第2話 現実

「麻衣、驚かないで聞いてちょうだい」


食事をちょっとずつ自分で食べられるようになってきて、少しずつ動けるようにもなって、声もだんだんと出るようになってきた。


ある程度体力もついてきたから、「そろそろリハビリを始めていきましょう」とお医者さんに言われたあと、急にお母さんに大事な話があると言われた。


(大事な話って、なんだろう)


いつのまにか病室には誰もいなくなっていて、私とお母さんだけ。


全然お母さんが話す内容が思いつかなくて、ちょっと不安になる。


(何か悪いことがあるんじゃないだろうか)


知りたい、でも知りたくない。


相反する気持ちが心中でせめぎ合う。すると、少しだけお母さんは眉を下げながら、私に手鏡を渡した。


そういえば、今まで絶対に鏡を見せてくれなかった。何でだったんだろう、と思いながら鏡を覗き込むと、すぐにその理由がわかった。


「……誰?」


私が知ってる顔は、そこにはなかった。


事故で顔がぐちゃぐちゃになったわけでもない。痩せたり太ったりと、劇的な変化をしたわけでもない。


ただ、そこにうつっていたのは、知らない大人の女の人だった。


「黙っててごめんなさい。貴女が事故にあって意識がなくなってから10年経ったの」


(10年)


ということは、私はもう20歳なのか。


(ハタチ)


なら、私は大人なのか?早く大人になりたい、なんて少女漫画を読みながら思ったことも何度かあったけど、これは……これは、望んでいたものじゃない。


中身は10歳で見た目が20歳なんて、そのぽっかりと空いてしまった10年は、一体どうすればいいんだろう。


勉強も友達も遊びも何もかも、10年置いてけぼりになってしまった。


心が冷えていく。でも、どうすることもできない。できなかった。


(タイムマシンがあったらいいのに)


タイムマシンがあったら、今すぐ飛び乗って事故に会う前の私に「危ないよ!」って言えるのに。そうしたらきっと、この寝たきりだった10年は違うものだったはずなのに。


自分でも無茶だとわかっていながら、そう思わざるを得なかった。


(学校とか、どうすればいいんだろう。お仕事とか、どうすればいいんだろう)


勉強は、学校は、友達は、お仕事は……


頭の中がしっちゃかめっちゃかになる。考えすぎて、頭が痛い。


「麻衣」


不安げな顔をするお母さんに、大丈夫だよ、なんて心にもないことを言う。でも、お母さんが悲しむよりは、私が我慢する方がずっとずっと良かった。


私が10年寝ていた間、お母さんはどれくらい苦しんで、どれくらい泣いたんだろう。


多分きっと、それに比べたら私のこの「悲しい気持ち」なんて大したことない。


(私は大人になったんだもん、ね)


大人は我慢するものだ。大人はしっかりしてて、強くて立派でかっこいい存在なんだから。


私は今は大人なんだから、我慢して、しっかりして、立派にならなければいけない。


「それとね、お父さんのことだけど」

「うん」


(お父さんがどうしたんだろう)


お母さんはそう言ったまま黙り込む。


お父さん、どうかしたのかな。何かあったのかな。


不安で押しつぶされそうになる。


沈黙がとても恐かった。


「お父さんとお母さん、別々の生活をしてるの」

「え」


(別々って、別々ってどういうことだろう)


別々の意味がわからなくて、でも何となく想像はついて、胃がぐるぐると誰かに掻き混ぜられているようで気持ち悪かった。


「麻衣のせいじゃないのよ。お父さんとお母さんが仲良くできなくてね、貴女が寝ている間にいっぱい喧嘩しちゃって、それでお母さん達は別れちゃったの。で、今ね、お父さんは別の子のお父さんをしてるの。だから、その、多分、もう、あんまりお父さんには会えないと思うわ」


(離婚)


その単語が頭に浮かぶ。お友達のおうちだってお母さんしかいないところはあったから、なんとなく想像はつく。


つくけれど、急にお父さんがいないと言われても全然頭の整理はできなかった。


(どうして、どうして)


そう思うけど、私がそう思ってワガママを言ったところで、もう変えられない事実に苦しくなる。


そして、お母さんが私を傷つけないようにしてくれていることもなんとなくわかって、私はまた、大丈夫なフリをした。


「そっか、そうなんだ。私はお母さんがいてくれれば大丈夫だよ。だからお母さんも泣かないで」


お母さんはまた泣いて、私を抱きしめながら泣く。


(お母さんは、泣き虫だ)


だからお母さんの分、私はしっかりしないと。お父さんのことは寂しいけど、お父さんはお父さんだもんね。私にはお母さんがいればいい。


(そう、お母さんさえいればいい)


お母さんが帰ると布団を頭まですっぽり被って潜りこむ。止まらない涙がどんどん出てきて、私はそれを止めることもできずに、ただひたすら声を抑えながら泣いた。

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