第8話
※
それから何時間が経っただろうか。
僕は自室として与えられた部屋のベッドに腰かけ、頭を抱えていた。
人を、殺した。
通信システム越しにとはいえ、拳銃を握ったロボットの腕を通して引き金を引き、弾丸を発射し、命を奪った。
これが何かのドッキリで、あの射殺された男はゲーム内でのみ存在するのだと、誰かに言ってほしかった。新しいゲームの試作機をプレイさせられたのだと。
しかし、あの時のコントローラーの感触が掌に粘り付いて離れない。あれは紛れもなく、ヘッドギアのバイザーの向こう側に誰かがいる、そんな感覚だった。
昨日まで、僕はただの賞金稼ぎ紛いのゲーマーに過ぎなかった。虫も殺せない、とまでは言わないが、少なくとも現実世界で人様に拳を上げるほどの度胸はなかった。
それがどうだ。今や僕は、立派な殺人者ではないか。
父曰く、先ほどの僕の行いは『国家の治安維持能力向上のための超法規的措置』とやらに該当するそうで、罪に問われることはないらしい。
しかし、今の僕は正義やら罪業やらについて考えているのではない。他者の介入を許さない、僕にしか分からない不気味な感覚に囚われている。
僕はゆっくりと右手を下ろし、その掌を見つめた。
コントローラーで、射撃ボタンを押し込んだのは親指だったか。この三センチ程度の身体部位が、一つの命を奪った。その正当性を説明されることもなく、だ。
僕は、殺人の難しさに悩んでいるのではない。逆だ。その容易さに恐怖を覚えている。
それができる立場に自分がいることに、忌避感を抱いている。
左手を顔から引き離し、ゆっくりと額から顎先までを拭った、その時だった。
簡素な電子音が、部屋の空気を震わせた。
「……誰だ?」
僕は立ち上がろうとして、しかし足に力を入れることができず、しばしベッドの上でバタついた。その間にも、電子音が響く。
ようやくドアに歩み寄った僕は、そばにある来室者確認用ディスプレイを見て、思わず尻餅をついた。
「うわっ⁉」
《ちょっとあんちゃん! せっかく妹が尋ねてきたってのに、何なんだよそのリアクションは!》
「る、流果! 流果だな⁉」
《見れば分かるでしょ? ちょっと話があるから、部屋に入れなさい!》
僕は咄嗟に『開錠』ボタンを押し込んだ。ドアがさっとスライドし、その先にいる人物の全身が露わになる。しかし、それを待たずして流果はずけずけと部屋に入ってきた。
「いやあ、大変だったよ、あんちゃん!」
突然の流果の登場に、僕は目を丸くしていた、と思う。少なくとも、再会を喜び合うとか、心配させられたことについて怒るとか、そういう雰囲気ではなかった。完全に、流果がこの場の空気感を掌握している。
そこまで現状を分析してから、僕ははっとした。するりと閉じるスライドドアに背を向けながら、僕は喚いた。
「流果、本当に、本っ当にお前なのか?」
「はあ?」
ベッドにぼすん、と倒れ込みながら、流果は奇異なものを見る目で僕と視線を合わせる。
「だ、だってほら、お前、撃たれたって言ってたじゃないか! あれだけ血が出てたのに、い、一体どうして……?」
「まあ、ここは国の最重要研究施設の一つだからね。医療システムもちゃんとしてるよ」
最重要研究施設。そういうものだったのか。
僕はてっきり、治安維持に特化した建物だとばかり思っていたが。
「流果、もういいのか? 怪我は? 三発も撃たれてたんだろう? こんなに出歩いても……?」
「だーかーらー、医療システムもちゃんとしてるっていったじゃん!」
流果は、物分かりの悪い生徒を教師が諭すように言った。まあ、それにしては言葉が砕けすぎているけれど。
「人工血液を輸血して、傷口から弾丸を摘出して、えーっと、それから――あ、そうそう、あたい自身の細胞を高速培養して傷口を埋めたんだ」
胸中、平常心からはかけ離れていたので、流果の解説は僕にはちんぷんかんぷんな言葉の羅列にしか聞こえなかった。
それでも、端的に言って、流果が適切な処置を受けて元気になった、ということは理解した。
「そう、か」
「どうしたのさ、あんちゃん? さっきからおかしいよ?」
おかしいのはお前の方だと言いたくなるのを、喉元で引き留める。
僕は、流果に会えるとしてもまだ先のことになると思っていたし、こちらが病院に出向いて面会するものと考えていた。
それがこうもあっさりと、しかも『流果の方から訪ねてくる』という形で、再会が実現しようとは。
