第5話
第五回
夏に着る浴衣を買った矢口まみりの一行は昔は歌の文句にあるように柳並木が続いていたであろう、歩道を歩く。柳の木の代わりには宝くじを売る小さなボックスが建てられていてその中で宝くじが売られている。宝くじの紙が何枚も重ねられてきれいに並べられている。遊園地の入場券に似ていないこともない。その図柄は大きな観覧車を中心にそえてその間を飛行機とか、ロケットとか、人工衛星とか、いろいろな空中を飛ぶ乗り物が飛んでいる絵が描かれていた。右手の方には瀬戸物屋とか小間物屋のビルが続いている。銀座の交差点のあたりから築地の方へ抜けて行くと気持ち下り坂になっている。その微妙に下り坂を降りていく。測量器具でなければ感じられないくらいの微妙な傾斜であろう。しかし、その下り坂もまた微妙に途中から上がっていくということをつんくパパは知っていた。
小間物屋の隣はカメラ屋になっていて大きなショーウィンドーの中にはピカヒピカに磨き上げられたカメラがガラスの板の上にモデルのように立っている。つんくパパはそのカメラをのぞき込んだ。カメラの軍艦と呼ばれる上部の巻き上げレバーやシャッタースピードのつまみのところは金色にメッキされている。そして手にふれるところは何の皮だかわからないのだが、やはりつやつやと磨き上げられている。値札のところの丸の数を数えている。つんくパパはその中の一つを近日中に買うのかもしれない。つんくパパがその中を見ていると自分の顔が映っている横に女の子の顔がひとつ加わった。矢口まみりの顔である。そしてその横にも一つ顔が加わった。チャーミー石川の顔である。そしてさらに横に仮面を被った女の子の顔が加わった。スーパーロボ、ヤグチマミリ二号の顔である。その四つの顔がショーウィンドーに映ると誰が決めたというわけでもないが四つの顔は同時にほほえんだ。やぐちまみりはそのとき幻影を見ていた。四つの並んだ顔の背後にその四つの顔を縦に並べたよりも、もっと大きなゴジラ松井くんの顔がじょじょに浮かび上がってくるのを。しかし、実際にはそこにはゴジラ松井くんはいなかった。ガラス窓には行き交う自動車が映っている。
チャーミー石川が突如、素っ頓狂な声を上げた。
「見て見て。財布が落ちている」
矢口まみりたちがその落ちている財布を見ようとするとすでにチャーミ石川はその財布を拾い上げていた。財布と言っても小さなぺらぺらな茶色の皮の剥げかかったペラペラの小銭入れだった。チャーミー石川は激しく息をしている。何日も食事をしなかった無人島に漂着した髭ぼうぼうの漂流民が砂浜に埋まっている亀の卵を見つけて随喜の涙を流しているようだった。そしてしきりにその小銭入れのチャックを開けようともがいている。チャーミー石川の目は寄り目になってその薄っぺらな小銭入れに吸い寄せられていた。つんくパパはそのあまりにも常軌を逸したチャーミー石川の表情に無言だったが、矢口まみりは石川の下心を察していたので、叱責の眼を石川に飛ばした。
「チャーミー、拾ったものは交番に届けなければならないなり」
スーパーロボも同意した。
「ソウナリ」
しかし、石川は眉の間に三本の縦皺をたてるとそのしなびた小銭入れを胸に抱いていやいやをした。まるでネアンデルタール人のようである。北京原人のようでもある。たまたまはじめて今までは食べられないと思われたものを食べて意外とうまく、滋養もあったので随喜の涙を流している原生人類のようである。
「矢口さん、チャーミー石川にその小銭入れを開けさせてやればいいじゃないか。きっと捨てて行ったんだよ。ぺらぺらで中には何も入っていないようじゃないか」
チャーミー石川の瞳の中に喜びと感謝の色が広がった。まるで初めてバチカンに巡礼に来た熱心な信徒が目の前で天におわします大いなる神の奇跡を眼前で見せられて宗教的恍惚感に身を浸している人のようである。
