕掛けるように僕に抱き着いてきた。
涙やら鼻水やらでびしょ濡れになった顔を、僕の胸に押しつける。
僕はそっと、流果の頭を撫でてみた。どれほど効果があるかは分からないが、今は流果の心を落ち着かせてやるのが最優先だと思ったのだ。
僕はそのまま、部屋の隅の監視カメラを睨みつけた。
見ているんだろう、父さん。少しでも親としての情が残っているなら、流果だけでも解放してやってくれ。
お涙頂戴という安直な手段を取ってしまったが、それでも僕は、これ以上流果の涙を見たくはなかった。
僕がカメラから流果に視線を戻した、その時だった。
断続的に震えていた流果の肩が、ぴくりと止まった。
「ど、どうしたんだ、流果?」
「……センセ」
「何?」
「センセのところに……古川博士のラボに、あたいを……」
意味が分からなかった。体調を悪くしたのだろうか。
まあ、僕よりも流果自身の方が、自分のことはよく分かるだろう。僕はそっと流果の左腕を取って、立ち上がるのを助けてやろうとした。
だが、待てよ。
流果は先ほど、この左腕から大量出血したのだ。点滴を刺したくらいで、この建物内を出歩けるものだろうか。
いいや、そんなはずはない。僕の瞼に焼き付いた、顔面蒼白な流果の姿が、そう訴えてくる。普通だったら、今も集中治療室で止血や輸血を受けていなければならないのではないだろうか。
はっとした。流果は、普通ではないのではないか?
流果は遠藤智子と、凄まじい近接戦闘を繰り広げてみせた。お互い年端のゆかない少女だったことを鑑みても、あんな速度で戦えるほど、流果が強いはずがない。
僕は再びしゃがみ込んで、流果の着ているシャツの左腕をまくり上げた。
「待って、あんちゃん!」
流果の右腕が伸びる。だが、僕はそれを振り払い、じっと流果の左腕を観察した。
そして、驚愕した。
「流果、こ、この腕……!」
薄暗い照明の下でも、僕にはよく見えた。流果の左腕は、生命感が明らかに欠如していたのだ。
浮き上がった静脈、骨ばった関節、ひんやりとした手触り。生身の人間のものとは、すぐには判じられない。
僕は顔を上げ、流果の顔を見つめた。
「お前は、一体……?」
一体何者になってしまったのか。そう言おうと思った直後、流果の頭部がぐらり、と揺れた。
「おい流果! 流果っ!」
そう呼びかけた直後、この部屋のドアがスライドした。外部から強制開放されたらしい。
そこに立っていたのは、
「古川博士……」
「流果ちゃんの身柄を預かるわ。一翔くん、あなたも一緒に来て。ただし、また暴れたりしないでね」
そう言うと、古川ともう一人の看護師は、二人がかりで流果を両脇から支えて廊下へと歩み出した。
「ちょ、ちょっと待って!」
僕もまた、慌てて廊下へ飛び出した。
「は、博士、流果はどうしたんです? 左腕はどうしたでんです? 一体流果に何を――」
「質問は後だ」
ドスの効いた声がした。振り返るまでもない、僕のお目付け役である大槻が、僕の背後に立っている。
「大尉、くれぐれも一翔くんに乱暴はしないで頂戴」
「了解しました、博士」
殊勝にも、大槻は古川に敬礼し、目だけで僕に歩み出るよう指示をした。
※
ラボに着くと、古川は目だけで人払いをしてみせた。大槻までもが軽く会釈をして去っていったのには驚かされたが、きっと階級上の問題なのだろう。
「新しい身体に慣れきっていないようね。一翔くん、流果ちゃんをベッドに寝かせてあげて」
「わ、分かりました」
僕はそっと流果の肩を支え、半ばお姫様抱っこをするようにして、ベッドに横たえた。
「よっ、と……」
「一翔くん、カーテンを閉めて、ベッドから離れて。今、流果ちゃんの身体をスキャンするから」
「え?」
身体をスキャンする? どういう意味だ?
「さ、急いで」
やや尖った口調の古川に引っ張られるようにして、僕はベッドから距離を取る。
すると、天井から物音がした。機械的な、何かがスライドする音だ。つと見上げると、
「うわっ!」
眩しい光が僕の目に刺さった。慌てて腕を眼前にかざす。
「ほら、早く離れて!」
古川が苛立った声を上げる。出会ったばかりの人間とはいえ、彼女が苛立つのは珍しいのではないか。そう僕は推測した。
二、三歩後退し、腕と瞼の隙間から、僅かに目を覗かせる。天井の器材から差した光は、一昔前のスキャナーのように、流果の頭から足元までを照らしていった。
カチャリ、という音がした時には、光は既に消失していた。スキャンは終了したようだ。
「は、博士、流果に一体何を?」
古川は無言。やたらと太いケーブル繋がったディスプレイを覗き込んでいる。
「そうか、脊椎と右の肩甲骨の負傷が響いたんだね」
ぶつぶつと呟く古川。もどかしくなり、僕は振り返って古川を見据えた。しかし古川はこちらに振り向くことなく、いや、むしろ顔を逸らすようにして、デスクに両手を着いている。
「流果は一体どうしたんです? どこが悪いんですか?」
ここで退いたら、古川から情報を手に入れることはできない。今しかない。そんな強迫観念じみた直感に駆られ、僕は一歩、二歩と古川に近づく。
「答えてください博士、あなたなら分かるんでしょう? 流果は――」
そう迫りかけて、僕は足を止めてしまった。何故なら、古川があまりにも深く、冷たいため息をついたからだ。
しばし黙り込んだ後、古川はゆらり、と上半身を起こした。ゆっくりとこちらに振り返り、片手をデスクに載せて身体を預ける。
その時の表情は、全く以て不可思議だった。苦虫を噛み潰したような、という言葉があるが、そこに憐憫と後悔と罪悪感を同居させたような、複雑極まりない顔をしている。
それから、古川は僕と目を合わせた。が、距離感が掴めていない。ピントがズレて、僕を認識できないでいるようにすら思われた。
それも、冷静でいれば一瞬のことだったのだろう。古川は二、三回瞬きを繰り返し、ようやく僕に照準を定めたようだ。
そして、こう言った。
「流果ちゃんの身体の三十パーセント強は、機械化されているの。彼女を生かし、戦わせるためにね」
「……は?」
機械化? 流果が機械化された、だって?
僕は思わず吹き出してしまった。あまりに荒唐無稽に思われたからだ。だが、この場においては、滑稽なのは僕の方だったらしい。
再び古川の顔を見た時、そこには先ほどまでの複雑な感情はなかった。敢えて感情を殺しているようだ。
「そうでもしなければ、彼女はとっくに死んでるわ」
その一言に、僕は胸を氷柱で串刺しにされたような感覚に襲われた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます