第11話

第十一回

月夜の怪獣

「だから、教育の目的が何かということになれば、生きる力を養うことにあります。生きる力とは狭義の解釈ではありません。生活上、経済的な道具というものをさらに越えています。それは自分の人生を肯定的にとらえて困難を乗り越えていく力を養うことでもあります」

公民の授業を受け持っている五十半ばになる頭の上の方がすだれのようになっている役場の受付に座っているような室町が黒板にチョークで生きる力と書くと教室の中にいた辻は大きなあくびをした。公民の教師、室町は鍬と呼ばれている。それは日本史の教科書に室町時代の市の絵が載っていて鍬を売っている貧相な商人にそっくりだったからだ。そしていつも週末になるとこの男がハロハロ学園と駅を結ぶ道にあるうなぎ屋でうなぎを食って帰ることを生徒たちは知っていた。

 教室の窓は明け放れられていて窓の外には青空が広がっている。石川りかは窓際の後ろの方に座っている。抜けるような青空の中には薄く溶いた白い絵の具をはけでさっと横に拭ったように絹雲が浮かんでいる。石川りかは外に広がる青空と教室の周囲を交互に見渡した。矢口まみりの方を見ると矢口まみりは教室のほぼ中央に座っている。それなのにまみりのまわりには不良たちの主要なものたちが取り囲むように座っている。まみりの前には飯高かおりが、両脇には辻と加護がうしろには保田が座っている。包囲網である。そして離れ小島のように紺野さんと新垣が座っている。石川りかは担任の先生もこんな席順にしなければいいのにと思う。まみりのまわりはまみりのいじめっ子ばかりではないか。ゴジラ松井くんを隣に座らせてあげればいいのにと思って廊下側の一番後ろのほうに座っているゴジラ松井くんのほうを見ると松井くんは黒板のほうを見てノートをとっている。後ろの方に座っている紺野さんは教科書をくの字のかたちに立ててそこに隠れてアルミ製の弁当箱を開けて弁当を食っている。弁当箱には飯がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。紺野さんははしをその中に立てている様子は土の中に埋まっている化石を掘り出そうとしている考古学者のようだった。紺野さんはピンポン玉くらいの大きさの梅干しをご飯に埋もれているのをはしで取り出すと口の中に放り込んだ。すっぱいはずなのに表情を少しも変えない、まるで殺しやのようだった。その横には新垣がやはり机の上に教科書を立てて彫刻刀を使って何か掘っている。石川りかはこのふたりには生きる力があると思った。新垣は彫刻家になれるかも知れない。と思った。さらに石川りかは首を伸ばして新垣の彫っている彫刻がどんなものなのだろうかと思って顔を伸ばしてのぞき込むとそのレリーフはどこかで見たことがあるような気がする。そこで思い出したのだがアンデス山中にある正体不明の大きな鳥の絵のようでもある。それが何であるか、現代では謎である。ある女性歴史学者は古代マヤ人は空中遊行が可能な方法を持っていてそれが飛行場だという説を唱えている。よく見ると新垣は古代マヤ人のような顔をしている。石川りかはさらに首を伸ばしてその絵をよく見ようとすると新垣は歯をむき出しにしてウーと低くうなり威嚇するような表情をしたので石川りかはかみつかれるのがいやなのであわてて首をひっこめた。矢口まみりのほうを見るとまみりは何か手持ち無沙汰のようである。まみりの前の飯高かおりはプラスチック消しゴムを机の上にこすりつけて消しゴムの滓を大量に生産している。これが何を意味しているのかはよくわからない。無理を言えば生きる力を涵養していると言えないこともない。そのうち消しゴムに彫刻をし出すかも知れない。そしてエッセーを書き始めるかも知れない。

 矢口まみりは公民の教師の話すのを聞きながら何か物足りないものを感じた。矢口まみり二号をつんくパパが作ってから不良たちがまみりをいじめることがさっぱりとなくなった。そして、まみりの心の平安は保たれているはずなのに何故だろう。そこにはいつもあるべきものがないという日常をみだす何かがある。それがまみりに対する不良たちのいじめという負のものだとしてもいつもあるのになぜないのかという部品の足りなくなった時計のような空虚感がある。それと同時にまたその行為があるのではないかという不安感がある。あるかないかわからない不安感である。まみりはその不安感から逃げ出したい気持がむくむくとわき起こってきた。まみりは手に持っていたシャープペンを手にとるとそのシャープペンの先が飯高かおりの方を向いている。そして気がつくとシャープペンの芯のさきで飯高かおりの背中をつついていた。飯高かおりが長い髪を振って後ろを振り向いた。