しかし、世の中には両面がある。砂浜に産み落とされた亀の卵を見つけて涙を流す人も親亀が涙を目にためながらその卵を産み落としていることは知らないだろう。小銭入れを落としたのが海亀だったら恨みのこもった目で石川の方を見るだろう。海亀の恨みを買うチャーミー石川。
チャーミー石川はその薄っぺらな小銭入れとそこに入っている中身にすっかりと心を奪われていたのだった。
「おまわりさんが通りがかればいいなり」
「ソウナリ」
猫舌の熱いものが食べられない人が急に熱いおでんを口の中に入れてしまったように、お手玉をしているように小銭入れのチャックを開けた石川だったが。
矢口まみりもスーパーロボ、ヤグチマミリ二号もその結果に満足しているようだった。「石川はやはり馬鹿なり」
「ソウナリ」
「お友達にそんな悪口を言うもんじゃありません」
とつんくパパ。
薄っぺらな小銭入れの中にはやはり何も入っていなかったのだ。ご苦労さま、石川。いや、待てよ、何も入っていないというのは間違いである。雨に濡れて茶色の染料の落ちている小銭入れの中には丁寧に折り畳まれている紙片が一枚だけ入っている。それも染料で白い色が染まっている。
「矢口の馬鹿。やっぱり財布の中にお宝が入っているじゃありませんか。でも、矢口、矢口組、つまりミニモニのことだけど。矢口組、ひらがなで書くとやぐちぐみ、やとぐの間にまを入れて、変換キーを押して、山口組。まあ、なんてことでしょう。矢口ってやっぱり怖い人だったんだ」
「余計なことを言わないなり。それより中にはやっぱり、紙切れが一枚だけ、お金なんか入っていないなり。石川の目論見はまんまとはずれたなり。アハハハハハなり。石川はやはり馬鹿なり」
「だから矢口は考えが浅はかなのよ。きっとこの紙切れは重要なものよ。そうだ。そうに違いないわ。これは一億円の宝くじの当たり券なのよ。前後賞を合わせて二億円だわ。素晴らしい」
チャーミー石川はオペラの歌姫の扮する洗濯屋の娘っこが恋人のことを語るように両手を胸の前で合わせてねじるように上に上げた。そのあいだにつんくパパはその紙切れを取り上げていた。
「石川さん、残念なことなんだけど。これは宝くじの当たり券なんかじゃないよ」
「じゃあ、なんですの。つんくパパ」
「喫茶店の割引券だね。二十周年記念でなんでも半額だって。喫茶、地球儀って書いてあるよ」
「パパ、場所はどこなり」
「矢口さん、ここのそばだよ晴海通りに抜ける十字路を左に曲がったところにあるみたいだ」
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その喫茶店は昭和四十年前後に作られたものだった。店の名前は地球儀。スモークのガラス窓の向こうには葉の厚い南方の鑑賞用の花鉢が並んでいる。前は大きな建物が建っている。その建物の空調用のパイプや従業員の控え室かも知れない窓が白い壁の間にぽっかりと開いている。四人が店の中に入ると木彫な独特な感じがした。あとで聞くとよく知らないが北海道のアイヌの人で彫刻の方で有名な人が室内をデザインしたそうである。二十周年の割引券を配ったわりには店内の客の入りはばらばらとしていた。
四人が木目を強調したテーブルの前に座ると少し離れた席から矢口まみりの方をじっと見ている美しい人がいる。
その人は自分の席から立ち上がると矢口まみりたちの方にやって来た。
「矢口さん、偶然ね」
「そうなり。ここで井川先生に会うとは思わなかったなり」
「初めまして。私が不肖、矢口のつんくパパです」
「ハロハロ学園で生物を担当している井川はるらと申します」
「先生、わたしもいます」
チャーミー石川が顔を出した。
「先生、わたしたち、道端でお財布を拾ってその中にこの喫茶店の割引券が入っていたんです。それでここに入ることにしたんです」
「チャーミー、余計なことなんか言わなくていいなり。チャーミーが牛のうんこを踏んだ話をするなり」
