第11話


         ※


「どうした。早く入って装備を付けろ」


 大槻に背中を小突かれ、僕は作戦司令室に併設された操縦室に足を踏み入れた。

 司令室には既に父の姿もあったが、こちらに一瞥をくれることもなかった。

 事細かに送られてくる、前線部隊からの報告。膨大な情報量となるそれを、細大漏らさずに脳に叩き込もうというのか。


 僕は我ながら冷淡な心境で、父を思う。

 これだけ溢れる情報の波――それに呑み込まれることなく、俯瞰しようというのだから、我が子のことなど頭の片隅にも置いておけないのだろう。


「最善を尽くせ」


 そう言って、大槻は退室した。この一言には、無論、僕を鼓舞しようという意図は微塵も感じられない。

 最善を尽くして、一人でも多くの他人を殺めろ。それだけだ。


 僕は大きなため息をつき、座席、ヘッドギア、それにコントローラーの載ったデスクを見下ろした。否応なしに、死刑囚を射殺した時の感覚が甦る。


 あれをやるのか。ロボットを経由して。何人も何人も、現実世界で人を殺すのか。

 そう思うと、僕は自分の頬が引き攣るのを抑え切れなかった。


「ふふっ」


 自分の口元が、笑みの形に歪んでいる。喉の奥から、奇妙な呼気が吐き出される。

 ああ、これが自嘲というものか。自分が今、置かれている状況。それを喜劇的に思う気持ちが、僕の胸中にはあったらしい。

 

 昨日まで、自分の拳すら振るうことのできなかった臆病者の自分。それが機械越しに、他人の命を奪う? それも、仮想世界で行ってきたのと大差ない環境で? 随分と屈折してしまったものだ。


《目標地点上空到達まで、残り三百秒。総員、戦闘支援体勢に移れ》


 父の声だ。この操縦室の天井から聞こえてくる。たまたまスピーカーがそこにあったというだけなのだろうが、頭上に木霊する父の声というのは、僕の神経をざわつかせた。

 父は、神にでもなったつもりなのだろうか。何の脈絡もなく、僕はそんなことを思った。


 それでも、今は父に従うべきだ。不本意とはいえ、僕が行うのは反政府勢力の掃討であり、『超法規的措置』なのだから。僕に非はない。誰に認められずとも、善行に励むことに変わりはないだろう。


 僕は再び、喉が痙攣するような音を気管支から押し出した。コントローラーとヘッドギアを装備。

 こうなったら、ゲームと同じだと思い込むしかない。邪魔者は殺す。容赦なく仕留める。そして示すんだ。僕、伝上一翔こそが、最強のゲーマーだと。


 そうして腹を括った頃には、ヘッドギアは起動シークエンスを完了していた。視覚と聴覚が、意識の向こう側にいる戦闘ロボットのそれと切り替わる。


 僕は狭い空間にいた。腰かけた椅子から、不規則な振動が伝わってくる。それに、耳を聾する回転翼の轟音。

 そうか。今僕は、ヘリに搭乗しているのだ。そして、既に自動小銃を装備し、初弾の装填までを完了している。これは、視界の隅に表示されたアイテムの表示パネルから拾った情報だ。

 コントローラーを操作し、マップを展開する。どうやらここは、森林地帯の上空のようだ。この先に『ディジネス』の拠点があるのだろうか。


《高度を下げる。着陸まであと六十秒。総員、戦闘態勢に入れ》


 僕は自動小銃をセミオートに設定し、セーフティを解除。同じく画面隅に表示された、二桁の数字を注視する。秒単位でカウントダウンをしているのだ。

 四肢を僅かに動かし、コントローラーとの連動に不備がないかを確認する。


「よし……」


 そう呟いて、唇を湿らせた、その時だった。


《地上より熱源反応! ハウンド1が狙われている! 本機も回避運動に移る!》


 パイロットの悲鳴が轟いた。地対空ロケット砲による待ち伏せか!

 こんな状況に陥ったことは、ゲームをプレイしてきた上では皆無だった。撃墜される前に飛び降りられればいいが、このロボットがどれほどの衝撃に耐えられるのか、僕は知らない。


「どうしろってんだよ!」


 視界を左側、コクピットの方へ向ける。その向こうには、随伴していたもう一機の人員輸送ヘリ、ハウンド1がいるはずだが――。


 迷っている間に、前方で真っ赤な爆光が煌めいた。しかし、それは一瞬のこと。すぐさま炎は黒煙に取り巻かれ、真っ黒に焦げたヘリの残骸、それにバラバラになった兵士の死体が、地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。


「やりやがったな!」


 あれほどの破壊力を有する弾頭で狙ってくるとは、敵はこちらを一人たりとも逃がさないつもりらしい。

 そこまで考えて、僕はふと、自分がいつになく興奮し、怒りに駆られていることに気づいた。これはゲームではない。実戦だ。その事実にもたらされた緊張感が、僕の脳の表面を電流のように駆け巡る。


《全員掴まれ! 高度を上げて撤退する!》

「なっ!」


 撤退だと? 友軍があれほど殺されたのに? 


