第17話

第十七回

「この土饅頭が何で出来ているかわかる」井川はるら先生が葉巻で空中に追い払った、そしてまだ空中に浮遊したままの土饅頭を見ながら葉巻のさきでそれを指さした。

「この土饅頭は生まれてから五日目に死んだシーズ犬を焼いた灰を混ぜて作ったのよ。ふふふふ。黒魔術の力を使えば守り神を作ることは自由なのよ」

「さっき、先生があの内庭の中は白魔術で守られていると言いましたよね。ではこのハロハロ学園の中に白魔術を使う人間がいるということですか」

探偵高橋愛の疑問はもっともなことである。その質問に井川はるら先生はコーヒーカップを胸元まで持ち上げながら、魔女のようににやにやとした。

「ハロハロ学園の理事長よ」

「ええっ」

「ええっ」

「ええっ」

三人の生徒たちが同時に変な声を出す。自分たちの学園の理事長が白魔術の使い手だったなんて。

「じゃあ、理事長に頼んで、内庭の中を見せてもらうか。内庭の中に何があるか、教えて貰えばいいじゃない」

石川りかがそう言って首をこきこきと右左に動かした。

「この馬鹿。尻軽女が」

井川はるら先生はそう言うとそばにあった今度のハロハロ学園の学園祭でやる芝居の台本を石川りかに投げつけた。

「きゃー」

「理事長は白魔術の使い手だよ。黒魔術の使い手のわたしがそんなことを出来るわけがないじゃないか。それに誰も理事長の姿を見たものはないんだよ。誰もだよ。白魔術の力で誰の目にも見えないように姿を隠しているからだよ。ほら、そこに理事長が立っているかも知れないんだよ」

「じゃあ、誰も内庭の中を見ることは出来ないなり。でも、あの中に侵入したものはいたなり」

「まみりちゃん、白魔術、黒魔術にかかわらず霊力の強いものはその中に入ることが出来るのよ」

井川はるら先生は言葉の調子を変えてまみりに言った。

「まみりちゃん、黒魔術の力をあなどるのではないのよ。理事長のつむじの毛を持って来て黒魔術の秘法を使えば人間でも守り神に姿を変えて白魔術の結界に入ることは出来るのよ。まみりちゃん、先生はその魔術を使えるのよ」

「でも、理事長の姿も見えず、どこにいるかもわからないなら、その魔術を使うことは出来ないのではないでしょうか」

「ふふふふふふ」

また井川はるら先生は不気味に笑った。こんなこともあるかと思ってよりしろを用意しておいたのよ。

 そのとき生物準備室の古ぼけた柱時計が夜中の十二時の時を刻んだ。

「時間もちょうど良い頃ね」

矢口まみりは今まで気づかなかったが部屋の隅の人の内臓とか、ねずみの死体とかがホルマリン漬けになったガラス容器の横に彫像が置かれていることに気づいた。

「キャー」

いつもなら冷静なはずの探偵高橋愛が大きな声を上げる。そこには目をつぶった教頭の蛭子がほこりにまみれて立っている。

「先生、蛭子教頭を殺してしまったかなり」

「ふふふふ、眠らせてあるだけよ。欲望にまみれている人間ほど黒魔術のよりわらにはふさわしいのよ。わたしが黒魔術で教頭をよみがえらせるわ。しかし、彼は生きていながら死後の世界の架け橋ともなるのよ。彼の見たものがわたしたちの瞳にも映るのよ。ククチュルチルル、クチュクラククク」

井川はるら先生が呪文を唱えると生きているのか、死んでいるのかわからない蛭子教頭が静かに目を開けた。

「キャー」

石川りかがハンケチを出して顔を覆いながら、おそるおそる、生き返った蛭子の顔を見ている。

「まみり、まみり、あれ、あれ」

まみりも気味が悪かった。生き返った蛭子の目はゆであがった卵の白身のように瞳がなかったからである。やがてゆっくりと水死人のような蛭子が動きはじめた。

「まみり、変なものが見えるわ」

石川りかの目にはさっきの土饅頭の下に道が出来ているのがたしかに見えた。まみりの目にも探偵高橋愛の目にもその道はたしかに見えている。

「三人とも何をしているの。すぐ、理事長の姿を探すのよ」

四人がハロハロ学園の校庭に出ると夜中の静けさしか、そこにはなかった。水死体の蛭子が自動人形のように歩いて行く。ところどころにそれぞれの守り神が歩いて行く道といものが見えるが、それをのぞけば夜中のハロハロ学園の校庭でしかない。これが死後の世界というものだろうかとまみりは思った。

