第9話【第二章】

【第二章】


 それは一種の『衝撃』だった。四肢が滅茶苦茶に反応を示し、悲鳴を上げることもできない。そのままベッドの上でのたうち回る。

 何だ? 昨日気絶させられた時に喰らったスタンガンか? 


 僕は両手足を突っ張ることで、何とか抵抗しようと試みたが、無駄だった。いや、そもそも『自分が攻撃されている』と思ったこと自体が誤りだった。


「はあっ!」


 上半身を起こし、息を吐き出す。すると、その衝撃は急速に収まり、周囲の状況が把握できるようになった。


 視界は真っ赤。この部屋の照明が、狂ったパトランプのように回転しているのだ。そこから発せられた光が、情け容赦なく僕の目に突き刺さる。

 聴覚を苛んでいたのは、高く鳴り響くサイレンだった。これは最早、目覚ましを目的としたレベルではない。非常事態が発生しているのだという事実を、否応なしに耳に捻じ込んでくる。


「くっ! 一体何なんだよ!」


 耳を両手で塞ぎ、目を閉じる。しかしその直前、僕は視野の中央を何かが横切るのを認めた。


「おい流果、どこへ行くんだ?」


 咄嗟に声を上げたものの、流果は振り返る素振りすら見せない。ドアは呆気ないほど簡単にスライドし、流果を廊下へと送り出した。


 僕はただただ、その背中を見送ることしかできない。

 そのまま呆然とベッドに座り込んでいると、唐突にサイレンが鳴りを潜めた。代わりに、人工音声が空気を震わせる。


《反政府勢力『ディジネス』の拠点を捕捉。戦闘員は直ちに出撃体勢に移行せよ。繰り返す――》

「何だって⁉」


 僕は思わず、素っ頓狂な声を上げていた。それは反射的なものだ。繰り返される音声から、脳みそに引っ掛かる言葉を拾っていく。


「え、えっと……」


『ディジネス』は、アナウンスされている通り、名の通った反政府勢力だ。それの拠点が見つかって……戦闘員? 出撃? 戦いが起こるのか?


 俯いていたせいか、僕は入室してきた大きな影に気づかなかった。


「おい」

「うわっ!」


 突然視界が浮き上がる。後ろ襟を引っ張られ、吊るし上げられているのだ。その状況を理解した時には、僕はベッドの足元の方向に突き飛ばされ、鼻先をマットに打ちつけていた。


「貴様も準備しろ。操縦士だろう」


 その声に、僕は自分を引っ張っていたのが大槻であることを理解した。


「一体何をするっていうんだ? 僕が何を――」


 振り返って抗議の声を上げる。すると大槻は無造作に僕の頬を鷲掴みにし、まるで野球ボールを弄ぶかのように、僕の側頭部を反対側の壁にぶっつけた。


「ッ!」

「まだグダグダ言う気なら、次は貴様の頭蓋骨を割る」


 その無感情な口調と瞳に、僕は今までにない恐怖を覚えた。

 本気で頭を割られるかもしれないという『思考』よりも、本能的な『直感』によるところが大きい。

 いずれにせよ、今の僕には対抗策はなかった。


 大槻に手を引かれ、鈍痛に顔を顰めながら、僕は昨日の作戦司令室へと連れられて行った。


         ※


 入室してすぐに僕たちを出迎えたのは、父だった。

 目の下に隈ができている。徹夜で『ディジネス』の拠点を探していたのだろうか。


「連行ご苦労、大尉。配置についてくれ」

「はッ」


 大槻はすぐに僕を解放し、自らもまた、隅のディスプレイに向かった。とてもデスクワークをする人種には見えないが、父の命令に絶対服従を誓っている様子からするに、優秀な管制官でもあるのだろう。


「こっちだ、一翔」


 軽く手招きをして、振り返る父。その背中を見て、僕は咄嗟に問いを投げた。


「父さん、流果はどうしたんだ?」


 ほんの一瞬、父の歩みが鈍った。いや、僕が勝手にそう思い込んだだけかもしれない。それでも、聞こえないふりをするつもりはなかったようだ。


「あいつには別な仕事がある」

「仕事って、何を――」

「お前が知る必要はない」


 ぴしゃりと疑問を遮られた。だが、そこで黙っているほど、僕は臆病ではない。

 僕はたった今まで、あの大槻という大男に脅されていたのだ。それに比べれば、父がさしたる脅威であるようには思えない。


 一定の距離を保ちながら、父の背後を観察する。父が一端の軍人であるなら、必ず携帯しているはずだ。自衛用の拳銃を。

 父は右利き。ということは、左腰に拳銃を装備している可能性が高い。作戦司令室は相変わらず暗かったが、僕は確かに、父が背広の下にホルスターを吊っているのを見て取った。


