第8話
第八回
そして遮蔽板に付属しているジェット噴射機の轟音がぴたりとやんだ。空中に間断なくジェット噴流が噴出される音が止まり、今は巨大戦車よりもさらに大きなトンネル遮断無限軌道車数十台の地を揺らすような振動が聞こえるともなく地面を揺らしているだけである。
「侵入対象物が停止しました」
防御線内に入ったそれは一点に停止したまま動きを止めている。
「この怪物が知性を持っているということか」
ソナーの操作員の言葉を受けて王警部はつぶやいた。まるで動かないことがかえって無気味である。矢口まみりは井川はるら先生のところに行くと先生の前に立ってはるら先生の差し出された手を握ってみる。
「まみりちゃんこわいことはないのよ」
井川はるら先生もソナーの画面をじっと見つめていた。
「侵入対象物が入って来たトンネルを遮断したのはどの機なのだ」
「八号機であります」
「八号機を映すことが出来るか」
「出来ます」
「カメラを切り替えろ」
現場付近上空を飛んでいる二台目のヘリコプターがその機を上空から映し出す。ちょうどやぶさか寺の横の七メートル幅の道路の中央で停車している機の全貌が映し出され、巨大な遮蔽板が地中深く打ち込まれ、道路は完全に横断されている。
「この道の下に奴がトンネルを掘ったのだな」
その奴はソナーの画面の上では全く動こうとしない。
「キャー」
チャーミー石川がピンク色の叫び声を上げた。遠くからソナーの画面をのぞき込んでいた矢口まみりも思わず顔を前に出す。その場にいた他の連中も顔を前に出した。
「対象物がバックし始めました」
ソナーのオペレーターの声には緊張とも恐怖ともつかない調子が混じっている。
「大丈夫だ。大丈夫だ」
警部は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。みるみる間に遮蔽板に近づいている。侵入してきたときよりさらに速度を上げている。テレビには機が映っている。
「キャアー」
チャーミー石川がまたピンク色の声を上げた。しかし、矢口まみりは石川の過剰反応を叱責する気にはならなかった。
「あれを見て」
はるら先生がテレビに映ったヘリコプーから見た映像を指さしたとき、ソナーの画面では遮蔽板に対象物が今まさに衝突しようとしている。
ドドドドト、ドンと低い音がどこからともなく聞こえる。地面から出でいる遮蔽板の上部の部分とトンネル遮断無限軌道車が左右前後に小刻みに揺れる。
「大丈夫でしょうか」
つんくパパはそのカメラに映った巨大戦車がどうなるのかとあやうんだ。
「大丈夫です」
そう言った王沙汰春警部も自分の言葉に半信半疑だった。
「よし、生物凝固剤注入を始めろ」
「ラジャー」
ソナーの機械の横にいた操作員がスイッチをひねった。
「生物凝固材とは」
つんくパパは発明家としての興味から王沙汰春警部に質問した。
「それは第二次世界大戦中に日本の軍部が開発した、秘密兵器です。もし、対象の組成が蛋白質で成り立っているなら、その可動部分はすべて硬化して動きを停止させることが出来ます。日本の軍部は保管や使用の危険性からその開発を途中で断念しましたが、戦後、一部の技術者がその完成を成し遂げていたのです。ついにその兵器を使う機会がやってきました」
王沙汰春警部は感涙にむせんでいた。
「凝固剤、一トン注入完了」
「二トン注入完了」
「三トン注入完了」
「四トン注入完了」
「・・・・・・」
「他の機からタンクを移すのだ」
遮蔽板はもう振動を止めていた。
「隠密怪獣王は死んでしまったのでしょうか」
つんくパパはおそるおそる警部に聞いてみた。
しかし、警部は無言で何も答えない。
「うそだ」
ソナーのオペレーターが素っ頓狂な声を上げる。今度の叫びはチャーミー石川でないだけに信憑性がある。
「警部、侵入物はまた方向を転換しました。なごみ銀行金庫へ向かいはじめました」
「なんだと、トンネル遮断無限軌道車につながれた生物凝固剤のタンクをすべてなごみ銀行の金庫に集中させろ、逆方向から薬剤を注入するのだ」
チャーミー石川は王警部の腕にむしゃぶりついた。