するとどうしたことだろう。矢口まみりの横に座っていた スーパーロボが急に笑い出したのだ。
「どうしたなり。うんこ」
するとまたスーパーロボ、ヤグチマミリ二号は笑い出す。
矢口まみりはまたうんこ、うんこと繰り返すとスーパーロボは笑い続けた。
「矢口さん、やめなさい」
「パパ、このロボットはおかしいなり。パパの設計ミスなり」
「ロボット」
井川はるら先生が仮面の女の子のほうを見た。
「この人はロボットなんかじゃありません。親戚の女の子なんです」
「どこから来たんですの」
「マダカスカル、ナリ」
「変なところから来たのね」
「この子は冗談が好きなり」
井川はるら先生は矢口まみりの瞳を見た。隣に座っていいかしら。矢口まみりは一瞬、躊躇したが何も知らないつんくパパは井川先生に席を勧めた。つんくパパはここで井川先生が矢口まみりに生物の点を甘くしてくれるとでも思っているらしかった。
「もう、パパは何も知らないんだからなり。井川先生は矢口さんに変な思いを抱いているんだからなり」
「井川先生、今度わたしたち花火大会に行くんです。それで浴衣を選びに来たんです」
チャーミー石川が身を乗り出した。
「あなたたちが、浴衣を着ている姿を想像すると今から楽しみだわ。とっても可愛いと思うわ。とくに矢口さんは」
そう言いながら井川先生は矢口まみりがテーブルに上げている手を片手でぽんぽんと叩いた。しかし、つんくパパにはその意味がわからない。
「矢口さんはわたしのお気に入りの生徒なんですよ」
「まみりのことをよろしく頼みます。まみりのことをいじめる生徒たちがいるそうなんですよ」
そのとき喫茶、地球儀の入り口のドアが開いて、柄の悪い男たちが三、四人入ってくる。つんくパパの座っている後ろの席に腰をおろした。そして顔を近寄せると何やらあやしい話を始める。
「それで、その話は確かなんだろうな。全く同一人物に違いないと」
「確かですよ。現場に置いて行ったコインと同じものが郵送されて来たんですから。あのキプロスコインが現場に残されていたということはどこにも漏れていないはずですからね。当事者という結論しか引き出せません」
「しかし、随分な自信だな。犯行場所を予告するなんて」
「警部いいじゃありませんか。相手の油断にほかなりませんよ。今度は必ず捕まえられますよ」
「今までは名無しの権兵衛だったが、わざわざ予告文には犯人の名前まで書かれていた。爬虫類最強、隠密怪獣とはな。あんみつ怪獣の間違いじゃないのか。とにかく、予告文は警視庁だけに届けられたのだな。ほかには絶対に漏れていないと。東京都築地七丁目やぶさか寺裏のなごみ銀行が襲われるということを」
「警部、そこ」
部下のひとりが男の背後を指さした。そこではつんくパパとチャーミー石川が身を乗り出してソファー越しに男たちの話を聞いていた。つんくパパの座っているソファーと男の座っているソファーはくっっいていたのである。
「王沙汰春警部」
つんくパパは男に声をかけた。
「最近、納入した足跡測定機は順調に働いていますか」
「誰かと思ったらきみか」
王沙汰春警部の顔に苦々しい表情が浮かんだ。
この男は矢口まみりの家のテレビのニュースにも出ていた、銀行強盗事件を担当している王沙汰春警部である。昔、ナボナのコマーシャルにも出ていた。顔が野球のベースボールに似ていて、目がぎょろりとしていて、口がゴム風船の口みたいな男である。算盤の一級の免状も持っていた。
謎の銀行強盗の事件にかかりっきりで満足に家にも帰っていない。
発明家のつんくパパは犯罪捜査のための発明品を警視庁に卸している。そして王警部はその発明品を使っている。しかし、ほとんど実用には供しなかった。
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