「くっ!」


 僕は短く声を漏らしながら、大きく一歩跳躍。そのまま父に抱き着くようにして、左手を相手の腰元に当てた。そのまま引っ張ると、小振りな、しかし明らかに殺傷能力を秘めた金属の塊がするりと抜けた。


 それが実銃であることを確かめるより早く、僕はゲームで得た知識を基に、一連の所作を行う。

 セーフティを解除。カバーをスライド。足を肩幅よりやや広めに開き、両手で構える。

 狙うは、振り返った父の腹部。本当なら足や腕など、致命傷になり得ない場所を狙いたかったのだが、これはゲームではない。知識は活かせても、経験がないのだ。


 実銃に触れるのは、これが初めてだ。かといって、ポーズを崩しては脅しにならない。

 いや、こんなド素人が扱うからこその危険、というものもあるかもしれない。

 いずれにせよ、僕は僕なりに、最大限この金属塊を活用すべく僕は震える手に力を込めた。

 

 俄かに周囲に波紋が広がる。池に石ころを投げ込んだ時のように、警戒、恐怖、動揺といった感情が伝わっていく。


 だが、投げ込まれた石の波を全く受け付けない人物がいた。伝上昇竜、つまり狙われている張本人である。

 僕は思わず、怖くないのかと尋ねそうになった。この距離で二十二口径の弾丸を撃ち込まれれば、重傷を負う可能性が高い。身体のどこかに当たりさえすれば、の話だが。


「待て、大尉」


 父は僕の頭上をふっと見上げ、そう言った。その時になって、ようやく僕は、大槻が僕の背後にいることを気づかされた。

 いつでも僕を拘束できる。そんな余裕があったのだろうか? それを差し引いても、きっと父は淡々とした態度を崩さなかっただろうが。


「用件を聞こう」

「流果はどこだ」


 思いの外、するりと問いが出た。


「それを訊いてどうするつもりだ、一翔」

「僕の勝手だ。流果に会わせろ」


 ここで早くも、僕は弾切れならぬ『問い切れ』を起こした。

 流果の身の安全を確認して、それからどうする? まさか兄妹仲良く、この施設の正面出入口から出させてはもらえまい。

 そんなことを考える間に、父は『生憎、それはできない』と告げた。同時に右手を掲げ、人差し指を立てる。


「理由は二つ。一つには、ここにいる全員に、伝上流果の現在の動向を把握できる権限があるわけではない、ということだ」


 そう言えば、機密レベルという言葉があった。あれに抵触する、すなわち知ってしまってはならない人物が、この作戦司令室にもいるということか。


「最悪の場合、ここにいる全員が、口封じのために社会的に抹殺される可能性がある」


『抹殺』という物騒極まりない言葉に、僕は唾を飲んだ。そんな僕の胸中に頓着することなく、父は中指を並べて立てる。


「もう一つの理由は、伝上流果は現在ここにはいない、ということだ。詳細は伏せる」


 シラを切るのに、清々しいにもほどがある。しかし、それでも今の言い回しから察するに、流果は生きてはいるのだろう。


「無事、なんだな?」


 気づけば、僕は声まで震えていた。しかし、どうしてもそこだけは押さえておかなければ。

 すると父は、一際大きく頷いてみせた。僕の質問に肯定の意志表示をした、と言うべきか。

 だが、それにしては動作がゆっくりしている。首を元の位置に戻した時、父は僕ではなく、やや上方、僕の背後に視線を合わせていた。


「おい、ふざけてないで――」


 そう言いかけた時には、僕は大きく前のめりに倒れ込んでいた。床に顔を打ちつける直前、何者かの腕に上半身を支えられる。同時に、僕の手からは拳銃が滑り落ちていた。


         ※


「え? だから、怪我人をラボに運んでくるのは止めなさいよ。大佐の指示? 知ったこっちゃないわ。ここは私にとっては聖域……もしもし、もしもーし?」


 怒声にしては淡白な声音に、僕は目を覚ました。ここは見覚えがある。ああ、古川博士のラボの片隅だ。またもや僕は、気絶させられていたらしい。


 僕は後頭部に手を遣ってみた。軽く腫れているようだが、あまり痛みは感じない。気絶させられる最低限度の威力で殴打された、ということか。


「全く、こっちは彼女の治療まで任されてるってのに、勝手に怪我人を増やされちゃ敵わないっての」


 言うまでもなく、誰かと通話していたのは古川である。だが、それを認めた直後、第三者の声が僕の鼓膜を震わせた。

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