「そんなことをしたら、そんなことをしたら。金庫の中のお札がすべて台無しになってしまいます」
「うるさい」
王沙汰春警部はチャーミーをふりほどくと三メートルも吹き飛ばし、チャーミー石川は小屋の中にある機材の箱にうちつけられて腰をさすりながら立ち上がったが誰も石川の方を振り向く人間はいなかった。
マイクを取った王警部はソナーの一点を凝視しながら叫んだ。
「金庫に生物凝固剤を集中させるのだ。早くだ。早くだ。一刻も早くだ」
警部の叫びにもかかわらず侵入物は金庫に近づいて行く。
「間に合わないなり。金庫に入ってしまうなり」
矢口まみりも叫んだ。
「心配ない。金庫の中は地中の泥の中を掘るのとは訳が違う。金庫の周囲は厚さ五センチの鉄板で出来ているのだ。金庫に達してその中に入るには少なくとも五分間は必要なはずだ。その間に生物凝固剤のタンクは届くだろう」
確かにソナーを見ていると対象物は金庫に達したらしいがその地点で停止している。
「やはりな」
王警部は満足気につぶやいた。
「嘘だ」
ソナーのオペレーターは冷や汗を脱ぐった。
「対象物は金庫の壁を通過しました」
「嘘だ」
興奮した王警部はチャーミーの頭をぼかりとやった。
「けふ」
チャーミー石川はげっぷが漏れたような声を上げる。
「仕方ない。機動部隊をなごみ銀行のまわりに集めろ。地対地ミサイルを打ち込むのだ」
「間に合いません」
なごみ銀行の全貌を映しているモニターを見ている操作員がモニターの画面を見ながらその銀行を指さしている。テントの中にいる人間はみなその画面のほうを見る。はるら先生もまみりもパパも、スーパーロボも、・・・・そして王警部も。
なごみ銀行の屋上に載っている銀行のロゴマークになっている看板が小刻みに震える。ネオンを点灯する高圧の電源装置がショートして煙りを上げた。さらに看板が振動する。建物の上部もゆっくりと振動しているのがわかる。そして、現れた。
屋上に大量の爆薬を仕掛けたようにビルの上部の部分が打ち上げ花火が開くようにコンクリートの大きな固まりや鉄材が空中に飛翔して、その立ち上がる破砕物の煙の中から、渡世人の姿格好をしながら顔だけは奈良東大寺の南大門に立っている金剛力士像のような仮面を被っている。ビルの上に上半身が出ていることからこの怪物の大きさは十五メートルの姿はあるに違いない。
この渡世人の怪物はあたりを睥睨していた。
「あれが」
「あれが」
「隠密怪獣王なるなりか」
誰が言うこともなく、テントの本部にいた連中は外に出た。銀行の方を見ると怪物は大空を背景にして立っている。そして怪物の左手には金の延べ棒が多数、手のひらの中に握られている。つまようじの頭をたくさん握っているように見える。おもしろいことに渡世人の姿格好をした怪物だったが着物の背中と胸に五十五の数字がぬいこまれているのだ。
「あれはなんなり」
矢口まみりがその姿をさしながら指摘した。
「まみりちゃん、やめなさい。こっちを睨んでいるじゃないの。目を会わせたらだめよ」
はるら先生が矢口まみりを叱責した。
「撃つのだ。撃つのだ」
王沙汰春警部が絶叫している。
「地対地ミサイルを撃つのだ」
怪物のまわりを取り囲んでいたミサイルの自走車が火を噴いた。ミサイルは次々と怪物をめがけて飛んでいく。地面が地震のように揺れる。硝煙のにおいがたちこめ、空から金属性の落下物が落ちてくる。鼓膜は破れるようだ。空には小型の太陽がつぎつぎと爆発しているようだった。全部で四十発以上のミサイルが打ち込まれた。煙であたりは何も見えなくなっていた。矢口まみりたちは装甲車の陰に身を隠していた。そして煙が少し晴れたとき、怪物は何もなかったようにその場に立っていたのである。
「撃つのだ」
「ミサイルはもうありません」
「なに」
興奮した王警部は自分の背広の内ポケットから三十八口径のピストルを取り出すと怪物をめがけて引き金を引いた。何発かが流れ玉となって何発かが怪物のみけんに命中した。隠密怪獣王はその仮面の下のぎろりとした目を地上にいる哀れな子羊たちの方に向ける。王警部は仁王立ちになって弾のなくなった拳銃を怪物の方に構えていたが、他の連中はこそこそとその場を警部に知られないように逃げてお寺の地下倉庫の入り口の怪物の目の届かないところに逃げた。