「このボケ、何やっていやがるんだよ。いてぇだろう」

矢口まみりは首を引っ込めた。

「おい、飯田、うるさいぞ」

公民の教師が叱責した。

 下校の時間になると赤レンガで出来た校門の門柱のところで石川りかが矢口まみりが来るのを待っていた。石川りかは大きなビニール袋をぶら下げている。

「お待たせ、まみり」

「石川、何を持っているなり、そんな大きなビニール袋をぶらさげて」

「まみり、君は音楽を専攻していたんだよね。わたしは美術。美術の授業のとき、作ったのよ。それより、まみり、ずいぶんと大胆な行動をとるじゃない。あの飯田の背中をシャープペンのさきでつっくなんて。でも不思議だわ。まみりがあの不良グループたちにのされないというのが」

「きっと、わたしのボディガードがいるからに違いないなり」

「まみりのボディガードって」

「僕の親戚の女の子なり、この前の事件のとき活躍したじゃないかなり。りかは健忘症なり」

「ああ、あの女の子。でも、あの子、まみりにそっくりね。本当にまみりの親戚の女の子なの」

「そうなり。まみりは嘘をつかないなり。でも、なんか物足りないなり。本当にあの不良グループはまみりをいじめなくなったなりか」

石川りかはまわりを見渡した。いつも矢口まみりに影となり日となりついているあの親戚の女の子がいない。

「そうだ、まみり、試して見ればいいじゃない。いい方法があるわ。さっき下駄箱のところで不良グループたちが靴を履き替えていたから、まもなくここに来るわよ。いい方法があるの」

石川りかは大きなビニール袋の中をごそごそとさぐると中から小さな人形を取り出した。まみりは一瞬それが呪いのわら人形なのではないかと思った。

「石川、それはなんなり」

「よく見てよ。まみり、この顔を」

まみりがその顔を見ると番長、飯田の顔が照る照る坊主のように布を丸めた頭部に描かれている。

「手と足をこうやって縛って」

石川りかがその人形の手と足を縛るとそれはまるで呪いのわら人形のようになった。

それから石川りかは校門の門柱の金具のところに手足がエックス型になるように縛り付けた。

「ふふふふ、これでいいわ」

石川は片手に持っていた雨傘の石突きのキャップをはずすと鋭利に尖った本当の石突きが現れた。

「石川、いけないんだ。傘のさきを尖らしていたらいけないと先生が言っていたなり、凶器になると言っていたなり」

「いいのよ。まみり」

石川りかはまみりを手で制した。そして校舎のほうに目配せをする。校舎の中央の出入り口のほうから軍団がぞろぞろとやって来る。みんなスカートの裾を地面に引きずるように長く伸ばしている。異様な光景である。邪悪な霧が立ち上っているようである。先頭にはあの飯田かおりがいる。保田もいる。辻もいる。そして少し、遅れて殺し屋、紺野さんも遅れてついて来る。新垣だけが地上、九十センチぐらいのところをプカプカと浮きながらやって来る。軍団はぞろぞろと歩いて来て、五メートルの距離に近づいた。

「今よ。まみり、やるのよ」

石川りかが矢口まみりに先が鋭利に尖った雨傘を渡す。

「まみり、刺すのよ。その傘で憎い飯田の人形を」

「りか、矢口さんは出来ないなり、そんなこと」

そう言いながらまみりの持った雨傘のさきは飯田のわら人形の方に近づいて行き、飯田のわら人形の胴体の真ん中のあたりを刺した。するとまみりの気持は楽になり、その先を引き抜くと傘のさきでめった突きにし始めた。

まみりは自分でも何を言っているのかわからないくらい、わめいていた。人形の胴体は破れて中から詰め物が出て来た。

「てめぇら、何をやってやがるんだ。番長の人形に」

保田が喚きながら走ってきた。軍団はすぐに戦闘態勢に入って陣容を整えている。少し離れたところで殺し屋紺野さんは仕込み杖を取り出して居合いを抜くと刀身は見えなくてきらりと閃光が走った。

「手が勝手に動いちゃうの」

まみりがそう言って傘のさきを人形のところに走らすとちょうど切っ先が人形の首のところに刺さり、首はもげてごろりと地面に落ちた。そしてコンクリートの地面の上を数回転して止まった。飯田のわら人形の首は白目を出していた。

「お前ら」

メリケンサックを拳にはめた保田がまみりに飛びかかろうとした。ここでメリケンサックとは何であるかわからない、いい子たちにその説明をしよう。これは艀で暴れるギャングが考え出したもので金属製の四つの輪が連なっていて手にはめる、中にはとげとげのついているものもあり、殺傷能力もあるのである。矢口まみりは殴り殺されてしまうのであろうか。

