第4話 お母さん

お母さんはとても忙しい人だ。


お母さんは外国語が得意で、私が事故に遭う前は通訳の仕事をしていた。でも、私が事故に遭ったことで、いつでも私に付き添っていられるように、と在宅でできる翻訳の仕事に変えたそうだ。


「見て見て、これお母さんが翻訳したの」


そう言って自慢げに見せてくれたのは、表紙がカラフルな海外図書。とても人気らしく、「重版決定!」という文字が帯にでかでかと書かれている。


「すごいね、お母さん!」

「すごいでしょう?お母さん、頑張ってるんだよー」

「それ読んでもいい?」

「えぇ、とても面白いから是非読んで。あと、感想も聞かせてちょうだい」

「うん、わかった」


リハビリを続けていくうちに徐々にできることが増えて、移動できる場所が広がっっていった。今では院内の図書室に1人で行くこともできて、元々の趣味だった読書も楽しめるようになっていた。


お母さんも私がどんどん元気になるにつれて、私の入院費を稼がなくちゃ、と忙しなく働いている。


最近では私の体調が安定してるから、翻訳だけでなく通訳の仕事も引き受けているらしい。ちょっと働きすぎで心配だけど、お母さんはこれくらいがちょうどいいのよ、とカラカラと笑った。


お母さんは強い人だ。そんなお母さんをたくさん泣かせてしまったのだから、私は親不孝だ。


(だから、その分親孝行しないと)


とりあえずお母さんが翻訳したという本を読む。とても分厚い本。これを全部翻訳したと思うと、お母さんは本当にすごい人だと改めて感心してしまった。


(私のお母さんはすごい人なんだよー!!)


そう誰かに言いたいけど、誰にも言えないもどかしさ。私もお母さんみたいに、強くてかっこよくて素敵な大人になりたい。


(って、私はもう大人だから、すぐにでも頑張らないといけないんだけど)


大人って何をすればいいんだろう。お母さんに聞けば教えてくれるかな。それともお医者さんか看護師さんに聞いたら教えてくれるかな。


そういえば、小さい頃によく「大きくなったら何になりたい?」って聞かれたけど、私は何になりたかったんだっけ。思い出したくても思い出せない。


(お花屋さんかペット屋さんか、それともお母さんと同じような通訳だったっけ?)


昔はやりたいことってなんとなくあったけど、今はどうだろう。やりたくてもやれないことの方が多い気がする。


塾に通ってたのだって、それなりにいい学校に行って、少しでもなりたいものの選べる先を増やしましょうってお母さんもお父さんも言ってたからだったし。


(だから、まずやらなきゃいけないのはお勉強)


とにかく今わかることは、お仕事するにはお勉強しないといけない、ということだけだ。


(お勉強、10年分か……)


小学校の勉強も中学校の勉強も高校の勉強も大学の勉強も、私は全くと言っていいほどできない。


(だって、教わってないから)


だから私は、みんながしてきたその10年分の勉強をしなくちゃいけない。


(詰め込んだらわかるようになるのかな。どうすればいいんだろう)


何から手をつけていいのかも全然わからない。私と同じような人はいるんだろうか。私みたいに勉強しなくちゃいけない人。


でも、そういう人が実際にいて、お話を聞いても、結局頑張らないといけないのは自分だ。


(10年分を埋めるって大変。全部が全部をやらなきゃいけないわけじゃないけど、きっと大変だということはわかる。でも、私はやらなきゃいけない)


とにかく、今はお母さんに借りた本を読もうと、私はただひたすら読書に集中することにする。わからない文字、単語が出てきたら辞書を引っ張り出して勉強することにした。


(これも勉強だよね。そういえば、昔はよく辞書をずっと読んでたなぁ)


懐かしいな、と感じながら、私はどんどん面白くなってくる本の世界にのめり込んでいった。

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