「あれを見て、まみり」

石川りかが校庭の片隅を指さした。まみりも探偵高橋愛も黒魔術をかけられた蛭子教頭の目を通してそれを見ていた。百姓の隠居の離れのような藁葺きの家が一軒ぽつりと建っているではないか。

「見つけたわよ」

井川はるら先生が血のしたたるビフテキでも噛んでいるように不気味に言った。

「あの中に理事長が住んでいるんですか」

「住んでいるばかりではないわよ。この時間だったら寝ているはずよ」

四人、(五人という表現をとってもいいが、今は彼の目を道具とされて生きているとい表現は当たらないかも知れない)

四人はそのぼろい農家みたいな中に入った。家の中には一部屋しかない。入ったとたんに貧乏石川が歓声をあげた。

「クストー博士が、クストー博士が寝ていらっしゃるわ」

そこには海洋学者、今は死んでこの世にはいなJacques-Yves Cousteau博士がせんべいぶとんに寝ていらっしゃったのである。

貧乏石川にとってクストー博士は神と同じ響きを持っていた。

「クストー博士がハロハロ学園の理事長でいらっしゃったのだったわ」

貧乏石川の瞳は感動の涙があふれ出た。いつの日か、この方に会いたい。貧乏石川はそう思い続けて生きて来た。

貧乏石川は地中海の青い海が好きだった。それは正確なことではない。石川りかはその地中海の海に集まってくる大型クルーザーの住人が好きだったのだ。石川は鼻を垂らした弟とどんぶりの中にチキンラーメンを入れ、お湯を注いで麺がほぐれるとそれを啜りながら、ゴミ捨て場から拾ってきたもうすでにこの時代には死滅していた真空管式の白黒テレビで地中海の富豪たちの寄り集まる姿を見ることが崩壊寸前にある貧乏石川一家の生きる支えだった。

綺羅星のごとき富豪たち、オナシス、ロックフェラー、ケネディ、カーネギー、歴史に名を残す富豪たち、畳の破れた部屋の中で石川はそれらの人たちの姿に瞳を洗われるような気持がした。もしそれらの人たちがこの世に存在しなければ貧乏石川はその悲惨な生活のために自殺していたに違いない。

飛び交うシャンパンの杯、きらきらと輝く、金銀の装飾品、ダイヤの指輪、自分自身の空虚で絶望的な日々の中でそれだけが神の恩寵を現しているように石川には思えた。そして過ぎ去った日々の中で富豪の中で少し毛色の変わった富豪を発見した。その男は銀髪で地中海に浮かべたボートの上で独特の潜水用具を開発して青い地中海の海の中に潜ることを仕事にしていた。その神秘の海を記録映画にすることを仕事にしていたのだ。世間一般の人たちにはこれがアクアラングという潜水用具を開発して深海潜水艇を開発し、沈黙の世界を著した海洋学者であることを知っていたが、少し頭の弱い石川は地中海の上で船を浮かべている人間ならたとえ漁師であっても大富豪だと信じ切っていたから、この海洋冒険家を大富豪だと信じ切っていた。そしてその誤った認識が現在まで続いているのだった。

「クストーさま」

貧乏石川はせんべいぶとんで寝ているハロハロ学園の理事長、白魔術の使い手、クストー博士の枕頭で手も身もよじりながら感動に身をよじっていた。

「なにをぐずぐすしているんだい。あと、五分で理事長は目を覚ますよ。理事長のつむじの毛を三本引き抜くんだよ」

「そんなひどーいこと、やるの」

石川りかが悲鳴をあげている最中に探偵高橋愛はもうすでに身をかがめて理事長の頭のつむじから三本、髪の毛を引き抜いて、その手の中には銀色の髪が三本入っていた。名残をおしむ貧乏石川を無理矢理、連れ戻して生物準備室に戻ると蛭子教頭もリモコンの電気が切れたように壁に戻った。