「待った」

飯田かおりが暴発しようとする手下たちを制した。

「やめとけ、こんなきちがいたちを相手にしているんじゃないよ」

「でも」

飯田かおりはぶるぶると震えている。内心の怒りを抑えているとしか思えない。

「行くんだよ。お前ら」

「でも、おやびん」

そして飯田はすたすたと歩き出した。殺し屋紺野さんはこの処置に不満があるらしく、仕込み杖を空中にさっと払った。すると空中からまっぷたつになった雀が落ちて来た。

ふたりの横を通り過ぎて行く軍団を送りながら石川りかと矢口まみりは顔を合わせた。

「どうなっているの。まみり。ちょっと信じられないわ。あの不良たちが何もしないで行っちゃうなんて」

「石川、矢口さんも信じられないなり」

飯田の首をけっ飛ばすと校庭の方にころころと転がって行った。

「どういうことかしら、まみり。やっばり不良たちはまみりの親戚の女の子のことがこわいのよ」

「パパの作った矢口まみり二号が怖いのかなり、臆病者、不良たちなり、でもまだ安心出来ないなり。もっと調べなきゃならないなり」

「まみり、調べるって何を調べるのよ」

「とにかく、あの不良たちのあとをついて行くなり」

矢口まみりはすたすたと歩き出した。

「待って、まみり、まみりが行くならわたしも行く~」

矢口まみりは不良たちのあとをつけて行った。不良たちは道路を我が者顔で歩いている。本当に街の愚連隊のようである。しかし、まみりたちがうしろをつけていることには少しも気づかない。駅前の商店街の中に入って行った。商店街のちょうど入り口のところにいい匂いがする。鯛焼きを売っているのだった。

「まみり、鯛焼きを食べない」

石川りかはビーズのがま口を取り出す。これは石川の死んだおばあちゃんの形見だった。だから市販はされていない。

「だめ、一銭も入っていないわ」

「予想したとおりなり。矢口さんが買ってあげるなり」

ふたりは熱々の鯛焼きを頭から囓った。不良たちはゲームセンターの前にいた。そして不良たちはゲームセンターの中に入った。

「わたしたちも入るなり」

まみりたちがゲームセンターの中に入るとテレビゲームの機械がずらりと並んでいる。不良たちは奥の方に行ったらしい。まみりたちが入っても気づいていないらしい。テレビゲームの横に大きなサンドバックのようなものが置いてある。これも遊具である。その後ろにメーターのようなものが置いてあり、このサンドバックを蹴ることにより、そのキック力が測れるのである。石川りかも矢口まみりもそのゲームの方に目がいった。それはそのゲームに興味があるというよりもその前でゲームセンターの従業員がなじられていたからである。従業員は青い顔をしている。その前には見るからに怖そうな大男が立っていてその横にはスタイルのよい十代前半くらいの女が立っている。

「まみり、あいつよ」

「あれなりね」

「藤本よ」

この辺ではその少女は有名だった。ここいらを仕切っている広域暴力団の組長の愛人に十六才の若さでなった女だった。いつも黒い高級車の後部座席にふんぞり返って移動していた。前はハロハロ学園に通っていたが、いつのまにか学園に来なくなっていた。その描写はあまりにもリアル過ぎて筆者にはすることが出来ない。お笑い物語が急に実録物になってしまうおそれがあるからである。

「どうするんだよ。この落とし前は」

少女の横にいるやくざが低くうなった。少女、つまり藤本は無言である。

「かみさんはこんな遊具はおもしろくないと言っていなさるんだよ」

ゲームセンターの支配人の額からは冷や汗が一筋たれた。

「まみり、いい考えがあるわ」

「なんなり、石川、やくざの相手は警察にまかせておけばいいなり」

「いい考え」

石川りかはそう言うといつものように胸の前で手を合わせてうっとりした。矢口がとめるのも聞かずすたすたとその方向に行く。

「まったく、石川りかの脳天気」

石川りかはもめごとのあいだにいつのまにか入って行った。

 ふたつのあいだに入って石川は両方の顔を見上げた。

「お前はなんだ」

やくざが低くすごんだ。

「あの、こちらの女のかたのわたしたち、後輩なんです。私立ハロハロ学園に通っています」

石川はさかんに媚びを売っていた。

「さっきから話を聞いていたんですが。このキックマシーンがおもしろくないんでしょう。

おもしろくする方法があるんです」

石川はそう言うと例のビニール袋からがさごそと何か取り出した。

それはさっきの校門のときの二十倍の大きさのある飯田そっくりの人形だった。

「先輩もきっと気に入ってくださると思いますわ」

石川りかはそう言うとその大きな人形を手際よくキックマシーンのサンドバッグのところに結びつけた。

「さあ、先輩蹴ってみてください」

今まで無言だった藤本はためしに飯田の人形の土手っ腹に蹴りを入れた。すると。

とってもおもしろい調子でキューと人形がしゃべったのだ。また藤本は蹴りを入れる。

するとまたキューと鳴く。無言だった藤本は石川のほうを向くとにやりとした。

気に入っている証拠である。

「好きなだけ蹴ってください」

石川りかはうしろに下がった。

「石川、どういうつもりなり」

「いいのよ。まみり。隠れるのよ。隠れるのよ。早く」

「また、変なことを始めたなり」

石川りかは矢口まみりの腕を引っ張ってゲームセンターの倉庫の中に隠れた。

****************

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る