第2話

第二回

矢口まみりが放課後、廊下を歩いていると向こうから井川はるら先生が出勤簿を胸に抱きながら歩いてくる。井川はるら先生の歩く姿は女のまみりから見ても美しい。足のさきにまで美がつまっているみたいだ。

 すぐに井川はるら先生は立ち止まった。そしてほほえみながらまみりの方を見る。教室の中での厳しい表情とはだいぶ違う。

「矢口さん、さっきは変な質問をしてごめんなさい。矢口さんじゃなきゃ、答えられないと思ったの。矢口さんに答えさせたかったわ。横からゴジラ松井くんが答えたので興醒めだったでしょう。ねぇ、今日は先生は忙しくてね。放課後、生物準備室に来てくれない。化石の整理があるのよ。あなたの勉強にもなると思うわ。ねっ、きっと来てね」

そういうと突風のようにまみりが返事をする間もなく、白衣のはしをなびかせて廊下の向こうに行ってしまった。そして、その姿をただぼんやりと見ているまみりの肩を叩く人がいる。ふりかえると、憎からず思っているゴジラ松井くんである。

「ゴジラ松井くん」

「矢口くん、何をぼんやりと立っているんだよ」

「井川はるら先生に放課後、生物準備室に来いって」

「矢口くん、井川先生には気をつけないといけないよ」

「気をつけないとって、どういうことなの、ゴジラ松井くん」

「僕は学食でオロオロシーを売りに行かなければならないからこれでおさらばするよ」

「気をつけなければいけないって一体どういうことなのよ。それにしても、あなたって、昔、巨人軍にいて、オロナミンシーの宣伝をして、ヤンキースに入団した松井くんとどういう関係なのよ」

矢口まみりはよくわからなくなった。廊下の外に生えているツワブキの葉を見るとその葉の上でなめくじがうごめいている。ゆっくりとゆっくりと厚い油紙のような上でなめくじが動いている。矢口まみりは急に手を洗いたくなった。廊下のはじにある手洗い所に行き、取っ手のところが忍者の手裏剣のようなかたちをしている古いかたちの蛇口をひねるといきおいよく、水が流れ出した。そこでじゃぶじゃぶと手を洗うと自分の顔が鏡に映る。左右は逆になっているが事実、自分の顔だ。わたしの方がよっぽどあの不良たちよりは美しいと思う。でも不良たちはたくさんいる。それに異常に腕力が強い。でも、なんで不良たちはゴジラ松井くんがいるとあんなに嫉妬心を燃やすのかしら。きっとゴジラ松井くんが好きなのよ。きっと。ここで矢口はゴジラ松井くんと一緒に春の日に川端で日向ぼっこをしている図を心に浮かべてみる。ゴジラ松井くんはほかの男子よりも一倍半くらい大きい。でも自分と並んでも不釣り合いなことはない。ゴシラ松井くんならシロツメクサで首飾りを編んでくれるかしらと思った。

 そんなことを考えているときのことだった。うしろの方でスカートのすそを異常に長くたらした女たちの集団がせまってくるような感じがした。

「おい、矢口」

その集団の先頭に立っている背が高くてスカートの丈を廊下につくくらい伸ばしている女が声をかけた。その横にはやはり同じように高校生のくせに年を食っている女が立っている。そのうしろには高校生か中学生かよくわからない女たちがたくさん背後に控えている。

「おい、お前、生意気なんだよ。ちょっとぐらい可愛いと思って」

不良グループ、モーニング娘っこのひとり保田が声を荒げた。

「どこが生意気なんですか」

相手が不良だが自分は何も悪いことをしていないので矢口には反感がわいた。

「可愛い子ぶってるって言うんだよ」

唇をねじけて飯田が言った。

「うちには空手を習っている舎弟もいるんだからね。ちょっと紺野さん、見せておやり」

飯田がそういうと紺野さんが前に出て来て空手の型をやった。腕や手を動かすたびに息を吸ったり吐いたりする。

「これは単なる空手家だけじゃないよ。紺野さんはもっとすごい武器も扱えるんだからね。そしてそれだけじゃないよ。刑事をやっていた女もいるんだよ。おい、加護、出て来な」

すると丸まっこい顔をした女が前に出て来てヨーヨー芸をやり始めた。お前は隠し芸大会か。

「人、呼んで、スケバンデカ、愛」

ヨーヨーが回転して空気を切ってものすごい音を立てている。

「わかっているだろう。わたしたちの悪の実力が」

「それでどうしたというんですか」

「お前もわからない奴だね。可愛いこぶるなって言っているんだよ。つまりだ。わたしたちのアイドル、ゴジラ松井くんから手を引けと言っているんだよ」

「そんなことを言っても矢口はゴジラ松井くんとつき合っているというわけじゃないわ。ばかばかしい」

顎をしゃくりながら得意のポーズを作っていた飯田は急に癇癪を起こしてきっと矢口まみりの方をにらんだ。

「嘘、言うんじゃないよ。今日の井川はるら先生の授業のときだって可愛子ぶってもじもじして、*****って言わなかったじゃないか。もう、頭の悪い女だね。また、ひどい目に合わせてしまうよ。シャワー室事件を覚えているかい」

