第13話


         ※


「はあっ!」


 僕は急な悪寒と吐き気に見舞われつつ、ヘッドギアを掴み上げた。そのまま、半ば放り投げるようにして取り外す。

 胸に手を当て、ゼイゼイと息を切らす。


 一体何があった? 僕のアバターと言ってもいいあの『伝上』は、どうして操縦に従わなかったんだ?

 加えて気にかかるのは、『伝上』の取った行動の意図だ。敵であった少女に同情するような、憐れみを投げるような挙動のきっかけ。あれだけ出血しながらも『伝上』を突き動かした理由は、どこにあるのだろう。


 ストッ、と滑らかにドアがスライドし、聞き慣れた怒声が降ってきた。


「無事か、伝上一翔!」

「お、大槻大尉……」


 僕は無意識に、声の主に呼びかけていた。


「僕が操縦していたのは何者なんです? ロボットじゃないんでしょう?」


 大槻は僕の問いに答えることなく、いつもの横柄な態度に戻る。しかし、続く彼の言葉を遮ったのは、彼のそれを上回る怒声だった。


「すぐに出ろ。装置に不備があったようだ。早速メンテナンス作業に――」

「答えろ!」


 気づいた時、大槻は言葉を失っていた。僕が怒号を上げながら、座席を殴りつけたからか。

 目を丸くする大槻。僕自身、自分の挙動に今更ながら驚いた。こんな暴力的な言動に走ってしまうなんて。

 それでも、大槻の立ち直りは早かった。どこか侮蔑の感情を込めて、僕を見下ろしている。少しばかり深く息を吸ってから、大槻は重い口調で言った。


「俺に答える権限はない」


 すると、僕の胸中で再び怒りが再燃した。焦りと言ってもいいかもしれない。


「なら誰が知ってるんだ? 親父か? 親父だな?」


 ずいずいと大槻に歩み寄る。そのまま突き飛ばすような勢いで、彼の厚い胸板に掌を叩きつけた。微動だにしない彼の屈強な身体の中で、心が後退する気配はある。


 僕の前に立ち塞がった大槻の横をすり抜け、僕は操縦室を出た。

 慌ただしく駆け回る管制官たちの間を縫って、父の姿を探す。


「父さん!」


 ちらちらとこちらに視線が飛ぶが、見返すことはしない。ただひたすらに、一人の男性の姿を探す。


「父さん!」


 何度声を上げただろうか、返答は意外なところから飛んできた。


「やかましいぞ、一翔」

「!」


 真後ろから、肩に手を載せられる。そのままぐいっと半回転させられ、直後には僕の左頬に激痛が走っていた。


「ぶっ!」


 無様にぶっ飛ばされる僕。殴り飛ばされたと気づく頃には、父の冷徹な目が僕を捉えていた。一気に冷めていく僕の心。痛みのせいか、父への恐怖心のためか。


「止めないか。ここは作戦司令室だぞ」

「……ッ」

「私がお前をあの廃棄区画から引っ張ってきたのは、お前にできる範囲のことをやってもらおうと思ったからだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 じわり、と口内に鉄臭さが滲み出る。