「やっと、白魔術の結界を破るための材料が手に入ったよ。今夜のうちにその薬を作っておくからね。あの内庭の秘密を知りたかったら、明日の同じ時間にここに来るのよ」

そして三人は闇夜の中をハロハロ学園を出て自宅にもどった。探偵高橋愛は墓場を通って家に帰ったのは言うまでもない。

 次の日ハロハロ学園に登校した矢口まみりはあの内庭の秘密がわかると思うとそわそわした。教室の中には憧れの人のゴジラ松井くんがいる。あのカラオケ屋で失恋の痛みを知ったまみりだったが、まだゴジラ松井くんのことを愛していた。たとえ相手から嫌われていたとしてもゴジラ松井くんに恋している気持は少しも変わらない。消すことは出来ない。まみりは自分の座っている席から振り向いてゴジラ松井くんの姿を見ると、腹が減っているのか、クリームパンを囓っている。しかし、ゴジラ松井くんのことをなんでも知っている矢口まみりはゴジラ松井くんの顔色が少し悪いと思った。明日は亀有老人クラブとの野球親善試合があるというのにどうするつもりだろうか。矢口まみりがゴジラ松井くんのことを心配していると、吉沢ひとみが瓦版やの格好をして入ってきた。

「いいアルバイトがあるよ。いいアルバイトがね。交通量調査だよ。一晩で五千円もらえるよ」

教室の中の生徒たちが集まって行く。貧乏石川が駆け寄って行くのはわかるが探偵高橋愛までもがその人だかりの中に入って行った。

 あの薄気味悪い生物準備室に入って行くと井川はるら先生が地獄から来た猫のようににやにやと笑っていた。

「まみりちゃん、ひとりが、来たのね。これで石川りかや探偵高橋愛の黒魔術に対する不遜の念がはっきりしたわね。ここに白魔術の結界を破るための薬が出来ているわよ」

井川はるら先生の立っている後ろの席には薬瓶の中に入ったカレー粉の粉のようなものが置いてある。

「それが、その薬なりか、昨日、引っこ抜いてきたクストー博士のつむじの毛も入っているなりか」

「もちろんよ。まみりちゃん。でも、まみりちゃんが気持悪くなると困るからこの薬の材料については全部言うことは出来ないわよ。でもこの薬を飲めば、白魔術の結界の境界を見ることが出来るだけではないわ。その結界の上を自由に動くことが出来るのよ」

「すごいなり」

矢口まみりは驚嘆の声をあげた。

そのとき昨日と同じように生物準備室の中の古時計が薄気味悪く夜中の十二時の時を刻んだ。

「この薬は歴代の王たちも使ったものよ。でも、この薬の効用が現れているあいだはもとの姿のままでいることは出来ないわよ。まみりちゃん」

「じゃあ、何の姿になるのかなり」

「生まれ変わる前の姿よ」

井川はるら先生はさらりと言った。

「飲んで見る。そして、あの内庭に何があるのか、知ってみる」

「先生はもう、知っているのかなり」

「三十分前にもう試してみたわよ。あの内庭に何があるのかも知っているわ」

「教えてくれなくていいなり。自分で見てくるなり」

矢口まみりははっきりと断言した。

「まみりちゃん、じゃあ、この薬を飲んでみるだけね」

井川はるら先生が前を向いたまま薬瓶をとると矢口まみりに瓶の口をあけながら手渡した。矢口まみりがその薬のにおいを嗅ぐとやはりカレー粉のにおいがする。やっぱりこれはカレー粉なんだなり。矢口まりはうなづいた。瓶の口を口に当てて一気に口の中に流し込んでみる。するとまみりは薬の味を感じる前に身体がむずがゆいような感じがした。

