第18話

第十八回

弁当箱を包んできた新聞の死亡欄の記事を読みながらまみりは足をぶらぶらさせて、それからデザートのオレンジをかぶりついた。そして口からオレンジの種を出してちり紙の中に包んだ。そして石川りかが売店で紙パックのコーヒー牛乳を買ってくるのを待ちながら目の前に地面の上でありんこが落ちているクッキーのかけらを自分たちの巣に運ぶために隊列を組んでいるのを感心するような労をねぎらうような不思議な気持で見ていた。

「遅いなり。石川、階段の途中にある売店でコーヒー牛乳を買ってくるくらいで、そんなに時間がかかるものかなり」

ハロハロ学園のテラスのやしの木の下のベンチで弁当を食べていた矢口まみりはチャーミー石川がコーヒー牛乳を買ってくるといいながらなかなか戻って来ないことにいらだっていた。そこへ石川りかがスカートのひだをひらひらひらさせながら走ってやって来た。

「御注進よ、御注進。まみり。御注進よ」

石川りかは息をはあはあさせながらまみりの前に来ると言った。

「なんなり、石川。そんなに緊急を要する問題かなり」

「そうよ。まみり。早くクラスに戻って、新垣ひとりがクラスの中にいるから」

あわてて石川りかはまみりの手をひいてクラスのうしろの出入り口のところにつれて行った。

「見て、見て、まみり」

そう言った石川りかの指さす方をまみりが見ると教室の中には新垣しかいなかった。新垣はひとり机に向かって座っている。不良グループの有力な一員でありながら今は不良グループたちもいない。リーダーの飯田かおりもいなかった。

「あれよ。まみり」

石川りかがまみりの注意を促すように新垣の机の上を指さすとにたにたしたり、変な思いでに耽ったりしながら、結局は自己陶酔に浸りながら身体を前後に揺らしている新垣の机の上にはたった一つだけ筆箱が置かれている。

「ねえ、でしょう」

石川りかが言うとまみりの心の中に動揺が起こった。あの筆箱は見たことがある。まみりはずかずかと新垣のそばに行くと新垣の机の上の筆箱を取り上げた。そして筆箱の裏も見た。その裏には見たことのある筆跡で新垣さんに捧ぐ、ゴジラ松井と書かれている。その文句を見るとまみりはかっとした。思わず新垣の頭の毛をつかんで前後に揺らした。前に五回、それから横方向に三回揺らした。新垣は声にならない声を上げる。うぎゃ、ぎぎとまるで知性を持っている人間の声には聞こえない。

「あんた、なんでこのふで箱を持っているなり。ゴジラ松井くんと同じ筆箱なり」

今度はまみりは新垣の首を絞めてみた。新垣はうらめしそうな目をしてまみりを見つめた。しかし、新垣は何の声も出さない。いじめられっ子のまみりがいつの間にかいじめっ子になっていた。

「あんた、本当のことを言うなり。あんた、松井くんとどんな関係なり」

新垣はうめくだけでなんの言葉も発せようとしない。そう言えば、矢口まみりがこのハロハロ学園に入学してから新垣が人間語を発しているのを聞いたことがない。たまに食べ物の前へ行くと聞いたこともないような外国語の単語が新垣の口から出てくるのだけどどこの国の言葉か何をさしているのか、まみりにはさっぱりとわからなかった。

「新垣、何か、話すなり。お前は松井くんとどんな関係なりか。喋るなり。喋るなり」

まみりは新垣の首を絞めながら前後、左右に振り回した。

「グホ、ゴホ、キキキキ」

チャーミー石川はそのまみりの鬼気せまる姿に背筋が凍った。

「まみり、こわいわ」

そこへ体育の教師の村野武則が入ってきてまみりの背中を羽交い締めする。

「矢口、何をするんだ。新垣が死んでしまうぞ。おい、やめろ。矢口」

村野武則が無理矢理にまみりを新垣から引き離すと新垣は教室の床の上でうつぶせに倒れてぴくりとも動こうとしない。村野武則はハロハロ学園の生徒がひとり死んでしまったかと思って倒れている新垣のそばに行って声をかける。すると倒れている新垣の手といい足といい、頭の側面から蜘蛛のような毛がわさわさと生えてきて、むっくりと起きあがった新垣はしなびた顔でケケケケケケケと笑いながら廊下のすみをものすごい速さでごきぶりが逃げるように走り逃げてしまった。チャーミー石川はちがった意味で背筋が凍った。

「一体、どうしたんだ。誰にでもやさしい、矢口、お前が、新垣を殺すところだったぞ」

「だって、だって新垣が変な筆箱を持っているなり」

「筆箱ぐらいどうだって、いいだろう」

前後の事情を知らない村野に石川が説明した。

「まみりは焼き餅を焼いているんです。先生。あの新垣がゴシラ松井くんと同じ筆箱を持っていて、その上、新垣さん、好きなんて書いてあったからなんです」

「好きなんて書いてないなり」

まみりは口を膨らまして抗議した。

「でも、先生、あの新垣って何者なんですか。わたし、この学園に来てから一度も新垣が人間語を話しているのを聞いたことがありません。そもそもあの女、いや、生物はなんなのですか」