「王警部が危ないなり」
命を捨てた王警部の方を心配気に矢口まみりが見ているとつんくパパは
「ひとりが死んじゃうのと、五人が死んじゃうのと、どっちがいい」
と言って指を立ててしーと発言を控えるように言う。そしてその場に隠れている五人は沈黙を守った。
ミサイル攻撃によってビルはあとかたもなくなっていたが怪物はその場に無傷で立っている。そして林家彦六師匠は拳銃を構えたまま、怪物と退治している。こういうのを年寄りの冷や水というのだろうかとまみりは思った。
「どんなときでも、正義は勝っ~~~~う」
彦六師匠は首が自由に動く東北の民芸品のように頭をふった。そして怪物はどんな気まぐれを起こしたのだろうか。王警部の方に近寄ってくるではないか。しかし、王警部はその場をまったく動こうとしない。ずんずんと怪物は寄ってくる。そして片足を上げて王警部を踏みつぶそうとした。
「キャァー」
またチャーミー石川がピンク色の声を上げる。
「警部はふみつぶされるなり。一人が死ぬより、五人が死ぬほうがいいのかと言ったパパが悪いなり」
矢口まみりは王警部が踏みつぶされると思って目をつぶった。
「みんな自主的にここに退却したじゃないか。みんなの自由意志じゃないか」
つんくパパはぶつぶつと夢遊病者のようにつぶやいた。年寄りが飯をもっと食わせろと文句を言っているようだった。
「もう、つぶれちゃったかしら」
井川はるら先生が鍋の中に入っているホットケーキの焼き具合を調べるように地下倉庫の入り口から顔を出してぺちゃんこにつぶれちゃっただろう王沙汰春警部の方を見て、
あっ と声を上げた。
他の四人も顔を出した。そこには驚愕すべき光景が広がっていたのである。
怪物の足は中空で停止している。王警部の頭上、数メートルのところで停止している。
ただ笑ったのは警部は頭上に自分の両手を捧げて怪物の足の裏を数千トンはあるだろう怪物の全体重を支えている気になっていることである。そして怪物は異様な行動を取り始める。王警部を踏みつぶそうとした足をもとに戻すと、今度は大空に向かって立ち、牛乳瓶の牛乳を飲むように左手を拳のかたちにして腰の横に添えると右手を頭上におき、空中にあたかも巨大な看板があるように人差し指で五十五の数字を書いたのである。そして天上に向けて指さした。王警部の存在がないようにその動作を繰り返している。
「先生、あれはなんなり、なんで空中に五十五の数字を書くなり、それに股旅の衣装の裏表に五十五の数字が書いてるのはなんなり」
「きっと馬鹿なのよ」
井川先生は一刀両断に決めつけた。
王警部はまだ怪物の全体重を両手で支えているつもりになって両手をあげている。
「チャンスだわ。王警部から怪物は関心を離している。助けに行きましょうよ」
チャーミー石川が叫んだ。
「でもな、自分の自由意志だから」
つんくパパはまだぶつぶつと言っている。
「矢口くんは行くなり」
矢口まみりは飛び出した。
「まみり、まみりが行くならパパも行くぞ」
五人が王警部のところに行くと怪物はまだ空中に五十五の数字を書いて、天を指すという単純作業を繰り返している。てこでも動こうとしない警部を地下倉庫の入り口まで運んでも、王警部の興奮はまだ冷めやらなかった。
「俺はひとりでも戦うぞ。自衛隊の奴らはどうしたんだ」
まだわめいている。
「みんな退却したなり。矢口くんたちだけが取り残されたなり」
「戦うと言ってもミサイルはすべて撃ちつくしましたよ。さっき電話を自衛隊の方にかけたら、ミサイルを撃ってもいいけど警部の退職金からその費用を払って欲しいと言っていました」
はるら先生が冷ややかな口調で言った。
王警部は五目玉の算盤を取り出すと算盤一級の腕でそろばん玉をはじいた。そして尖った鉛筆のさきをなめると電話を所望した。
「電話かかるよね。今晩は鍋焼きうどんにしようかな。みんな何を食べる」
王警部の横には築地三丁目にある田舎そばおかめ屋と書かれたそば屋のメニューが置かれている。
「そんなことより怪物がまた動き始めたわよ」