「機器のメンテナンスは設備員の仕事だ。お前の役目は、今はない。とっとと休んだらどうだ」


 休む、だって? ふざけるな。こんな事態に陥って、休むも何もあったもんじゃない。

 そう反発させるだけの傲岸さが、父の全身から発せられていた。だが、僕は抵抗しなければ。このまま、この胸中を塞ぐような不快感を抱いたままではいられない。


「じゃあ、答えてくれ父さん」

「何だ」


 背を向けかけた父を、言葉で振り返らせる。父は使い終わった紙コップに遣るような視線を向けてきた。


「僕は一体、誰を操縦していたんだ? 僕のアバターは戦闘ロボットなんかじゃない、人間なんだろう?」

「私に答える権限は――」


 この男までシラを切るつもりか。これでは何も変わらないじゃないか。

 僕の背後に、するりと大きな気配が紛れ込んできた。きっと大槻だろう。このまま再び連行されるしかないのか。

 肩を竦め、父が完全にこちらに背を向けた、その時だった。


《コードネーム『伝上』を回収。医療班及び化学生物班は、直ちに緊急手術室に急行せよ。繰り返す――》


 頭上から降り注ぐアナウンス。

 緊急手術室の場所など分からない。だが、間違いなく僕のアバターはそこに連れられてくる。僕はこの好機を逃すまいと、父と大槻の間から駆け出そうとした。


「!」


 虚を突かれた大槻が、僕に腕を伸ばしてくる。振り返らなくてもそれは分かる。僕は、咄嗟に膝を折ってしゃがみ込んだ。


「うお!」

「ぐっ!」


 結果、僕の頭上で大槻は父の背中を盛大に叩き、よろめいてバランスを崩した。

 僕のお守りをしているのは大槻だ。彼の手から逃れられれば、僕は自由に駆け回ることができる。


「どこだ、緊急手術室は!」


 そう叫びながら、僕は作戦司令室を飛び出した。アナウンスに聞き入っている管制官数名を突き飛ばし、そのまま廊下を駆けていく。


 気づけば僕は、エレベーターに駆け込んでいた。無意識に? いや、そういうわけではなかったのか。

 緊急手術を要する負傷兵が運ばれてくるのだ。当然この建物の外、すなわち上階からだろう。そんな推測を立てていた。


 最上階がどうなっているのか知らないが、恐らくはヘリポートを経由してくる。そこを目指せばいい。

 振り返ってエレベーターの階層表示パネルを見ると、地上階の表示の最上段に『H』の文字。きっとここがヘリポートだ。全く、ご親切なことである。


 僕は胸に手を当て、乱れた呼吸を整える。軽く上から押しつけられるような感覚。意識をそちらに向けることで、胸騒ぎを押さえようとした。


 結論から言えば、無理だった。無駄だった、と言うべきか。

 階層が上がっていくに従い、どんどん僕の心臓が肥大化し、胸を突き破ろうとしてくる。それほどの『嫌な予感』が、僕を先ほどから突き動かしてきたのだ。


「ああっ!」


 僕は拳でエレベーターの壁面を叩く。早く到着しろ、いや到着するな、と矛盾した感情に苛立つ。

 大槻も父も教えてはくれなかったが、僕が知るべきではないと二人が判断したのは間違いない。もしかしたら、それは彼らの胸に微かに残った『良心』によるものだったのかもしれない。


 だが、それは後々考えるべきことだと僕は断じた。誰が何を思おうと、僕は戦闘ロボットと呼称されていたアバターの正体を知る必要がある。


 そう自らに言い聞かせていると、いつの間にか眼前に一機の人員輸送ヘリが降り立ってきていた。墨を流したような曇り空の下、回転翼の爆音を響かせながら、ギシリとタイヤを軋ませる。


 僕はいつの間にかエレベーターを出ていた。また、ヘリも敵味方識別コードを確認して接近、着陸していた。

 そんな時間経過に実感が湧かない。よほど僕は、焦燥感や不安の念に駆られていたのだろう。


 僕を引き留める人間は誰もいなかった。不思議なことだが、皆それどころではなかったのか。

 僕がヘリに向かって駆け出そうとした時、一足先に、白衣の集団が視界のわきから入ってきた。そこに見知った顔があるのを見て、はっとする。


「古川博士?」


 そんな呟きは、すぐに掻き消される。代わりにあたりを震わせたのは、古川の大声だった。


「早く担架を下ろして! 緊急治療室直通のエレベーター、使えるわね?」

「大丈夫です、博士!」

「じゃあいくわよ、一、二、三!」


 古川を中心とした医療班は、実にテキパキとした手腕で負傷者を担架に載せ替えた。僕が上がってきたのとは反対側の、より広い大型エレベーターに素早く乗り込む。


「あれが、僕のアバターか!」

《おい君、何をしている⁉》


 ヘリのパイロットのものだろう、驚きを隠しきれない声が響く。だが、そんなものに頓着している暇はない。

 僕は駆け出し、大きく腕を振りながら喚いた。


「僕も乗せてくれ! それは僕のアバターなんだ! きっとそうだ!」


 傍から見たら、わけの分からない言動だったと思う。僕自身だってそうだ。だが、一人だけ完全に状況を把握している人物がいた。古川知美である。


「おーーーい!」


 四肢を滅茶苦茶に振り回す僕を見て、彼女はぎょっとした様子だった。が、すぐに意識を切り替えた。何やら白衣のポケットから布を取り出し、担架に被せている。ちょうど、亡くなった人の顔に被せるように。


 だんだんと閉まりゆく、エレベーターのドア。僕はより強くヘリポートのアスファルトを蹴った。そのまま片腕を伸ばし、エレベーターの隙間に突っ込む。

 ドアは自動で展開し、僕の腕が挽肉にされるのを防いでくれた。


「なっ、何なんだ君は!」


 初老の男性医師が引き攣った声を上げる。しかし僕は相手にしない。


「古川博士!」


 名前を呼ぶ。

 この期に及んで、ようやく僕は自分の息が切れているのを感じた。普段なら腰をくの字に折って、そのまま膝を着きかねない疲労度合いだ。

 だが、その時の僕は、そんなことにすら取り合わなかった。


「これは誰なんですか?」


 古川は唇を噛みしめ、無言。

 僕は周囲を見回した。点滴を掲げる看護師、保冷バッグを担いだ兵士、言葉を続けられないでいる男性医師。


「……」


 ドアが閉まり切る頃になって、古川は何事か呟いた。その口の動きは、『仕方ないわね』とも読み取れる。


「こ、古川博士!」


 素っ頓狂な声を上げる看護師に、アイコンタクトで『黙っていろ』と告げてから(少なくとも僕にはそう見えた)、古川はそっと、担架に載せられている人物の顔から布を取り去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る