「ああ……」
僕は飄々とした調子の流果を前に、何も言えなくなっていた。再会までの過程が短すぎて、呆気に取られていたのだ。いや、飄々としているのはいつも通りの流果なのだけれど。
そう思ったのも束の間、流果は思いがけないことを言い出した。
「ねえあんちゃん、あたし、今日はこの部屋で寝てもいい?」
「は?」
「だって、もう夜中の二時半だよ? たまには兄妹水入らずで過ごしたっていいじゃん」
確かに、流果が無事で何よりだし、ベッドを貸してやってもいいのだが。
だが、その前に。
「流果、一つ訊いていいか?」
「あん?」
ふわあ、と大きな欠伸をする流果に向かい、僕は問うた。
「どうして今が午前二時半だと分かった? この部屋に時計はないし、お前も何かの端末を開いた様子はなかったけど」
「あ」
欠伸の途中で、流果は固まった。
先ほど僕が古川に確認した通り、この施設は地下にある。今が夜だと断定するのは困難だし、ましてや正確な時刻を言い当てるのは不可能に近いだろう。
腕時計でもしていたのかと思い、流果の両手首に視線を遣ったが、そんなものは着用されていない。
疑問はもう一つある。
これは自分に対する問いなのだが、どうして『流果が時間を言い当てたらしい』ということに、これほど違和感を覚えるのだろう?
流果の無事が分かったのだから、今が何時何分なのか、など些末な問題であるだろうに。
「あ、あんまり気にすることねえって、あんちゃん!」
流果がベッドの上から身を乗り出してくる。
「ただの勘……そう、女の勘だよ、女の勘! だから気にすんな!」
快活なようでいて、しかし何かを隠している。それが、今の流果に対する僕の所見だ。
「ほら、さっさと寝よう! 電気消してよ!」
再びベッドに倒れ込んで、もぞもぞと布団に入り込む流果。すると、すぐに壁の方に顔を背けてしまった。機嫌を害された様子でもないようだが。
これ以上、流果は僕と言葉を交わすつもりはないらしい。
今日、いや、正確には昨日からいろいろあったものだから、僕の方がどうかしているのかもしれない。これ以上、流果に対して何かを問うたところで、得られるものはないだろう。
僕は部屋の反対側にある、二つ目のベッドを壁から展開させた。掛布団を調節し、流果同様に潜り込む。ちょうど枕元にマイクがあったので、『照明オフ』と声を吹き込んだ
《部屋の照明をオフにします。周囲の安全を確認してください》
そんなアナウンスの後、カウントダウンが開始された。突然部屋が真っ暗になってしまう、という事態を防ぐための処置だろう。十秒というカウントダウンの後、照明はぷっつりと切れた。
「ん……」
何だか違和感がある。ああ、そうか。暗すぎるのだ。
僕たちが住んでいた廃棄区画のアパートには窓があったし、そこから差し込むネオンは、遮光カーテンを以てしても防ぎきれるものではなかった。
しかし、ここは違う。この施設は完全なる地下構造物であり、ネオンどころか月光すら入り込む余地はない。視野全体が真っ暗だ。視界が真っ黒に塗り潰された、と言ってもいい。
「朝になったらちゃんと点くんだろうな……」
照明のことを考えながら、ぽつりと呟く。それから身体を横倒しにしてみた。
流果の方を見遣ったところで何も見えやしないのだが、穏やかな寝息は聞こえてくる。
僕はほっと胸を撫で下ろしながらも、釈然としないものを感じて、しばらく暗闇に目を凝らしていた。
「僕たちのことをどうするつもりなのかな、父さん……」
流果の無事が確認できた以上、気にかかるのはこの部分だ。
僕には、ゲーム感覚でロボットを操縦し、反政府組織を駆逐しろと言う。
では流果は? 彼女は何のために連れてこられたんだ? 『ディジネス』の関係者として咎人扱いされているわけでもないようだし。
「今は運を天に任せるしかない、か」
僕は身体を天井に向け、枕の下に両手を突っ込んで目を閉じた。
睡魔は思いの外早くにやって来た。他者の目を憚ることもなく、僕も流果のように欠伸をする。
意識が途切れる直前まで考えていたこと。それは、どうすれば流果のことを守ってやれるか、ということだった。
それがいかに短絡的で自信過剰な考えなのか。思い知らされたのは、その日の昼過ぎのことだった。
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