入り口から顔を出しているチャーミー石川がそのほうを見ながら言った。怪物の眼中にはこの五人の姿はなかった。晴海通りに抜ける方の道路をまたぐと築地の卸売り市場の方に入った。職務熱心なヘリコプターの隊員はまだ怪物の姿を映している。何故、築地市場なんかに入って行くのだろう。早朝なら仲買人なんかのためにラーメン屋や寿司屋が開いているのだが、時間的にはもうそれらの店はしまっている。一体なんの目的が。
ヘリコプターから送られてくる映像を見ながら、矢口まみりたちは首を傾げた。しかし、その目的はすぐにわかった。築地市場の中には白い建物がいくつも建っている。そこは人が住むために立てられたものではない。そこには遠洋漁業の漁師さんたちが他の国の領海ぎりぎりの海で捕ってきたまぐろや越前蟹が冷凍されて入っている。怪物はその大きな冷蔵庫の前で立ち止まるとビルの窓の中に指を入れた、そして指をはじくようにすると窓は壊れた。さらに金属製の二重扉を破壊する。扉からは冷気が漏れて白い煙となって立ち上る。中から怪物は人差し指と親指でコンテナごと冷凍されてかちかちになった越前蟹が数千個固まってキューブになったものを取り出すとひとくちで口の中に入れた。まるでエビのカクテルを食っているようである。ひとつの冷蔵庫で食い尽くすと次の冷蔵庫に向かう。
「食べてるなり」
ディズニーの動物記録映画を見ているように矢口まみりはつぶやいた。それは全く自然の神秘にほかならない。こんな感動をまみりが味わったのはシロナガスクジラの水中での出産映画を見たとき以来だった。他の連中も同様だった。自然の営み、神の霊示、六十億年の生物の営み、進化の歴史、その場にいる連中はすべて神々しいものに身を震わせていた。チャーミー石川なんかは涙さえ流していたのである。
そのとき、電話がけたたましくなり始めた。
つんくパパが出ると横柄な調子で警視総監だと言った。つんくパパは自分のことではないので警部に電話を渡す。井川はるら先生がコンパクトを出して化粧をしようと立ち上がって電話の線に引っかかったのでその電話の声がスピーカーに切り替わってその場にすべて流れている。
「王沙汰春警部、今度の件をどうするつもりだ」
「総監。なにしろ相手は怪物です」
「怪物はいいよ。君。築地市場に行ってまぐろや蟹を食いまくっているそうじゃないか。どうするんだよ。君。お寿司屋さんにまぐろを卸せないじゃないか。東京の物価指数があがっちゃうよ。君」
「ミサイルを撃つ金をください」
「そんなこと自分でなんとかしろよ。君、頭上を見てごらん」
警視総監がそう言ったので五人は外に出た。空中を見るとジェット戦闘機が一機とんでいる。
「君がなんとかしないと、君のいるところにミサイルを打ち込むよ。みんな死んでもらうよ。そうすれば証拠が残らないからね。今回の事件も未確認飛行物体から宇宙人が来てやったことにするからね」
警視総監はがちゃりと電話を切った。
「パパどうするなり。矢口くんはこのお馬鹿たちと一緒に死んでしまう運命かなり。怪物は手に負えないなり」
チャーミー石川は数珠を握って念仏を唱えている。警部は蝦蟇蛙がトラックに踏んづけられたような表情をしている。井川はるら先生がまみりの方を見て気味悪く笑っているのが気持ち悪かった。
「ちょっと、こっちに来なさい」
つんくパパは矢口まみりをつれて墓場に立っている木の隅につれて行く。
「まみり」
「なんであるか。パパなり」
「これを」
つんくパパはボケットの中から何かとりだした。
「まみり、これをはめなさい」
「パパ、プレゼントをくれるかなり、まだ誕生日は早いなり」
それは女ものの腕時計だった。ピンク色の腕バンドがついていて文字盤にはうさぎの絵が描いてある。矢口まみりはその腕時計をはめた。
「まみり、これはパパとふたりだけの秘密だよ。でも天国にいるママには報告してもいいよ。スーパーロボヤグチマミリ二号集合というのだよ」
矢口まみりは腕時計を口のそばに近づけると叫んだ。
「スーパーロボヤグチマミリ二号、集合」
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