その事件を確かに矢口まみりは覚えていた。ハロハロ学園は落ちこぼればかり集めた、ばか学校だったが、その施設は日本一だった。体育の授業のあとで汗をかいたあとは個室のシャワーがあってそこで温水のシャワーが出てくる。矢口まみりが体育が終わってからシャワーをあびて外に出て来ると、自分の衣服がなくなっているではないか。矢口まみりは途方にくれた。矢口まみりがバスタオルを巻いて途方に暮れているとあまりに長いことシャワー室のドアが開かないことに不審に思ったすけべ教頭の蛭子が、この男はこの高校の教頭のほかにナンセンス漫画も連載しているのだが、見に来た。シャワー室の開き戸の戸越しに矢口まみりの美しい顔が見えるではないか。肩のあたりは素肌が出ている。

「矢口くん、どうしたんだい。その格好は」

「教頭先生、服を脱いで置いておいたらとられてしまったんです」

「そうかい」

そう言いながら教頭の蛭子は何もしようとしないで、タオル姿の矢口まみりの姿をニタニタしながらいやらしい目付きで見つめている。いいものを見つけたと自動販売機の釣り銭出口で客が持ち帰らなかった釣り銭を見つけたような気持になっているのかも知れない。

最初のわたしのバスタオルを巻いた姿を見る男性は私の好きな人よ。それなのに何よ。蛭子のすけべ親父。お金ちょうだいよ。

 矢口まみりには不愉快な思いでとして残った。飯田がふたたび口を開いた。

「バスタオル事件の犯人はわからなかったわよね。迷宮入りだったわよね。みんな私たちがやったのよ。矢口、お前が悔い改めない限り、また同じ目に会わせてやるからね」

「何を悔い改めるというんですか」

不良、モーニング娘っこたちが得意気に自分たちの戦績を語っているうちにそれを見ていた生徒のひとりが職員室に教師を呼びに行った。しかし、その前にある男がやって来た。

飯田がはりせんを肩の上に上げて矢口まみりをしばこうとすると、上に上げた手首をつかまれたそしてどうしても動かない。紺野さんがその男の足下に来るとすねのあたりをさかんに正拳突きをやる。そしてスケバンデカ加護がヨーヨーをさかんに男の脇腹にぶつけていた。まるで巨人ガリバーと小人の戦いのようだった。アンドレア・ジャイアントと二流プロレスラーが戦っているようでもあった。

「やめないか」

コジラ松井くんは飯田の手首を強く握った。飯田ははりせんを落とした。

「やめろ。やめるんだ。矢口さんをいじめるなら僕が相手をする」

すると飯田の目から涙がこぼれ落ちた。新垣は廊下の上の方、空中をポワポワと漂っている。飯田ははりせんを下に落とすとじっとゴジラ松井くんの方をうるんだ瞳で見つめた。

「ゴジラ松井くん、あなたのことが、あなたのことが・・・・・・・」

飯田が泣きながら駆け出すと娘っこ軍団はそのあとを追って廊下からいなくなった。しかし、新垣はとり残されてしまった。まだ空中をプヨプヨと浮遊している。ゴジラ松井くんは落ちていたはりせんをとると新垣の頭を思い切りしばいた。飛んでくる軟球をバットで叩き割ってしまうゴジラ松井くんのことである。新垣はゲジゲジゲジゲジゲジと意味不明なことを言いながら廊下に落下する。廊下の上でまだゲジゲジゲジゲジとぐたぐだ言っている。普通の人間だったら、死んでしまうか、けがをするだろう。大変な生命力である。しかし瀕死のようでもあるが仰向けになって顔だけはニタニタと笑っている。

「松井くん、ひどいわ」

「だって、矢口くんをいじめた相手だぜ」

「保健室につれて行きましょう」

「でも、汚いよ」

「そこにちりとりと箒があるわ」

矢口まみりは廊下にへばりついている新垣を箒とちり取りで取ると、保健室に連れて行った。そこには看護婦姿の安倍がいた。安倍は消毒薬の入っている洗面器で手を洗っている。

