魔女の隠れ里

夏野けい/笹原千波

あなたがたの神、私たちの神々。

 担ぎ込まれた男を見て、アマリアは端正な眉を寄せた。水汲みの帰りに拾ったとティナは言う。足を怪我しているからと。

「この人とふたりきりにしてください。みなさんは仕事に戻って」


 男は寝台に座ってアマリアを仰いでいる。顔が強張っている。膝の上に握りしめた手はなめらかだった。労働に荒れた肌や爪は見られない。

「どこでこの里のことを知った?」

「何の話だ」

「麓の者じゃないだろう。髪から蜜蝋みつろうを燃した匂いがするね。このあたりの村にそんな贅沢な人間はいない」


「おまえが魔女か」

 男の顔に憎しみが浮かぶ。


「魔女でなくとも気付ける程度のことよ。あの子はお人好しだから……ねぇ、きかせて。私たちが何をしたというの、ひとつの神を信ずる者よ」

「風紀を乱し、病を広め、不信心を説くではないか」


 アマリアはひざまずき、男の靴紐をほどきにかかる。手つきは多少乱暴だった。男が顔をゆがめる。

「あなたがたの神を信じないことが、それほどいけないことかしら。目に入らないようにこんな山奥へ逃げてさえ、あなたがたは追いかけてくる」

「異教は罪だ」

「その割にはみんな、病を得ると私たちを頼ったわ。今では遠い思い出話だけど」


 男の腫れた足首を、汲まれたばかりの水にひたす。

「私たちの神々はもう力を失った。その吐息の名残だけがこの山に漂っている。そう、あなたがたの勝ち。私たちは滅びるわ」

 彼女は立ち上がる。威圧的な瞳が男をとらえている。

「さて、どうしてくれよう。このまま帰せばここは焼かれるだろうね。といって殺せば山ごと火をつけられかねない」

 彼女の手が小瓶を握っている。中には丸薬。男が顔をそむけようとする。



 動作を止めた男の顎をぐいと上げ、指を口に挿す。喉は嚥下を拒んでいる。彼女は男の舌の裏に丸薬を置き、押さえつける。魔女の双眸が時を数えていた。甘く低い声がこぼれる。

「あなたは道に迷って、沢に落ちるの。足を挫いて動けない。靴は片方流された。おわかり? あなたは失敗したのよ」

 男はまぶたをゆっくりと閉ざす。脱力した身体を担いでアマリアは家を出た。

 ティナが遠巻きに立っている。唇を噛み締めてうつむいていた。アマリアに気付いて、顔を上げる。

「……アマリアさま」

「拾った場所を教えてちょうだい」

「はい。あの、わたし」

「ティナ」


 魔女は微笑む。

「大丈夫よ。しばらくは人よけのまじないを強くするから。あなたはそのまま、優しくありなさい」

「でも」

「私たちを本当に必要としている人が来ないともかぎらないから、ね?」


 アマリアのふさがった両手のかわりに、やわらかな風がティナの髪に触れた。

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魔女の隠れ里 夏野けい/笹原千波 @ginkgoBiloba

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