「ふざけやがって!」


 僕は手元を操作し、シートベルトを外した。自動小銃がきちんと防弾ベストに結び付けられているのを確かめ、シートわきの降下用ロープを両手で掴む。

 他の兵士たちは、上半身を折って頭を抱え込み、耐ショック姿勢を取っている。動いているのは僕だけだ。

『所詮操縦しているのはロボットだ』――そんな他人事のような意識が、僕に大胆な行動を取らせたのかもしれない。

 いずれにせよ、あの規模の爆発に巻き込まれたら、間違いなく戦死する。


 ロープがしっかりとヘリのキャビンに固定されていることを確かめた僕は、躊躇いなく降下を開始した。

 両手と両膝でロープを挟み込み、そのままするすると降りていく。地面まであと十メートル……七メートル……五メートル。


 目測でそこまで確認した、その時だった。

 やや開けた草原に、迷彩カバーの被せられた人工物を視認した。


「あれがロケット砲か!」


 直方体の筒状のものが、回転する台座の上に設置されている。あれを放っておいたら、僕の乗ってきたヘリや後続機も撃墜される。

 仕方ない。僕は脚部の損傷を覚悟で、ロープから手を離した。腰元に装備していた手榴弾を外し、ロケット砲に向かって放り投げる。


 それから、高さ五メートルからの自由落下。胎児のように身体を丸め、転がるようにして草原に降り立った。『背中に軽微損傷』との表示が走ったが、致命傷には程遠い。

 僕は無理やり立ち上がり、手榴弾を投げたのと反対側の森林へと飛び込んだ。それから再び、頭部を押さえて丸くなる。


 その直後、ドン、という鈍い爆発音が響いた。続けて、バシュン、バシュンという高い轟音が鼓膜を震わせる。

 僕が手榴弾を投擲した時、狙いは明確だった。四門で一つのユニットを構成するロケット砲の、一発目が発射されたところ。発射に伴ってハッチが破られていた。


 そこに手榴弾を投げ込んだものだから、ロケット砲は内部から爆発し、残り三門のロケット砲が強制的に起爆。台座ごと爆発炎上したという次第だ。

 どうやら僕の操作技術も、捨てたものではなかったらしい。


 だが、問題はここからだ。

 今のところ、地上に降り立ったのは僕の操縦する戦闘ロボが一機。対する敵の出方はどうなるだろう? 


 そう頭を巡らせようとした、次の瞬間。スパン、と明快な音を立てて、頭上から木片が降り注いだ。狙撃だ。狙われている。

『ディジネス』の連中は、ロケット砲を失った今でも士気を保っているらしい。何が何でも、こちらを皆殺しにするつもりなのだ。


「……」


 僕は更に頭を下げ、下草に埋もれるようにして這いつくばった。

 それから、今の狙撃が行われた場所を確認する。ヘッドギア越しに、狙撃弾の弾道データが表示された。二百メートルほど森に進み入った、樹木の枝の上から発射されたようだ。


 敵が次の狙いをつける前に、反撃しなければならない。僕は自動小銃をフルオートに設定。立ち上がり、隣の太い樹木の陰に移動した。

 背中を木の幹に押し当て、弾道データを確認。


「そこだ!」


 振り返るようにして、木の陰から身を乗り出す。そして弾倉の半分にあたる弾丸を、発射地点目がけて叩き込んだ。

 バタバタバタバタッ、と弾丸が空を斬り、深い木々の向こう側へと殺到する。

 それからすぐに身を翻し、僕は次の木陰へと移動。自分の足音が鬱陶しかったが、それでも遠くから、どさりと何かが落下する音を聞きつけることはできた。


 仕留めたのか? それとも、狙撃手はダミーを落下させて、こちらを欺くつもりなのか?

 判然とはしなかったが、その逡巡をすぐに切り上げたのは正解だった。左側に『CAUTION』という真っ赤な文字が浮かび上がる。はっとして顔を向けると、何者かがこちらに回し蹴りを打ち込むところだった。


「ッ!」


 自動小銃を掲げ、これを防ごうと試みる。だが、次の瞬間、僕は我が目とバイザーの視覚情報を疑った。

 一瞬で、自動小銃がひしゃげて弾き飛ばされたのだ。


「うっく!」


 防弾ベストと自動小銃を結んでいたベルトが千切れ、身体は地面に、自動小銃はその遥か後方にぶっ飛ばされた。

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