第7話
※
「大丈夫、一翔くん?」
そう声をかけられて、僕はようやく回想から現在へと意識を戻した。
「古川……博士……」
どうやらだいぶ時間が経ってしまったらしい。
何をぼんやりしているんだ、くらいの叱責を受けることは覚悟したが、古川は余計なことは言わず、じっと僕を見つめるだけだった。
彼女の瞳には、先ほどまでには見られなかった優しさというか、気遣いらしきものがあるように思われる。
「随分考え込んでいたみたいだね。私は構わないよ。君が心の整理のために、いくら時間をかけようが」
眠くなったら部屋に戻らせてもらうがね。そう言って、古川は軽く肩を揺すった。
「しかし、生憎私は『君に何をやってもらうのか』をまだ説明していない。機密レベル4というやつだ」
「ああ……」
僕は間抜けな声を漏らした。
「聞いた後で断ることはできないんですよね」
「残念だけど」
それはそうだろうな。だからこそ古川は、先ほど説明してくれたのだ。軍や公安が僕の行動を制限することになると。
ええい、こうなったら訊いてしまえ。
「僕に何をしろと言うんです?」
「君の父上の仰せのままに。人型ロボットをゲーム感覚で操縦し、反政府組織の拠点を潰してもらいたい」
「ゲーム感覚……?」
腕を組み、首肯する古川。
「伝上一翔くん。君はオンラインのシューティング・ゲームで随分と好成績を上げているそうだね? 電子世界での賞金稼ぎとして。君と流果ちゃんが食い繋ぐのに、十分な金銭を得ている。その実力を買ってのことだそうだ」
「つまり、僕にヘッドギアとロボット越しに殺人を行え、と?」
古川は『話が早くて助かるよ』と言ってコーヒーカップに口をつけた。
僕は咄嗟に反論しようとした。殺人? ふざけるな。そんな恐ろしいこと、できるはずがない。金輪際願い下げだ。そう口にしようとして、しかし、それは言葉にならなかった。
これはチャンスだ。向こうが頼み込んできている以上、交渉の余地がある。こちらにも条件を出す権利があるのではないか。いや、あるに違いない。
「流果に会わせてください。そして未来永劫、彼女の身の安全を確保すると、僕に誓ってください」
きっぱりと言い切った。それさえ了承してもらえれば、僕には十分だ。
さて、古川はどう出てくるか。
しかし、古川は思いがけない所作を取った。いや、『所作を取った』というには語弊がある。ぴたり、と動きを止めてしまったのだ。コーヒーカップに伸ばした手が、固まっている。
僕は黙って、彼女の顔を睨んだ。ちょうどカップの方に顔を向けているので、僕からは横顔しか窺えない。
しかし、古川は敢えて視線を逸らしたままでいるように見えた。
そんな姿勢でいるのは滑稽だったが、古川は固まったまま問うてきた。
「それが君からの要求、という認識でいいのかな?」
「ええ」
古川の質問をぶった切るように、肯定の意志を示す。
するとようやく、古川は上半身を伸ばし、デスクに腰かけた。腕を組んで、視線を上下左右に走らせながら、何やら思案しているようだ。彼女の頭から、ハードディスクの回転する音が聞こえてきそうだ。
「それは――」
古川が言い淀み、唇を湿らせたその時だった。
ガシュン、とやや乱暴な音を立てて、部屋のドアが開いた。そこに立っていたのは、
「大槻大尉……」
一瞬、呆気に取られた古川が呟く。しかし今の大槻には、先ほど父のボディガードを務めていた時のような傲岸さは感じられない。
古川に向かい、すっと手を挙げて敬礼する。
「古川博士、伝上一翔の身柄をお預かりに参りました。これが、伝上昇竜大佐からの命令書です」
先ほどの父のように、指先を操作して一枚の立体画像を表示する。
さっと目を通した古川は、一瞬顔を顰めたものの、
「了解しました。一翔くん、悪いけどここから先は大尉の指示に従って頂戴」
どこかひんやりとした口調で、古川はそう言った。
じろり、と大槻が僕を横目で睨む。今更怖くはなかったが、またぶん殴られるのは勘弁願いたい。
僕は無言で古川に頷き、颯爽と踵を返す大槻の背中を追って会議室を出た。
※
軽く大槻に背中を押されるようにして、僕はその部屋に踏み入った。
「伝上一翔の身柄を回収して参りました」
「ご苦労、大尉」
相変わらず似合わない軍服を着た父が応答する。
無言で廊下を歩くこと十分あまり。僕と大槻はエレベーターを二回も乗り継ぎ、かなり地下深いところにまで到達していた。
エレベーターの扉が開くや否や、極彩色の小さな照明が、僕の目をちくちくと刺してくる。
「ここは……?」
僕が瞬きしながらその空間を見回すと、父が『作戦司令室だ』と一言。