「ふほほほほほほ」

井川はるら先生の薄気味悪い笑い声が聞こえる。

「まみりちゃん、可愛いわよ。これがまみりちゃんの生まれる前の姿よ」

そう言って井川はるら先生が持っている鏡には自分の姿が写っている。まみりは自分の目を疑った。自分の腕が素焼きのかけらで出来ている。そして鏡の中に写っているのは昔、子供番組で見たはにまるくんではないか。自分の本当の姿ははにわだったなりか。

矢口まみりは絶句した。

「この部屋の中にあの内庭の塀の上に続く結界の境の道が続いているわよ。まみりちゃんが知りたいなら、この道を進むのよ」

まみりは埴輪の格好でその道を歩き始めた。その道は生物準備室の窓の外に続いている。まみり、こと、はに丸くんはその道を歩いて行く。外には中天に丸い月がかかっている。魔術の力を持っていない人間が見れば空中を月の光を浴びながら埴輪が粛々と空中を進んで行くのが見えるだろう。まみりの目からは例の墓場も見える。そしてあの中庭にも達した。はに丸となったまみりは中庭の塀の上に立つと眼下には中庭の全貌が見渡すことが出来る。

 その中庭の中には

青黒いぬねぬねしたものが数え切れないくらいうごめいていたのである。

 中庭はプールのようになっていてうなぎのお化けのようなものとか、変なえらのあるものだとか、気味の悪い魚が無数にうごめいていた。まみりは知っていた。これは昔、見たことがある。地球上の深海魚をすべて集めたように深海魚がうごめいていたのである。そのときはに丸くんの背後を飛び越えて何か巨大なものが空中を飛来した。そしてプールの中に降りると醜悪な深海魚を鷲掴みにしてむしゃむしゃと食い始めた。その怪物は長い尾を持ち、口は爬虫類のように裂けていた。しかし、エメラルド色の皮膚を持っていた。月の光を受けてその鱗がきらきらと輝いた。はに丸くんこと、まみりはその鱗が探偵高橋愛が現場で拾ったものと同じことに気づいていた。太古の時代の肉食獣が深海魚を食っている姿にまみりはすっかりと心奪われていた。と同時にこの怪物がゴジラ松井くんに違いないと心の中で直感した。そう思いながら、月の光に照らされエメラルド色にうろこを輝かしている怪物を見つめた。

 するとこの肉食獣も塀の上に置かれた埴輪に気づいたようだった。両手にとげとげのたくさんついた大うなぎを両手に持ちながら、怪物は振り返った。月の光に照らされながら見詰め合う両雄ふたり。そしてまみりの心の中に誰かが話しかけてきた。

「矢口くん、見たな。君は僕が松井だと気づいているな、そうさ。ハロハロ学園のヒーローである、これが僕の本当の姿なのさ。深海魚が僕の命をつないでいるのさ」

この怪物の目に一瞬悲しい光がよぎったような気がまみりにはした。そしてプールの中に仁王立ちになっている怪物は飛び上がるとまみりの頭の上を越えた。まみりの頭の上に深海水が降り注いだ。ちぎれた深海魚たちが頭の上に降り注いできた。ばらばらになった深海魚の肉片と血ではに丸くんになったまみりの頭はずぶずぶになり、怪物は川の中に落下するとその姿は見えなくなった。

 なぜハロハロ学園のヒーロー、ゴジラ松井くんがこんな姿をしているのか、まみりには理解できなかった。ハロハロ学園に入ったのはこの深海魚を食べるためだったかも知れない。

ゴジラ松井くんのこの本当の姿を見て、矢口まみりがゴジラ松井くんのことが嫌いになったかというと、まったくその逆だった。矢口まみりは薄気味悪いもの、妖怪じみたもの、怪物のようなものが昔から大好きだった。「呪いの猫屋敷」「よみがえったミイラ男」「へび女の逆襲」「夜飛びにまわるまさかり」「直径三メートルもある死んだ大首」これらのものがまみりの幼児期の精神を形作っていたのである。

「ゴジラ松井くん、まみりは、まみりは、・・・・・・・・・・・・。ますます、ますます。・・・・・・・・・・。ゴジラ松井くんのことを好きになったなり。好きよ松井くん」

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