後編

 かつて人類は《銀色》――地球の外からやってきた、正体不明の流体金属で出来た機械群に突如襲撃を受けた。

 長い平和と共に新世紀を迎えた時代の、年の瀬のある日。午後一時三十四分。全世界の飛行中の航空機が同時に撃墜されるという、衝撃的な事件とともに彼らは歴史に現れた。以前から各地で少数ずつの目撃はされていたそうだけど。

 彼らの目的は主として地上の各種資源の収奪、そして有機生命体の回収と調査だったと言われている。飛行機の撃墜とともに空挺兵のごとく天を覆い尽くして地上に降り立った彼らに、当時の人類はまるで歯が立たなかった。結果として地上を追われ、制空権も奪われていたために宇宙に脱出することも出来ず、苦肉の策として地下都市の生活を開始した。それさえ鉱物掘削を行う奴らが地上を掘り返して回ったために脅かされ、深海に大規模なドーム型シェルターを建造し逃げ込んだ。

 なにより悪かったのは、彼らの体の構成材だ。

 それは図ったように生物にとって劇毒であり、そして活動に伴って垂れ流される半透明な銀色の廃液は輪をかけて凶悪だった。彼らが活動するだけで、地上の生き物は絶滅に追い込まれていったのだ。

 幸いだったのは彼らが水を嫌ったこと。そして生命体の採取より鉱物資源の回収の方が重要だったことだ。

 数百年に渡り彼らは水底に逃げた私達を追うことはせず、資源を取り尽くした後地上を去ったのが確認されている。


 残されたのは表層資源が枯渇した大地と――空も土も風も森も川も、全てが汚され、失われた世界。


 そして人類は地球が手の施しようがない環境になったことだと理解すると、星そのものの自浄力に期待して海底に引きこもった。

 酸素さえ薄くなり、大気は測定するのも馬鹿らしいほど汚染物質に満たされていて、新たに宇宙へ飛び立つ施設を作るのは難しかった。星の外に行くのさえ、難しかった。

 故に、星にいながらにして、ヒトは星を放棄したのだ。


 結局、みんな分かっているのだ。

 世代を重ねるにつれて積み上がり、研ぎ澄まされた才知。

 皆が皆人造の天才デザイナーベビーである僕らは、その賢さ故に分かってる。

 ヒトがもう、これ以上の道を歩めないこと。これ以上ないほど、変質してしまっていること。

 文明を極めた僕らは、だからこそ水底から離れられない。莫大な量の水に遮られ仄暗いならば人工の陽光で都市の隅々まで照らし、大気中で呼吸するがために造られた水を遮る都市構造が不合理ならば時間を経て海中でも呼吸できるようになり、やがては運動機能すら水中での行動に最適化した。


 己の意思で己を書き換えた僕らは、それがためにこの海の底から離れられない。


 そんな不条理を、この街はなんだと嘲笑うかのように存在している。



  *   *   *



 海底都市の第二層。

 中央部から南部を占める都市運営を司る行政区、西部から北部にかけて広がる大学や研究機関からなる学究区、そして東部の博物館や資料館の置かれた学芸施設で構成される文化区のある層だ。比較的余裕のある造りであるため、緑地が多いのも特徴である。

 かつてとは違い、都市の周囲は無骨な金属中心の複合素材のシェルターではなく透明な素材で覆われており、太陽光を再現した灯りが各層の底面を覆っているため、海底にあるとは思えないほど明るさに満ちている。

 都市も、その周辺も地上の太陽の出入りに合わせて点いたり消えたりするから、ほとんど地上と感覚は変わらないそうだ。最大の違いを上げるなら、やはり街の外を覗くと濃紺から群青の色を持った滞水が見えることだろう。


 そんな第二層を左右に横切る大通りを渡り、目的の東縁の資料館へと向かう。


「ねぇリク、どうやって運び出すの? しかも今お昼だよ?」

「今すぐやるって訳じゃないよ。正直今は様子見」


 一応一番端のの直大水路なら通りそうだって目算はあるけど。


「――で、泳いでは無理だったから旧式船を使うって腹か? 少年たち」

 

 後ろから掛かった声に、僕は迷わずシイナの手を取って駆け出す。

 でも彼女は思わずと言った様子で振りかろうとして、それが仇になった。少し足がもつれたと思ったら、すぐに拘束されてしまう。


「リクっ!」

「やめろっ! 僕たちは、何も出来てない!」


 悲しいが事実だ。伸ばした手は僕を囲む大人たちに遮られ、引っ込められる。こちらを無表情に眺める男性は、確か父の部下だったと思う。そばには六人ほどの男性が控えていて、そのうち二人でシイナを押さえつけていた。


「監視してたってことかよ……!」

「そうだな、少年。そして教員から君たちの様子が怪しいとも連絡を受けていた。……そこ、気をつけろ。普通の少女だ、丁寧に扱え」


 痛そうな表情で、それでもシイナはもがいていた。その後ろに個人用の車が音もなく近づく。


「シイナ!!」


 僕が上げた悲鳴は、届いたのか。それとも、届かなかったのか。

 悲痛さを幼さだと嗤うように、車の扉は音を立てて閉ざされた。



  *   *   *



「で、大人げなくもあんな大人数を用意した親父殿は何で平然と俺の前にいるのかね」


 シイナが連れ去られてしまった後、程なくして僕も拘束されたまま自宅に運ばれた。最高にダサい。

 それでも毒づかずにはいられない僕に父は――行政府の長は小さく溜息を点く。


「シイナくんにも何もしないさ。何より自由を尊ぶこの都市だ。別に子供の跳ねっ返りなんてなんてことない、親元に返して頭を冷やさせるよう言うくらいのものだ」


 息子よ、分かるだろうと。そう、諭される。


「未遂だから、もみ消しでもないってか。なんでそこまでして空へ行くことを阻むのかね」

「単純な話だ。それを許容したら、夢は夢でなくなる。今の人類には到底地上で暮らしていけるだけの力はないんだよ」

「ここまでの科学力を持っているのにか。それは、ただの怠慢じゃないのかよ」


 はぁ、と。嘆息を零して一言、睨めつけるように「リク」と己の名を呼んでくる。


「リク」


 ……それくらい、分かっているのだ。


 己の意思で己を書き換えた僕らは、それがためにこの海の底から離れられない。


 それほど悔しくても、これではただの癇癪だ。


 銀色との、エゴの押し付け合い。故に、辿り着いたヒトは水底に揺蕩い続ける。

 悲しくも、世界を別つことを許容する。閉塞を、許容する。

 僕が起こしたのは、大した事件じゃない。むしろこの街の住民なら夢想することも多い、ただの子供の願いだ。

 だからこそ、それを平気で押しつぶせるこの都市に、都市は。


 きっと、変わることが出来ない。


 己の意思で己を書き換えた僕らは、それがためにこの海の底から離れられない。



  *   *   *



 これは数百年と重ねられた新たな人類の物語、なんでもない一幕。

 

 なんてことなく、仄暗い水の底で、白で形作られた都市文明は変わらず続くのだ。その在り方を、有り様を、醜くも気高く証明し続けて。

 今の大空にあるかつての大地を羨ましく思いながらも、高らかに。

 そう。だから、今日も。


 ――水底に、白亜は謳う。



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水底に白亜は謳う 冴月 @ayafumibun

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