部屋全体は綺麗な正六角形で構成され、それぞれの辺にあたる部分に、一つ一つディスプレイが設置されている。中央には太い柱があって、そこにもディスプレイの灯りが見える。
床面積はテニスコート二つ分ほどに見えたが、実際はもっと広いのかもしれない。窓や照明がなく、あたりを照らし出すのはディスプレイや電子機器のランプだけ。それが、僕に窮屈だという不快感を喚起させる。
「下がってくれ、大尉。一翔、こっちだ」
父は相変わらず疲弊した様子で、しかしテキパキと僕の先導を務めた。
「ここが、お前の仕事場だ」
「仕事場?」
斜め後方から父の顔を見たが、逆に父はこちらを見ようともしない。仕方なく、僕は作戦司令室に併設された狭い部屋に目を遣った。
座席が一つと、薄く四角い角ばった機械が一台。これは座席の前の、低いテーブルに置かれている。そのそばには、見慣れたゲーム用コントローラーがあった。
そっと背もたれ越しに座席の上を見ると、これまた馴染み深いヘッドギアが一つ。
「どうだ、一翔? 不足しているものはないか? 逆に不要なものは?」
再三説明されたとはいえ、『僕は何をやらされるのか』ということが確定しないまま答えるわけにもいかない。
「父さん、この設備を通して僕に人殺しをさせるって話、本気で言ってるのかい?」
「ああ」
寡黙な無機質さを漂わせる父。
「古川博士からは聞いた? 流果の身の安全が確保されない限り、僕は協力しないって」
「お前と博士の遣り取りは、全て録画、録音されている。聞きこぼしはない」
それでもまだ、僕に人を殺せというのか。
すると、ピピッ、という軽い電子音がした。父の腕時計型携帯端末に着信があったようだ。
「何だ」
《伝上大佐、準備が整いました。いつでも試験を開始できます》
父は一つ、深いため息をついてから、了解した、と一言。
「一翔、手順はいつも通りだ。と言っても、お前の方が詳しいだろうが。今からお前には、一人の死刑囚の息の根を止めてもらう」
「僕に?」
「だから連れてきたんだろう?」
父はさも当然とばかりに、振り返った僕を見下ろす。
「ゲームと同じだ。さあ、やれ」
ようやく父と目を合わせた僕は、完全に圧倒されてしまった。彼の疲労感の向こうから、目的のためなら手段を択ばないという一貫した主義、いや、意地のようなものが湧きだしている。
そんな父の前で、僕は流果のことを棚上げせざるを得なかった。
先ほどは、古川の前であれだけの啖呵を切ってみせた。流果を守ることができるようにと。
だが、父もまた僕の肉親なのだ。
今はまだ、彼が何を考えているのか分からない。しかし、もし父のことを理解することができたとしたら。僕と流果、それに父の三人全員が納得しうる暮らしができるとしたら。
そうしたら、今こうして父の指示に従うだけの価値はあるのではないか。
僕はゆっくりと座席の前に回り込み、ヘッドギアを装着して深く腰掛けた。
「父さん、一つ訊いてもいいかな」
「何だ」
「僕が今から殺す相手、一体どんな罪を犯したんだ?」
一瞬間を開けてから、父は重々しい口調で、
「お前が知る必要はない」
と一言。
「……分かった」
僕はこれ以上の詮索を止めることにした。守秘義務に引っ掛かるかもしれないし、流果のことも心配だ。僕があまりにもいろいろ知りすぎると、流果にまで危害が及ぶかもしれない。
知らぬが仏、という言葉もある。
僕はそれ以上、父とは言葉を交わさずに、ヘッドギアの電源を入れた。
ゲーム会社のロゴの代わりに、プログラミング言語の羅列のようなものが、猛烈な勢いで流れていく。
それを見つめながら、僕はコントローラーを手に取った。こちらはいつも僕が使っているのと同機種だった。
やがて画面が一瞬ブレて、高解像度の映像が展開された。
そこは、狭い部屋だった。淡い照明の元、部屋の中央に、頭からすっぽりと黒い頭巾を被せられた人間が映っている。椅子に座らされ、後ろで手首を縛られているようだ。
《た、助けてくれ! 俺には、し、司法取引に応じる用意がある! だから命だけは!》
ゲームにこんな奴は登場しない。全員が、互いを殺傷しうる得物を手にしているか、あるいは格闘戦に特化しているか、どちらかだ。命乞いをするような相手に対する一方的な殺しは、僕でも初めてである。
とは言っても、ゲームはゲームだ。僕はそう自分に言い聞かせ、唯一装備されていた拳銃をキャラに握らせた。
僕たち家族のためだ。死んでくれ。冥福を祈るくらいのことは、約束してやる。
そう胸中で呟いて、僕は相手の胸に二発、眉間に一発、我ながら極めて精確に撃ち込んだ。
相手はほぼ即死。シャツに赤い染みを作りながら、がっくりと脱力した。
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