チャーミー石川は興味津々である。

「先生、それにこの学園の理事長がクストー博士だって、知っていましたか」

「なんだって、そのこともずっと僕の疑問の一つだったんだ。ふたりにお好み焼きをおごってやろう。ついて来るかい。そのことは僕にとっても初耳だったよ。君たちの方がこの学園について詳しいことを知っているかも知れない」

ハロハロ学園の体育教師村野武則は大白神社の参道口にあるお好み焼き屋にふたりの生徒を誘った。村野自身、この学園について知らないことが多すぎるからだ。

 村野は鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てながら焼けているお好み焼きを切り分けながらふたりの生徒たちの顔を見た。

「そもそも、なんで、新垣の首を絞めて殺しかけたのだ」

「だから、先生、新垣がゴジラ松井くんと同じ筆箱を持っていたからと言っているじゃありませんか」

「同じ筆箱を持っていれば首を絞めるのか」

「まみりはゴジラ松井くんが大好きなんです」

「恥ずかしいなり、石川」

「恥ずかしいことはない」

村野先生は湯気を立てているお好み焼きを切り分けている。

「先生、そもそも、新垣って何者なんですか」

「知らん。俺がハロハロ学園に入ったときにはすでにいた。だからもう五年になるが、いまだにハロハロ学園にいるんだ。進級もせずに」

「ゴジラ松井くんはどうしてハロハロ学園なんかに入学したんですか」

「先生は理事長が生徒集めの目玉として無理矢理、入ってもらったと聞いているぞ」

まみりは皿の上のお好み焼きにソースを塗りながら、その上にマヨネーズをかけていた。「先生、理事長がクストー博士だって知っていましたか」

「知らん。この学園に入ってから一度も理事長の姿を見たことがないんだ」

「理事長は白魔術を使うなり。魔法使いなり。そうじゃなきゃ、もう死んでいる人間が理事長をやっているなんてことがあるわけがないなり」

「このお好み焼き、おいひい」

プアー石川の口のまわりには青のりがついている。

「井川はるら先生は黒魔術を使うんですよ」「井川先生がか」

そこへ形の良い生足が入ってきた。

「三人ともわたしの噂をしているようね。まみりちゃんも来ていたの」

はるら先生もそこに腰をおろした。

「井川先生、このふたりがハロハロ学園の理事長はクストー博士だと言っているんですが、本当ですか」

「そのとおりよ。わたしも最近、その事実を知ったんです。ある男性のおかげでね」

「誰です」

村野先生は身を乗り出して井川はるら先生に聞いた。だいぶ興味があるようである。もちろん、その男性というのが降霊のためによりわらとされて生物準備室にミイラのように放置されている教頭の蛭子であることは言うまでもない。

「そうだ、まみり、あの内庭に何があつたの。わたしまだ聞いていないわ。交通量調査のアルバイトに行ったからね。まみりは行ったんでしょう。黒魔術の力を借りて」

「内庭ってなんのことだ」

「村野先生は校庭の中に内庭があることを知らないんですか」

「そう言えば、そんなものがあったなぁ。入ったこともなければ、そこに興味を持ったこともなかったけど」

「それもみんな、理事長の白魔術の力のためよ。博士が白魔術をかけているから、結界を生じてそこに入ることも出来ないの。それにハロハロ学園の中の人間にも博士の白魔術の力でそれに関心が生じないように心の中に働きかけているの」

「それにしても僕は幽霊から給料を貰っているというわけなのか」

「幽霊ではないわ。白魔術の希代の使い手よ」

「それで、内庭の中には何があるんだい」

井川はるら先生はまみりの方を見てほほえんだ。まるで自分の弟子を見るような表情である。

「まみりちゃんも見たわよね」

「見たなり」

まみりはそこで自分がゴジラ松井くんだと信じているエメラルド色の肌をした肉食獣も見たのである。まみりの心の中にその怪物もそう話しかけたではないか。しかし、まみりはそのことを言うべきかどうか迷っていた。かってに井川はるら先生はお好み焼きをほおばりながら話した。

「あの中には水深五千メートルと同じ状態のプールが白魔術の力で作られているの。世界中のありとあらゆる気味の悪い深海魚がうじゃうじゃとうごめいているのよ。まみりちゃんも見たでしょう」

まみりはゴジラ松井くんのことが出て来ないかと思ってひやひやしたがはるら先生も壁を乗り越えてゴジラ松井くんがその深海魚を食べに来たことは知らないらしかった。

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