「ゴジラ松井くん、誰を連れてきたの」

ちりとりの上に載っている新垣を見て安倍は声を上げた。

「きみたち、なんて事をするの。これは天然記念物じゃないの。これで理事長が生徒募集の目玉商品にしようとたくらんでいることを知らないの」

安倍はちり取りの上の丸まっている新垣を取り上げるとベッドの上に置いた。新垣は安倍になついているのか、安倍の動きを目で追ってほほえんでいる。口からは喜びがあふれてよだれをたらした。安倍は新垣の耳の裏の付け根のあたりに赤チンを塗った。矢口まみりは保健室の中の消毒用のホーローびきの洗面器を網膜の残像残しながら水色の保健室の入り口のドアをしめた。

「先生、お願いします」

矢口まみりはゴジラ松井くんと一緒に帰ることにする。赤煉瓦の塀を出るとプラタナスの並木が続く歩道に出る。秋になると黄金色の道になる。赤煉瓦の塀には蔦が絡まっている。

「一緒に帰らなくても結構ですのにの」

「また、あの性悪、不良集団が君をいじめにやってくるかも知れないから、送るよ。でも、これまでにもこんなことがあったの」

「わたしって可愛いでしょう。だから、飯田とか、保田とか、新垣とか、辻とか、みんなねたんでいるみたいですの。この前なんか、シャワーを浴びていたら服を隠されてしまったの。犯人が誰だかわからなかったんだけど、今日犯人がわかったわ。あの性悪不良グループ、モーニング娘っこだったのね」

ゴジラ松井くんはいかがわしい想像をたくましくして、にやついている。

「君って、身体は小さいけど出ているところは出ているね」

そのときゴジラ松井くんの夕焼けで出来ている陰のかたちは狼のかたちをしていた。それからふたりは川のはしを歩いた。土手に生えている背の高い草が川風に揺れ、川になかばつかっている漬け物石みたいな大きな石の上にやごが飛び乗った。それからふたりはいい感じできつねの社のあるところを右に曲がって広い道に出る。その道を歩いて行くとどこも同じような建て売りが立っている。その並びに変なかたちをした家が一軒、立っている。まず家のかたちがゆがんでいる。長方形ではなくて平行四辺形である。そして、いろいろなところから青や赤の太い、管がたっていて、家の側面からいくつもパラボラアンテナのようなものが出ている。その家よりもおかしいのは、オズの魔法使いに出てくるような銀色のブリキの服を着た男が立っていることだ。その家より少し前で矢口まみりは立ち止まると斜め上方にあるゴジラ松井くんの顔を見上げた。

「ここでいいわ。今日はありがとうございます」

矢口まみりはゴジラ松井くんにペコリと頭を下げた。

「あの変わった家が君の家」

「そうです。寄って行く」

「いいよ。今度にする」

そこで沈黙があった。

「目をつぶってくれる」

矢口まみりは目をつぶった。

すると唇のあたりに暖かい感触があった。矢口まみりが突然、目を開けるとクレーターのようなゴジラ松井くんのにきびのあとが飛び込んでくる。あっけにとられている矢口まみりをあとに残してゴジラ松井くんはもう百メートルを十一秒を切る俊足を生かして百メートルさきにいた。

矢口まみりがあの奇妙奇天烈な家の中に入るとあとから玄関のドアを開けてブリキのきこりの格好をした男が入ってきたそして応接間のソファーにどっしりと腰をおろす。

「今のはまみりの恋人かい」

「そんなんじゃないわ。あれがゴジラ松井くんよ」

「ああ、中学卒業の時点で虚人軍に入団が決まっていたのに、どういうわけか、ハロハロ学園に入学したという物好きはあいつかい」

「ハロハロ学園はわたしが通っている高校よ。そんなに悪口を言わないで。それより何よ。いつまでそんな格好をしているのよ。家の中に入ったら脱ぎなさいよ。パパ。そんなもの何の役に立つのよ」

「まみり、パパの発明を馬鹿にするものじゃないよ。物騒な世の中だからね。このモビルスーツが完成したら、どんな強盗に会ってもこわいことないさ」

矢口まみりのパパは発明家である。名前は矢口つんく。発明家らしくなく、髪を金色に染めている。矢口まみりの母親はまみりの小さい頃に死んでしまった。

パパつんくはテレビのスイッチをひねった。そこに警察関係の人間が登場した。

ここ最近、大変な銀行強盗が出没しているそうである。決して警察につかまらないし、どんな金庫でも開けてしまう。

ブラウン管の画面の中では警察関係者がテレビ局のアナウンサーと対談していた。

「こちらが警視庁、警部、王沙汰春氏です。今度の一連の銀行強盗事件は同一の人物の犯行だと睨んでおられるようですが。警部、どうでしょうか」

すると警視庁、警部、王沙汰春の顔が大写しになった。

「おい、人の女房の遺骨を盗んで何が面白いんだ。犯人、君の母親の遺骨が盗まれたら君はどんな気持ちになるか考えて見てくれ、君を決して罰さないから家族の気持ちを考えて遺骨を返してくれ」

そして王沙汰春は沈痛な面もちになった。

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